キーワード小説『夜間爆撃』
基地を出撃してどれぐらいたっただろうか?
すでに日は落ちてキャノピーから見える夜空には月光が無数の星々と共に輝いている。
眼下には厚い雲海が黒々と横たわっており、今日は迎撃される心配は無いだろう。
鈍重な重爆撃機は敵迎撃機の留守を狙うのがベストだ。
もっとも、今回の爆撃目標周辺に30,000フィートの高高度まで迎撃してこられる機体は配備されていない。
対空砲の脅威はあるにはあるが、これほど厚い雲海があれば正確な照準は不可能だ。
こちらには新型のレーダー照準機があるので雲の上からでもレーダー画面に合わせて積荷を投下するだけで一方的な勝利を手にする事が出来る。
さすがわが国の技術力は大陸一と言ったところか……
しかし大陸一の技術力があるなら毎度毎度出撃のたびに故障するこのヒーターをどうにかしてほしいものだ。
防寒着は気休め程度だし、呼気に含まれる水分がキャノピーの強化ガラスや金属部分に触れて凍りつく様をずっと眺めていると、なんで俺はこんな所にいるのだろうかと憂鬱な気分になる。
こういう時は雑談でもして気分を紛らわせる所だが……今回の副操縦士相手では不可能。
なぜなら無口で無愛想、何かと言うと軍規を持ち出してくるむかつく野郎だからだ。
人のことをとやかく言うのは趣味じゃないがいったいどんな家庭に育ったんだ?
そりゃ今回の作戦は楽しくお気楽にやれるものでは無い。
いや、訂正しよう。
今回に限った事ではなく我々爆撃機隊の任務は楽しくもないし気楽でも無い。
よく戦闘機乗りに「爆撃機隊は楽でいいな」と言われるが、こちらから言わせてもらえば「戦闘機隊は楽でいいな」である。
ろくな武装も持たず機動性は皆無に等しい、さらに最近では爆弾の搭載量を増やすために防御用の機銃を半分以下に減らされ、機銃弾の数も大幅に減らされている。
ハッキリ言って『馬鹿でかい的』である。
しかも効果的な爆撃をするため複数機で編隊飛行をするのだから撃ってくれと言っているようなものだ。
話がずれた。
今回の副操縦士、名前は……確かリュッベだかリッベは困ったことに必要最小限しか喋らないのだ。
失語症など諸々の言語障害ではなく性格の問題だろうがこちらとしては非常にやっかいだ。
重爆撃機の作戦時間はその航続距離のため非常に長く。そしてその大部分の時間は暇である。
最新鋭のレーダーを搭載しているため、警戒すべき敵機を肉眼で探す必要はほとんど無い。
この40トンを超える重量のある機体もトラブルさえなければ操縦士一人と機関士一人で飛ばすことが出来る。
この機体に乗っている操縦士は非常に残念なことに自分とその隣の彼である。
目標空域までは交代で操縦するため、一方が操縦している時はもう一方は休憩時間である。
操縦中は原則的に私語厳禁なのだが……まだ自軍制空権内を飛んでいる時でさえあいつは律儀に私語をしない。
携行糧食のカンパンに入っていた氷砂糖を飴変わりに口に放り込み、再び雲海に目を移す。
せめて雲の下を飛んでいるのなら何か面白いものを見られたかもしれないのだが、生憎今回の飛行コースは海の上ばかりだ。
雲海の下には大海が、雲海の上には星海があるが、海の藻屑にもお空の星にもまだなりたくは無いな。
時計を見る、そろそろ交代の時間だ。
凝り固まった首をゴキゴキ鳴らし、ついでに指をパキパキ鳴らすと目の前の操縦桿を握る。
「交代する」
「イエス・サー」
大量の計器類を大雑把に読み異常が無いことを確認すると今まで考えていた無為な事を頭の奥に押しやる。
正式な交代方法をかなり省略して機体の操縦権を自分の物にする。
「航空士、コースはこれでいいのか?」
「はい、問題ありません。あと20分後に最終針路変更を真東に行います」
「了解した。念のため天測も行っておけ」
「本機のジャイロコンパスは正確ですよ」
「だから念のためだ」
「了解しました」
さて、そろそろ準備が必要だ。
今度は計器類を丹念に読んでいく。
「ルシファーリーダーより各機へ、進路変更後ラストシーケンスに入る。状況を報告せよ」
「…ルシファー2スタンバイ」
「…ルシファー3スタンバイ」
「…ルシファー4…操縦席ヒーター故障、それ以外の異常なし」
「…ルシファー5レーダーの調子が良くありません。感度低下。原因不明」
「…ルシファー6スタンバイ」
「…ルシファー7スタンバイ」
全機の報告が終わる。
特に問題はなさそうだ。
「ルシファー7より全機へ!レーダーに反応あり、距離3,500高度20,000方位2-2-5数3!」
あと10分ほどで投下ポイントに到着するという所で緊急無線が入った。
卵型の新型レーダーを搭載しているレーダーピケット機からの報告に右後方を振り向く。
雲海に邪魔されて敵機は見えない。
「各機へ!雲の中へ逃げる。高度25,000編隊乱すな!」
雲の高さは26,000フィート敵機が雲を出る前に雲の中に入ってしまえば視認は不可能。つまり撃たれることは無い。
敵機の上昇性能がどれ程のものかはわからないが、ぎりぎり間に合うだろう。
高度はどんどん下がりそれに合わせて速度も増す。
墜落するような錯覚を感じながら雲海へ突入。
氷や水滴がすさまじい速度で機体を打ち、銃撃を受けている様な音を聞きながら機首を水平に戻す。
雲中では視界はほぼゼロになり、時折光る稲妻によって自機のシルエットが目の前に映る。
「ブレイク!ブレイク!」
通信機から悲痛な叫び声が聞こえ、次の瞬間爆音と衝撃が機体を襲った。
「3番機がやられた!敵は双胴機……新型だ!」
雨が降っていたり、雲の中では戦闘機に積めるようなレーダーは使い物にならないはずだ。
どうやら雲海に突入した位置がばれた可能性が高い。敵機の上昇性能は双胴機ということもあり極めて高いようだ。
「編隊を解除!各機自己の判断で任務を遂行せよ!」
狐と人間をモチーフにした半人半獣のマークを付けた2番機が大きく左に旋回して抜けて行く。
またもや爆発音。
今度はどの機体がやられたのかわからない。
このままでは全滅だ……
突如視界が開けた、雲の切れ目に出てしまったようだ。
「投下ポイントまであと6マイル!」
目標が最大速度で1分の距離まで迫る。
サーチライトが縦横無尽に動き回り、夜空を切り刻みながら我々を探している。
「爆撃用意!」
爆弾庫扉を開放。
とにかく爆弾さえ落としてしまえばいい。
その後のことは……生きていれば考えよう。
とても真面目とは言い難い自分だが、この命は国家と王女へ捧げると、軍に志願した時に誓ったのだ。
悔いは……まぁ無いと言えば大嘘になる……
「ルシファーリーダーより各機へ、これより爆撃を開始する、状況を報告せよ」
「…ルシファー2目標に到達していない」
「…ルシファー6スタンバイ」
「…ルシファー4スタンバイ」
「…ルシファ……」
またもや爆発音。
「投下!」
爆撃手の叫びと共に32発の500ポンド爆弾が次々と闇夜に躍り出る。
積荷が無くなり軽くなった所で最大戦速、高高度への離脱を開始する。
雲海の上に出た瞬間双胴機が襲い掛かってきた。
防御用の機銃が火を噴き集中砲火を浴びせると雲海の中へダイブ。
後ろにまわり込むつもりか。
とにかく全速で離脱しなければ……戦闘機と爆撃機が戦闘すれば結果は目に見えている。
しかし、こんな時でも無駄口を一切叩かない副操縦士には脱帽だ。
自分は自分の職務を遂行するとばかりに必死の形相で首を上下左右に動かし敵機を探している。
操縦桿をぐっと引き急上昇をかける。
生き残れるかは運しだいだ。
高度33,000フィートに到達。
「ルシファーリーダーより各機へ、状況を報告せよ」
応答無し。
レーダーには機影無し。
各銃座からも視認できずの報告。
どうやら自機以外全滅したらしい。
何機爆撃に成功したのかも不明だ。
これで上層部の無能連中も爆撃機隊には護衛機が必要だとわかるだろう。
その授業料は重爆撃機6機とその乗員の命だ……
クソ!何が簡単な任務だ……
「機長、操縦を交代します。ひどくお疲れのようですので」
「お疲れ?あぁ、そうだとも!何だこの様は!!これは夢か?悪夢か?何故俺たちだけ生きている!!トニーもミシュルもジークも皆いないのに何故俺たちだけが生きている!!俺みたいな不良軍人やお前みたいな無口で無愛想なはみ出し者が生き残ってるのになんであいつらみたいな良いやつがやられちまうんだよ!クソ!!」
「機長、落ち着いてください」
「落ち着け?ふざけるな!落ち着いていられるか!お前は着任したばかりだが俺はあいつらとずっと一緒にいたんだぞ!!」
「機長!お気持ちはわかります。自分は前にいた部隊が全滅したためこちらへ配属されました。しかし私は今も彼らと共に飛んでいます。機長もそう考えるべきです。どれほど泣き叫び、怒鳴り散らし、わめこうとも死者は死者です」
「クソ…あぁ、わかってる。怒鳴り散らしてすまなかった」
「操縦権をこちらに」
交代の操作をし、操縦桿から手を離して力を抜く。
「基地に帰ったら飲みに行こう。お前には借りが出来たからな、おごるぞ」
「ありがとうございます。喜んでお供いたします。サー」
数秒の沈黙の後何かを思いついたような顔をこちらに向けてくる。
「自分はアルコールに強いですよ」
……こいつの冗談笑えねぇ
この日以来我が国の爆撃機隊には護衛戦闘機隊がつく事となった。
爆撃機隊にとっては非常に心強い。
そして、自分個人にも、この日以来心強い相棒が出来た。
ちなみにその相棒の名前がリュッベでもリッベでもなくリュツベルトだったのに気づいたのは飲んで酔いつぶれ部屋まで運んでもらった時になってからだったが……
あと、もう一つ付け加えるならばリュツベルトの授業料は財布の中身全部だった。
あの日散っていった戦友と共に、私はまだ飛んでいる。
戦争はまだ続きそうだ。