クッキングオフ第三部 |
||
第10階層居住区画
薄暗い裏路地。 気配を探る。 少女は緊張していた。 長い金髪は邪魔にならないように後ろで一つに縛り、年齢の割に小さな体はアーミーグリーンの作業着で包まれている。 黄金色の瞳は薄闇に紛れた獲物を捕捉しながらも周囲に気を配る。 失敗は許されない。 今日すでに5回目の挑戦だ。 昨日は7回アタックしたが全て惨めな失敗に終わった。 もうすぐ夜になる。恐らくこれが今日最後のチャンスだろう。 シェルター内の夜は暗闇とまでは行かないが、闇に紛れるのが上手い獲物を追いかけるには非常に困難な暗さにはなる。 デュエル 一か八かの賭けではダメだ。確実にやらねばならない。 さもなければ恐ろしく耐え難い結末が待っている。 唾を飲み込む音がものすごく大きく感じる。 空気を動かさないように、音を立てないように、慎重に一歩踏み出す。 この一歩で獲物が射程内に入る。 しかしすでに合計11回失敗している。 その11回の失敗が頭の中で鮮明なフラッシュバックとして現れる。 最初の数回を除き、他は全てコンマ2桁の差だった。 ―また、失敗するかもしれない― 一瞬の恐怖を振り払い慎重に足をおろす。 もう、負けられない。後が無い。 腕時計をちらりと見ると17時59分にちょうど数字が変わった。 マズイ! 18時にアラームが鳴るようにセットしている事を思い出す。 もはや一刻の猶予も無い。 幸い、まだ獲物には気づかれていない………はずだ。 両手に力が入る。 棒を振り上げはしない。 振り上げて振り下ろすという2段階のプロセスを踏んでいては獲物に逃げられる。 昨日の手痛い教訓だ。 そこであみ出したのが『突き』だ。 突いて、そのまま突き上げればこちらの方が早いし、左右の動きにもある程度対応できる。 勝利を確信して思わず口元が緩む。 その刹那、獲物のとがった三角形の耳がピクピクと二回素早く動く。 無情にも腕時計のアラームが鳴り響き、獲物と目が合ってしまった。 全身を漆黒の毛で覆われ、瞳だけが薄闇の中で金色に光っている。 すぐさま棒を突き出す。 しかし獲物は軽く跳んで棒の先端の袋状の網を跳び越すと、そのまま棒を伝って駆け上がり少女の頭を踏み台にして逃げ出した。 「あぁ〜〜夕飯が〜〜〜」 少女の沈痛な悲鳴が路地裏に木霊する。 見事逃げ出した獲物は悠々と路地の角を曲がって視界から消えていった。 敗因は勝利を確信し油断した事とアラームを解除し忘れた準備不足とまさか自分の方には逃げてこないだろうという希望的観測をした事……… そして結果として今日は朝ごはんや昼ごはんだけでなく夕飯にもありつけない。 思わず涙がこぼれそうになる。 自分の未熟さを悔やんでか、ただ単にごはんが食べられないと言う事に対する悲しみか、いずれにせよ、またもや少女は惨めな敗者になってしまった。 「ニャー!ギニャ!!フーーーー!!!」 獲物の叫び声が路地の角から聞こえる。 急いで角まで走ると、そこには首根っこをつかまれ宙ぶらりんにされつつも、懸命にあがいている獲物と呆れ顔の兄がいた。
あまりレパートリーの多くない普段着を、目に付いた物から順に着ていったという感じの服装をしたブラウンの髪に同色の瞳を持つ隻腕の青年はニック・グリーレと名乗っている。 整備工場のアンペールと先日の費用について交渉し、予定より時間が掛かったため家路を急いでいる所だった。 普段は歩かない裏通りを足早に歩いていると角からヒョッコリ黒猫が現れた。 千切れかけたピンク色の首輪を確認するとすぐさま首根っこに手を伸ばし掴み上げた。 「ニャー!ギニャ!!フーーーー!!!」 やかましい悲鳴を上げるがお構い無しに観察する。 どうやら昨日依頼された獲物に間違いなさそうだ。 しかし、こいつを捕まえるように言っておいた妹はどうしたのだろうか? そんな事を考えていると薄汚れた作業着を着て、手には急造の虫取り網の出来損ないを持った少女が同じ角から飛び出てきた。 今まで追いかけていたのか…… 「あ、ニック兄」 「あのなぁ、猫探しぐらいできないでどうするんだよ」 「で、でもすばしっこいんだもん」 「はいはい、じゃあ逃げられないように持ってろよ」 猫をアーシェンスに押し付け携帯端末を取り出す。 歩きながら依頼人と猫の状態や引渡し、料金について一通り話をつけるとちょうど自宅に着いた。 『何でも屋グリーレ』 何でも屋とは言っても本来ならばAGを用いて傭兵まがいの荒事を専門とする何でも屋である。 今回はちょっと訳ありで猫を探していたりもしたのだが…… まぁ明日のご飯を心配しなくてはいけないような経営状況だからしょうがない。 もっとも、少し前に大量に調達した乾パンがまだ残っているので飢え死にする心配はしばらくしなくてすみそうだ。 端末の電源をつけるが依頼は入っていなかった。 ため息を一つ吐いて頭を無造作にかきむしる。 少女二人分の笑い声と猫の鳴き声がドアの向こう側から聴こえる事から考えるに、妹二人は猫とじゃれて遊んでいるのだろう。 悩んでいる自分がアホらしくなるが自分までお気楽に遊ぶわけには行かないので打開策を思案する。 多少リスクが大きくても実入りの多い仕事をしなくては………
第1階層ライプチヒシェルター管理評議会議長室
「情報の信憑性は?」 この部屋で一番豪華な革張りのイスに座っている青年が問いかける。 いや、問いでは無い、ただの確認だ。 「限りなく高いかと思います」 赤髪、長身の女性レンティール少尉がうてば響くように直立不動の姿勢を崩す事無く答える。 「しかし、迂闊に手出しできんぞ、それに例のプラントには我々も少なくない投資をしているではないか。黙っていてもデータは問題無く手に入るはずだ」 ソファーに腰を下ろし、軍服をわずかな隙も無く着用した中年の男が異を唱える。 「確かに、将軍のおっしゃる事もわからないでもないのですが……状況が変わりまして……ワルシャワに独占される危険があるんですよ」 「代表代理、さすがにそれは無いでしょう。そんな事になれば外交問題になります。それにバーミンガムがまず黙っておらんでしょう」 「でしょうね。フランクフルトの利権問題もありますし。しかし、詳しくは言えませんが状況が変わりました。それも大きく」 将軍と呼ばれた中年が座りなおし結論を述べる。 「どんな理由だろうと正規軍が動く訳には行かんよ。私個人としては代理を買っているが組織の中にも議会にも敵は大勢いるからな。無論、正式な手続きを踏んで、ワルシャワと戦争する覚悟を決めて、議会から正式な命令が来れば速やかに従いますがな」 無論、そんな事はありえない。 数秒フィクサーは考え込む。 安全かつ確実に自らが利益を手にする方法を。 「わかりました。わざわざ朝からお呼びして申し訳ありませんでした、今回の件については私の手駒でどうにかしましょう」 身振りで退室を促すと、気を利かせてレンティール少尉が防音防弾のドアを開ける。 「期待しているぞ。フィクサー代理」 「なんとかやって見せますよ」 苦笑しながら握手を交わす。 再びドアが閉まる。 数秒の、正確には将軍がフロア直結のエレベータに乗り込む瞬間までの沈黙。 「いや〜しかし相変わらず慎重というか臆病者で役に立たないですね」 つい先ほどまでの『忠実な秘書官』という雰囲気が180度変わり、少尉の本性が現れる。 「まぁ血気盛んな猪突猛進型の将軍では困るよ」 苦笑しながらフィクサーがソファーを勧める。 レンティールが遠慮無く仮眠室のベッドよりはるかに柔らかいソファーに埋もれる様に座ると、フィクサーはその向かい側に席を移した。 「さすがに足は閉じておいた方が良いと思うのだが?」 「いいの、いいの慣れない事して疲れているんだから、それに見られたって減るもんじゃないし、制服なんだからズボンだし、問題無し!」 リラックスモード全開で答える。 「たしなみの問題だと思うがね……」 人前では絶対に外さないメガネを外す。 「さて、当初の予想通りに事は進んでいる、と言っても良いかな?」 「ん〜と、そうですね。あとはこっちが先かあっちが先かってだけだと思いますよ。あ、ちなみに私も名目上一応正規軍人なんで今回のパーティーには不参加と言う方向でお願いしますよ」 「わかっている、君には情報の受け取りに行って貰うよ。使者にもすでにそう伝えてある」 フィクサーが一通のA4サイズの封筒を渡す。 「中に使者の写真とプロフィールが入っているから一応覚えておいてくれたまえ」 「はいはい、え〜となになに名前はソーリュートーカね、被験者と組んで何でも屋をやっていたと。傭兵学校中退だから一通りの訓練は受けている……ふんふん」 ふと、時計を見る 「今は10時か、日本との時差は8時間……ちょうどリニアの発車時刻だな、問題が無ければ明日の9時ごろにはターミナルに着くはずだ」
リニアの平均運用速度はだいたい時速500kmで富山シェルターとライプチヒシェルター間の所要時間は23時間ほどである。 富山シェルターを18時に出たリニアは23時間後の翌日の17時ではなく時差の関係上翌日の9時にライプチヒシェルターに到着する事になる。 一見時間を得したように思えるがそんな事は無い。 乗車時間は結局23時間なのだ。
レンティール少尉は説明を完全に聞き流し、明日の9時に着くという事だけをちゃっかり記憶した。 二つ目の資料、引き伸ばされた大き目の写真を値踏みするように眺め、ふんふんと一人うなずいて封筒の中にしまい、テーブルの上に封筒を無造作に放り投げる。 すると何を思ったかソファーに横になってしまう。 「徹夜2日目だし部屋に戻るのめんどいから明日の朝までここで寝る」 すぐさままぶたを閉じるともう夢の世界のようだ。 まぁこの後は誰もこの部屋を訪れる予定はないから良いだろう。 風邪をひかれては困るので部屋の設定温度を2度上げ、自分の上着を掛けてやるとフィクサーは再び自分の席に戻り作業を進めた。 ワルシャワシェルターに潜伏している諜報員に指示を出し、使い捨ての傭兵をディスパーチに手配する。 演習等で意図的に紛失もしくは破損した事になっている兵器の在庫を確認して各部隊の能力に合わせて最適な配備先を割り出す。 問題が起きなければ確実にワルシャワを出し抜ける。 さらに次の一手を考えていると秘書官からの呼び出しが鳴り出した。 「国際リニア公社より連絡が入りました。緊急の要件だそうです」 「わかった。繋いでくれ」 万に一つの可能性を考慮すべきだったか。 しかし今更嘆いた所で仕方があるまい。 「ふぁ〜〜あ……どしたの?」 レンティールがソファーの上でもぞもぞと器用にこちらに向く。 「使者の乗ったリニアが襲撃された。恐らくワルシャワが先手を打ったのだろう、彼らの方が一枚上手だった」 「あ〜あ、どうするの?」 「こちらも何らかの行動を起こさねばなるまい」 「先手を打たれたのに?」 「後手でも勝つ方法はいくらでもある、無論、出遅れた分の損失は避けられないがね」 「てことは……施設は放棄して今までのデータのみ回収で良い?」 「ふむ、最低でもそれぐらいしないと『勝ち』とは言えないだろう」 メガネをかけ直して数秒黙考する。 受話器をとり秘書官へ連絡。 「諜報部に連絡、襲撃者及び使者の行方を捜せ、特にワルシャワから半径100km以内の地下施設並びに軍事施設を念入りに調べるように。あとは調査チームを編成して待機させろ」 「かしこまりましました」 コーヒーを頼んだときと大差のない事務的な返答を聞き流し、さらに考える。 「あ〜代理〜取り込み中悪いですけど『目には目を』じゃないですか?」 なるほど、確かに…… 「私の自由にできる予算は、あとどれぐらいあったかな?」 「さぁ」 「それでは、場所が特定できたら彼らにご登場願うとしよう」 再び作業に戻る。 作成しなければならない書類や目を通しておかなければならない書類はかなりあるのだ。 予定外の事態が起きようとも通常業務をこなさない訳にはいかない。 「じゃあ私はちょっと出てきます」 「そうか…行き先と連絡先を教えてもらえるかな?」 彼女の方に目を向けることなく作業を進めながら問う。 いつもなら打てば響くように答えが返ってくるのだが…… 不思議に思い顔を上げると、彼女は意味も無く手を振り回しながら一言。 「………ト、じゃなくて化粧なおしに…ちょっと」 肩透かしをくらったように少々戸惑いつつもこの部屋の主は「ごゆっくり」と一言だけ言って彼女を送り出した。 多少気まずい雰囲気になったがそれが長く続く事は無いだろう。 そんな余裕はもう残っていないのだから。
第10階層 居住区画 「何でも屋グリーレ」
「この猫で間違いないですね?」 アーシェンスは営業用では無いスマイルで依頼主の女性に確認をとる。 別に依頼主が好きな訳ではなく自分が抱えている黒猫が可愛いので自然と笑みがこぼれるのだ。 「はい、間違いありません。ありがとうございました」 30代半ばのブロンドの女性は即答する。 「ほら、もう迷子になっちゃダメだぞ」 アーシェンスがころころと笑いながら黒猫に説教をして依頼主に渡す。 言葉が通じた訳では無いだろうが「にゃ〜」と猫が一声鳴いた。 「本当にありがとうございました」 最後に礼を言い依頼主は店から出て行った。 あ〜猫って可愛いな〜と思いながら見送り終え振り返ると、ちょうどニック兄が部屋から出てきた。 「ね〜ニック兄ぃ〜お願いがあるんだけ……」 「ダメだ」 お願いを言い終える間も無く即答である。 「まだ何も言ってないのに!」 「何も言わなくても分かる」 怒った様子はないがたんたんとニックは答えるとアーシェンスの存在を無視するかのようにガレージへと向かう。 「そんな事無い!」 「どれだけ騒ごうが猫は飼わないぞ、金が無いからな。文句は?」 「うぅ……無いです………」 さすがにお金の事を出されると口を噤むしかない。 それに、ニック兄は不機嫌そうだ。 いや、間違いなく不機嫌なのだ。 自分を無視する……事は残念ながら珍しいことではないが普段のニック兄なら不毛な論議をもう少し続けてくれる。 今は、コミュニケーションを拒絶されている。 考えられる唯一の理由は兄の機嫌が良くないという事だ。 「文句が無いならドライを呼んで来てくれ、仕事だ」 間違い無い。 兄はすこぶる不機嫌だ。
第1階層 地上行きエレベータ
3機のAGを積んだグリーレ家の中型トレーラーが地上行きエレベータに固定される。 巨大なエレベータは駆動音を静かに響かせながらゆっくりとした速度で上昇していく。 下へ流れていく壁面を眺めながらニックは依頼メールの内容を反芻する。
「依頼内容は次のとおりだ、フランクフルト郊外の軍事施設に捕らわれている使者を回収、さらにその軍事施設で行なわれている研究に関する資料を可能な限り回収し最終的にはその施設を破壊してもらいたい。 尚、その施設には十数機のAGを含む防衛部隊が駐屯しているのでそれ相応の装備で向かってほしい。 諸経費はこちらで負担。回収した資料の質と量により追加報酬を出す」 施設の簡易地図と前払い分の報酬、使者の写真付きプロフィールと共に送られてきたメールの内容は大体そんな感じだ。 普通はこんな仕事は請けないのだが。 そう、例え困窮していてもだ。 十数機のAGを相手にしながら使者と資料の回収、さらに施設の破壊などいくら報酬を積まれても請けたりはしない。 だが、メールの最後の一文がニックを動かした。 「その施設はバイオウエポンの研究を行なっておりDrウォルトも関係している可能性が高い」
−Drウォルト− フリーのマッドサイエンティストでありニックたちを文字通り創った人物である。 すでに高齢だがその研究意欲は衰えておらず、またその技術力は20年先を進んでいるとも言われている。 数々の企業、シェルターが彼を高額な金を出して手に入れるが1,2年のうちに何らかの理由で手放してしまう。 彼の存在はこの世界にとってイレギュラーであり、また彼の創り出した物も同じくイレギュラーである。
ニック・グリーレは、彼に復讐する為だけに生きてきた。 それが、どれほど無意味で無価値だろうとも彼には関係無かった。 彼の失ったものはあまりにも多く、大きかった。 全てがDrウォルトの責任ではないかもしれないが、自分がいなければ、自分が創られなければ死なずに済んだ人間は1人2人ではない。 それに自分を使い捨ての兵器として創った事、自分に意思を持たせた事への怒りと憎しみは未だに消える事は無い。 「見つけ出して叩き潰す。それだけだ」 彼の唇がそう動いたのを、隣に座る2人の妹は見逃さなかった。
何枚目かの隔壁を通過してエレベータは地上へと出た。 あいかわらずの雲が空一面に広がっている。 風はほとんど無く視界は良好。 トレーラーを固定していた合成樹脂の止め具を係りの人間が外し『行け』と合図する。 シェルターの地上構造物はそれほど広くなく、すぐに雪原へ出た。 「これが外、これが空、これが雪、これが世界……」 シェルターの外に初めて出るドライが感嘆の吐息と共に呟いた。 目標の軍事施設は遙か地平線の向こう側。 到着まではしばらく時間がある。 ニック達は無言でトレーラーを自動運転に切り替えてそれぞれの機体の整備・点検に取り掛かった。
第1階層ライプチヒシェルター管理評議会議長室
「いいんですか、あんな嘘で行かせて?」 フィクサーの机に腰を掛けてレンティールがじと目で問う。 「構わんよ、私は『関係している可能性が高い』と書いただけだからな。それに依頼を受けたのは向こうだ。強制はしとらんよ」 わき目も振らずキーボードを叩きながら答える。 「またそんな屁理屈を……ここにAGで乗り込まれても知りませんよ」 「その時は尻尾を巻いて逃げ出すさ、それより後片付け部隊の準備はどうなっている?」 「あと90分で出れますが現場への到着は彼らより少なくとも300分は遅れます」 「まぁそれぐらいか……」 「急がせればもう少し早く着けますが?」 「いや、その必要は無いな」 ピーという電子音が全ての作業を終了した合図として鳴った。 電源を落とし、スーツの上着を着る。 「さて、私はこれから人に会ってくるが君はどうするかね?」 「もちろんついて行きます、代理の護衛も仕事の一つですから。同席は許可があればしますよ」 「ふむ、では誰に会ったかは記録しないという条件で同席を許可しよう」 「記録するなって……いったい誰と会うんですか?」 基本的に代理がいつ誰と接触したかは秘密であるが記録をとる事になっている。 もちろんとらない事もあるが余程まずい相手でなければそういう事はしない。 「『Drウォルト』と呼ばれるマッドサイエンティスト、と言えばわかるかな」 そう言いながらメガネをかける。 いったいこの男は何を企んでいるのだろうか……
生物バイオテクノロジー研究所「トルーク」
かつてドイツの主要空港の一つだったフランクフルト空港は、第三次・第四次世界大戦でヨーロッパの中でも五指に入る大規模空軍基地に変わり、今はワルシャワ・ライプチヒ・バーミンガム・小樽の4つのシェルターによって共同管理される研究施設となっていた。 大規模軍事施設だったため強固な地下施設と自給自足性の高さを兼ね備えており、シェルター内では危険度が高いため行なう事のできない研究を主に行なっている。 毒ガス、細菌兵器、バイオウエポン、そして核兵器…… 人類の醜い部分が集まる場所である。
「ニック兄、まだ気づかれてないみたいだけど吹雪でノイズが酷いよ〜」 元は滑走路だった雪原を3機のAGが施設を目指して匍匐前進している。 ちなみに乗ってきたトレーラーは少し前に雪の中に埋めてきた。 「ソナーのサポートにサーマルセンサーを使え、それで少しはましになるだろう」
アーシェンスのAG「雷花」には四種類の探査装置を搭載してきた。 電波を発信してその反射波で探査するアクティブレーダー 敵から発信された電波を受信してその発信源を割り出すパッシブレーダー 目標やその周辺から放射される赤外線を映像に変換し、温度差を増幅して映し出す赤外線パッシブ方式のサーマルセンサー そして三つのマイクで音を拾いその差から音源の位置を探知するパッシブソナー アクティブレーダーは広範囲を索敵可能だが自機の位置が敵にばれてしまう。 パッシブレーダーは自機の位置は相手にわからないがレーダ波を出していない相手を見つける事はできない。 パッシブ方式サーマルセンサーは自機の位置は相手にわからないが索敵範囲が狭く、また目標が周囲と同じ温度だと索敵できない。 パッシブソナーは自機の位置が相手にわからないことに加え遮蔽物があっても索敵できるが音を出していない(=動いていない)目標を探知する事ができない。 以上のようにそれぞれの短所を補い、また状況にあわせて使うため複数の探査装置を搭載している。
今はソナーをメインで使っていたが吹雪いてきたためノイズが大きくなっているのだ。 アーシェンスが索敵方法を変更し、そのデータを見る。 三機のAGが施設の出入り口を固めている以外に敵の反応は無い。 少なくともここから駆け出し三機のAGを沈めるまでに到着できる兵力は無いと判断して良い。 「しかけるぞ」 ニックの一言でドライの駆る「シュツルムフリューゲル」が背部に搭載された4基のスラスターを最大出力で吹かし、青白い尾を引きながら空中に躍り出る。 かつての赤い翼は、今は天使のそれのように純白の色をしている。 その翼で雪原を舐めるように突進するシュツルムフリューゲルに続きニックの「舞花」もマシンガンを構えながら駆け出す。 さらにその後ろにアーシェンスの「雷花」が耳を澄ませて不足の事態に備えながら続く。 実質「雷花」は直接戦闘に加わらないので兵士の質を同等とみなした場合のランチェスターの法則どおりなら敵機は1機の損害しか出さずに済むのだが…… ニックとドライはランチェスターの法則において弱者(数の少ない方)が取るべき戦術を心得ていた。 すなわち接近戦に持ち込み一騎打ちの状態にする。 こうすれば味方への誤射を恐れて敵は火力の集中も支援もできない。 そもそもニックもアーシェンスもバイオウエポンであり少数対多数の戦闘が前提で教育されている。 戦闘はほんの数秒で片付き、彼らは易々と施設内部へと侵入していった。
施設内部は幸運にも天井が高くAGの活動を妨げはしなかったが、同時にそれは相手もAGを投入できる事を意味していた。 しかし施設内という狭い空間では平凡な大部隊より少数精鋭部隊の方が有利になる。 外の警備部隊を掃討せずにさっさと侵入したのもそのためだ。 「う〜ん」 本日4機目のAGにしこたまマシンガンをぶち込んだ時、ニックはアーシェンスの呟きを聞いた。 「アーシェンス?」 「あ〜さっき使者さんっぽい人が乗ってたように見えたんだけど……」 わざわざAGの首かしげて答える。 「気のせいだろう。こんな場所にいるとは思えん」 どうでもいい事だがごついAGが女の子のしぐさで動くというのは見ていて違和感がある。 「う〜ん、ちょっと見てくる」 雷花が通路を戻っていくのを見ながらマガジンを交換して初弾を装填。AGの残骸を脇に蹴飛ばし前進の準備をしておく。 これから情報と使者をしらみつぶしに探さなければならないのだが、施設内に人影が見当たらない。 適当な人間を捕まえて『丁重に』質問すれば早く終わらせられるのだが。 雷花がなんとなくしょぼくれたように戻ってきた。電動手押し車には何も乗っていなかったそうだ。
しばらく施設内を探索していると通路がT字になっていた。 表示では右に行けば居住施設、左に行けば研究施設となっている。 事前に渡された地図を見て探索の効率を考えると先に左に進んだ方が良いだろう。 「軍事施設にしては警備部隊が素人臭いね」 「傭兵部隊ではないでしょうか?」 アーシェンスとドライの会話も最もだ。もっと効率のいい防衛の仕方はいくらでもある。 指揮系統が奇襲の混乱から回復していないのか? 女の子二人がお喋りを、ニックが考え事をしながら進んでいたため通路の角に潜む『アント』を発見するのが一瞬遅れた。 ハッ!としたドライが自分の機体を相手にぶつけ、勢いで両機とももつれる様に倒れる。 すかさずニックの舞花がマシンガンをぶち込み、事なきを得た。 「どうやら玄人もいるようだな」 苦笑交じりに呟いて集中力を取り戻す。
探索の結果渡されていた使者の写真で彼女が羽織っているコートと全く同じ物が見つかった以外収穫は無し。 通路の行き止まりでバッテリーの交換と弾薬の補給を二人に任せ、ニックは今更ながら後悔していた。 Drウォルトが関係しているとわかっても居場所がわからないのなら意味が無い。 ここの施設を破壊したところでヤツにとっていやがらせにもならないだろう。 それに関係していると言われただけでその証拠は何も無い。 フィクサーに借りはあるが信頼できる相手かと問われれば答えはノーだ。 左腕に多少の痺れを感じる。 「ニック兄〜終わったよ〜」 適当に返事をしながら腕に力をこめて痺れを誤魔化した。 とりあえずすぐさま戦闘に支障が出るほどではないが、シェルターに戻ったら診てもらった方が良いだろう。 居住施設に向かい歩を進める。 「そこの角、AGがいる!!」 アーシェンスが叫んだ瞬間、漆黒のアントが角から飛び出し、低姿勢の状態でマシンガンの銃口をこちらに向ける。 ガガガガガガガガガガガガガ…… 数秒の射撃音と一回の爆発。 舞花のボディーに四散したアントのパーツが当たり乾いた音を立てる。 あと数瞬反応が遅れれば3人のいずれかがアントの用になっていただろう。 「他にいないか?」 数秒の沈黙 平静さはすでに取り戻した。 「あっちで小さい音がした気がするけど……」 通路の先を指差しながら自信なさげに言う。 小さな音、歩兵か?それともAGか? 「センサーをサーマルに切り替えろ。行くぞ」 地図を見ると直線の通路が続いている。 「人、二人いる」 『そこの二人、止まれ。さもないと撃つ』 外部スピーカーを使い英語で警告する。 男と女が一人ずつ。両者とも黄色人種のようだ。 『殺さないで!止まるから!』 女の方が英語で答えた。その直前に男の方に何か言ったように見えたが…… 口の動きがわかるほどにズームする。 今度は男の方が何か言い女の方が答えたようだ。 『所属と名前を言え』 とりあえずお決まりの質問で様子を見る。 『わ、わたしは万象全。小樽シェルター出身。それと竹屋優慈。ここの研究員とその助手で、部屋で休んでいたら爆発の音がして、逃げようとしていたの』 「ニック兄、危険そうなものは持ってないみたい、それと男の人がさっき女の人を『トーカさん』って呼んでた」 センサーで拾った情報を伝える。 『お願い、何も知らないの、どうか助けて』 女の方が手を組みがたがたと震える。 恐怖にゆがんだ顔、日本人としては高めの身長、柔らかそうな髪とその長さ、どれもが使者のデータと一致する。 彼女が双琉冬華であろう事は間違いない。 では一緒にいる男は誰だ? 見た目からそれほど鍛えられてはいないように思えるがリニアを襲撃したメンバーの一人が使者を別の場所に移送しようとしていたとも考えられる。 使者一人ならこちらの身分を明かしてさっさと情報を手に入れて帰るところだがここは慎重にいくか…… 「ねぇ、万象さん」 アーシェンスが日本語で声をかける。 「は、はい」 「万象さんって、ライプチヒシェルターの使者?」 「おい、アーシェンス。一緒にいる男の正体が分からないのに変なこと口走るなよ」 妹が余計な事を言う前に無線で釘をさす。 「な、何のことですか? わたしは何も知りません、助けて」 「あのね、私たち、ライプチヒシェルターから頼まれて、使者と情報を保護するように言われたんだけど」 「おい!どういうつもりだ!やめろ!!」 情報を漏らしすぎだ。 「いいじゃんニック兄、すぐに信じないのも無理はないけどね、証拠代わりにお届け物を届ける人の名前を言うよ。レンティール少尉でしょう。当たり?」 数瞬の沈黙。 「味方ならそうだと最初から言ってよ! 私は双琉冬華、富山シェルターの何でも屋、こっちはさっき説明したとおり、通りすがりの研究員。そっちは?」 とたんに態度が変わったがさっきまでのは演技だったのだからしかたあるまい。 男の方は本当にただの研究員でしかも昨日ここに着たばかりのため聞きだすべき情報は皆無であり、トーカには自分達の事や知っている事を話せる範囲で話したのだが肝心の情報は持っていなかった。 「ありがたいね、ライプチヒシェルター。救助までしてくれるなんて」 恐らくそれはフィクサーが手駒を増やしたいかろくでもない計画のための布石だろう。 慈善事業で使者の救助を依頼してくるような人物ではない。 「トーカ、ひょっとして気づいたのついさっき?」 アーシェンスが機体から這い出て喋り始める。 「そうだけど」 表情にこそ出ていないものの疑わしげにアーシェンスを見ている。 まぁそれも無理の無い事だろう。アーシェンスはどう考えてもAGに乗っているような年齢ではない。 「やっぱり。さっきAGで侵入していた時、トーカっぽいのが電動手押し車にのって、白衣着ていた人たちに運ばれていたのを見た気がしたんだ」 「うぇっ?」 「でも、その時ちょうど警備のアントAGと出会ってね、ニック兄が景気よくマシンガンぶっ放して戦闘になっちゃって。白衣の人たちトーカ見捨てて逃げちゃうし、電動手押し車はブレーキかけてなかったから勝手にどっか行って見失うし、あの後見てみたら手押し車には何もいなかったから放っておいたんだけど、やっぱりトーカだったの?」 「お前なぁ……周りもよく調べておけよ」 「だってニック兄が『こんな場所にいるとは思えん』って言うからそういうもんかな〜?って」 「いや、まぁそれは確かにそう言ったが……」 「ほら!ニック兄が悪い〜」
しばらく口論した後二人を雷花の背中にしょって調査資料の探索を再開する。 「ニック氏、今度敵と会ったとき、敵を無力化できない? 分からない事がいくつもあるから、情報収集をしたいのよ」 しばらく単調な探索活動をしているとトーカの声が機内に響いた。 確かにしらみつぶしでは非効率的過ぎる。 「あぁ。というかもともとそうする予定だった」 情報を持っていそうな敵が出てくれば。と心の中で付け足す。 舞花の左腕には内蔵型のワイヤーガンがある。 上手く使えばAGを無傷で奪うことも可能だ。 「了解」 しかし、敵が少なすぎる。 陽動だと思われたのだろうか。 この施設で最も重要なものを警備するために多くの部隊を割いていて、迎撃にまわせる兵力が少ないというのがこの状況を説明する普通の解だろうが…… そうなると敵がいない場所に重要なもの、例えば今探している調査資料などは存在しない。 守るべきものは一箇所に固まっていた方が兵力を集中できる。 持ち運び可能な重要なものを持ち運び不可能な重要なもののある場所に移動すれば…… 「ニック兄、次の角にAG、一機」 「ドライ、生け捕るぞ。先に仕掛けろ」 「はい」 その機体を生け捕ろうと思った理由は特に無い。 あえて理由をつけるならば一機だけでいた事だろう。 ドライの先制攻撃に対し恐ろしい速度で反応したものの、そこから先の動きは狭い通路という事もあり限られた。 ただのアントかと思ったが視認したAGはアントの後継機、最新型AG「マンティス」だった。 ワイヤーを絡めて降伏勧告を終えるまでたったの19秒、アーシェンスとドライに周辺警戒を任せ情報を聞き出す。 幸いな事にそのAGのパイロットはペラペラと情報を話した。 基地内は混乱しており指揮系統の回復はおろか新たな指示すら無く、他の部隊とも連絡が取れない。 最重要施設の場所とそこに自分たちの探している調査資料があること。 この施設を警備している駐留部隊の数と装備。 自分はすぐ金に換えられそうなものを奪って逃げ出すところだった。 などなど。 その他いくつか質問をし、アーシェンスと連絡を取って次へ進もうとしたところ冬華が割り込んでくる。 「まってニック、なんで私を誘拐したのかも聞いて」 「分かった」 幸いにもどうやらこの捕虜は冬華を誘拐したメンバーの一人だったらしく話は早かった。 「その資料を持った使者は、同時に人工筋肉の被試験者でもあったそうだ。具体的な構造を知りたくて資料だけではなく当人もほしかったらしい」 「あん?」 もちろん冬華は人工筋肉を内蔵していない。 「わたしは代理の使者で、人工筋肉を埋め込まれていた当の本人は星になったんだって!」 「俺もそう聞いていたが、彼らは聞いていなかったそうだ。それに薬物が充満したリニアモーター内で銃を撃てるくらいなのだから、何かしらの改造が加わっていると判断したらしい。確かに特徴は違うが……」 「わたしがあそこでエネボを撃てたのは、単に訓練の差だ!」 ニックの言葉を遮る形で冬華が叫びアーシェンスの機体のバックパックから出てきた。 何をするかと思えば捕縛したAGによじ登りパイロットを引きずり出して搭乗してしまった。 プロフィールの記述の中にAGの操縦経験は「あり」となっていたが実力の程はいかがなものか? しかし戦力差が大きく猫の手も借りたいのは事実だ。 「ニック、こっちは準備が出来た。その最重要基地へ殴りこもう」 悩んでいると準備を終えた冬華から通信が入った。 「……貴方もか?」 「当たり前でしょ』 どうやらダメだと言っても無駄らしい。 「トーカ、もう一度言うが、捜索に参加してもいいけどここでは俺の命令には絶対に従ってもらうぞ」 「了解、分かっている」 アーシェンス機に搭載しているマッピング機能を使い目標の場所を確認する。 時間が惜しいので通路の隔壁を破壊して外に出る。 幸いな事にまだ吹雪いていた。 「すごいな、これが外か」 冬華の呟きを通信機は正確に拾いニックの耳へと届けた。 この世界に住むものが始めて外に出た時の反応はこんなものか。 「実際にその基地に潜入したら、どういう手順で資料書を取り戻すつもり? もし戦闘が起こったら?」 「ああ、それはもう決めてある。外からアーシェンス機で警戒しながら探索する。その後俺とドライで潜入、後続にトーカとアーシェンスが続く。侵入したらまず……」 「ごめん、聞こえない。もっと大きな声で」 「何だって? 通信機の調子が悪いのか?」 少なくとも冬華機からの通信は問題無い。 自機からも通信パルスは発信されており冬華機間との通信が確保されている事を示している。 「トーカ、応答しろ。どうした?」 「……ノイズだ」 かろうじて聞き取れる、呻き声のような冬華の声。 「トーカ?」 「ニック兄、なんだかおかしくない? やっぱりこのマンティス何かおかしな仕掛けがしてあったんじゃないの!?」 「でも、センサーには何も反応はありませんでしたよ」 アーシェンスとドライが不安げな声を上げる。 「あなたは、誰……」 そう聞こえた。それを最後に通信機は何の音もこちらに伝えはしなかった。 周囲を警戒するように隊列を組み替えしばらく黙考する。 「ドライ、ウィルスチェックプログラムは正常に走ったな?」 「はい、BADのOSもFCSのプログラム領域も全て問題ありませんでした」 当然だ、あの臆病な軍崩れのパイロットにウィルスチェックプログラムを巧妙にすり抜けるような複雑なプログラムを持っているはずが無い。 「アーシェンス、外に出てからのデータを解析しろ。ノイズに偽装したハッキングもありえる」 「うん、わかった」 実際にその可能性はほとんど無い、あと考えられるのは戦闘恐怖症などの精神的なダメージだが…… 外に出ただけで戦闘はしていないことからその可能性も低い。 「アーシェンス、ドライ、そのマンティスから離れろ」 つい先ほど施設の隔壁を破壊したマシンガンを冬華機に向ける。 「ニック兄!何するの!!」 「トーカは俺達がライプチヒシェルターからの迎だと知っている。だから処理する」 セイフティを解除する。 「そんなのダメだよ。どうしてそんなことするの!?」 射線を遮るようにアーシェンスが自分の機体を動かした。 「そういう契約だ」 「トーカは喋らないよ。絶対喋らない!」 「どんな拷問にも耐える頑強な意思を持っていても、自白剤を半リットルも胃袋に流し込まれれば人は喋る。永遠の苦しみと共にな。そして死ぬ。これなら一瞬だ、苦しむ暇も無い。トーカのためだ、退け」 「そんなのトーカのためじゃないよ!ニック兄が仕事をやりやすくするためだよ!!」 「いい加減にしろアーシェンス! それじゃあその機体をお前が引きずって行くか? その結果がどうなるか少し考えればわかるだろう、ペースは乱れて戦力は一機減って、おまけに荷物を守りながら戦わなければならない! 全滅するぞ、誰も生き残らない。トーカも竹屋もドライもお前も。トーカは自分の意思でAGに乗ったんだ、こういうことも当然覚悟の上だ」 これでも言う事を聞かなければ実力行使しかない。 ひどく嫌な気分だが全滅するよりはマシだ。 「発言してもいいですか?」 今まで沈黙に徹していたドライが口を開く。 「なんだ」 アーシェンスの漏らすわずかな嗚咽が通信機を通して聞こえる。 「ひとまずトーカさんはこのままにして資料を探しませんか? トーカさんの機体は死んでいるようですし、それに敵戦力のほとんどは私たちへ向かうでしょう。それにこれだけ吹雪いていますからこの機体が発見されるのはかなり遅くなるはずです。資料を奪ってから一人は雪上車を取りに行き、残りの二人がここに来てトーカさんを回収して合流すれば一番ですし、仮にここに戻れない場合トーカさんが気がつけば背中に括ってある装甲車で逃げられますし、気がつかなければ凍死か餓死するでしょうから機密は守れます」 随分希望的観測が含まれているがこの辺が落とし所だろう。 ここで言い合っている時間は無い。 「アーシェンス、それで良いか?」 「……うん」 「忘れるな、俺たちは普通の人間より強いが無敵じゃない、なんでも思い通りにはいかないからな」 「うん」 「バッテリーの残量を確認しろ、問題無ければ行くぞ」 気まずい雰囲気をすこしでも無くすため怒鳴るようにニックが言うと、三機は再び雪原を進み始めた。
ライプチヒシェルター第7階層居住区画
センター街のはずれ、薄汚れたどこにでもある共通規格のビルの一室に五人の人影があった。 一組のソファーに青年と老人が向かい合って座り、青年のそばには女性が一人、老人の座るソファーの後ろには少年と少女が立っていた。 「先日はずいぶん手酷くやられてしまいましてね。おかげでまた閉鎖区画が増えてしまいましたよ」 青年がまず口を開いた。 「ふん、シェルターの耐久年数はとっくの昔に過ぎておるんだ。わしの責任ではない」 青年が肩をすくめるゼスチャーで答える。 「まぁ別に損害賠償の請求に来たわけではありませんし」 「ならこの老いぼれを始末しに来たのかな?」 「冗談がお上手ですね。私はビジネスの話をしに来ただけです。もし仮にあなたを始末するならもっと人を連れてきていますよ」 「ほう? ビジネスか、わしに利のあるビジネスなら聞こうじゃないか」 「ところでそちらの二人はあなたの『新作』ですか?」 「ビジネスの話ではなかったのかね?」 老人が鋭い眼光を放つ。 「これは失礼しました。ほんの興味本位ですよ」 「ふん、まぁいい話を聞こう」 「簡単に言ってしまえば我々はあなたの頭脳をお借りしたいのですよ。さっきあなたがおっしゃったようにシェルターは長く持ちませんからね。我々の必要なものを開発して頂きたい。その代わりに我々はあなたが研究している『それら』の研究を黙認し、必要な物資を合法非合法に係わらず提供いたします。まぁその過程で得られるデータや技術についてはこちらにも提供していただければありがたいですが強制はしません。どうでしょう?」 老人はやれやれといった感じで首を横に振る。 「話にならんな。君たちの注文の品を開発する間はわしの研究が進まない」 「そうですか……わかりました。それでは失礼いたします」 青年はソファーから立ち上がり一礼するとジャケットから拳銃を取り出し、流れるような動作で老人の眉間をポイントした。 青年が引き金にかけた指に力を込めようとすると、少年と少女が予備動作無くソファーの背もたれを掴んだ片手一本の腕力のみで射線を遮るように躍り出た。 「フィーア、フュンフ」 老人はただ二人の名前を呼んだだけだったが、二人はすぐに元の位置へ戻った。 「なるほど、四番と五番ですか。やはりあなたの頭脳は素晴らしい。私の計画に参加していただけませんかね?」 「貴様は何者だ?」 青年の問いに老人は問いで返した。 青年の奥底の知れない不気味さを老人は恐れたのかもしれない。 「私はライプチヒシェルター代表代理のフィクサー・ヴィートですよ。Drウォルト」 「わかった、詳しい話を聞こう。お互い身を滅ぼす結果にならなければ良いがね」 「えぇ、全く」 青年の差し出した手を老人は震える手で握り返した。
生物バイオテクノロジー研究所「トルーク」
冬華を置き去りにし、隔壁をハッキングと力技でこじ開けて施設内に再侵入したグリーレ兄妹は何の歓迎も受けないという異常事態に遭遇していた。 AGはおろか警備員の姿すら無い。 隠れているわけではない、本当にいないのだ。 隔壁をこじ開けるのに思った以上に時間がかかり、警備部隊が殺到していてもおかしくなかったのに。 「ニック兄」 「どうした?」 「その先の部屋、暖かい」 暖かい、つまり人がいたということだ。 「ドライ」 「はい」 ドライのシュツルムフリューゲルが前進してその部屋を覗き込む。 瞬間、ドライが「ひっ」と息を呑む音が通信機越しに聞こえた。 AGが十分活動できる広大なフィールドに続く位置にあるその部屋の中は、巨大な培養層を始めとする各種の機材が高い天井近くまで詰まれていた。 そして、そこにいた、いや、そこにあったモノはかつて人だったモノ。 恐らくAGが飛び込んできて暴れたのだろう。 機材は破壊され、人は、踏み潰されたもの、殴り飛ばされたもの、引き千切られたもの、機材の間に挟まっているもの。 白衣を自らの血液で朱に染めて横たわる研究者だったもの、後から駆けつけた警備員らしき体格の良いもの。 だが、人の形を完全に保っているものは一つも無かった。 そこにあったのは血と脂と……人体を構成するパーツばかりだった。 床も壁も天井すらも朱に染めた犯人の、その巨大な朱色の足跡は奥のフィールドへと続いていた。
ヴゥアン シュツルムフリューゲルからの映像に目を奪われていたため、そのAG独特の駆動音を聞いた時にすぐに反応ができなかった。 「ドライ!!」 フィールドからの射撃はシュツルムフリューゲルを僅かにかすめて背後の壁に着弾。 しかし、シュツルムフリューゲルはその場に立ち尽くしたままだった。 「くそ! アーシェンス援護射撃!!」 今の射撃は奇襲をかけるためにロックオン無しで行われた狙撃だ、第二射は確実に命中する。 ニックは自分の機体をダッシュさせシュツルムフリューゲルに抱きつくと血だらけの床をすべり機材の隙間に機体を隠した。 ドライとの画像付き通信回線を開く。 思ったとおりそこには目の焦点が合わぬまま虚空を見つめ、何事か呟きながら小刻みに震えている少女の姿があった。 「ドライ! しっかりしろ。俺の顔を見ろ。わかるな? 大丈夫だ、さぁ立て」 敵とアーシェンスの撃ち合いが始まる。 敵は装備をライフルからマシンガンに変えたようだ。 ドライはショック状態、あるいは戦争神経症の類に近いのかもしれない。 13歳程度の少女にあの光景はショックが大きいだろう、まして数ヶ月前までは機械的に、命令されるがままに人の命を奪ってきたバイオウエポンであり、最近は人の心に触れて、自らの心「人の心になりかけている心」を持つようになったそれにどれだけのダメージを与えた事か。 だが、現状でニックが欲しているのは他でもないバイオウエポンとしてのドライである。 また、そうでなければ生き残れない。 「ニック兄! 早く!」 レーダーに目をやると敵機がこちらを狙える場所に移動しようとしているのがわかった。 さらにそこはアーシェンスの位置から射撃ができない。 敵機の射撃が機材に当たり兆弾し、転がっていた人間の頭だったものを弾き飛ばす。 ニックは決断を下した。 迷っていては二人とも死ぬ。 「ドライ、『命令』だ、戦列に復帰しろ」 それはバイオウエポンにとって絶対の言葉。 「はい、マスター」 ドライの応答は以前のそれと同じように機械的になった。 だがそれは諸刃の剣、少女の心が危うい均衡を保っていられる間に終わらせなければ心が壊れる。 少女の心、彼女の感じている全ての感情を、命令という鎖が無理矢理押さえつけている。 少女の体は今もわずかに震えていた。
「アーシェンス! お前は少し距離をとれ、急軌道は竹屋が耐えられん」 「わかってる!」 とは言っても竹屋氏には無数の青あざと肋骨の一、二本は覚悟してもらいたい。 コンテナに緩衝材は入っているが気休め程度にしかならないだろう。 どうやら敵機はバスタービーのようだ。 重AGのため重火器の反動を質量で押さえ込み正確な射撃が可能。 戦闘は障害物が適度に置かれたフィールド内に移っていた。 グリーレ兄妹の機体は相互にデータリンクシステムを備えており、いずれかの機体が敵機を捕らえていれば他の機体からもロックできる。 例えば敵機が自機の背後にいても他の機体が敵を捕捉していれば攻撃できるのだ。 にもかかわらず敵機は巧妙に動きこちらのロックオンをかわす。 アーシェンスに距離をとらせたもう一つの意味は、離れた位置から敵機を補足してもらうためである。 三対一、勝てないはずは無い。 しかし相手はこちらの攻撃を驚異的な反応速度で見極めている。 バスタービーの機動力の限界もあり完全な回避ではなく致命傷を避けるように動いているので敵機のダメージは増している。だが、ただの人間ができる芸当ではない。 ワイヤーガンで電撃を何度か見舞ったが当たり場所が悪いのか対策がほどこされているのか、複合装甲の表面を焼くだけで効果が無い。 時折敵機から狂ったような笑い声が聞こえるが…… 瞬間信じられないものを目にする。 ドライの操るシュツルムフリューゲルが不用意に遮蔽物から身を乗り出した。 何をしている! と叫ぼうとした時ドライの意図を察した。 敵機がチャンスとばかりに右脚部と右肩部に装備されたミサイルを発射する。 左腕の感触を確かめる。大丈夫だ、痺れは無い。 シュツルムフリューゲルは殺到する15発のミサイルに対しチャフとフレアーを発射し自身はバックパックの飛行用ブースターを点火し天井近くまで一気に上昇。 ミサイルはチャフとフレアーを目標と誤認し近接信管を作動させ火球と化した。 その光と轟音を隠れ蓑にしてニックの舞花が躍り出る。 もう旧式となりつつある機体だがニックの失った右腕を補って余りあるその巨人の手足は、獲物を狩るためにマックスパワーで躍動する。 近距離戦闘向きの舞花が圧倒的有利な、遠距離船向きのバスタービーが圧倒的に不利な間合いに地を這うように踊り込むと左腕のワイヤーガンを射出する。 左腕を巧みに動かしワイヤーの軌道を修正してやると狙い違わず左脚部の三連装ミサイルポッドに絡みつく。 と同時にアーシェンスとドライからの支援射撃が敵機を捕らえる。 三人とも勝利を確信した。 だがバスタービーは驚異的な反応速度と瞬発力で舞花に体当たりを仕掛けてきた。 恐らくバスタービーはリミッターを外したのだろう。あるいは最初からリミッターなど無かったのか。ニックが電撃を放つ前にバスタービーの拳が舞花の頭部を殴りつけた。 AGの拳というのは様々な武器を扱うための精密部品の塊だ。 一発殴っただけでもう武器を持つことはできないだろう。 もんどりうって倒れた舞花はコンクリートの床を十数メートル滑って障害物用のコンクリートブロックに衝突して止まった。 立ち上がろうとしてバランスを崩す。 自分の三半規管がおかしいのか、あるいはAGのバランサーがおかしいのか。 アーシェンスの雷花から送られてきている映像を見て自分の現状がわかった。 敵のバスタービーに盾にされている。 襟首に当たる位置を片手で押さえられ身動きが取れないのだ。 しかもそこは唯一の搭乗口で、そこを押さえられれば操縦者は機体の外に出られない。 おかげで睨み合いになっている。 「……ニック兄! ニック兄!! 大丈夫なの!?」 どうやら殴られた衝撃で麻痺していた聴覚が回復したらしい。 「大丈夫だ、予備のバッテリーはまだあったな?」 「え? 予備のバッテリー? うん、まだあるよ」 「そうか、わかった……」 コンソールに赤い雫が落ちる。 何処か出血しているようだが痛覚の反応が鈍くわからない。 「アッハハハハ、へっへっへ」 バスタービーのパイロットが笑っている。 ニックにはその笑いが何を意味するか理解できた。 一機ずつ血祭りに上げてやるからお前は特等席で見物していな。 そういうことだ。 バッテリー残量の85%をワイヤーガンのコンデンサーへ、他は最低電力モードへ切り替える。 「アーシェンス、ランスを装備して遮蔽物に潜め。ドライはこいつをアーシェンスの潜む場所まで誘導しろ。ランスで俺の機体を掴んでいる腕を切り落としたら二人ともすぐに遮蔽物に身を隠せ。それで終わりだ、その後は俺に任せろ」
「ニック兄……わかった」 兄は諦めていない、大丈夫。きっとみんなで家に帰れる。 「竹屋さん。結構揺れるけど我慢してね」 「あぁ、頼んだよ」 アーシェンスはライフルをしまうとランスを取り出して身を隠した。 今のところドライは上手くこちらに誘導している。 落ち着け、落ち着け。 昨日の猫の捕獲と同じだ。 あのバスタービーは反応速度が速いからランスを振り上げてから振り下ろしたのでは避けられるか、最悪ニック兄を盾にされてしまう。 突きだ。 バスタービーの方が背が高いけどランスの長さは十分にあるから舞花に当たらないようにさえすればやれる。 ギュっと目を閉じ再び開く。 目の前をシュツルムフリューゲルが横切りそれを追ってくるバスタービーが目の前に……
来た!
予備動作無しで突き出されたランスによってバスタービーの左腕の肘はほとんど切り裂かれ、舞花の重量を支えきれなくなって千切れた。 アーシェンスは突きの勢いを殺さずそのまま離脱する。 だが、自由を取り戻した舞花が走り出したところでバスタービーがマシンガンを撃つ。 火線が舞花の左足から右腕にかけて斜めに横切り、そのうちのいくつかが命中する。 バランスを崩し倒れながらもニックはワイヤーが未だにバスタービーの左脚部のミサイルポッドに絡み付いているのを確認して電撃を放った。 ミサイルポッドに紫電が走り、爆発した。 予定より距離が近かったため舞花は爆圧でさらに地面を一回転して止まった。 ドライがとどめを刺すべく遮蔽物から飛び出した時にはあたり一面白色の煙に覆われてしまっていた。 「発煙弾で逃げたか」 そう呟くとニックは意識を失った。
ライプチヒシェルターに向かう雪上車内
行きより人数の増えた車内は消毒用アルコールと湿布薬の臭いが充満していた。 グリーレ兄妹三人が前列のシートに座り、後席に竹屋と冬華が納まっている。 ニックは頭部と腹部に切り傷と全身打撲、湿布と消毒液で治療できる程度だ。最も全身を強く打っているので精密検査が必要だ。 冬華は手や腕に切り傷を拵えていた、その内のいくつかは結構深いが縫うほどではなさそうだ。本人曰くAG内で暴れたらしい。 竹屋は幸運にも全身打撲だけですんでいた。コンテナ内に散乱していた雑多な物から身を守るために弾薬ケースの中にコンテナの緩衝材をナイフで剥ぎ取ってそれを詰めて入っていたのだと言う。それが幸いしたのだろう。 竹屋は弁償すると言ったがニックは「依頼主に必要経費として払わせる」と断った。 ドライは元に戻っていた。だが一連の出来事の記憶はあるらしく青白い顔をしている。 精神的なダメージは大きかっただろうがそれでも心を失わなかった。 「ご迷惑をお掛けしました」とニックに謝ったがニックは何も言わずドライを抱きしめて、その柔らかな黒髪を手で梳いてやった。 ドライは泣くのをこらえていたがアーシェンスが「泣いても良いんだよ」と声をかけるとニックの胸に額を押し付けて声を殺して泣いた。 やがて泣き疲れたのか押さえ込んだ嗚咽は静かな寝息へと変わった。 アーシェンスは皆の応急手当てを終え、ドライが眠ったのを確認して「じゃあ私も寝るね」と言うが早いかニックの肩を枕にして電池が切れたように眠ってしまった。 ニックの舞花は恐らくスクラップにするしかないだろう。 三機のうちで最も旧式の機体だったのがせめてもの救いか。 フィクサーに新しいAGを用意させられるかどうか、新しいAGは何が良いだろうかなどと考えているうちにニックも眠りに落ちた。 「冬華さん。どうしましょう、前の三人寝ちゃったみたいですけど?」 「そうだね、わたしも寝るからあとは任せた」 「え、そ、そんな無茶な!」 「大丈夫、ライプチヒまであと何時間かかるかわからないけどちょっと居眠りするくらいの時間はあるから」 「いや、そういうことじゃなくて!」 「しー、静かに」 「あ、ごめん」 「少しは命の恩人を信じなさいよ。彼らだってプロなんだから私たちが寝ていようと歌っていようと踊っていようとちゃんとシェルターまで連れてってくれるから」 「そうか、そうだな」 「そ、じゃあお休み」 そう言いながら冬華は目を閉じてしまう。 竹屋にはそれが本当に眠っているようにも、眠っているふりをしているようにも見えたが、やがてどちらでも良いことだと思うことにして自分も眠ろうとした。 しかし雪上車は駆動音も揺れも大きいため結局は眠れなかったのだが……
外の吹雪は少し弱くなり、雪原を雪上車は様々な思いを乗せて進んで行く。 その幾許かの時間が、彼らの安息の時。 歯車は軋み、不協和音を奏でながら回る。 運命の日は確実に近づいていた。 仕組まれた歯車は世界を再生する。 いや、世界を再生するため、歯車は仕組まれ続けた。 回り続ける歯車は、もう誰にも止められない大きなものを動かしている。
|