壊れたラルスが生きている世界

3話

 玉の中で蝶が暴れている。
「駄目だよぉ、えおってば。」
 しかし、子供は意に介さず、ラルスに微笑みかけた。微笑みかえすと、ラルスは子供を抱き上げた。
「ねえ、どういう風に食べられたい? 生きたままがいい? それとも殺してからの方がいい?」
「う……。」
 子供は無表情になった。
「ねえねえ、どっちがいいの?」
 揺すってみたが反応がない。「どうしたのかなあ……?」
「その子供は考えごとをしている時に、無表情、無反応になってしまう。だから、今は何を言っても無駄だ。」
 オレンジがかった金髪の男が現れた。耳が横に長いだけなので、最初は特徴のない種族かと思ったが、よく見ると、先が変に曲がった群青色の尻尾が揺れている。その形からすると猫のようだ。
「へえー、そうなんだ。」
 ラルスは面白い子供だなあと思いながら、猫を見た。「……うーん、僕ね、あなたに会ったことがある気がするんだけど、思い出せないんだ。あなたは僕を知らないかなあ?」
「知らない。お前ほど特徴のある兎に会ったことがあるなら、即座に思い出せるだろう。お前は壊れているから。」
 壊れている者は、障碍のある者と同様、雰囲気で分かってしまう。門番達がラルスに気味悪そうな視線を向けたのも、ラルスが子供を知的障碍者ではないかと推測したのもそのせいだ。
「そうかな……。その時は壊れていなかったとか。」
「顔に傷がなかったかもしれないな。それなら、すぐには気づけないか。」
 猫は彼を見ている。思い出してくれているようなので、ラルスは嬉しくなった。しかし、「……やはり分からない。」
「そっか。ま、いいか。」
 ラルスは子供を見たが、彼は無表情のままだ。「まだ考え中なんだ……。」
 猫が軽く溜息をついた。彼は、子供をラルスの前から掻っ攫うと、ズボンと下着を脱がせ、むき出しになったお尻を叩き出した。
「えお、命を大切にしろと、あれほど言っておいただろう? いい加減にしろ。死んでなんになる?」
 子供は最初、無反応だった。しかし、痛みで声を上げて泣き出した。それは特徴のある泣き声で、ラルスはこの子はやっぱり障碍があると思った。
 お尻の痛みで維持できなくなったらしく、蝶の周りの玉が消えた。
「やっと出てこられた……。でも、シーネラルってばすぐに叩くんだから……。えおが可哀想だよー。」
「シーネラル……。ねえ、蝶々さん、その猫さん、シーネラルっていう名前なの?」
「そうだけど……。俺の名前はペテルだから。別に覚えなくてもいいけど。なんか、あんたは怖いし。」
 ペテルは警戒しているようだった。壊れた者相手なら当然だとラルスは思ったが……。「えおを食べないでよ。またそういうことをしそうになったら、俺があんたを殺すから覚えておけよ。怖くたってやってやる。」
 いい大人に見えるのに、なぜかペテルは子供のようにみえる。意図的に子供っぽい振る舞いをしている自分と違って、彼は中身が本当に子供のようだ。
「僕は、そのえおって子に頼まれたから食べようとしたんだけど……。そりゃ、その子は美味しそうだけどさ、だからって、嫌がってる人が居るのに食べないよ。」
 ラルスの言葉をペテルは疑わしそうな顔で聞いていた。最初から居合わせたのに、何でこんな反応なんだろうとラルスは思った。やっぱり中身は本当に幼児化しているようだ。何でなのかな、ラルスは不思議に思った。


 シーネラルがえおのお尻を叩いている。えおがごめんなさいを言わないので、許すつもりはないらしい。
「やっと、シーネラルさんのことを思い出した。」
 ラルスが呟くと、シーネラルがこっちを向いた。「僕達が会った時、僕ねえ、まだ子供だったんだ。だから、シーネラルさんは僕のことを覚えていなかったんだよ。」
「そうか……。」
 思い出そうとしてくれた割には薄い反応なので、ラルスはちょっと面白くなかった。どういう状況で会ったのか、訊いてくれるかと思ったのに。
「あーっ、シーネラルったらまた武夫ちゃんを叩いてるしーっ。もう、あんたは何ですぐに手を上げるわけぇ?」
 幽霊の少女が大きな声を上げながらやってきた。シーネラルが彼女を見た。
「えおがこの兎に食べてくれと言ったからだ。」
「武夫ちゃんてば……、困った子だねえ。」
 幽霊の少女はがっくりと肩を落とした。
「うわっ、ザン様そっくり。」
 ラルスの声にその少女がこちらを向いた。彼女の目が真ん丸くなる。
「うっわー……。すっごい兎。耳は半分しかないし、顔が傷だらけ。目蓋が窪んでるってことは目ん玉がねえんだよなあ……。何で隠さねえ……。ちったあ、外見を気にしろよな。」
「……君さ、さっきまでもっと女の子らしい喋り方をしていなかったっけ?」
「地が出ただけ。これでも母親だから、気ぃ使ってんのよ。」
「……ふーん……。で、なんでザン様と似てるの?」
「あたしが知るわけないじゃん。ただ、人間の中には、妖怪と似てる奴が結構居るらしいのよ。だから、あたしが特別なわけじゃないってことだけは確か。あ、ちなみに皆名前も一緒よ。あたしの名前もザンだから。」
「へー、そうなんだ。」
 ラルスは目の前の少女を眺めた。よく見ると、第二者ザンとは細かい違いがある。背はこっちが低いし、髪も長い。人間だから当然耳は尖っていないし、角も尾もない。それに、第二者ザンは妖怪だから若く見えるだけだが、こっちは本当に若い。子供がいる歳に見えないのは、自分が人間の年齢を知らないからか?
「じゃ、今度はこっちの質問に答えなさいよ。何でその窪んだ目蓋を隠さないの?」
「隠す必要がないから。僕、別に困ってないもん。」
「そのぶりっ子みたいな語尾は何よ。その外見で言わないでよ。怖気が走るわ。」
 ザンはくさした後、ラルスの顔を見て顔をしかめた。「シーネラルの手も気味悪いけど、あんたの顔は正視に耐えかねるねえ。うーん、喧嘩は好きだけど、所詮あたしは平和に生きたってことか……。」
「何言ってるの?」
「いや、だからさ、戦争なんかが当たり前の国なら、身体障碍者なんてごろごろいるわけだ。人間は妖怪と違って脆いからね。でも、わたしは、平和な日本でそれなりに幸福に育ったから、あんたやシーネラルを気持ち悪いと思ってしまうってことよ。」
「うーん、成る程。でも……シーネラルさんの手……?」
 ラルスはシーネラルを見た。お仕置きがやっと終わったようで、武夫がペテルに抱かれているのを眺めている。「あっ、思い出した。義手なんだっけ。でも、別に気持ち悪くないよ?」
「だってあれ、ただの義手じゃないじゃん。義手の先に生の指が3つ付いてるんだよ。血が通ってないから、触られると死体みたいに冷たいし、色も悪いわ。人間なら腐るけど、妖怪は死んでも腐らないんだよね……。分解する生物がいないんだなあ、妖魔界は。妖怪は死んでも土に還れないんだね……。」
「幽霊なのに温度を感じるんだ。」
 ラルスの言葉にザンが怒る。
「人の話を聞いてるわけ!?」
「ご免ね。ただ、妖怪は触れる霊体になっても、あくまで幻だから温度は感じないんだ。だから、気になっちゃった。えへ。」
 ラルスは舌を出して微笑んだ。今度のザンは気味悪がらずに冷静に言った。
「……あんたさあ、装ってるだけなんだね。気づいているかは知らないけど、演技が嘘臭いよ。」
「……僕にも事情があるからね。」
 壊れたラルスが答えた。「普段は本当の自分を隠さないと、生きていくのが大変なの。」
「その喋り方は天然みたいだねぇ。ま、いいけど。……あたし自身も温度は感じないよ。でも、武夫を通して色々と感じられるから。あの子、知能と引き換えに不思議な力を手に入れたらしくて、色々出来るんだよ。魔力が当たり前の妖怪でさえ驚く不思議なことを。」
「うん。ペテルだっけ……? あの蝶々を透明な玉に閉じ込めていたよ。」
「手品というかマジックみたいだねえ。大人になったら手品師にさせるかな……。食い扶持を稼ぐ当てが出来たかも。」
 ザンがうんうんと頷いている。ラルスは微笑んで彼女を見た後、ふと自分がどうしてここにいるかを思い出し、トゥーリナの部屋へ向かって歩き出した。



08年9月11日
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