東京興譲館寮・上杉記念室掲額(第8代宇佐美洵会長筆)

東京興譲館

藩学興譲館は米沢中興の英主上杉鷹山公が安永五年(1728)藩の指導者育成の為俊英20人を選び寄宿させて塾教育を実施された施設である。その学風は長幼の序を守り館内においては家柄身分の上下にかかわりなく年齢をもって席次を定め先生に対しては父に対する如く長者に対しては親に対する如く礼譲を第一としひたすら学問を究め人格を磨くことにつとめたのである。

興譲とは譲に興るとよみ譲に興るとは恭遜の道を修行することなりと言い その出典は大學の『家仁一国興仁一家譲一国興譲』からである譲とはゆずると読む 譲とは単なる妥協ではない 打算的の結論でもない素直な人問の自然道であり共存の道である 実に人生生立の根本義である。本館はこの藩学興譲館建学の精神を採り入れ杜団法人米沢有為会の育英事業の一環として建設の寄宿舎である。

 

沿革

明治25年以来寄宿舎建設の議が起きていたが 資金の関係でその機を得なかったまま 同29年上杉家乃興譲館財団の好意ある出資を得て 同42年2月28日小石川の高台に百余坪の寄宿舎を完成したのがはじまりである。昭和5年採光の問題により同敷地内の西方に移築し 同9年本会は118坪購入上杉家より466坪の土地を借用(あとに御寄付)して 同10月西大久保に2階建212坪の寄宿舎を建てた。これが同20年4月25日の空襲により焼失したので 同24年もとの場所に再建したが 同41年その土地建物を東京都に売却して此処に近代的に建築して移転したのである。

 

昭和44年8月

杜団法人米沢有為会創立80周年記念

 

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