隠者は太陽の前へ現る
 

 フォーチュンはカードを前に珍しく顔をしかめていた。

 シェルターは資源節約のため昼でも光量は多くない。その控えめの光量でも我慢できないかのように店は建物の日陰にひっそり存在し厚いカーテンで覆っている。結論としてかなり店内は薄暗い。その中で男性らしからぬ風貌の占い師フォーチュンは憂いの表情で3枚のカードを見る。まるでにらみつければカードの内容が変わるというように。あるいは自分の解釈が変化するかのように。

「ちわー、デリバリーサービスの弁当でーす。お待たせいたしました。ってフォーチュン、こんな暗い所で何やってんの?」

「おや、いつぞやのアルバイトさん。バイトを変えたのですか」

「あ、覚えていてくれたんだ。自分、万象全です」

 覚えているとも。接客業である占い師はそう簡単に人の名前を忘れやしない。特に全の名前はなかなかすごい意味が込められているので忘れようがなかった。

「あれ、自分の事を占っていたの」

「違いますよ。占い師は自分の事は占わないのです」

 全は弁当をフォーチュンの指示通りに近くの棚に置いて、断りもせずに正面の椅子に座った。

「どうして」

「自分の事はどうしても客観的に見る事が出来ないんですよ。カードを選ぶ手も読む目も曇るのです。それを避けるため自分の事は読みません」

「じゃあ何を占ったの?」

「冬華さんのことですよ」

 フォーチュンはため息をついた。

「冬華は今旅行中だよ」

「知っています。出かける前に読んだ運命があまりいい物ではなかったので占い直してみたのですよ。でもそれにも不幸の影を読み取ったので困っているんです」

「どれどれ」

 全はのぞきこんだ。フォーチュンの側から右に足元に獅子を従えた立派な男、崩れ落ちる塔、首を綱で縛られて逆さ刷りにされている男のカードが並んでいる。

「どうやら冬華さんは向こうでの問題を解決できたようですね。過去に4番の皇帝が出ています。しかしその後、近い未来である現在に塔のカード。大災害、予想だにしない困難が起こります。そして未来は」

「これってどんなカード?」

「これは吊るされた男。刑死者を意味するカードです。意味は自己犠牲」

「つまり、冬華は何かの犠牲になるの?」

「分かりません。しかし不吉です。だから悩んでいるんですよ」

 フォーチュンは左側に積み上げていたカードの山を取り上げ、華麗な手さばきで切る。細い指先で一枚のカードをめくり、自分の前に差し出した。そのカードには法衣で全身を覆った老人が描かれていた。老人の手にはランタンがあり、周囲の風景をおぼろげながら照らしている。

「これ、何?」

9番隠者のカード。落ち着いた理性、慎み深さを示します。これが冬華さんの一連の危機を乗り越える手助けとなるでしょう」

「この人、フォーチュンに似ているね」

 何気なく言った全にフォーチュンは鋭い視線を投げかけた。たおやかな外見に似合わぬ激しさに全はひるみ、椅子から落ちそうになる。

「な、何。気に障った?」

「……いえ、驚きました。この隠者のカードは占い師という意味も込められているんですよ」

「じゃあ、フォーチュンが冬華の危機を救うと言う事?」

「そう出ました」

「読み間違いじゃない?」

 失礼な発言であるが、フォーチュンも自信がないので何とも言えなかった。無駄に雄々しく銃を振り回す冬華にどうフォーチュンが役に立てばいいのだろうか。精神面の手助けも冬華には必要ない気がする。

 ほかにどのような意味が隠されているのか。フォーチュンはカードの意図をより読もうとして顔を近づけた時、乱暴にドアが蹴り飛ばされ2人の銃を持った男たちが押し込んできた。銃口はそれぞれ全とフォーチュンへ向かっている。

「手を上げろ。ここの主に用がある」

「ご、強盗?」

 全がいまいち現実を把握しきれていないように顔を引きつらせた。善良な市民なら当然であろう。フォーチュンはそれほど動揺せずに2人へ笑いかけた。そこいらの女性よりも麗しい笑みは残念ながら彼らには聞かなかった。

「何の用ですか? 占いを希望ならばそれを下げていただけませんかね」

「上官があんたに用だ。ついて来てもらおうか」

「せっかくですが遠慮します」

「選択権があると思っているのか?」

 黒光りしている銃はいかにも重そうで、引き金を引かれたらあっという間にひき肉だろう。全は押し込み強盗に巻き込まれて銃殺されたくはなかった。

「フォーチュン、降伏しよう! レジ金を全部渡すんだよ、そうすれば命ばかりは助かる!」

「取引はお互いが対等である時のみ有効なのですよ全さん。助かるかどうか微妙ですね」

 落ち着き払って机の下からフォーチュンが取り出した物はSIG-P220。銃だった。けして飾りではなく手入れをされた現役の品物である事は一目見て分かる。

「では話し合いましょうか」

「フォーチュン、どうしてそんな物を持っているのさ!」

 全の声は正真正銘の悲鳴だった。

「ここは治安が悪い通りでしてね。強盗や泥棒が多いんです。そんな所で私が無防備に経営していると思っていましたか?」

 日常茶飯事とまではいわないが、すでにフォーチュンはこの手の出来事に複数回心当たりがあった。直接自分が被害にあった事さえある。ちなみに全は知らないが、前に冬華が転がり込んできた時も実は強盗かと間違えて机の下でSIG-P220を握ったものである。もし撃っていたら戦争勃発のあげくここは消し飛んでいたかもしれない。

「言っておきますが、私はこう見えてもちゃんと銃刀取り扱い免許を持っていますからね。銃の手入れも欠かしていませんし時々は訓練所に行って練習もしています。撃てますし当てる事も出来ますよ。命が惜しかったら帰りなさい。正統な手順を取れば礼儀正しく対応しますから」

 彼らの間にいる全は気が気でなかった。実は笑って銃を相手に向けられる人間だったフォーチュンと違い、ただのアルバイターである全はこの場では無力である。

「あいにくだが、上官はどうしてもあんたが来るのを待っていてな」

 男たちは銃を全へ向けた。その意図を察した全は口を開けながらへたり込む。声が出ない。

「銃を下げろ、さもないとその青髪の坊主を撃ち殺す」

「フォ、フォ、フォーチゥュン……」

 世にも情けない声を出してすがるように全は黒い髪の占い師を見る。フォーチュンは2人の男を見て、全を見て、彼らが脅しではなく本当に実行するであろう事を知った。

「……ソードの10ですね」

「何、それ」

「絶望、進む事も逃げる事もできないという意味ですよ全く。止むをえません」

 フォーチュンはしぶしぶ銃器を降ろす。男たちは素早くフォーチュンの両脇を固めようとするが、それには目もくれずフォーチュンはタロットカードを集めて手におさめた。

「待ちなさい、これだけは持って行かせてもらいますよ。私に用があると言う事は十中八九これにも用があると言う事ですからね」

 男は待たなかったが、何とかかき集める事が出来た。男のうち1人は乱暴にフォーチュンの手首をつかむと連行する。

「フォーチュン、ごめん、あの」

 見送る事しか出来ない全は情けなさそうに椅子に寄りかかってつかんだ。その全にもう1人の男が銃口を向ける。「ひっ」と全は痙攣したように固まった。

「お前もだ。ついてこい」

「えええっ!?」

「早くしろ」

 降り注いできた火の粉に全の反応は早かった。顔は泣きそうだったがいそいそと男の側へ寄る。

「フォーチュン……」

「全も巻き込んでしまったようですね」

 しかし口封じで殺されるよりははるかにましだろう、申し訳ないと同時に安心した。意外な方向に転がった運命を眺めているうちにフォーチュンは思い出した。塔のカード。大災害、思いがけない災い。どうやらカードは自分たちのことを伝えていたらしい。

 何でも屋の双琉冬華は空腹で目がかすみそうになりながらも自宅のアパート前までたどり着いた。

「く。くく…… く、空腹だ」

 念のために言っておく。つい最近まで世話になっていたライプチヒシェルターのグリーレ兄妹が意地悪く冬華に食事を出さなかったわけではない。彼らはちゃんと3食世話をした。ただそれが経済的事情によりライプチヒシェルターの一般的水準よりはるかに下回っていたのである。収入の少なからぬ金額を食事に費やしている美食家の冬華はそれが我慢ならず、他の事情もあって早々に退散したのであった。

 しばらく留守にしていた愛しの我が家、懐かしの1K安アパートに冬華は転げ込み、早速荷物を捨てて米をといで土鍋に放り込みかまどに火をつけた。勝手に作った地下収納庫からキャベツを取り出し刻み、玉子をといて一緒に重い鉄のフライパンで焼く。大型業務用冷蔵庫から煎茶とタッパーに入っていたたくあんを取り、煎茶を炭火で炒ってお茶をいれ、一息ついてから炊けたご飯をよそい玉子焼きを皿に盛り味噌汁の横に並べる。おもむろに冬華は正座をして味噌汁をすする。

「……これぞ日本人」冬華は涙目で拳を握った。

 ちなみに現在味噌汁の文化は廃れつつある。富山シェルターの大学の食文化研究所では味噌汁を復帰させる取り組みを計画しているのだが、冬華が生きている限りうまい味噌汁はなくならないだろう。

 久々の日本食に涙をしながら冬華はあっさり全てを平らげた。作るのは手間も時間もかかるが食べるのは10分である。その不思議な現象に冬華は疑問を感じた事はない。

 満腹になった冬華はしばらく煎茶をすすりながらたまった新聞を読んでいた。一番の最新号の1面には最大フォントでバーミンガムシェルターへの侵略が載っている。

「メディアへの規制がない事は健全な社会の第一歩。めでたいめでたい」

 事態の深刻さのわりに相当どうでもいい事をありがたがる冬華だった。

 しかし無理はない。はっきり言えば冬華には関係のない事だった。冬華はバーミンガムシェルターの住人でもなければシェルターの治安を第一に考える上層部の人間でもない、ただの何でも屋なのである。この前知り合った生物学者の竹屋優慈からバーミンガムシェルターへの侵略行為を前もって冬華は知らされていたが、驚きの後の思考は「関わらないようにしよう」であっても誰も冬華を責めようか。その学者に「あなたにも特に関係のない事だから、取調べが終わったらすかさず小樽シェルターに帰りなさい」と落ち着いて助言し、その後自分も迫り来る戦争とまずい食事から逃げるように国際リニアモーターカーに飛び乗った。

「しかし、一体何者がそんな真似をしたんだろうな。これで今までのまったりした勢力情勢が一変するね」

 冬華は新聞をたたむとコートを羽織り、お土産の乾パンをつかんで出かけた。腹もくちくなったのでフォーチュンの所へ行き、出掛けに不吉な占いをしてくれた事に文句を言うつもりだった。

 現在ヨーロッパ地方では激動だというのに、フォーチュンの占いの店がある通りは猫の子1匹いないかのように静まり返っていた。あちこちにある看板や落書きが日本語である事に心を和ませつつ、冬華はフォーチュンの店へ入る。

「今帰ったよ。これお土産の乾パン。ライプチヒシェルターの人間はこれを主食にして生きているんだよ。よくそれで生きていけるよね」

 返事はなかった。冬華が来ると少し困ったように笑う美貌の占い師がいつもいる正面の椅子に座ってはいない。

「フォーチュン? 席を外しているの、それともお昼?」

 冬華は遠慮の色を全く見せずに奥へ進んだ。重量と安定感がある椅子に腰掛ける。

「珍しい。外出中か」

 なら出直そうかと思った冬華は机の上に紙切れが置いてあるのを見つけた。ドラゴンをかたどった青銅の文鎮の下に冬華に発見されるのを待っていたようにちょこんと置いてある。この店自身がかなり暗いせいで見つけるのが遅れた。冬華は深く考えず紙を手にとって見た。

『冬華へ

ここの主人は俺が捕まえた

俺はバーミンガムシェルターにいる

そいつを連れて行くから俺の所にこい

Ostern』

 流暢な日本語の手紙にくつろいでいた冬華の表情が固まった。2回読み返し、3回読み返した。手紙を持っていた両手が震える。紙を引きちぎってばらばらにしてやろうと思ったが証拠品だとかろうじて思いとどまった。その代わり外に出てその辺の壁を思いっきり蹴り飛ばす。靴の人工樹脂の皮がこそげて冬華自身の足も中指と薬指にあざを作り、いい感じに古い壁も少しコンクリートがこぼれ落ちた。

 店を出てポケットに手を突っ込んだまま歩く。いつの間にか歯を食いしばっていたらしく、口の中から奇妙な音がする。冬華は自分の顔をまだ見ていないが、鏡を見たら般若のようだと表現しただろう。

「おい、そこの女」

 冬華は誰かに声をかけられた気がして立ち止まった。振り返ると目つきの悪い数人の男たちがいる。実に非友好的な雰囲気だった。

「この前はよくもまんまと逃げたな」

 そういえば、以前この辺りでちんぴらに絡まれて逃げた事がある。ひょっとしたらまだその事で覚えられているんだろうか。

 正直冬華は彼らの事を大して覚えていなかった。しかし行動は早かった。踏み込んで大きな回し蹴りを正面の男の頭右側面に当てる。着地するなりすぐ横の男の鼻に握りこぶしを与えた。

「おいっ!」

 刃渡り30センチはあるアーミーナイフを腰の辺りに構えて1人が冬華に突進してくる。冬華はその腕を逆につかみ、相手の動きを逆に利用して下手投げの要領で投げた。

「弱いっ。全員でかかって来い!」

 冬華はほえるように叫び、立ち上がろうとした男の背中を踏んづけた。

「切れてやがる、こいつ」

「そこまでだっ」

 男の1人が拳銃を取り出した。

「そのまま手を上げろ、死にたいのか」

 冬華は素直ではないので、足をそのまま動かさずに担いでいた包みの封印を解いた。当然中にはライフル・ライトニング15がある。

「わたしと銃器で勝負しようなんていい度胸じゃないの」

 当然ながら拳銃とライフルではライフルの方が強い。御猪口と丼の勝負のようだ。

「こんな所でライフル? 正気か?」

「今わたしの機嫌は最不調なんだよね。ちょうど出てきてありがとう」

 少しの沈黙があった。どっちが悪役だか分からないと冬華は場違いな事を考える。

「冗談じゃねぇ。行こうぜ」

 おびえたように、しらけたように男たちは群れを成して立ち去った。冬華はその辺の壁に寄りかかる。今冬華がやった事は正当防衛ですらない、ただのうさ晴らしであり胸を晴れるようなことは何1つなかった。陰鬱な気分になる。

「はぁ」

 それでも派手に暴れた事で多少は気が済んだのか、冬華は肝心な事を思い出した。

「わたしはアパートに帰らなくても端末で電話ができるじゃないか」

 子どもでも知っている事を思いつかなかったのはそれだけ動揺していたと言う事であろう。冬華は男たちには目もくれずその辺の路地に駆け込み、端末で最近登録したばかりの番号を選択する。かなり長い待ち時間が経過した後に相手が出た。

『はい、グリーレ何でも屋です。マスターはただいま金策に頭を悩ましています、アーシェンスは熟睡して起きません。ご用件をどうぞ』

 ぷつっ。冬華は用件を言う前に通話ボタンを切った。念のために言うが頼りないとかこりゃ駄目そうと思ったから切ったのではない。そう思ったのは事実だが。

「駄目だ、あの兄弟じゃ。もっと他の、例えば……」

 冬華は端末を握りしめて唇を噛みしめた。少し考えてから別の登録番号を選択する。今度は比較的早く相手は出て、流暢な日本語が聞こえてきた。

『竹屋です。こんな時間に誰ですか』

「こんばんは、寝ていたであろう所悪いけど、わたし、冬華よ」

『冬華さん、時差の事を考えて電話してくれ』

「悪い、忘れていた。それ所ではなかったから」

『冬華さん? どうかしたの? 声が怖いよ』

「事情があってね。竹屋、バーミンガムシェルターに行く用が出来たから、協力して欲しい」

 端末の向こうで絶句する気配があった。それはそうだろう。冬華が竹屋の立場だったら今頃端末の電源ボタンへの指を伸ばしている。切られる前にたたみかけるように冬華は必要な事を伝えた。

「あの施設でAGを操作していたオースターンという奴が、わたしの友人を誘拐した。バーミンガムシェルターにいるらしい。何とかしてそこにわたしも行きたいから、手始めにライプチヒシェルターへ移動する。今竹屋はライプチヒシェルターの軍から与えられた住居に仮住まいしているんでしょう? わたしはバーミンガムの情報がほしいんだ。それもとびっきり新しいのが。絶対に竹屋には迷惑をかけない。必要な事を聞いたら即座に去る。話を聞きに行ってもいい?」

『……えっと、それは大変だね。でも僕だって結構大変なんだけど。まだ取り調べあるし、無罪放免されてもこの先どうやって生計を立てるのか決まっていないし』

「やっかましい!」

 今現在話しているのは端末である事を忘れて冬華は怒鳴った。

『み、耳が、耳がぁ!』

「金なら払う! やるかやらないか、それだけ答えろ!」

『やる、やるっ! やらせてください!』

「住居がどこだか知っている、着いたらすぐに行く」

 冬華は端末を切った。これで当ては確保できた。

 冬華は自宅に戻り、今さっき解いたばかりの旅荷物を再び詰め始めた。食料、調理器具、着替え、それに武器。特に武器は以前のライトニング15、エネルギーボルト05、マジックミサイル03、プラスチック爆弾に加え、重機関銃に迫撃砲。手榴弾と発火カプセルと人の首も切れる極細鋼鉄ワイヤー、小型ミサイル発射装置。携帯用バズーカ、レールガン、火炎放射器。もちろん重火器ばかりではない。アーミーナイフに高周波ブレード、拳に装着する軽量ナックル。身体のあちこちに身につけるプロテクターに最近購入したばかりのとっておきも着衣する。武器の商人と見間違うほどの大量の装備を冬華は身体に、あるいは荷物に加えた。そしてあわただしくアパートを飛び出す。1時間後には冬華はリニアモーターカーの中にいた。

 その表情は以前乗ったときとはまるで違い、くつろぎや余裕などは一切存在しない険しい顔だった。

 

「世界の正位置」

 フォーチュンはカードを細い指でつまんだ。

「万象さん、あなたは実に不思議な人ですね。あなたはただのフリーターで政治的な力は何も持っていない。力も知恵もお金もない、ただの若造です。しかしそれでいてあなたは完成された存在で、確実に何か巨大なものの象徴だ。人と人の間を泳ぎ、その眼は真実を見つめる。あなたとは一体何者なのでしょうか」

「こっちもそれが聞きたいよ!」

 四方八方無機質なコンクリートの狭いコンテナの空間で、全はフォーチュンに当り散らすようにわめいた。このような事態にのんびりタロットカードをめくられたらそれも無理はない。

「今何されているか分かっているの!? 誘拐だよ、誘拐! しかも何がなんだか分からないし、相手は軍人で銃持っているし」

「私も持っていましたよ」

「こんな平和な富山シェルターで誘拐なんて、大事件だ、もし身代金をすごくたくさん請求されて払えなかったらどうなるんだろう、ひょっとして防護服なしでどっかの荒野に置き去りとか? 死にたくないっ!」

「私も死にたくありませんよ。あ、ついでに身代金と言うのだったらこんな貧乏そうな私たちを連れ去らなくてもお金持ちはたくさんいるでしょうから、それは違うでしょうか」

「何でフォーチュンはそう落ち着いているんだよ! いつひどい目にあったり暴力振るわれたり、ひょっとしたらこ、ころ、殺されるかもしれないのに!」

 全がパニック起こしているからですよと言おうと思ったが黙っていた。

 もちろんフォーチュンだって人間であるし、こんな事に巻き込まれても落ち着いていられるほど人間性を失っていない。本音を言えば全のようにわめいて叫んで事態の理不尽さを運命の女神に直訴したいくらいである。しかし人間2人いて、先に片方が恐慌状態になった場合もう片方はそれをなだめるため落ち着くしかないのである。ある意味先を越されたとも言う。

 とりあえず強制的に振られた役割でもそれを果たさないといけない。フォーチュンは軽く手を上げた。

「落ち着きなさい、全」

「落ち着いていられるかぁ!」

「それでも落ち着きなさい」

 フォーチュンはタロットカードをきりながらわざとおっとりと言った。

「ここで慌てふためくのもいいですが、それだと何も生み出しません。これからの予定や出来る事を考えましょう」

「これから?」

「はい。あいにく私はこんななりですが、助けを待ってお姫様のように待っている事はできません。最終的にそうなろうとも、それまでに最善を尽くしましょう」

「どうやって! 冬華みたいに戦えないよ」

「私にもできませんよ。私たちは素人で、相手は戦いの達人です。まともにやったら戦えません。だから正面切って挑まずにからめ手から始めましょう。彼らに話しかけて、なぜ、どうして私たちを誘拐したのか、何が目的か、これからどこに行くのか、できる限り情報を集めてそこから私たちでもつけいる事のできる隙を探しましょう。冬華さんのように正面切って中指を立てる事だけが戦いではありません」

「情報収集や分析も無理だよぉ。何でこうなったんだ」

 とほほ、と肩を落とす全にフォーチュンは少なくとも日頃の行いのせいではありませんよと慰めにならない慰めをかけた。

「まぁ、全は適当に彼らとお話してきたらどうですか? 気も晴れますよ」

「あの人たちが来たらそうする」

 軽く言ったが実は、フォーチュンは全の情報収集にかなり期待していた。誰とでも仲良くなれて話しを聞きだせる。その一見当たり前のような社交術が今のフォーチュンには何よりも必要だった。全が話を聞き出した後はフォーチュンが分析をして逃げる計画を立てる。知性を使って悪巧みをするなんて全には無理だろうがフォーチュンには可能だ。フォーチュンはカードの縁を細い指で触れて、その時に備えて今分かっている事の考えをまとめようとした。

 

 ライプチヒシェルターは前に来た時と大して変わっていなかった。あれから1日たっていないのだから当然であろう。コートを翻してライプチヒシェルターターミナルを歩く冬華は出入り口のすみっこに申し訳なく立っている竹屋を見つける。彼の方も冬華を認めたのか、小走りに「冬華さん」と駆け寄った。自分から行くと言ったのに迎えに来てくれたらしい。

「その荷物、どうしたの」

「武器と弾丸の類」

「そんなもんを!? 戦争にでも行く気?」

「時と場合によったらそうなるかもね」

 冗談にしては笑えないし、冬華の目はちっとも笑っていなかった。竹屋は顔をこわばらせて、「とにかく人に聞かれたくないから」とターミナルから引っぱる。

 現在竹屋が借りている住居はライプチヒ軍の寮の一部だった。軍の設備らしく潤いも飾り気もない椅子に冬華は座り「どこまで知りたい?」

「え?」

「だから、わたしの方の事情をどこまで知りたい? こっちが聞くんだからわたしも話す権利があるけど、下手に話すと巻き込まれるかもしれない。だからどこまで知りたい?」

「巻き込まれるのはいやだから何も知りたくない」

 できれば話したくもないのだろうが、冬華はその意見は無視した。

「分かった。ならさっき端末で言った内容で我慢して。で、バーミンガムシェルターの事について知っている事を全部話して」

 かなり理不尽な要求だが逆らったら怖いので竹屋はしぶしぶうなずいた。

「所詮僕もここにいるだけで、偶然又聞きしたことしか分からないよ」

「それでもいい」

「えっと。バーミンガムシェルターが正体不明の軍勢によって動力源を占領された。軍勢の正体は不明、今残ったバーミンガムの正規軍と周辺の国で連合軍を組んでシェルターを奪還しようと包囲している。今の所変な動きなし」

「奪還はいつ行われるの?」

「分からないけど、すぐじゃないかな」

「そっか」

 冬華は考える素振りで足を組んだ。

「あ、でも、奪還に冬華さんみたいな何でも屋が参加できるかどうかは分からないよ。傭兵派遣組織ディスパーチから来る傭兵ならいざ知らず、普通の傭兵の募集は行われていないし」

「あったり前でしょう」

 せっかくの竹屋の気づかいを、冬華は険悪な口調で切り捨てた。

「わたしみたいな一般人がそんな重要な任務に就けるわけがないわよ。よっぽどたいしたコネを持っているか、さもなきゃこっそりもぐりこむか」

「あ、そう」

「しょうがない、こっそりもぐりこむか」

 冬華はそれ以外に思いつかずあえて気楽に決断した。今度こそ竹屋は顔色を変えていすから立ち上がる。

「よ、よした方がいいよ。危なすぎる、その正体不明の軍勢や敵に間違えられた味方の軍勢に攻撃されるかもしれないんだよ」

「そんな事分かっている!」

「分かっているように見えないよっ」

 冬華が強い口調でたたきつけたのに珍しく竹屋はひるまなかった。今すぐ猛獣に飛びつかれそうなへっぴり腰で、それでも冬華に食い下がる。

「冬華さん、そりゃぼくは冬華さんとは知り合いでしかないし、すごく恩があるわけでもよく知っている訳でもない。でもね、今明らかに知人が死地に飛び込んでいこうとするんだったら止めるよ。深い事情は何も知らないけど、今すぐ突入しないといけないということはない、それが最善で最後の策という訳じゃないんだろ。もっとよく考えなよ」

 冬華は歯をくいしばった。やかましいと怒鳴りたかった。あんたのような素人になにが分かると、部屋を揺るがすほどの大声で叫びたかった。しかし実際に言葉は実らず、冬華の胸の中に落ちて溶けた。

「落ちつこうよ、冬華さん」

ちっ、と冬華はうなだれた。

「すごく悔しいけど竹屋の言う通りだ。わたしはあせっている。理性が飛ぶほど」

「まぁまぁ、それはしょうがないと思うけど。そんなに誘拐された人が大切なの?」

「いや。恨まれるのを覚悟で言うけど、自分をはかりにかけるほど大切という訳でも」

 ひどい言いざまだが実際そうである。フォーチュンはまだ知り合って2ヶ月とないし、その期間もだらだらと仕事外の友人付き合いをやっていただけだ。人質に取られ命がけて取り返すには役者が足りない。

「だったらどうしてそんなに必死なのさ」

 なぜだろうか。落ち着いた冬華は首をかしげて少し黙った。

「きっと、わたしは自分の行動の余波がここまで無関係な人間にかかったことがないからだ」

 冬華には心配させるような肉親はいないし、真実の友情をむすんだ親友もあいにくいない。冬華の職業は世間に反映されることはない個人の零細事業だ。たとえ冬華が大成功しようが、失敗して戦場で散ろうがそれが原因で誰かに大きく影響することはない。良くも悪くも冬華の行動で人生が変動する人間は依頼人以外にはいなかった。いつのまにかそれが当然と思っていた。

「それなのに今回だ。わたしの行動が初めて関わりを持たない人間の命運を左右する。だからかな、重圧を感じていたのは」

「それが分かるということは冷静になったということだね。よかったじゃないか」

「まあね」

 少々気恥ずかしく、冬華は竹屋の顔を見ずに答えた。

「じゃあ冷静になったところで今後の方針を考えよう。どうしても冬華さんはバーミンガムシェルターに行かないといけないんだよね。代役はだめなの?」

「直接来いといわれているし、代役を立てられそうな友達はいない」

「いっそ傭兵派遣組織ディスパーチに加入しちゃえば? それでバーミンガムに行くとか」

 冬華はばつが悪そうに言葉をにごした。

「いや、それもちょっと」

「どうしたんだよ。フリーランスとしては所属したくないとか?」

「いや、そうじゃない。傭兵派遣組織ディスパーチはその下に傭兵育成学校を持っているのだけど」

隣の世界の常識はここでは非常識。冬華の常識は竹屋にとっては耳慣れない事だった。

「あ、そうなんだ」

「わたしは実はそこの学校出身なのよ。養育してくれるような肉親もいないし、色々あってそこの学校にいたのだけどね」

「なんだ、どうりで武器とかAGとかの扱いがうまいんだ。でもそれがどうしたの? だったらなおさらいいじゃないか。どうせその学校の卒業者の大半が傭兵派遣組織ディスパーチに入るんだろう。好都合だと思うのだけど」

「実はわたしそこを中退したのよね。卒業間際ちょっとした不祥事で退学食らったの。中退してずいぶんたつけどまだ大半が覚えているだろうから、加入したいといってもできないと思う」

「何をしたんだ」

 竹屋は聞きたいようで聞きたくなかった。確実にろくでもない事に決まっている。

「じゃあどうするのさ」

「それを今考えているのよ。何とかしてもぐりこみたい」

 冬華が腕組みをしてうなったちょうどその時、竹屋の部屋のそなえつけの電話が鳴った。ちょうどそばにいた竹屋は1回目のコール音が終わる前に受話器をとる。

Hello, it is TAKEYA

 上手ではない英語にて竹屋は電話の向こうと対話するが、すぐに「え、そんな、困る!」と日本語にもどる。

「急すぎるしそんなどうして」

 あせる竹屋を放置して、問答無用にドアが開き、白人男性を中心とした4人が部屋に入ってきた。

 冬華の観察したところでは全員軍人らしく、男女問わずに髪は短く切り無駄のないたくましい体格をしている。お互い細部のみしか違わない軍服を着用していて、中心の男の胸にはバーミンガムシェルターのマーク、残る3人の胸にはライプチヒシェルターのマークが見て取れた。冬華はどうして軍人は分かりやすい服装をするのだろうと答えの分かりきっている疑問を抱く。

「ドクター・タケヤ。そこの女はだれだ?」

 中央の男はバーミンガムなまりの強い英語で冬華を指さした。いきなり人差し指を突きつけられて冬華は内心憤慨するも、考えてみればもっともな質問である。

「はい、えっと、彼女は」

「彼女はソウリュウトーカ、例のバイオウェポンの関係者です」

 冬華はおとなしく答えようかそれともけんかを売ろうか迷っている間に横にいる女性に答えられてしまった。竹屋が小声でユーディト少尉と教える。では男の方はというと竹屋も知らないらしい。

「民間人が何の用でここにいるんだ?」

 高慢な態度だった。冬華はいい気分がせず反抗的に答えてやろうと思ったのだが、今度は竹屋に先を越された。

「僕のことについて、ちょっと相談してもらっていたんです。怪しい事とかはまったくありません。えっと、どなたでしょうか」

「ドクター・タケヤ。先ほど電話で話したバーミンガムシェルター所属のハロイド・コッツウォールズです。階級は大佐。バーミンガムシェルターの事について依頼したいことがあります」

 先ほどの電話といっても来る寸前だからどうしようもないとか、依頼といってもそれ強制だろうとか、ハロイド大佐の態度は初対面の人間へのものではない礼儀を学びなおせとか、冬華は言いたいことが山のようにつもり積もったがぐっと我慢した。竹屋も冬華とおなじような不満を抱いたがそれよりも不安と恐怖のほうが強い。

「はい、なんでしょう」

「バーミンガムシェルターの襲撃事件にバイオウェポンが多数目撃されている。先日の事件への関与は不明だけど、このタイミングでは関係があると見ていいと思う。そこで今から周辺のライプチヒ、ワルシャワ、エカンデンブルク、バグダットの4シェルターとかろうじて難を逃れたバーミンガムシェルターの部隊で共同してバーミンガムシェルター奪還をします。そのためバイオウェポンの数少ない目撃者として同行を願います」

「え」

 竹屋の顔が引きつった。それはそうだろう。一難去ってまた一難、命からがら助かったと思ったらまた戦場に逆戻り。よほど職業運がないのだろうか、それとも逆に天職として呼ばれているのであろうか。どちらにしろ不幸な事である。

「そんな、僕はたいして見てもいないから、証言もできないし一緒に行っても迷惑がかかるだけですよっ!」

 ユーディト少尉は同情するような表情になったが言葉はかたかった。

「ドクター・タケヤ以外にも数人の学者が同行します。ドクターの安全は我々が全力をつくします。同行願います」

 竹屋は精神的に強靭ではなかった。また戦場に行くなんて非常に嫌だろう。しかし現在保護してもらって三度の飯と住居を提供してくれている組織に向かって、4人の体格のいい人々に囲まれてそれでも嫌と言えるだろうか。

 否だった。

「……はい、分かりました」

 うなだれる竹屋には悪いが、冬華には好機だった。

「わたしも同行していいですか?」

 510の瞳がいっせいに冬華に注がれる。冬華は余計な事を言われる前に急いで続けた。

「わたしもバイオウェポンが出現した現場にいました。一回戦闘も交えましたので確認はできます。わたしは彼の友人なので竹屋氏の精神的補佐にもなります。お願いします」

「民間人が? 笑えない冗談だ」

「僕からもお願いします!」

 冬華にとって予想外な事に、竹屋も冬華の援護に回った。

「前の時も、冬華さんがそばにいてくれたので冷静になれましたし無事に脱出できました。彼女と一緒がいいです!」

 ハロイド大佐は改めて冬華の頭の先からつま先まで無遠慮に眺め回した。冬華はむしろ胸を張り、大佐の視線に対抗する。

「恋人か? 悪趣味な」

「誰がっ」

「冗談にしては恐ろしいですよっ、僕にはちゃんと小樽に残した恋人が!」

 2人の反応は実に早かった。脊髄反射をしてから冬華は竹屋を見る。恐ろしいという言葉の意味を後でじっくり問いたずねてみるつもりだった。ユーディト少尉は冷静に付け加えた。

「あと1人程度ならなんとでもなります、ハロイド大佐」

「なら好きにしろ。出発は30分後だ、それまでに準備しろ」

 簡単に付け加えて、4人の軍人は竹屋の部屋を立ち去った。

 

(バーミンガムシェルターに向かっているみたいだ)

 フォーチュンの脳裏に食事のたびに新しい情報を引き出してくる全の声がよみがえった。

(誘拐犯はバーミンガムの者だったのですか?

(違う。人種がぜんぜん違う。結構他のシェルターを旅行していたから分かる、バーミンガムシェルターの人間じゃない。誘拐される直前に新聞でバーミンガムシェルターが攻撃されているってあったよね。だからきっとその攻撃した人たちか、そうでなければ襲撃者たちの敵だよ)

 フォーチュンは一体どうやって全が情報を得ているのか分からなかった。当たり前だが彼らは饒舌ではないし、友好的からはるか遠い立場である。仲良くなって話を聞き出せといったのはたしかにフォーチュンだが、現実に実行しているのを見るのはおかしな気持ちだった。

(んでさ、この誘拐を引き起こした人物はすごく偉い人みたいだ。特殊な事情があるから、いろいろな勝手を許されている。誘拐したのもその勝手みたいだよ。本当なら余計な事は一切しちゃいけないのだけどわりとあっさり許された)

(という事は民間兵ですかね。正規に指揮されている軍でそんな事は許されません)

 全が奇跡のように引き出してきた話を聞いたのは昨日の事である。そうして今日フォーチュンと全は、事態が意外な方向に転がる音を聞いた。

 もちろん平穏な生活を営む一般市民としては誘拐される事は意外である。それだけで一生分の意外性を使い果たしたといえるだろう。それだというのにさらに意外なできごとに直面した。

 朝早々に2人は銃で小突かれながら暗い通路を歩いていた。全はもうだめだと泣き出しそうな顔で、フォーチュンは平然と涼しげな顔で。もちろんはったりで内心はフォーチュンもおびえているが、それは表情には出さなかった。占い師たるもの心を読まれるようでは駄目なのである。

 安心できる理由もあった。誘拐したということはそれなりの用件があるから誘拐したのだろう。その用件しだいではそれなりの交渉ができる。上手くいけば無傷で富山シェルターに帰る事ができる。

「イニャス・ノチェスと万象全を連行してきました」

 表情がマスクに覆われて顔がまったく見えない男2人は、とある部屋で立ちどまり部屋の主へ敬礼をした。

「イニャス?」

「私の本名ですよ。イニャス・ノチェス」

「フォーチュンって芸名だったの?」

「どこの世界の親が息子にそんな直接的な名前をつけますか」

 礼を尽くされている部屋の主は6人の大型拳銃を手にもてあそんでいる護衛と2匹の獰猛そうな犬を従えて、贅沢にも広いベッドの上から顔をあげて手をふった。

「ん、ご苦労。この人たちに話があるから、君たちは外で待っていて」

男たちは敬礼をして立ち去る。

 フォーチュンの表情は少し揺らいだが、それは全の大げさな叫び声にかき消されて目立たなかった。

「何でこんなところに子どもがいるのさ」

 寝ころがっていたのはまだ若い男だった。子どもというには少し年を取っているが、青年とは呼べない年代であろう。身体にはりつく黒い戦闘服の上に灰色の上着を着て、両手を振り子代わりにして上体を起き上がらせて無遠慮に2人を見つめた。

 やっと20代に到達できた全が子どもというには年を食っているが、フォーチュンほどの年齢では遠慮なく年少者扱いできる。そんな年の者が正規の訓練を受けた軍人に敬われ、最上級の待遇を与えられているというのは奇妙を通り越して笑える光景である。そのおかしさに内心フォーチュンは怖気づき、あごを引いて唾を飲み込んだ。

「君が誘拐したの? 君みたいな子が?」

 全はその違和感に気がつかず、かえって親しみさえあるような口調で和やかに会話を始めた。

 たん。小さく軽い音とともに全の後方の壁に穴が開いた。

「あんたじゃない」

 若者は面白そうな表情を崩さずに銃口を下ろした。手のひらに収まるような拳銃の動きにつられて、全もその場でへたり込む。頭の血がすべて失われたのかと思うほど顔が青くなった。

「かといってそっちの長髪でもない。あんたたちはただのえさだ。目的のために必要なえさ」

 若者は足音が聞こえない軽やかな動きでフォーチュンの目前まで寄った。自分より身長が高いフォーチュンを目の前に見慣れないものがあるからかぎまわる猫のように大げさな動きで眺める。

「だからじっとしていろ。そうすれば運がよければ助かる」

 それに対してフォーチュンはただカードを1枚手に取った。古びてフォーチュンの手によくなじんだ、意味ありげな文様の紙切れ。

「6番。恋人のカード」

「あ?」

 若者はフォーチュンに許可もなく紙切れを覗き込んだ。フォーチュンは無知な弟を諭すように穏やかに説明をする。

「このカードは一見分かりやすいですね。男性と女性、意味は恋愛。しかし本当の意味はもっと別の所にあります。意味は選択。2つのものがある、あなたはどちらを取るか。右か左か、古きものか新しきものか、伸びる手はどちらへ向かうか」

 フォーチュンは占い師らしい、穏やかな微笑と落ち着いたまなざしを若者に向けた。

「あなたはどちらにいますか? どちらを取りますか?」

「へえ」

 若者は、初めて興味を持ったように、フォーチュンのあごを人差し指で線をなぞる。その指は重火器を扱っている軍人とは思えないほど細くなめらかだった。フォーチュンは叫んで手を払いたくなる衝撃を抑えてなすがままになった。ここが勝負どころ、見せ場である。思わせぶりとはったりは占い師の常套手段。ギャンブラーと大差ない。

「俺はオースターン。あんたは?」

「フォーチュン。隣の青髪は全です」

「あんた、気に入ったぜ。俺が今まで会った人間とはずいぶん違う。それとも冬華の友人は皆こうなのか?」

「冬華さん?」

 演技でなくフォーチュンは眉毛をひそめた。どうしてここに美食家の何でも屋が出てくるのだろう。

「そう、あんたらの友人。俺の本当の目的双琉冬華。冬華のえさを探すつもりが同類に会えるなんて思わなかったぜ」

 確かに冬華とフォーチュンは友人だが、命がけで助ける助けられるの関係とはいえない。オースターンと名のる若者は冬華への人質としてフォーチュンを誘拐したようだが、それが有効かどうかは疑問であった。フォーチュンは内心首をかしげるも、馬鹿正直に言うようなことではない。

「と、冬華?」

 震えながらも全がまだしゃべることができるとは驚きだった。オースターンは今度は全に気を悪くする事はなく、引き返してベッドに腰を落ち着ける。

「そう、冬華。せっかくだ、何か話そう。冬華に似ているあんたが気に入った」

 フォーチュンはあでやかでつややかな、女性客必殺を自負している笑みを浮かべた。どうやら1つ難問は片付いたようである。そうして今度はフォーチュンが情報収集をする場であった。

 

 シェルター所属の軍の仕事は過酷である。環境は最悪で仕事は人殺しをはじめなんでもする。自分の命が紙切れも同然ということを事あるごとに思い知り、どんなに上司が無能でも性格悪でも無条件で従わないといけない。高給だが仕事内容からすると割に合わない。この世のすべての軍人に冬華は敬意を払った。よくもこんなことができるものだ。

 バーミンガムシェルター奪還のためライヒプチシェルターの軍隊は、まず少数の精鋭部隊をヘリコプターによる空輸で送り、その後大多数のAGや車両は後ほどリニアモーターカーで到着する事になった。竹屋とおまけの冬華はヘリで空の人となり、非戦闘員ということでAGを運ぶヘリコプターの中で小さくなっている。

「元は地下鉄の駅だった施設に本拠地を置く。そこに布陣をしてシェルターを短期間で奪還するのか」

「あれ、冬華さんどこでそれを知ったの? 僕も前半部分は知っているけど、短期間というのは初耳だよ」

「直接少佐から聞いたわけではない、常識に基づく推論だよ」

「あ、そう」

 何を話していいのか分からず、竹屋は少し黙った。

「どうせ意見役っていっても何をしろって言うんだよ」

「戦闘が終わった後、これはバイオウェポンかどうかを確認するのじゃない?」

 鉄と油とその他物騒な兵器の中に放り出されている竹屋はいじけて、うつむいて冬華に愚痴った。確かにひどく振動するヘリコプターの中に場違いに放っておかれて、すみっこで小さくなっている竹屋の姿ははたから見てもかなり気の毒だった。

「だったら今じゃなくてもいいだろ。戦いが終わった後ゆっくりやればいいことじゃないか」

「そうね。でもそんなことわたしに言われても」

 冬華も竹屋に同情していたが本来の目的を忘れてはいかなった。バーミンガムまで行ってオースターンと会い、フォーチュンを取り戻す。そのためにまず必要なのはバーミンガム、そしてオースターンに関する情報。

「竹屋」

「なんだよ」

「何でオースターンはバーミンガムにいるのだと思う? どうしてオースターンはわたしを呼んだの?」

「ええっと」

 竹屋の顔つきはそんなこと知るか、とでも言いたげだった。もちろん実際にそんなことを言ったら、冬華に軍事用ヘリコプターの小さい出入り口から放り出されかねない。竹屋は不幸尽くしの人生をここで終わらせたくないので問いかけに答えようとしたが、冬華の独白のほうが早かった。

「少なくとも、これはオースターンが自分で勝手に行ったことではない、そうよね? 1つのシェルターを襲撃するなんて個人には絶対に無理よ。3大企業か、他シェルターが裏に関わっている」

「うん、そりゃあね。でもそれはあくまでもオースターンがその襲撃に関わっていた時の話だよ」

「関わっていないとでも?」

 竹屋は黙った。もちろんオースターンがバーミンガム襲撃には関係していない可能性は皆無ではない。しかしそれはあくまでも可能性の問題であって、襲撃にバイオウェポンが関係しているであろう事、オースターンがバーミンガムシェルターを待ち合わせの場所に指定したことを考えると、これで無関係だと思うほうがどうかしている。

「この襲撃にオースターンは関わっている。あの化け物の事だ、最前線で一方的な殺戮を行っていてもおかしくはない。その一方でこの襲撃は他のシェルターか企業が関わっている。評判の悪いワルシャワシェルターあたりやっているんじゃないのかしらね」

「冬華さん! ワルシャワシェルターもバーミンガム奪還の1員なんだよ! というかそれをワルシャワシェルター人に聞かれたらどうするのさ!」

「個人の無責任な言葉に大騒ぎしないでよ。冗談よ冗談」

「冗談には聞こえなかったよ」

 冬華も半分は冗談で半分は本気だった。ワルシャワシェルターは何でも屋の間では評判が悪く、そのくらいはやりかねないという認識を与えられている。

「さて、それではフォーチュン誘拐も団体として仕組まれたものなのかしら?」

「え?」

「この誘拐はオースターンが個人で行ったものなのか、それともバーミンガム襲撃の集団が起こしたものか」

「オースターンが団体に所属しているのだったら、それは集団として起こしたものじゃないか?」

「だったら、バーミンガムをそっくり奪え取ってしまえるほどの集団が、どうして1何でも屋にちょっかいを出すのよ。しかもこんな回りくどい方法で。直接乗り込めばすむじゃない」

「そっか。1シェルターを奪えるんだから、冬華なんて瞬殺だね」

「ふん、勝てはしないかもしれないけど、何でも屋の誇りにかけて逃げ切るわよ」

 威張って言う事ではない上に、それすらもおそらく無理だろう。

「じゃあ襲撃団でたくらんでいることではない、そうだよね」

「でも、バーミンガムシェルターを襲撃しているのに、勝手に1人がそんな真似をしていいのかしら? しかもわたしやフォーチュンがいるのは富山シェルターよ。遠すぎるわ」

「オースターン1人がやったと考えるには無理があるって事?」

「うん」

「じゃあ冬華はどっちだと思うのさ」

「分からないから問答しているのじゃないの。後の情報待ちね、これは」

 冬華は窓の外を見た。灰色の分厚い雲が空全体を多い、地上は雪で覆われている。外は冬。永遠の冬。

「そうして、どうしてわたしなのか。どうして、ちょこっとは戦闘能力はあるとはいえ民間人のわたしを狙ったのか」

 竹屋としては冬華を自分とおなじ民間人とは認めたくなかった。確かに法律的にはそうであるとはいえ。

「冬華はオースターンを直接見て話したんでしょう? その時何か、オースターンの致命的な欠点とか弱点があったんじゃない?」

「わたしはそんなの知らない」

「冬華が知らなくても向こうは気づかれたと思って、冬華を狙ったんじゃないかな。思い出してよ、その時本当に何もなかった? まったくの全然、おかしいところはなかった?」

 冬華は虚空をにらんだ。無骨な黒い天井しか視界にはない。

「強いて言えば、人格が破綻していただけ。何もないわ。

 もし何か弱点があったとしても、本当にそれだけだろうか。それだけで狙ってくるのか? だって、下手をすればバーミンガムだけではない、富山シェルターの民間人に危害を加えたということで旧ヨーロッパ大陸だけではない、全世界を巻き込んだ戦いになったのかもしれないのよ。それを承知の上でどうしてそんな事ができるの?」

「実際に冬華は富山シェルターに報告していないんでしょう。どうして報告しなかったの?」

「一人の占い師ぐらいでシェルターは動いてくれないからよ。政治的に尊い犠牲扱いになるのが関の山ということを知っているの」

 いかにも何でも屋らしい返答に、竹屋はあきれを通り越してひっそりと笑った。警察当局が有能ではないからこそ存在しうる職業の何でも屋は、基本的に政治を信用していない。

「その冬華の性格を知っているから、フォーチュンさんたちに手を出したのじゃない?」

「本当にわたしの性格を把握しているのだったら、フォーチュンじゃなく他の人たちを誘拐するわよ。こう見えても友好関係は広く浅くあるのだから」

「よっぽどの深慮があったのか、さもなければ適当にしただけか。僕は深慮だと思うけどな。冬華さんを狙っているのも僕たちにはうかがい知れない事情があるんだろう。冬華さん、用心してよく考えないとね」

 冬華は納得し切れていないように、それでも一応うなずいた。2人の間に沈黙が落ちる。

「竹屋、バーミンガムはもうすぐみたいよ」

 鉛色の海を越えて、かつてイギリスと呼ばれていた島が眼下に広がっていた。

 

 

 

あとがき 

これは平成16年3月から11月にかけて書いた。

遅くなった。

脳内スケジュールでは今年の春にできるはずだったのにいまや冬間近。何てことだ。

実はこの続きの話(おそらく2話)とまとめて1つにする予定だったがずるずると長くなってしまった。Wordが150KBをこえた時は「しょうがないなあ自分」と笑っていたが、200KBをこえてからだんだん笑うどころではなくなり250KBを越えた辺りから途中でくぎることを余儀なくされた。いくらなんでも長すぎた。

よって話がおかしなところで終わっているのもたいして進展がないのも全て自分が悪い。

今まで完璧なちょい役だったフォーチュンと全が大活躍。

フォーチュンはもともと活躍させるつもりだったが全はそうでもなかったので自分でも意外。最も全にかくし芸の設定はしていないのでへたれポジションはまぬがれない。

もう1人のへたれ竹屋優慈の再登場は自分としてはもっと意外。特に活躍をしていないが登場自身全く考えていなかったのでいるだけで奇跡的だと思う。不幸だがかなりおいしい位置にいるキャラだ。

いずれにしろ、冬華自身がかなり強いこと、全員民間人であることを考えると彼ら男3人は冬華より強くなれない。腕力や銃器だけが強さではないにしろそれを思うと少々複雑な同情心を抱いてしまう。所詮脇役、主人公にはかなわないものとあきらめてもらおう。

フォーチュンの本名やっと登場。

名前はイニャス・ノチェス。自分がつけた名前ではなく別件で友人に「なにかいい名前ありませんかね」と聞いたら返ってきた。結局その名前は使わなかったがノチェス(スペイン語で夜という意味)が気に入ったので今回リサイクル。せっかく本名が判明したのにたぶん今後もずっとフォーチュンで通す。

ちなみに全の名前万象全は森羅万象と全てという意味の全から採用。すごい名前である。ちなみに万象という姓が本当にあるかは未調査のため不明。たぶんないと思う。

生まれてこの方愛想と無縁で、人懐っこかったことがかつてない自分は接客業に多大なる期待と尊敬を持っている。よくも初めて会う人に愛想良く微笑み和やかに会話できるものだ。自分には不可能だ。何が言いたいのかというと作中でフォーチュンと全が接客業だ対人用スマイルだと持ち上げられているのはそのためである。