Bill Bruford






あらためて、この人が歩んできた経歴(グル−プ)と音楽性には驚かされる!
70年代を活躍してたプログレッシヴグル−プを代表するイエス、キング・クリムゾン、ジェネシスに在籍してただけでも驚きだし、決してひとつのグル−プに甘んじることなく、安住の地よりもよりハイレベルの音楽性をここまで追求してきたドラマ−がいただろうか?
暫くのジャズ活動後、還暦間際になり、ライヴ活動に事実上終止符を打ったのは何とも残念でならない。

ジャズ好きの姉の影響で、幼少の頃からジャズに興味を持ち、子供の頃はLPレコードのジャケットをスネア・ドラムの代わりにしてブラシで叩いて、ジャズのレコードの演奏にリズムを合わせて遊んでいた。

プロとしての活動はイギリスのバンド、サヴォイ・ブラウンのツアーで始まる。
しかし、バンドはすぐに解体し、ギャラも支払われることもなく終わっている。

その後、音楽誌「メロディ・メーカー」のメンバー募集の広告を出していたジョン・アンダーソン、クリス・スクワイアと連絡を取り、イエスに迎えられることとなった。
彼によると、イエスをジャズ・バンドだと思って加入したそうである。
一度はイエスの抜けて大学に通うが、イエスに復帰し、デビュー・アルバム『イエス・ファースト・アルバム』(1969年)を録音し、多くのライヴ活動をイギリス各地で行なっている。
その後のイエスのアルバム『時間と言葉)』(1970年)、『イエス・サード・アルバム』(1971年)、『こわれも)』(1972年)、『危機』(1972年)でドラマーを務めた。
この時期はイエスにとって、いわゆる「黄金時代」とされている時期であり、その中でビル・ブラッフォードはポリリズムを駆使した彼独特のプレイスタイルを存分に聴かせている。

『危機』の発表後にイエスを脱退し、キング・クリムゾンに加入。
スタジオアルバムでは『太陽と戦慄』(1973年)、『暗黒の世界』(1974年)、『レッド』(1974年)に参加した。こちらではイエスの構築美とは対照的に激しい即興演奏の妙味を聴かせている。

キング・クリムゾン解散後は、カンタベリージャズロックの代表ナショナル・ヘルスやゴング、そしてフィル・コリンズの要請でジェネシスのツアーメンバーなどのセッション活動を経て、クリムゾンの同僚、ジョン・ウェットンとともに1978年にスーパー・バンドといわれたU.K.を結成。
アルバム1枚でU.K.を脱退し、翌1979年にU.K.の同僚で元ライフタイム、ソフトマシーンのギタリスト、アラン・ホールズワースや元ナショナル・ヘルスのデイブ・スチュワートとともに自身のバンドであるブラッフォードを結成した。
ベースにはナショナル・ヘルスの同僚だったニール・マーレイが当初に参加していたが、その後に名手ジェフ・バーリンが米国から参加した。
しかし、アルバム『One of a Kind』発表後のツアーを終えるとホールズワースは脱退し、新たなギタリスト、ジョン・クラークが加入して、1枚のスタジオ録音アルバムとライブ・アルバムを発表するものの、バンドは1980年に活動を停止した。

1981年に、再結成されたキング・クリムゾンに参加。
最先端のエレクトリック・ドラム「シモンズ」を使ったポリリズムが話題となった。
再結成キング・クリムゾンが3枚のアルバムを発表後に再び活動停止状態となると、ジャズ・ロックの分野での活動にシフト。
元イエスのパトリック・モラーツとのデュオは話題となり 渡辺貞夫がプロデュースのジャズイベントで来日公演をした。

1986年に自身のジャズ・バンドであるアースワークスを結成。
当時の最先端楽器だったエレクトリック・ドラムをジャズでも自在に操る奏者としても名を馳せた。

これと並行して1989年には実質的なイエスの再結成バンドであるアンダーソン・ブラッフォード・ウェイクマン・ハウに参加し、1991年には再々結成したイエスのツアーに参加したが、短期間で再び脱退。

1994年にはダブルトリオとして再編成されたキング・クリムゾンに参加した。ロバート・フリップとの見解の相違から、1997年にキング・クリムゾンを脱退し、ソロ活動一本に絞った。

自身のプロジェクトでもプログレ系ミュージシャンを多数起用しており、彼抜きにプログレは語れないといえるほどの存在感を示したが近年はロックミュージックからは距離を置いた活動に重きを置いており、自身が中心となるコンテンポラリージャズのバンド「Bill Bruford's Earthworks」(1980年代に活動した同名のバンドとはメンバー構成が異なる)のリーダーとしても精力的に活動している。
また、渡辺香津美の『Spice of Life』と続編の『Spice of Life TOO』のレコーディング及びツアーに、ジェフ・バーリンと共に参加(続編のツアー時はバーリンに代わってバニー・ブルネルが参加)するなど、ジャズ・フュージョン分野での活動も行っている。

2009年、還暦を過ぎた事から「ライブ活動からの引退」を宣言し、現在は表立った活動をしていない。
彼自身の言によると、ローディーやマネージャーを雇わず、ツアーに伴う航空機のチケット手配に至るまですべての仕事を自分一人で行う主義の為、負担が大きく演奏活動は60歳までと考えていたという。



お勧め作品 (フュ−ジョン ジャズ)



Music For Piano & Drums / Bill Bruford & Patrick Moraz

ブラッフォ−ドもモラッツも共にイエス出身者ではあるのですが、同グル−プで共にプレ−した時期こそありませんが、お互いジャズにハ−トをもつ共通的からか、生ドラムに生ピアノというシンプルなデュオアルバムを作成しました。
普通ならばこういう企画も退屈な音になりがちですが、才能豊かな二人だからこそ聴けるス−パ−プレ−に全てを許してしまいます。



スパイス・オブ・ライフ / 渡辺香津美

日本のス−パ−ギタリスト渡辺香津美が中心となったユニットで、何とドラムがビル.ブラッフォ−ド、ベ−スがジェフ.バ−リンという協力リズム隊!
このメンバ−がそのまま来日公演を行ない、DVDとしてもリリ−スされている。
渡辺香津美に刺激されてか、ブラッフォ−ドのドラミンクもいつになくテンション高く、はりきっていらっしゃいます(^^)



All Heaven Broke Loose / Bill Bruford's Earthworks

ブラッフォ−ドのジャズユニット(ア−スワ−クス)がエレクトリックなことをやってた時期で、’91年の来日記念アルバムとなった作品。
エレクトリックドラム(シモンズ)の可能性を最大限引き出すブラッフォ−ドのプレ−が冴え渡ります。
この頃のブラッフォ−ドは、イエス(ABW&H)のロックと並行して、このア−スワ−クスでもプレ-してました。



Sound Of Surprise / Bill Bruford's Earthworks

Part And Yet Apart / Bill Bruford's Earthworks

上記二枚は21世紀になって再結成されたア−スワ−クスのスタジオアルバムで、以前のエレクトリックな音ではなく、サックス、ピアノ、ウッドベ−ス、そしてブラッフォ−ドも生トラムを叩くという完全なるジャズユニットです。
音だけ聴いてると、「これが本当にロック出身者のドラマ−なのか!?」と疑いたくなるような素晴らしいジャズドラムを演奏してます。



Footloose And Fanc Free / Bill Bruford's Earthworks

上記のスタジオアルバムをリリ−ス後、録音されたライヴアルバムで、ブラッフォ−ドのドラムが本当の意味で開花したと言ってもいいでしょう!
この頃から、もうブラッフォ−ドはロックとは決別し、昔から本当にやりたかったジャズ一本に絞ったようです。