愚者は塔で踊る
作 大江 切 氏
冬華の朝の一連の行動は、朝食を食べることで終わる。
白いご飯に卵とたまねぎの味噌汁。菜っ葉と昨日の残りのおから、切り身の魚を焼いたもの。米と野菜は無農薬、卵も放し飼いの健康な鶏を飼っている農家の方と仲良くなって購入したものを、いかにもおいしそうに食す。純和風の朝ごはんはこの時代にはかなりの贅沢だった。冬華が今座っている居間から察するに経済状況は裕福と言うわけではなさそうだから、何かこだわりがあるのだろう。
冬華がいかにも幸福そうに食事を頂いていると、そこいらに放っておいたすすけたロングコートのポケットから発信音がした。冬華は箸を置いて端末を取り、耳に当てる。
「はい。だれ?」
「よう、冬華。俺だ」
端末から聞き慣れた低い男の声がする。冬華の仕事場の相棒の声だった。
「アセスか。何?」
「仕事だ。今日の昼1時、いつもの喫茶店で依頼人と会わせる」
「どんな仕事?」
「今までのよりははるかにましだ。でも悪いが、そう大したこともなさそうだな。詳しい話は後だ」
冬華の長い前髪の向こうの瞳が軽く細められた。
「了解」
冬華は端末を切って、朝食に戻りつつ部屋の片隅へ目を走らせた。前日手入れをしていた愛用のライフル、ソーサラーズ社のライトニング15が無造作に置いてある。
冬華は唇を笑みの形に歪めた。
2093年、戦争は終了した。生物・化学兵器や核兵器、オーパーツを含む超兵器の使用により北米、オーストラリア、地中海沿岸が消失して、地球最大の規模の第四次世界大戦が終わった。
そしてふと気がついたら、世界はとても生き物が住めない状況になっていた。主な原因は核、反物質による攻撃で大量の塵が成層圏にまで運ばれて、いわゆる核の冬が訪れたことだが、副要因として異常気象や突然変異の化け物の出現、人工変異のバイオウエポンの野生化、土壌・水源の汚染、食糧不足、テロ活動等などが挙げられる。
人類はその数を数千万の単位に減らした。冬華を代表する戦争後に生まれた者としては、全滅しなかっただけでも凄いものだと思っている。
現在人間が住める所は、世界に13ある100万人収容規模の大型シェルターのみ。
人が空を見捨てて、100年は経とうとしていた。
愛用のすすけた薄手のロングコートを羽織り、冬華はアセスと待ち合わせているコーヒー専門店へのんびり歩いていた。肩に大きなかばんの重みが食いこむ。猫毛の柔らかい髪が速めの歩調に合わせて揺れた。空を見上げると、青く塗られた天井が見える。空らしく見せ開放感を高めるための効果だそうだが、これしか見たことのない冬華にはなんともいえない。
双琉冬華は日本富山シェルター第9階層の住人で、何でも屋を職業として選んでいた。
何でも屋というのは、文字通り何でもする職業のことだ。それこそ掃除から探偵もどき、ひどい時には軍人の真似事まで。危険な職だし、安定した収入や平和な暮らしというものからははるかに遠いが、それでも冬華はこの職業の転職を考えてはいない。
にぎやかな街のある曲がり角を曲がり、奥ゆかしく古ぼけた木の扉…… に苦労して見せかけた合成樹脂の扉を開けると、コーヒーの芳醇な香りが漂う薄暗い店内が見える。その奥で気配に気づいたのか、白い手が上がった。
「よう」
「アセス」
富山シェルターの住民には珍しい白い肌と緑の瞳の、斜に構えた青年が冬華を待っていた。冬華は迷わずに彼の向かい側の席につく。
「マスター、いつものコーヒーを。それで、仕事って?」
冬華は手早く注文し、アセスに向かい合う。この西洋人について、冬華は仕事上の相棒でありながら、過去をよくは知らない。せいぜいアセスはライプチヒシェルターの出身者、としか理解していなかった。どうしてここに着たのか、なぜ何でも屋をやっているかについては全く冬華は理解していないし、するつもりもない。それぞれ事情があるものだ、ぐらいの認識だった。
もっともその代わり、現在のアセスについては深く知っている自信もまたある。冬華にとって1年以上にわたって付き合ってきた相棒だった。
「人探し、だよ。行方不明になった兄貴を探してくれだとさ」
アセスはそう言って、タバコに火をつけた。紫苑の煙が薄暗い店内に漂い……すぐに冬華によって没収される。冬華は皿にタバコを押し付けて消し、アセスを冷たい目で見る。
「わたしの前で、タバコはすわないでって言っているでしょう?」
「ちっ、固い奴だな、んなつまらない事を言っている奴は2流だぜ?」
「アセスこそ、タバコは身体に悪いって言っているでしょう。鼻や舌の感覚が鈍り注意力や知覚力が落ちる、食事もおいしくいただけない、いい事なしだ」
「飯なんて、食えればいいんだ」
「食事は全ての命の根源、それを軽視する事は命そのものを軽視することになる。第一、アセスがどう思おうと勝手だけど、私も巻き込むな。タバコの煙は広がるんだ、隣で吸われたら、おいしいコーヒーが台無しになる」
「うっせぇな、ったく」
2人がそんな事を話しているうちに、冬華の前に水出しコーヒーが運ばれた。冬華は香りをかいで、ゆっくりすすり、「それで?」と続ける。
「それで、とは?」
「話の続きだって」
「ああ、そうだったな。2年ほど前に兄貴が失踪をしたから、それを探してほしいんだとよ」
「2年? そんなに時間がたっていたら、探すのは難しいんだけど」
シェルターに覆われたこの世界は、過去のように進歩しない。ゆっくり時が進んでいく。しかしそれでも、2年はそれなりの月日だった。消えた人間が人々の記憶にとどまるには、いささか危うい時間。
「まぁ詳しい事情は依頼人さんに聞いてくれや。待ち合わせているから、そろそろ来るぜ」
アセスの言う通りだった。しばらく、つまり冬華の手の中のコーヒーカップの中身が半分ぐらいになるところで、依頼人らしい女性が店に入ってきた。
きちんと紺のスーツを着込み、綺麗に髪をまとめているその女性は、いささか崩れたロングコートの冬華と対照的だった。年は冬華より少々下、と言ったところだろう。丁寧にお辞儀をして、冬華とアセスの前に腰掛ける。
「近藤栄子です。あの、貴方方が何でも屋さんですね」
「ええ。わたしは双琉冬華、こっちはアセス。よろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
冬華は近藤がコーヒーの注文をしてから、おもむろに口を開いた。
「早速だけど、仕事の話に移るね。失踪とだけ聞いたけど」
「はい」
近藤嬢は落ち着いた―言い換えれば生気のなかった表情を硬くして、1つ頷いた。
「兄の失踪の原因を調べてほしいんです」
「兄は近藤正治。富山大学卒業後、バイオテクノロジーのクリエイト会社という所に勤めていましたが、2年前に失踪しました。死んだ、と警察は判断しています」
「失踪? どういう状況で?」
冬華はコーヒーを1口すすりながら聞き返した。
「兄は同僚2人とともに会社で突然姿を消しました。最後にいた研究室は滅茶苦茶に荒れていて、血痕が床一面にべっとり残っていました。警察では強盗と判断しました。まだ犯人は見つかっていません」
「話を聞いた限り、なんも変な所はないな。で、俺たちにその強盗を捕まえてくれって言うのか?」
アセスは流暢な日本語を披露した。俗語まで使えるほどアセスは日本語がうまい。
いえ、と近藤は首を振った。
「その失踪の真実を突き止めてほしいのです。何が原因で、このようになったか、誰がこの事件を引き起こしたのか」
その口調に冬華は不審と疑惑を感じた。明らかに、近藤栄子は警察の見解を疑っている。
「何がおかしいと感じているの? 警察の調査が不満?」
そう言ってから、冬華は満足していたらわたしたちの所には来ないよな、と苦笑した。そもそも警察は忙しい。閉鎖されているシェルターでは、治安の安定が重要な意味を持つ。些細な事件でもすぐに解決しなくてはいけない。そのため、どうしても拙速の気がある。
「3人とも遺体すら残らなかったんです。強盗犯が死体を持ち帰るわけはないじゃないですか」
「死体愛好家だったんじゃねぇのか?」
「そんな訳ないでしょうが」アセスに冬華は正確な突っ込みを入れて考え込んだ。確かにそれはおかしい。
「死体もなく、後からそんな説明だけされても、納得できません。何かがおかしいんです。その何かを突き止めてほしいのです。そのために2年かかって、何でも屋を雇える分のお金を稼ぎました。出来ますか?」
「いくつか質問してもいい? 近藤さんは、正治氏の失踪の真相を知りたいんだね?」
「はい」
「もしそれが誰かの陰謀で、正治氏が殺されたのだとしたら、どうする?」
「それは…… 警察に届けます」
「そうか」敵討ちには参加せずに済みそうで、少し冬華は安心した。戦闘の腕には自信があるが、積極的に参加したいとは思わない。戦いとは命を消費する場だし、冬華はまだまだ人生が惜しかった。
「ですから、兄が死んでいるとしたら、その証拠を持ってきてほしいのですが」
「妥当だな」
アセスは偉そうにふんぞり返った。
「依頼内容は分かった。今日の夜、引き受けるかどうかを伝えるから、連絡が取れるようにしておいてください。近藤さんの連絡先と勤め先をここに書いてください」
「はい。……よろしくお願いします」
冬華の藤色の手帳に書き止めから、近藤は一礼をして立ち去った。口をほとんどつけていないコーヒーはもう冷めていた。
―近藤が立ち去った後、アセスは冷たい笑みを唇に浮かべて冬華を見る。
「さて、どうする、相棒」
「引き受けてもいいと思うよ、わたしは。でもその前に、裏を取らないと」
いざという時の保険も頼るべき企業もない何でも屋には慎重さが求められる。企業が自分の不始末を何でも屋に押し付けて消す、と言う事もありえるのだ。足をすくわれないため、危険が想定される依頼は慎重に吟味する。
そのために何を使うか。人と人のつながり、コネクションだった。
「私は全の所へ行く。アセスは警察のフローレンスへこの事を聞いてみて」
「おいおい、俺だけ大変じゃねぇか」
「全は最近、またバイトが変わったから、それを探すことから始まるんだよ、こっちの方が大変だ」
「へいへい、分かりましたよ相棒」
「それじゃ」
冬華はコートの端をつかんで立ち上がり、さっさと店を出た。
コネという物は日本語で縁故関係を意味する。平たく言うと、お友達の輪を利用して必要な情報や権利を得ることだ。後ろ盾がない一匹狼の何でも屋にとって、このお友達の輪は大変重要となる。
そして冬華のお友達は多かった。ハッカー、警察官、軍事関連、武器屋などなど、何でも屋をする分において完璧である。もちろん友達同士、こちらからも色々面倒をかけられる事もあるが、お互い様だった。
「えっと」
連絡を取るために人気のない寂しい通りに移動し、端末で全の足取りを追いながら、冬華はつれづれとそんな事を思っていた。
全は冬華の2番目に仲の良い友人である。ふらふら職場を変えるフリーターの青年で、しかもその事を冬華に全く連絡しないので、会いたくなる度冬華に職場に連絡をして足取りを追う。面倒といえばこれ以上面倒なことはないが、そうまでして会う価値はあった。色々な職業をしているせいか、全は異様なまでに情報通なのである。
「今回のクリエイト会社とやらを調べるには、まさに最適…… あ、もしもし? こんにちは、お聞きしたいことがあるのですが。はい、そちらで働いていた全さんの事で…… いえ、これは下の名前ですけど」
電話をあちこちにすること数回、ようやく冬華の古くて大きい端末から聞き覚えのある声がした。
『こんにちは、冬華』
「探したぞ、全…… 早速だけど、聞きたいことがあるんだ。食事でもどう?」
『乗った』
ついでにもう1つ、全は情報提供代が安かった。食事一回分で何でも話してくれる。
「よし。なら、夕方にそっちに行くよ。待っていてね」
『分かった』
冬華は電源を切った。現在の時間は3時。時間は余っていた。
ここで仲間思いの心優しい何でも屋ならばアセスを手伝うために連絡を取るだろうが、冬華はそれほど心優しくはなかったし、1回任せた仕事にちょっかい出す気もなかった。街をふらふらしても面白いとは思えなかったし、1回自宅に戻るか、と冬華は思いかけて、ふと歩みを止めた。
(囲まれている)
いつの間にか、冬華の手はロングコートのポケットの中にもぐりこんでいた。中にはソーサラー社の携帯用拳銃『エネルギーボルト05』が無造作に放りこまれている。威力よりも形態性、隠密製に優れたそれを冬華はいつでも出して撃てるように握る。
(依頼の件か、それともどこかの恨みを買ったか)
周囲には人影どころか物音すらも遠い。ここで揉め事やそれに通じる流血沙汰が起こっても、外からの介入が入るのは時間がかかるだろう。それは多少派手に動いても安心、と言う事にもなるが。
「出てきたら? もう分かっているよ」
どちらかといえば、冬華は待ちに入るより、攻めの行動の方が好きだった。覚悟を決めて呼びかける。それに答えて、冬華の目の前に物陰から2人の男がそろりと出てきた。みすぼらしい服にこの世界をふてくされて横目で見ているような目。手には安っぽい、しかしよく切れそうな刃物。
「……ただのごろつきか、かっぱらいか」
どこかで恨みを買って襲われている訳ではなく、単に不運だったらしい。冬華は自分の後ろにも目をやった。もう2人足音を忍ばせて―少なくとも、忍ばせているつもりでいる。数の暴力は強い。特に単体では力の弱い者にとってはよく当てはまる。冬華は不幸より今まで気が付かなかった自分のうかつさを恨んだ。4人の防寒にまんべんなく囲まれながら、どうしようかと頭をひねる。
結果的には彼らをひねりつぶす事は冬華には出来る。いくらなんでもナイフよりは銃器の方が強いし、1対1でもみ合いになったらそんじょそこらの男には負けない自信もある。しかしその後が問題である。いくら治安が悪いといっても銃声を響かせたならそのうち警察が来る。冬華は呼び止められて職務質問をされたくはない。なぜなら背中に背負ったライフルの説明がはなはだしく困難だからだ。このようなものを常備する職業の代表にテロリストと殺人鬼が挙げられる。どちらに取られても間違えられたくはなかった。さらにポケットには拳銃、それ以外にも冬華は色々な武器、刃物、火器を持っている。善良な一市民には到底思われないだろう。
ちなみにロングコートは防弾、耐火、衝撃にも強く、その下には隠密製に優れた胴着を身に着けている。対衝撃の端末といい救急医療セットといい、今すぐ銃撃戦に巻き込まれても全く問題なかった。「常に万全の状態でいろ」昔傭兵学校で世話になった講師の言葉だが、それが原因で別の厄介ごとに巻き込まれることまでは教わらなかった。
(銃なしで4人は厳しい。しょうがない、口先でごまかすか、さもなくば一箇所を突破して逃げる)
結論を下し、冬華は周囲を見回した。
「何の用? 金ならないよ」
嘘ではない。日頃の美食と重装備がたたって、冬華の懐は常に秋だった。今もせいぜい夕食代と少ししかない。
「なら身ぐるみはいでもらおうか。その背中のでかい荷物もだ」
財布を渡せ、程度なら冬華は応じたかもしれない。何せ軽い財布だし大した現金は入っていないのだから。しかし背中の荷物は困る。れっきとした商売道具でもあり、多額の金をかけてもいる。
「冗談。これはあんたたち4人分よりも高いんだ」
「嫌とは言わせねぇ。無理にでももらう」
もちろん、冬華は最後まで聞いていなかった。後方にいた比較的近い男へ詰め寄り、のど元へ肘打ちを体重をかけて叩きつける。そしてもう1人の迫り来るナイフを避けて首をつかみ、普通の方向とは逆へ押した。そして男を放り出して、反対方向へ走って逃げる。
「っ、待て!」
「誰が待つか!」
とはいえ、背中のライフルは重く、大した荷物を持っていない男たちはそれなりに速かった。おまけに冬華が手首をひねった相手はひねりが不十分だったらしく手を押さえながらもついて来る。3人に追われる事は想定外だった。
(速くどこか安全な所に逃げ込まないと。しかし安全な所なんてあるのか?)
そんな路地に入ったのは冬華だ。誰の責任でもない。角を曲がって、冬華は辺りを見渡した。周囲は皆住民が逃げた、あるいは見捨てたかのように崩れそうな家々が立ち並んでいる。そう見えても人は住んでいるはずだ、民家に逃げ込んでさらに騒ぎになりたくはない。その中で冬華は一番手入れが悪い、小さな店らしき場所に飛び込んで逃げた。覚悟していたほこりの代わりに、前の住民が焚いていたのか知らない香の香りがする。冬華は入り口近くで身を潜め息を詰めた。
乱雑な足音が近づいていき、そして離れる。足音が聞こえなくなって、ようやく冬華は立ち上がった。
改めてみると、全く変な店だった。店長が放置して間もないのか、ほこりはそれほどないし店の品物も売り払われていない。色とりどりの鉱物のアクセサリ、カードや何か植物の根、手をかたどったろうそく立て、商品はおかしな物ばかりだ。
「やれやれ。何の店だったんやら」
「占いですよ」
冬華はとっさにポケットの拳銃に手を伸ばした。うかつにも、人がいたとは気が付かなかった。
「誰」
「それはこっちの言葉です。どなたですか? 客にしては変な入り方ですね」
これで営業中だったのかと、冬華は変な事を思った。
声からするに男だが、その姿は男性とも女性ともつかない。まるでサリーのようなゆったりした布に身を包み、薄いヴェールをかけている。ヴェールの下からは緑なす黒髪が河のように豊かに流れていた。奥の薄暗い所でほとんど身じろぎもせず手元のカードで遊んでいる。その呼吸は瞑想でもしているのかと思うほど静かだった。気配が分かりにくい訳だと冬華は自分をごまかした。そして男は自分の前に3枚並んでいるうち、1枚のカードをおもむろにめくり、冬華にも分かるように見せる。
「タロットカード。ご存知ですか?」
「いや、あまり。占いに使う物でしょう? と言う事は、貴方は占い師なんだ。こんな時代に古臭い……」
占い師が提示したカードは気味の悪いカードだった。中世ヨーロッパの鎧を着た髑髏が馬に乗っている。その馬の前にはひざまずく人々の姿があった。しかし向きが逆である。
「何、これ?」
「これは現在、最も新しい過去の貴方です。そもそもタロットカードという物は、昔ヨーロッパで遊びの道具として発達した物です。22枚の大アルカナと56枚の小アルカナより成り立ちますね。一般的に大アルカナはよく知られていますよ」
「私は占いや超自然現象の類は信じないの」
「そうですか? 職業上、信じてほしい物ですね」
占い師はカードを分かりやすいようにひっくり返した。
「これは13番の死神。意味は分かりやすいはずですよ、「死」です。災害、損失、破局。それを意味するカードです」
丁寧に占い師はそれをひっくり返す。
「しかしこれは逆位置、反対に出ました。これはその意味も逆になった事を示します。危険の回避、死には至らない病気。貴方は何か小さな幸いから逃げようとしてここに飛び込んだのですか」
冬華は思わず居住まいを正した。
「カードから読み取りました」
どうです、信用していただけましたか? 女顔負けの麗しい笑顔で占い師は冬華を見上げる。
「いや、全然」
剣もほろろ、冬華は一蹴した。自分でも笑顔に内心自身があったのか、占い師は笑顔のまま軽くこける。
「驚いたけどよく考えたら観察眼があれば分かる事でしょう。息を切らせて人が飛び込んでじっと隠れていれば、誰でも追われているって分かる」
普通は分からない。冬華は脳みそが荒事に向いているのでこのような発想になるのだろう。占い師は笑顔を消して、自分の左側のカードに手をかけた。
「でしたら、今度は別の物を見て見ましょう。今私が分かるはずのない物です」
占い師がめくったカードは手前に白と黒、2頭の騎乗動物とその後ろで動物の綱をひいている人物の姿が描かれていた。
「戦車のカード。貴方は過去、手ひどい失敗や挫折をしましたが、たくましくそれを乗り越えたようですね。戦車の意味は征服者。2頭の馬は人の心にある悪と善を指します。王たる強者はそれらを強い力で操らないといけません。厳しい状況での勝利のカードです。貴方はどこに追い詰められても消して引かず、闘志をむき出しにして立ち向かっていく者です。その逆境の中での輝きは直視できないほど。違いますか?」
「間違ってはいない」
「では、少しは信じてもらえましたか?」
「さっぱり」
穏やかな笑顔がまた凍った。無駄に胸を張って否定した冬華の態度から、心底ひとかけらも信じていないのは明らかだった。
「貴方も頑固ですね」
「何言ってんだか。貴方がやったのは占いではなく推理でしょう。この世に失敗していない人間なんていないし、私がいわゆるたくましい人間だって事は態度と話し方を見ればすぐ分かる。私みたいな若い女がもめごとに巻き込まれてこんな風に動くのだから気合と闘志はあって当然でしょう。占わなくても分かるわよ」
立て板に水。占い師は心なしか後去った。
「貴方タロットカードに何か恨みでもあるんですか?」
「特にない。科学の恩恵に常にあずかっているからその立場に立っているだけ」
「分かりました。では私も占い師としての意地があります、貴方の未来を見てみましょう」
冬華はあざけるように顔をゆがめた。占い師は鋭くそれを見据える。
「貴方、今馬鹿にしましたね。未来なんて未だ来ていない物だから何とでも言えると思ったのでしょう」
「よく分かったね、その通り」
「では、保険をかけます」
「保険?」
前もって外れたときのためにあらかじめ言い訳しておくのか? 冬華は意地悪く考えたが、占い師は冬華を無視して最後の右側のカードをめくった。
良くない結果だと言う事は冬華にも分かった。占い師の表情に後悔がよぎっている。
「何が出たの?」
どんなに信じないといっても興味は湧く。冬華は前から覗き込むようにしてカードを見た。
天まで届くほど高い塔が描かれている。しかし塔は稲妻により破壊され、人が塔から落ちている。嵐のような暗い背景といい、落ちていく人々の絶望的な表情といい、見ているこっちまで暗くなりそうなカードだった。
「塔のカードです。神への挑戦として高い塔を作った人間への罰。天罰のカード。意味する物は災害、破局、危険。近いうちにひどい災害に襲われるでしょう。急に状況が変わり、危機に陥ります。そして何か大切な物を失うでしょう。それでも貴方は立っていられるのでしょうか」
「……口先だけなら、なんとでも言えるからね」
冬華は帰ろうとした。機嫌が悪い。いくら信じていなくても面と向かってそう言われたら腹が立つ。その足元に、紙切れが舞った。
「待ってください。保険をかけると言ったでしょ。貴方にそのカードをお貸しします。2、3日したら戻って返してください。当たらず、馬鹿馬鹿しくなって来なかったら私の負け、カードを失います」
冬華はカードを拾い上げた。足元にイヌを連れた青年が、崖っぷちだと言うのに空を見て歩いている。天には太陽が輝き、小さな荷物1つでやけに楽しそうに歩いている。冬華はふと紙の上の青年が羨ましくなった。冬華は太陽を見た事がない。ドームの外に出て空を見た事がない。あるのはぶ厚い雲のみ。
「これは?」
「0番、愚者のカード。トランプのジョーカーの元ですよ。お貸しします。幸運をもたらしますよ」
「冬華」
「ん?」
「双琉冬華。わたしの名前」
「私はフォーチュン。ちゃんと当たったらカードを返してくださいよ」
「分かったって」
冬華はカードについても占いについてもさっぱりだが、この占い師がカードを大切に扱っている事は分かった。それを冬華に預けるのだから、よほどこの青年に意地を晴らせたのだろう。冬華は少し、申し訳なく思った。
「お願いします。情に駆られて、不吉な未来を見てしまいました。少ししても、貴方……冬華さんが生きている事を確認したいのですよ」
「それって、わたしに命の危険があると言う事?」
聞き逃せない。冬華は接吻しかねないほど詰め寄った。フォーチュンは落ち着いている。
「ありえます。塔のカードですから。十分注意してください。けして焦らないで」
「ちはっ、バッケン社の書籍配達便です、本をお届けに来ました、はんこ下さい」
緊迫した店内に明るい声が響いた。
「あ、はいはい、本はそこに置いてください、サインでもいいですか?」
「はい、ここに」
今までの真剣さはどこへやら、よくある弱小店舗の事務手続きが淡々と繰り広げられる。冬華はちょっぴり真剣に対応した自分が恥ずかしくなり、長い髪をかき上げた。そして呼びかける。
「全」
髪を青く染めている宅配便のアルバイトは冬華の尋ね人だった。どこにでもいそうな若いバイトは冬華を見て目を丸くする。
「あっれ、冬華さん、何でここに? 冬華さんが占いに興味があるなんて初耳だなぁ」
「興味はない、ちょっとした事でここにいるだけ」
後ろでフォーチュンがむっとしたようだが、冬華は全く気にしなかった。
「それにしても奇遇だね。確か冬華さん、ぼくに聞きたい事があったんだよね」
「うん、この配達が終わってからでいいから、食事に付き合ってよ」
「もちろん。冬華さんいいもの食べているから、一緒だと舌が肥えるよ。ちょっと待ってね、この家で最後なんだ」
うきうきと嬉しそうに全は本の手続きをして、端末で会社に連絡を取る。
「冬華さん、いいよ。今日の仕事は終わりだし、会社にはこのまま帰るって言ったから。行こう」
「フォーチュン、これ、借りておくね」
冬華は愚者のカードを人差し指と中指で挟んで持ち、フォーチュンに見せるように上げてから店を出た。
「きっとですよ」
返事は冬華が店を出た後で戻ってきた。
冬華馴染みの総菜屋で、鳥のささ身の味噌漬けを口に放りこみながら全は繰り返した。
「クリエイト社の強盗失踪事件? 知っているよ、3人もいなくなったんだもん」
「その事件について改めて調査をしたいんだけど、何か面白い事知っている?」
鳥のささ身の湯引きを味噌醤油でいただきながら冬華は軽く聞く。
「それほど大した事は知らないな。3人の社員と現金が行方知らずになった。現場には血痕が大量に残されていたけど、被害者たちの姿はない。3人の社員が盗んだんじゃないかとも言われているけど、それにしては現場がひどく荒らされていた。机が真っ二つになっていたり、人間には到底出来そうにないほどね。まるでAGが暴れたんじゃないかのようだけど、扉はAGが入れる大きさではなかった。不思議だね」
AGとは装甲機兵Armor Gearの略語だ。人型で全高2,5m程度の昔の世界大戦に投入された装甲服のような歩兵用兵器。安価の割りに強く、現在の戦争や紛争の主力となっている。もちろん冬華は持っていない。いくら安いからといっても個人が所有するには高すぎる。
「それは不思議だ。社員におかしいところはあったの?」
「何にもないよ」
「クリエイト会社の評判は?」
「バイオテクノロジー関係においてその筋ではすごく有名だね。以前はぱっとしない普通の会社だったけど、1年位前から急成長を遂げている。噂では、あの3大企業のフォーレスもが注目しているんだって。でも成長の仕方があんまり良くない。取引先に軍事関係が増えている。バイテクによって、個人の判断力、耐久力に関することですごくいい物を開発したんだって。でも多分、戦争とか戦いとかに関することなんだろうね」
嫌そうに全は顔をしかめた。善良なフリーターとしては当然の反応である。
「近藤栄子という名前に聞き覚えはある?」
「いや、知らない」
「クリエイト社に関係する事なのだけど」
「う〜ん、分からない」
「そっか」
38度にお燗された日本酒「春の夢」を口に含み、その軽やかにして爽やかなうまみを堪能した後、むぅと冬華は唸った。食事に文句がある訳ではないしあまりのうまさに感動したからでもない。
「1年前からか。裏があるとすれば近藤嬢ではなくその会社かな。この依頼自体には特におかしくはない。アセスの所も聞いてみないと分からないけど、受けてもいいか」
「お仕事? 大変だね」
「ま、それなりには。だから全の情報にはいつも助かるよ。これからもバイト先を点々としては情報収集してね」
「別に冬華さんのためにバイトを変えてる訳ではないけど、がんばってね」
「そうする。じゃ、後はゆっくり食べていてよ、わたしはこれで帰るね」
伝票をつかんで冬華は席を立ち、自分の薄汚いロングコートを小脇に抱え店を出た。店の外に出て端末を取り出しかける。
「アセス? こっちは大丈夫。企業のほうは怪しいけど、近藤嬢は特に問題がない。警察の方は?」
『依頼人は問題なしだ。犯罪暦もねぇし、おかしな付き合いや噂もない。きれいな物だぜ』
「そうか、ならこの依頼受けよう」
冬華は長すぎる前髪を掻き分けた。
「近藤嬢に連絡よろしく。それから今後の調査も頼める?」
『また俺か? ずりぃぞ』
「いや、ずるくないよ。わたしには明日は別件の仕事もあるのだから。これはアセスには無理だよ」
『あ〜、そんな事もあったな。ちっ』
「分かればよろしい、では、お願い。何か特別な事が分かったら連絡してね」
『へいへいっと』
冬華は端末を切った。名残惜しそうに端末は今の通信時間を表示し、時計機能に戻る。1分も喋っていなかった。
「明日から、危険なお仕事になるか」
冬華はコートを着て荷物を肩に負った。
「そうこなくっちゃ」
翌朝7時半。冬華は大学にいた。
あらかじめ断っておくが、冬華は大学生ではない。冬華の学歴は傭兵学校中退で止まっていた。
ではなぜ来たのか。答えは大学内の生協の、清潔な設備の一角の「着付けコーナー」にあった。
「全く、今時の若者ははかまの着付けも自分で出来ないのか。実に嘆かわしい」
何でも屋の仕事の一環である。もちろんアセスには出来ないので冬華限定で着付けの手伝いをする。
「普通の人は着れませんよ、双琉さん」
着物のレンタル会社の社員が冬華に苦笑いをする。レンタル会社も着付けが出来る人が少ないので急遽冬華にお出まし願ったのだった。今は卒業シーズン、外見に似合わず和風な冬華の稼ぎ時だった。
「それにしても、全く」
ぶつぶつ言いながら冬華と大して年が違わない大学生の着付けを終えて、「次、どうぞ」と呼びかける。
「後何人ぐらい?」
「そうですね、70人と言う所ですね」
よほど冬華は帰ってしまおうかと思った。
9時直前になり、卒業式が始まる頃に全員ようやく終わった。
「お疲れ様です、何でも屋さん」
「お疲れ」
冬華は自分の手の指紋が消えたのではないかという錯覚に襲われつつ、挨拶をしてから人気のない建物の隙間へ行き、端末でアセスに連絡を取る。
「もしもし、アセス? こっちは終わったけど、そっちはどう?」
『驚くな、収穫大有りだ。とりあえず、こっちへ来い。相談したい事がある。銃器は今持っているか?』
「当然」
愛用のライフルが入っているスポーツバックは今もなお冬華の肩にあった。普通はこんな所まで持ち歩かないのだが、冬華は普通の職業ではない。
『ならすぐに来い』
「こっちはくたくただというのに。へいへい、行きますよ」
冬華は端末を切って、その足で待ち合わせ場所に行った。
アセスの指定した待ち合わせ場所はジャンクフードの店だった。ここで昼食を食べながら打ち合わせと言う事なのだろう。アセスにしては気の利いている方であるが、冬華の機嫌は悪くなった。美食家の冬華にとってくず肉を使ったハンバーグや古い油を使い塩を必要以上にかけるポテトなど、とても口に合わない。先にそれらをさもおいしそうに食すアセスの前に冬華は座り、バックの中から包みを取り出した。冬華特製弁当である。
「飯屋の中で、他のもん食うのはまずいんじゃねぇのか?」
「今更多少のルール違反ぐらい、どうって事はない」
少なくとも持ち物だけで、冬華はすでに法律違反をしている。
「勝手にしろ。ところで、今日俺が汗水たらして情報収集した結果な」
きつい安物油の臭いに冬華はうんざりしながら続きを待った。アセスがそこまでがんばったかは知らないが、それなりに有効な情報を仕入れてきたのだろう。
「どんな事が分かったの、それで」
「近藤の兄貴が勤めていたクリエイト会社だがよ、2年位前、兄貴が失踪して少ししてから子会社を設立しているんだ。名目はバイテク関連の専門的研究ってことで、その会社からの製品がここ1年から伸びている。取引先は軍事関連ばっかりだ」
「ふんふん、それで?」
「近藤の兄貴は研究者なんだろ。死んだ事にしてその研究所に送られたって事は考えられねぇか?」
「ありうるけど、なら他の2人も一緒に? 2人も研究者だったの?」
「いや、普通のバイトだったらしい」
「なら、それはありえないよ。何で普通の人も一緒に消えたか。それが問題だ。研究者1人なら、拉致されたとか口封じとか、そう言う事もありうるのに」
冬華は箸を取り、弁当を食べ始めた。食事中は静かにする。話しながらだとご飯の味がよく分からないというものもあるし、そもそも食事中にしていい話題ではない。アセスも冬華もその事は気にしないが。
「その子会社を、もっとよく調べる必要があるね」
「おい、これ以上どうやって調べろって言うんだ? 外からじゃ無理だよ」
「中から調べるといい」
手作りふりかけと白いご飯を飲み込んでから、あっさり冬華は言った。
「侵入しよう」
翌日の早朝。
「おはようございます。双琉清掃会社ですっ」
無駄に爽やかな声で作業服を着た冬華とアセスがモップとバケツを持ってクリエイトバイオテクノロジー部門会社にいた。2人とも多少の化粧をして実年齢より年をとっているように見せかけ、アセスは髪を黒く染め富山シェルターの住民らしい外見になっている。さらに彼らは背中にそれぞれ大きな荷物を背負っている。掃除道具だろうと普通は推測される背負い袋にはライフルやコートや拳銃が詰まっている。
「ったくみっともねぇ格好だぜ」
「文句を言わない。この格好だとどこにいても怪しまれないのだからいいでしょう。普段のわたしたちの格好だと2秒で追い出される事請け合いよ」
「へいへい。じゃあ、昼にまた集合な」
「了解」
冬華とアセスはそこで別れた。冬華が資料を探し、アセスは機材などを見ておかしな所がないかどうか調べる。深追いは禁止、とお互いに確認しあっているのでそうは時間がかからないだろう。
冬華は科学雑巾を片手に人気のない社内を観察しながら進んだ。いかにも生物系の会社らしく、清潔で人の臭いがまるでしない。適当な部署をのぞき、何回か失敗してから冬華は埃臭い資料室らしき場所を探り当てた。
「さて」
冬華は紙の束の背表紙をしばらく眺めて、子会社成立の2年前の資料から探すことにした。あいにく冬華にはバイテク関連の知識も経済的知識も大してないが、冬華はこのようは資料は慣れで読むものだと思っている。いざ人が来ても怪しまれないように扉の前に水の入ったバケツを置き、冬華は適当な書類を手に取った。
『……新部門を独立させる』
『研究者は厳選の上考慮。3人以上、10人以下が望ましい』
『偶発的クリーチャー技術を人工的に作り出し……』
『新技術はワルシャワシェルターの上層部と取引。3年後の結果によっては買い取り決定』
『試作品は順当』
「……よく分からない」
数十枚読んだところで、冬華は目を押さえて書類を元の位置に戻した。細かい文章を読んだので目が疲れた。
(確か、ワルシャワシェルターと言えばあまり評判が良くない所だけど…… 揉め事やらなんやらで。そんな所と取引なんて、どんな物を開発しているんだか)
新部門を独立、と言うよりは新部門が危険なので本社から隔離したと言う方がよさそうだ、と冬華は思った。
(どんな研究しているんだか。そのバイテクについてもう少し知りたいね。しかし、またよほど資料を読み込まないと分からないだろうな。自分の学歴が憎い)
舌打ちをして、冬華は別の資料を手に取った。細かい数字からそれは給料明細書らしい。役にたたんと冬華はそれを元の場所に戻そうとして、ふと目を止めた。
「おや」
冬華は2回それを読み返し、書類を閉じて自分のポケットに入れた。
「ふむ」
自分の前髪に手をやり、少し考える。
「ふむふむ、ふむ」
無意識のうちに長い前髪を手ですいた。そろそろ切らなきゃと昨日も思った事を今日思う。
「ふぅむ。なるほど、これは予想外だった」
冬華はその足で資料室を出た。もう出社時間はとおに過ぎたらしく、白衣を着た社員と何人もすれ違うも、誰も清掃員に注意を払わない。冬華はある部署へ行くと、落し物の名目でとある人物を呼んだ。何も考えていない社員はその人物を連れてくる。冬華はその人物にそっと耳打ちをした。
「!」
「大声を出さないで。わたしと一緒に来てもらいますね」
その人物が混乱しているのをいい事に、冬華はまんまと連れ出し、アセスとの待ち合わせ場所へ戻った。資料室に思った以上に長くいたらしく、アセスは清掃員の格好をしていなければ今すぐにでも煙草を吸いたそうに口をすぼめてまだ待っていた。
「おせぇぞ、冬華。なにしてやがった。そいつは誰だ」
「悪い悪い。でも大収穫もあったものでね」
冬華は胸を張ってその人物をアセスの前に出した。その人物はおどおど冬華とアセスを見比べており、とても重要な者には見えない。
「紹介するよ、彼は近藤正治、噂の尋ね人だ」
冬華が先ほど発見した物は、近藤正治の給料明細書だった。
「で、何であんたがここにいるのか、聞かせてもらおうか。言っとくが俺はあんたの生死確認のために金払って知り合いに頭を下げて借りを作って聞き込みをして、そんでもってこんなみっともない格好をして掃除をしてるんだからな。よっぽどの事がない限りは歯を食いしばれ」
「は、はい……」
3人は近藤氏がまず人がこないと言った旧会議室にいた。アセスを見る限り、本気で殴るつもりだろうと冬華は自家製の梅干入り胡麻和えのお結びをほおばる。スタイリッシュを至上としているアセスにとって、よほどこの格好が気に食わないのだろう。近藤正治氏にもそれは伝わったらしく、青ざめながらも筋道を立てて話そうとした。
「僕はクリエイト会社でバイオテクノロジーの研究をしていました。主題はいかに後天性バイオテクノロジー技術による人間の肉体ならびに精神の強化です。低価格で手間も簡単な手術によって人間の肉体的補佐を目指していました」
「つまり、手軽に強い最前線の兵士の製作」
あほらしい事を、と冬華は呟き小型ポットの白湯をすする。温度は暑くもなくぬるくもなくちょうど良い。
どこに強くなりたいからといって自分を改造する民間人がいると言うのだ。多少はいるかもしれないが、そんな事は企業がわざわざ手を出すほど数がいない。各シェルターごとの情勢は不安定である。侵略のため、あるいは自衛のため、どこのシェルターでも強い機械、強い兵器、そのような物に冬華が一生お目にかかれないほどの金を注ぎ込む。そんな上層部の人間にとっては安価での兵士の改造は好ましい物として映るだろう。
そのような事は冬華からすればどうでもよかった。よくある話であり自分が直接犠牲にならない限り目くじらを立てるほどでもない。それに第一、まだ一般的に技術は完成していない。実験体が何体かいると風の噂で聞いてはいる物の、実用には程遠いとの見解だ。
今までは。
「そのような物にも使いますが、しかし本来は」
「いいから続けろ」
「あ、はい。ですがある時、アルバイト2人と他の企業との打ち合わせのために待っていたら、突然アルバイトたちが変態して」
「はぁ?」
アセスが理解できないとばかりに大口を開けた。
「いわゆる、クリーチャー変化です。アルバイトたちの仕事は本来実験で出た廃棄物の処分だったのですが、恐らく、その」
「実験の結果が漏れていた。偶然それらに接したアルバイト2人はクリーチャー…… 化け物に変身した」
冬華が助け舟を出して、次におかかのお結びを取り出した。
「はい、そうなんです。その場ではアルバイト2人を会社の護衛によって殺さざるを得ませんでしたが…… 偶然とはいえ、実験の成果をクリエイト社は重要視しました。この結果は完成すれば世界中に技術革新をもたらします。その機会を逃したくなかったのです。僕はいったん死んだ事にして産業スパイやその他の、例えば他のシェルターの工作員の目から逃れ、ここで研究をする事になりました。あいにく技術は完成はしていませんが、それでも部分部分の成果は十分に社にとって利益をもたらす事になりました」
「気にくわねぇな」
アセスが吐き捨てるように床につばを吐いた。近藤氏がぎょっとして口を閉じる。
「てめぇが気にくわねぇ。てめぇごとをまるで人事のように。依頼対象でなかったらとっくにその面に穴が開いていたぜ」
アセスだったら依頼対象でもやりかねないだろう。暗い雰囲気に圧されて近藤氏が青ざめた。
「あんたのしっかりした妹さんに死亡を確認してほしいって頼まれたんだ。どうする、冬華」
「そうだね」
もちろん冬華もこの件に関してよい印象は持っていない。しかし依頼は依頼であるし、そんな事にいちいち目くじらを立てていたら生きていけない、と言うのが本音でもある。今冬華にできる事は、目先にぶら下がっている依頼内容だった。
「近藤氏、私は妹さんに貴方の死亡を確認してほしいと頼まれた。実際に貴方はぴんぴんしているけど、妹さんにその事を伝える。異論はない?」
「……ありません、それと、僕からも1つお願いできませんか?」
「何?」
「ぼくはクリーチャー変化の原因が分かってすぐに死亡扱いされて、そのままこの研究所に移されました。きちんと家族に別れを告げるまもなく離れたんです。恐らく会社に伝えても素直に会わせてくれないでしょう。お願いです、最後に家族に合わせてください」
はん、とアセスは鼻を鳴らした。
「それくらいなら、サービスでやっても構わないよ」
「ありがとうございます!」
「大声は止めて。とすると、そうだね、いつがいい?」
「……今すぐで。下手に動いたり時間をかけて、駄目にしてしまいたくありません」
「よし。近藤氏、2時間ほど時間を借りるよ。まずはここから出て、近藤栄子嬢に連絡を取らないとね」
アセス、準備はいい? と冬華は立ち上がった。
「誰に聞いてやがる、相棒」
「よし、すぐに脱出しよう」
簡単だと思っていた脱出は意外と難しかった。冬華は近藤氏が多少外出しても平気だろうと思っていたのだが、弱小企業の割りに警備は全シェルターでおなじみの3大企業並みである。結局冬華の清掃員の服を近藤氏に着せ、冬華は持ち歩いていた普段のロングコートに着替えた後、掃除道具の中にもぐって3人は脱出した。
「ったく、腹が立つな。爆弾仕掛けて研究所を消し飛ばしてやろうか」
クリエイトバイテク部門会社の周囲に人気がない。恐らくシェルター計画に失敗したのだろう、この時代にしてはとてつもなく古い空きビルばかりだった。そのビルの間の路地で冬華は埃にまみれた自分のコートを手で払い、髪を手ですいた。近藤が恐ろしい物を見るような目で冬華を見る。
「冬華さん、まさかそんな事はしないですよね」
「するか。冗談だよ。全く、私は一応この中で唯一の女なのにこの扱いは」
「いや、冬華ならやりかねないぜ。歩く武器倉庫だからな。ライフルに拳銃、爆弾まで持ち歩いているんだよな」
アセスが茶化し、近藤の顔色がますます悪くなった。冬華は不機嫌になるものの、事実なので言い返せない。実際ナイフはちゃんとブーツに挟まっているし、右ポケットにはタイマー付プラスチック爆弾が放り込まれている。さらに手榴弾に警備突破のための簡易工作キット、さらに今は万が一のため撃っても血が出ないため心に優しい麻痺銃「パラライズ20」も持っている。結局それらはまったく使わなかった。無駄だったなと冬華はまた前髪を払う。
「じゃ、依頼人に連絡取るぜ。確か勤め先が下階層だったよな。すぐだ」
アセスは端末を取り出し、軽やかに番号を打つ。冬華も緊張感なく座り込んだ。
「あの、大丈夫でしょうか。もし逃げ出したとばれたら僕は」
「1時間ぐらい、ばれないでしょう。何か良い言い訳考えておいて下さい。もし駄目そうだったら、私たちが適当に騒ぎを起こして気をそらしますから」
それよりも、と冬華は続けた。
「近藤氏はこれからどうするんですか? ずっとこのままでいるつもりですか? もし逃げ出したいのなら、手伝いくらいしますよ」
「……それは」
冬華は前触れもなく伏せた。
「!? なんだ?」
「しっ」
近藤の服をつかみ、無理に転ばせて冬華は周囲の様子をうかがう。アセスはとっくに端末を切ってしゃがんでいる。
「何人だ?」
「2人」
ちっ、とアセスが拳銃を構える。冬華御用達のソーサラー社ではなく3大企業の1つ、武器のことならお任せユニオンのSMG拳銃である。隠密製に優れ威力もそこそこ、価格的にも使い勝手は良い。
「あの、どうしたのですか!?」
「ばれちゃったみたいです。追っ手が来ています」
「しかもご丁寧に武器持ってやがる。無所属の傭兵か? ちっ、てめぇは本当に重要人物だったようだな。迎えが来ているぜ」
冬華もパラライズ20を手にする。
「脱走したと思われたか、あるいは連れ出した事が分かったのか。意外と早く分かったね。しょうがない、近藤氏、覚悟決めてください。ここを出てからこの件を表ざたにします」
「表ざたって、どう言う事ですか! 大体貴方方に任せたのにこんな事になって、どうするんですか!」
「おい、その口今すぐ聞けなくしてもいいんだぜ?」
アセスが言うが早いか、近藤の口の中に拳銃をねじ込もうとする。とっさに冬華は手をかざして止めた。長い付き合いである、いい加減アセスの性格にも慣れていた。
「やめい、アセス。近藤氏、今後あそこの部署に戻っても運が良くて生涯監禁、悪くて銃殺でしょう。逃がしたのがすぐに判明した事はわたしたちにも非はあります。この後はこの階層を脱出してしばらく身を隠し、その間にあの企業の違法性を訴えて会社を潰した方が良いでしょう。幸いに警察関連に友人がいます。彼女に頼みます。なお、今のところ最善策はこれです。文句はいいっこなしでお願いします」
冬華の冷静な説得が利いたのか、アセスが怖かったからか、とりあえず近藤は黙った。
「冬華、2人くらい俺がやる。手を出すなよ」
「人殺しは騒ぎになるよ。パラライザー(麻痺銃)を貸すから、これでやりなよ」
アセスには多少の殺人快楽症が見える。だからこの仕事に向いているのだろうが、それでも人殺しはされると困る。
「ちっ、全く、富山シェルターときたら」
アセスはそれでもパラライザーを構え、外の様子をうかがう。2人の人物を見定めて、瞬間的に立ち上がり銃の引き金を引く。少しして、重い物が倒れる音が冬華の耳に届いた。
「お上手」
「本物の銃なら即死だぜ」
「それは今見せんでもいい」
「ちっ、びびっているのか? 2流だぜ」
「やかましい、郷に従え。アセス、あたしは彼らを見る。周辺を探ってみて。3分後に合流だ」
「了解。そっちは素人抱えているんだ、注意しろよ」
アセスはふかが笑うような笑みを浮かべ、足音1つ立てずに走った。冬華は口も聞けない近藤を放っておいて追っ手に近寄る。
自慢するだけあってアセスの銃の腕はいつもながらすごい。感心しつつ、冬華は追っ手を観察する。ただの傭兵にしてはいい武装をしていた。
(無所属ではなく、傭兵派遣組織ディスパーチの者かな? それにしては違和感があるな。なんだろう)
いつの間にか冬華は胸元を手で押さえていた。胸が苦しい。
「危険」
冬華の頭の中が紅く染まった。耳鳴りがする。不安が突然膨れ上がり、抑え切れなくなった。前にも冬華はこの現象に出会ったことがある。第六感が告げている。危険の信号。
冬華は追っ手の銃をつかんで製造社名を調べようとした。削り取られており分からない。心臓の鼓動が早くなり、血が冷えた。
冬華は簡易工作キットを取り出し、すばやく銃をばらした。四十六日銃に囲まれている冬華である、いとも簡単にばらばらにした。その中の部品の1つを見る。Lichenのスペルがそこにあった。
「気づくべきだった!」
自分のうかつさに冬華は殴りたいほど腹が立った。リチン社とは3大企業フォーレスの下に存在する、武器の製作の会社である。フォーレス社は主にバイオ、ナノマシン関係を中心としており、兵器銃器は弱い。実際にリチン社は価格が売りで、性能はよくなく冬華などの専門家からは敬遠されがちである。
なぜ彼らがこれを持っているか。偶然と考えても構わないが、冬華はそうは思わなかった。
「クリエイト社の後援をフォーレスがやっていたんだ! だから専門的機関が作る事が出来た。裏で繋がっていた…… わたしのぼけなすめ」
この対応の早さ、武装。もし冬華の推測が正しければ、事態は致命的だった。冬華は1シェルターの1企業を叩くことはできても、世界を支配する3大企業とは立ち向かう事さえ出来ない。
「お〜い、何か分かったか?」
アセスがのんきに戻ってくる。
「こっちは何事もなさそうだぜ。さっさとここを立ち去るぞ」
冬華は呆然とアセスを見る。その後ろに白い影を見た。人よりはるかに大きい影は冬華もよく知っているものの影だった。
「後ろにAG!」
アセスが気が付いた。遅かった。冬華は近藤が隠れていた通路へかけ逃げる。アセスは振り返りもせずに走り出す。装甲機兵・AGは無造作に腕に二機あるマシンガンを乱射する。アセスがどうなったのか、冬華には見る余裕がなかった。
「こっちへ!」
無理に近藤をつかみ、適当なビルの一室に駆け込む。ライトニング15を取り出し、外をうかがう。
「!」
アセスは無事だった。転げまわったせいか清掃員の制服が埃まみれである。こっちへ、と冬華は言おうとした。とりあえず逃げて、それから何らかの対策を練らないといけない。
そのアセスの後ろにAGがいた。いくつもの戦場を駆けたかのごとく、どす黒い血の色をしたAGが。小型の、しかし人には大きすぎるミサイルがAGから発射される。対人用ではないミサイルは走っているアセスを外れて、その背後の建物に命中した。建物が崩れる。たった今、アセスが走っている道まで灰色の土煙を上げて堕ちる。アセスが振りかえって何か言おうとするも、それはビルの崩壊の音に紛れて冬華の耳には入らなかった。
「……あ」
冬華は何かを言おうとして、何も声は出なかった。背後で近藤が悲鳴を上げたが、それも半分耳に入らない。冬華はぼんやりと相棒がビルの底に埋まった事を示す土埃を見ていた。
「あ…… あんたのせいだ」
近藤が冬華の首をつかむ。冬華は振り払う。はらりとポケットから厚紙が一枚落ちた。冬華はそれを拾い、眺めるとライフルをつかみ直した。強く武器を持つ事で気が持つ錯覚を覚える。
「あんたが無理にぼくを連れ出したから、こんな目に会うんだ! なんでAGが出て来るんだ、どうしてこんな物まで出て来るんだ。もうお終いだ、あんたのせいだぞ!」
「諦めるな!」
冬華は怒鳴った。こんな時だというのに、脱力感の後は闘志が湧いてくる。相棒は死んで、敵は強大で、こっちはたったの1人。死神の鎌は首にかかり、あと一息で鎌の上に首が乗る状態。しかし冬華は怒鳴った。
「まだだ! まだわたしは五体満足で、武器もある!」
「相手はAGだぞ。それでどうやって生身の人間が戦うんだ。もうお終いだ」
それだけ言うと、近藤はへたり込んだ。「もうお終いだ……」繰り返す。
冬華は目をつぶった。手の中にはカードがある。返してくれと、言われたカードだ。
冬華という名は冬の花の意味を持つ。極寒の世界に潜み、分厚い雪を割り、静寂の世界に息づく命。冬だというのに、いや冬だからこそ美しい花を咲かせる。大地も太陽さえも凍りつく中で、しぶとく、頑丈に、1つ堂々と生き抜く花。
こんな時代だからこそ。こんな時代だから。
「お終い、なんかじゃない。まだだ。まだ選択のカードは散らばっている。それなのにあんたは絶望するのか。頭を抱えて、自分を嘆いて、何もせずにケースの中にいるのか」
この時代に生きてきた。核の冬が世界を覆うこの時代に。いつ死んでもおかしくない時代に生きている。
だからこそ、最後まで諦めない。
「貴方はここにいろ」
冬華は言い切った。
「わたしがAGを何とかする。その後乗り物を見つけて逃げ出す」
「無理だ、そんな事」
「無理じゃない」
冬華はライフルを肩にかけた。
「見ていなよ、わたしを」
そして冬華は走り出す。これ以上何も言わせずに。
冬華はAGに見つからないように慎重に回り込んだ。他の敵がいる事は考えない。いくらなんでもAGがもう1体いるのなら気づくであろうし、人間の敵がいるのならもろともAGの攻撃に巻き込まれない。AG1体なら隠密行動が取れる。
十分に近藤のいるビルから離れると、観察をしてから目をつけた廃ビルに入り込み1階に少し手を加えてから2階に回った。
(相手は恐らくこっちをなめている。素人連れで逃げるつもりだろうと踏んでいる)
冬華は少し笑った。
「なめるな、私は双琉冬華だ」
2階の窓からAGに狙いをつけ、冬華はライトニング15の引き金を引いた。AGの後頭部辺りに直撃する。直撃したら人間ぐらい粉々になる威力のライフルである。AGといえど、ただではすまない。
もちろんあくまでもライトニング15は人間が使う物である。どんなに威力があるといっても限界がある。
「AGが吹き飛ぶ兵器を使用したら、私の腕のほうが吹き飛ぶ」
AGは冬華に気づき、来る。AGにしては早い。冬華は3階へ走った。
(50,49,48)
2階への階段にAGの頭が見える。冬華はライトニング15を撃ち、すぐさま上階へ走った。ライトニング15は外れる。もともと当てる気はなかったのだからしょうがない。駆け上がった階段に爆音が響く。立った今までいた3階への階段に何か撃ち込まれたのだろう。かなり離れていたとはいえ、冬華は背中に熱風と高速のつぶてが当たるのを覚えた。覚悟がなかったら冬華は足を取られて転んだかもしれない。
「へったくそ。わたしなら当てたね!」
4階で冬華は下り階段に手榴弾を投げつける。
(26,25,24)
結果を見ずに背を向け5階へ走る。この程度のおもちゃではAGは傷1つ付かない。疲労より緊張と戦闘への興奮で冬華の呼吸は荒くなった。AG特有の排気音が近づいて来る。
(10,9,8)
最上階の5階で、冬華は非常階段へ走った。たった30歩足らずの距離がここと空より遠い。AGはすぐそこまで迫る気配がする。死まであと少し。
(4,3,2)
非常口を開ける。錆びだらけの鉄の踊り場に出て、扉に手をかける。AG装備の簡易ミサイルの安全装置が外れる音を、冬華は確かに耳にした。
(1)
扉を閉める。隣のビルへ飛ぶ。
(0)
どんっ。
下から爆音が響いた。冬華が1秒前まで立っていたビルが大きく揺れる。冬華は伏せた。耳をふさぐ暇がなかったため、その轟音に冬華は頭が裂けるかと思った。
5階のビルの屋根が吹き飛ぶ。AGのミサイルが地面の揺れにより、目標を誤って命中したのだろう。そして人への天罰のごとく、ビルは天井まで届く土煙を上げて崩壊を起こす。老朽化したビルは耐え切れなかった。AGの重量と戦闘と、そして冬華が1階に仕掛けたプラスチック爆弾に。冬華の予想通りに。
「っしゃ!」
冬華は落ちる勢いで1階に下りる。やっと聴覚が戻ってきた。火傷だろうか、今更ながらに背中が痛む。
「あの…… 何でも屋さん!」
近藤は下で叫んだ。爆風にあおられたのか白い服は黒ずんでいる。返事の代わりに冬華は激しく乱れる髪を押さえてふてぶてしく笑った。
「逃げるよ! 生きていたければ、ついて来い!」
相変わらず人気がない、みずぼらしい通りだった。靴の裏がべとべとするのが気持ち悪い。シェルター内ではどこも光量は一定のはずだが、ここだけはやけに暗く感じた。その一片の潰れかけた小屋に入る。何のための物か分からないそれらの小道具は棚にびっしり並び、店の主はその奥にひっそり座っていた。
冬華が占い師の元へ行ってから、1週間がたっていた。
「遅かったですね、冬華。タロット占いが出来なくて困りましたよ」
「1枚ないだけで出来ない物とは知らなかった。いろいろごたごたしていたから来れなかったの」
落ち着いて、しかし安心したようにフォーチュンは柔らかく笑う。実はあれから1日病院で過ごし、2日間警察の調査に半強制的に協力させられていたのだが、もう終わった事だった。許可も問わずに冬華はフォーチュンの前に座った。
「で、信じていただけましたか? 占いは」
「……少しくらいなら信じるよ」
しぶしぶ応える。フォーチュンは満足そうにカードをきった。
「全くひどい目に会った。相棒に死なれて、しばらくはしょぼい仕事しか出来ない」
冬華は伸びをした。前に来た時も、このようにのんびりと過ごしていた。あれから生身でAGと戦うなんて予想だにしてもいなかった。相棒の死も応えている。怪我を理由に、少し休むつもりだった。
「新聞を見ましたよ。謎の戦闘。それの調査の末、クリエイト会社という所が調査、解体されたとか。なんでも違法実験、拉致などを行っていたそうで」
「まぁね。フォーレスまでは手が行かなかったけど、でも上等上等。少しは近藤も罪にはなるだろうけど、すぐに出てこれるさ。近藤の奴はどうしようもない奴だが、妹さん喜んでいたしな。依頼が果たせて、ほっとしているよ」
「今覚えておくとまずい事を言われたようですが、無視させてもらいます」
フォーチュンはまったり答えてお茶をすすった。緩やかに時が流れる。
「じゃ、帰るね。こう見えても怪我が治っていないの。出歩くと痛い。さっさと帰ってとっておきのヒラメでおかゆにするよ」
「冬華さん」
冬華は振り返った。「何?」
「無印、愚者のカードの意味する物は自由です。崖に立っている旅人は崖から落ちるか、それとも空を飛ぶか。次に何が起こるか分からない。既成概念を破壊、全く新しい旅立ち」
フォーチュンはあでやかに微笑んだ。
「冬華さんは、この世界に何をもたらすのでしょうね」
「フォーチュンが何を言いたいのかは知らないけど、もしわたしがこの世界に影響するなら」
冬華は振り返らなかった。
「冬の花が知らせるのは、まだ世界に命があると言う事。そして春が来ると言う事だ」
再生する世界「愚者は塔で踊る」が出来るまで
☆書くきっかけ
「再生する世界プロジェクトと言うものがあるのですが、参加しませんか?」
「面白そうなのでします」
お終い。はやっ。
☆世界観の構築
何より先はこれ。これが出来ないと小説を書くどころか読むことも出来ない。
自分はこれまで剣と魔法のファンタジー物しか書いた事がないため、近未来物を書くために下地として世界観を自分なりに理解、消化する。
初め自分は小説「アンドロイドは電気ひつじの夢を見るか?」のようなサイバーパンク物だと思っていたのだが、話を聞くに
「閉鎖されたドーム」「身体にメカを埋め込むサイバーアームはなし」「文化などは現代と同じ」らしい。
そこでイメージとしては「シェルターの中の治安の悪い現在」と思う事にした。そこに武器やAGがあると言う事だろう。
☆主人公の設定
世界観がそれなりに固まったところで主人公の設定に移る。
20代、女、トリガーハッピー、何でも屋、と言う事は自動的に決まる。
20代というのは、15歳でほぼ成人の平均年齢が低いファンタジーならともかく、近未来物で年が低すぎるのは現実味に欠けるので却下、
しかし30代40代だと今度は自分の想像力の限界に挑戦するのでまた却下。という消去法で進めた。
女は、今別に書いている小説の主人公が男なので。トリガーハッピーというのは単に性格。自分が近未来で主人公に銃を持たせると大抵こうなる。
何でも屋、というのは小説のしやすさから。ちなみに軍人や傭兵という設定は自分にはにそっち方面の知識が致命的に欠如しているから却下した。
美食家、という設定はその時美味しんぼ全巻読破に挑戦していたから。
後はその設定をもっともらしくするための設定のみ。
例えば傭兵学校中退は「銃を使える何でも屋」と言う設定から無理がなさそうな風に選んだ。(軍人上がりにするには、年が若すぎる)
名前は散々苦労する。自分は名前を付けるのが苦手で、なんとなくで付けては後悔する事が多い。
今回はじっくり考えた末、書店でふと「冬華にしよう」とひらめく。最初は天啓だと喜んでいたが、よく考えたら同じく近未来物で「青香(せいか)」というキャラがいた事を思い出した。
単にバックフラッシュを起こしただけらしい。姓は妹に「何かいい姓ない?」と聞いたら双琉、という返事が返ってきた。
あるアニメに出てきたものらしいが、自分が知らないので問題なしで通した。
最後に妹にねだってイラストを描いてもらう。
これで外見的イメージを決まる。前髪が長いという銃使いとしてはどうかという設定はイラストから来た。
☆話と脇役
世界と主人公が決まったらこれを決める。
話については、王道を行く事にした。何か事件がある→調査→大きな事件に発展→戦闘。
脇役もそれに応じて決める。相棒、情報提供者、占い師、敵、依頼人。
占いについては「現実的な話でずっと行くのは肩がこるし、タロットを出してそれを背景として行こう」と思っていたのだが、考えるにつれてタロットがただのおまけになった。
今となっては省いても良かったとも考えている。
相棒は「この世界の厳しさを示すため、しょっぱなから死んでもらおう」と初めから思っていた。モデルは友人のゲームキャラより。
これのみの登場なので殺人快楽症というとんでもない性格も原作そのままにした。
☆テーマについて
なくてもよいが、あったほうがいい。
今回これを書こうとしていたとき、鬼塚ちひろのCastle・imitationががんがんかかっていたために影響されて「厳しい環境で、たくましく生に執着する」というのをぼんやり想定した。
ついでに、今別に書いているファンタジー小説は世界観やストーリー→主人公、脇役→テーマというように決定した。この順番は順不同で、人や話によりけりだと思っている。
☆書く
大体が決まったらひたすら書く。これは単純作業である上に時間がかかる。
今まで自分は紙に書いていたのだが、今回パソコンで直接書くのに挑戦。
はっきり言って自分でも話の流れが追いにくく、不慣れのため苦労したが、紙に書いてパソに打つという今までよりは楽だと思う事にした(実際楽だった)。
☆見直す
出来たら少しおいてから見直し、書き直したり加えたりする。後で付け加えた設定のフォロー、矛盾を直す。
特に自分はラストになると興奮して一息に書いてしまい、その結果最後がやけに少なかったり竜頭蛇尾になったりしがちなので、
なるべくクライマックスやエンディングは一回書くのを止めて寝て、また出直したりとする。
今回は特に後半は2日で一気に書いたのでひどかった。手直ししてもまだひどい。
☆タイトルを決める
自分は名前を決めたりというのが苦手なのでタイトルは最後に決める。
今回の物はあまり役に立たなかったタロットカード2枚より取った。
完成
あとがき
これは平成15年10月に書き上げた、初めての近未来物です。
近未来ものは今まで書いた事がなかったので、どのようにすればいいのか、初めのうちは大変でした。
特に銃器などは残党さんにメールで色々教えていただいて、何とか書き上げたしだいです。感謝。
作中で存在している銃器は全てでたらめです。
大江がその場で簡単に作りました。メーカーもオリジナルです。マニアに人気の、弱小メーカーだと思ってください。
後半は勢いに呑まれ、尻つぼみになったという印象が自分でもします。
特にもともと脱出の所は省略する予定でしたが、ここも書いたほうがよかったかなと思っています。
今後の主人公たちは、せっかく他の作者様の小説と繋がっているのだから、そっちへ行ってこれと同じように美食したり、仲良しになったり、銃振り回したりしようかな・・・
とも思っています。共演を希望される方、御一報下さい(半分冗談です)。
つれづれと書きましたが、読んでいただけると幸いです。間違いなどによるご指摘をお待ちしております。
それでは失礼します。
残党の感想
私がご本人の承諾なく勝手に師匠と呼んでいる大江氏から頂きました〜
事の発端は平成14年の秋の終わりごろだったと記憶している、当時受験生だった私は小説を書こうと決める。
理由は勉強しているふりをしながら書けて、尚且つ紙とペンさえあればどこでもできると言う手軽さからだった。
1人で書いても構わなかったのだがどうせなら皆でやろうと友人2人と大江氏に声を掛けた。
受験が終わりノートPCを買ってもらうと早速HPを作った。
当初の予定ではHPで再生する世界の設定を公開して色々な人に書いてもらおうと計画していたのだが・・・
HP公開後半年ほどたつが今だ設定が一部しか公開できていないし書き手の募集にいたっては全く行っていません(ダメじゃん
急ぎ準備中です。
さて話が激しく脱落したので改めまして。
大江氏ありがとうございます<(_ _)>
素晴らしい作品です!
イマイチ要領をえない私の設定説明からよくここまで書いて下さいました。
軍事用語だらけの私の小説とは違い、初めての人も優しく「再生する世界」に入れます。
こういうことを書くと嫌なやつと思われるかもしれませんが大江氏に声を掛けた狙いどおりの作品に仕上がっています。
「できるまで」や「あとがき」を読む限り初めてで大変だったという印象を受けますが、本編ではそんな印象は出ていません。
さすが師匠です!
ただ、ご自身のあとがきにもあるように後半は勢いに呑まれてしまっているなという印象が確かにします。
しかし全体から見ればそれほど気にするほどでは無いと思います。
テーマもバッチリです。冬華の生への執着痛いほど感じました。
あと、大江氏のどの作品にも言える事なのですが読み出すと止まりません!
夜中の1時30分ごろ、チャットを終えてメールをチェックすると原稿が届いていました。
最初だけ読んで寝てからじっくり読もうと思い、原稿をあけたが最後でした。
気がつくと読み終えて感動に震えている自分がPCの前にいました。
さすが師匠!三大欲求の睡眠欲すら相手ではありません!!
そして是非共演したいですね!
冬華とニックの食べ物に対する考え方の違いをぶつけてみたいです(笑)
もっとも共同執筆はやったことが無いのでどうすればいいのか皆目見当も付きませんが・・・(汗
さて余談ですが時間軸としては私の書いているクッキングオフとほぼ同じです。
井上氏には第四次世界大戦のあたりを書いてもらっていますので初めて再生する世界が当初予定していた繋がりをもったと言えるでしょう。
場所は日本の富山シェルターです。
本格的に戦争に参加しなかった日本なのでクッキングオフの舞台となるライプチヒシェルター(ドイツ)より豊かです。
どれぐらい違うかと言うと例えば美食家の冬華がグリーレ家の食生活を見たら気絶してしまいそうなほど食生活が違います(笑)
現に作中でもジャンクフード店で食事をするシーンでライプチヒシェルター出身のアセスがおいしくハンバーガーを食べているのを尻目に
冬華は自前の弁当を食べています。(しかもポテトの安物油の臭いを我慢しながら)
これは冬華がかなりの美食家である事を差し引いても出身シェルターによる差が大きそうです。
もはや感想だか紹介だか余談だかなんだか分からなくなって来た所で終わりにしたいと思います(汗
大江師匠!ありがとうございます/(^^)