9月27日・・・この日は朝から忙しい一日でした。八王子市に新しく南大沢駅前郵便局が開局するので、そこに自転車で行き、そのついでに八王子市などを数局回ったあと自転車で大学へ直行、5時頃まで大学にいてそれから家に帰り、急いで夕食のとり五目を作りながら今夜からの旅行の下準備。そのまま取る物も取りあえず竹芝埠頭に直行しました。到着は9時20分(出向は10時ちょうど)。もう大島に向かう船は泊まっていました。この目で見るとでかい船です。
今回の放浪の一番の目的は大島・利島・新島・式根島・神津島の郵便局を制覇すること。そして島の中を存分に歩き回ること。さらには野宿して、夕食を一人寂しく自炊することでした。夜、船内で取りあえず明朝のためのライ麦パンを一枚食べ、船室のカーペットの上で睡眠態勢に入りましたが、酒を飲んで騒いでいる人たちがいてなかなか寝付けませんでした。それでもいつのまにか眠りに入っていたようです。
9月28日・・・3時頃目が覚め、少し船内が寒かったので、長袖を羽織ってまた寝ました。5時頃、大島に定刻に、岡田港に到着すると放送がありました(この船は、天気に支障がないときはいつも岡田港に泊まるそうです)。この港からだと北東部の泉津郵便局から反時計回りに回って南部の波浮港郵便局まで一気に回れるので、ラッキーでした。
5時28分、岡田港到着。店はみんな閉っていたので、一路泉津に向かいます。大島一周道路に出てしばらく歩くと立派な橋とトンネルがくねくねした旧道に代わって真っ直ぐ延びていました。トンネルや橋の名前や長さは、2本の橋の間にあるヨウゴシ岬展望台にある説明板に載っています。この道は時速40キロ制限だそうですが、誰か40キロ以下で走る人はいるのかな?(ちなみに島を走っている車は品川ナンバーでした。)岡田港から一周道路に上がった時点で「泉津 4km」とありましたが、この道路のおかげで実際は2kmくらいになっているのではないかと思います。
港から50分ほどで泉津郵便局を発見。6時45分。9時まで待たなければならないのでラジオのお世話になりました。そして小型コンロを広げてチキンラーメンを作りました。泉津には「飲料水専用。物を洗わないでください」という蛇口までありました。すばらしい。それから郵便局の前まで移動すると、郵便局の局員の方は8時50分に局舎を開けてくれました。中には「11ぴきのねこ」の作者の描いた猫の絵の色紙、そして有森裕子の写真とサインが飾ってありました。有森裕子も来た泉津郵便局と言うわけです。
貯金をし終わるといよいよ郵便局を目指すための「歩く旅」の始まりです。ここからは順に岡田 → 大島北の山 → 大島 → 野増 → 差木地 → 波浮港と巡りました。大島郵便局と野増郵便局の間の道で4円00銭切手を拾ったのですが、何故??途中野増郵便局の15メートル手前に、3分の2くらい残って後は崩れている「元郵」を発見しました。また、途中に「クダッチ」という地名がありましたが、何のことかと思えば「下地」のことらしい。波浮港郵便局に着いたのは2時50分でした。この郵便局は実際の港からは少し離れた所にあるのですが、途中の見張らし台から見えた波浮港は岡田港や元町港とは違い、漁船が並んでいて漁港の趣きでした。貯金した後、郵便局のすぐ近くのバス停に元町行きのバスがうまい具合いに来たので、それに乗って元町(大島郵便局の近く)まで戻りました。
元町港は岡田港よりはずっときれいなところで、昼間の船はこの港から出港するので東京や伊豆地方に向かう人でにぎわっていました。自分は最終の船を見送った後、野宿地である岡田港に向かいました。歩いて1時間半で岡田港に到着。ここの待合室は普段は閉っているらしいのですが、この日はなぜか開いていました。とりあえずこの日買った茄子と豆腐、挽き肉と持ってきた豆板醤で麻婆茄子豆腐を作り、餅と一緒に食べました。薄暗い中でやることがないのですぐに寝ようとしましたがなかなか寝付けません。虫にさされたのがかゆく、しかもゴキブリが結構いて、大変でした。
9月29日・・・4時頃売り場の人が来て、電気がつきました。それからしばらくは、朝一の船でやってくる客を待つタクシーの運転手と話をしていました。そのあと船に乗り込む前に、途中で買ったチョコフレークを一緒に食べるために牛乳を探したけれどなかったので、そのまま乗り込みました。朝御飯はチョコフレークと水。次の目的地の神津島には9時40分着。この島では1時間しか時間がないので急いで郵便局に向かいましたが、少し離れている上荷物が重いので、途中でザックを置いて走って高台にある郵便局(写真)に行き、また走って戻ってきました。あと小さな土産物屋で小魚のおやつを買い、船に乗り込みました。神津島でしたことはこれだけで、折り返しの船で次の目的地の新島に向かいました。
新島に降り立ち、港から30分で新島局に付きました。郵便局の近くにあったパン屋でカレーパンを買いささやかな昼食にしたあと、新島にもうひとつある若郷郵便局を目指して歩き始めました。道は2車線で整備されていて、歩道もちゃんとあります。途中トンネルに入ろうとする時に警察の方に呼び止められ、不審そうに「どこに行くの?若郷にはキャンプ場はないよ」と言われましたが、郵便局に行くことを説明すると、以前にも同じような人がいたのか、納得。そして港から若郷まで無料バスが走っていることもその時教えてもらいました。またさらにしばらく歩いていると、親切な方が車に乗せていってくれました。というわけで、2時すぎには若郷局に到着(写真は若郷地区)。夕食の肉ピーマン炒めの材料を買って、もうやることがないのでまた港方面に向かってとぼとぼ歩いていると、また別の親切な方が車に乗せてくれて、無料で入れる風呂があるという事で、「勤労福祉会館」まで直接連れていってくれました。ここは17時から風呂に入れます。天気が心配なので18時半まで会館にいたあと、海岸沿いでこの日買った肉と前日大島で買ったピーマンで炒めものを作り、餅3個、納豆とともに夕食としました。この日は新島港の近くの観光案内所の軒下で寝ることにし、しばらくは霧雨の中ラジオ深夜便を聞いていました。
9月30日・・・一時間に一回のペースで目を冷ましながら、5時に起床しました。朝食はチキンラーメン。次の目的地式根島に行くには東海汽船の他に村営船に乗るという手もありましたが、値段を考えて東海汽船にしました。前日タラップに波が打っていたのとはうってかわって波は穏やかでした。と言うことで船に乗り、すぐに到着。式根島局には9時前に着きました。式根島は狭いのですぐに反対側に着いてしまいます。港と反対側の海岸にあったキャンプ場にはキャンプをしていた人がいました。その人によると、利島では野宿は絶対にできないということだったので、予定を変更してこの日は大島に泊まり、翌日利島に上陸することにしました。というわけで式根島から船で大島に向かいます。
大島には定刻よりも早く着いたので、東海汽船は乗客に大島で途中下車して土産物を買うのを許可していました。自分はここで降り、港の近くのスーパーで牛肉と豚肉を買って、この日の夕食のカレーの準備をしたあと、明日の出港地である岡田港に再び向かいます。一周道路を通って直接行くには時間が早かったので、海岸沿いの道をずっと歩きながらラジオを聞いていました。(ちなみにこの日のラジオは東海村の放射能漏れの事故のニュース一色でした。)しばらく行ったあと内陸に入り、空港を尻目に歩いていくと、「←大島灯台」という看板が目に入ったので、流れるまま灯台に向かいました。15分ほど登って到着しましたが、無人で、蜘蛛の巣が張っていました。さらに歩いて、岡田港に着いたのは17時半。2日前にはここでもう一泊するとは考えてもいませんでした。この日は待合室は閉っていました。カレーを作り、餅と一緒に夕食にしました。港には、魚を取るのか、車が引っ切り無しに出入りしていました。ラジオでは中日優勝の瞬間を報じ、また放射能漏れのニュースを報じていました。
10月1日・・・朝4時半に起床すると待合室はすでに開いていました。中にあったテレビのニュースを見ると、どうも東海村は大変なことになっているようでした。船は大島を6時に出港し、7時過ぎに利島に到着。波は少し荒れていて、無事に到着できたのはラッキーでした。上陸するとすぐに警察の人に「キャンプの人か」と尋ねられました。利島にはキャンプ場はなく、やはり夜営は禁止とのことでした。港で前日のカレーの残りを朝食にします。カレーは5人分で、この日の昼もカレーにするつもりでしたが、2食でなくなってしまいました。
出港までにはかなり時間があるので、朝食のあと利島をぶらぶらと散策します。村役場では簡単な展示を行っていました。また途中で、傾斜15%という標識を見かけてしまいました。集落をぐるっと回って、今回の旅行の最終目的地である利島郵便局には10時05分に到着。そのあと農協に行くと、農協では一通りの生活必需品を売っていました。利島に行ってわかったことは、大島や新島、式根島、神津島は観光にも力を入れているのに対して、利島は完全に生活の島であるということでした。港に戻り、チキンラーメンと農協で買った梨を昼食にしました。そして12時50分、帰りの船は無事接岸しました。ここで自分は船に乗り込み、4日間お世話になった伊豆諸島に別れを告げたのでした。