ベ−ト−ベン






 ル−トヴィヒ.ヴァン.ベ−ト−ベン
     (1770年〜1827年)

ドイツが生んだ偉大な作曲家である。
ハイドン・モーツァルトと並ぶウィーン古典派を代表する大作曲家であり、代表作は交響曲第三番(英雄)・第五番(運命)・第六番(田園)・第九番(合唱つき)、「荘厳ミサ曲」、ピアノ協奏曲「皇帝」、ピアノ-ソナタ「熱情」など数知れない!

作曲家としての名声を高めつつあった彼であるが、30歳を迎える少し前から致命傷である聴覚に異常を感じるようになった!
彼は1人で思い詰め、悩み、一時は絶望のあまり遺書まで残したほどで、その遺書は彼の死後に発見された。
だが、自殺まで考えるまで追い詰められていたにもかかわらず、あれだけの名曲を作り上げてしまう彼はまさに天才だった!
彼の頭の中には既に楽譜が刻まれていたのだ。
耳が不自由でありながら、自分の心の中に響いてくる音を譜面に書きとめ、交響曲「英雄」や「運命」など、生命力にあふれた力作を次々と世に送り出して行ったのだ!

ベ−ト−ベンは若い頃から真剣な恋愛を何度か体験し、その一部は彼の死後に発見された宛名不明の「不滅の恋人への手紙」にも見ることができるが、望んでいた結婚もできず、生涯独身を過ごした。
1827年3月26日、ウィ−ンで56歳の生涯を閉じたが、あらゆる分野に残された彼の作品は、古典派の音楽を頂点にまで導くとともに、次に来るロマン派への道を切り開き、またそこには彼の思想や人生観が深く刻み込まれている。


彼は、ヴァイオリン.ソナタやピアノ.ソナタ、ロマンスや「エリ−ゼのために」等を代表する小品、そして幾つもの交響曲を世に送り出しているが、ここではその交響曲を順を追って簡単にご紹介しよう♪


 

交響曲
                                    
                                  
                                   


交響曲第1番 ハ長調 作品21
第1楽章 Adagio molto - Allegro con brio
第2楽章 Andante cantabile con moto
第3楽章 Menuetto. Allegro molto e vivace
第4楽章 Adagio - Allegro molto e vivace

ベ−ト−ベンはかなりの年齢になってから最初の交響曲を「最初の調性」であるハ長調で作曲した(1800年)時、しかし、実際には何も完成されていなかった。
一般的には、この交響曲第1番は後の交響曲に対する尺度として見られてしまっているようだ!



交響曲第2番 ニ長調 作品36
第1楽章 Adagio - Allegro con brio
第2楽章 Larghetto
第3楽章 Scherzo. Allegro
第4楽章 Allegro molto

交響曲第2番は内的緊張感に満ちていると同時に広大で且つ力強い印象を呈している。
構造はより一層頑固なものとなっているように思われる。
とりわれリズムやメトリック上の対照が緊迫さを増している。



交響曲第3番 変ホ長調 作品55<英雄>
第1楽章 Allegro con brio
第2楽章 Marcia funebre. Adagio assai
第3楽章 Scherzo. Allegro vivace
第4楽章 Finale. Allegro molto

交響曲第1番から第2番への歩みを直線的なものと考えることができるとしても、もはやこの印象は交響曲第3番によってぬぐい去られてしまう。
この作品の成立は第2番からさほど時を経ていない1803年に作曲され、最終的には遅くても翌1804年初頭には完成されていた。
英雄的な人間の記念という全体構想への挑戦であったかもしれない。



交響曲第4番 変ロ長調 作品60
第1楽章 Adagio - Allegro vivace
第2楽章 Adagio
第3楽章 Allegro vivace
第4楽章 Allegro ma non troppo

1806年に非常に短い期間で完成された交響曲第4番はひとつの古典派的なものへの回帰を示している。



交響曲第5番 ハ短調 作品67<運命>
第1楽章 Allegro con brio
第2楽章 Andante con moto
第3楽章 Allegro
第4楽章 Allegro

交響曲第5番はある面において交響曲第4番と好対照をなしている。
作品成立時期は1804年から1808年の間。
この作品は事実上はベ−ト−ベンの最も小規模な交響曲の一つであるにも拘らず、一般的には「巨大的」ベ−ト−ベン像と結び付けられる傾向がある。
第1楽章冒頭の4つの音からなる不朽のモニュメンタ−ルな動機音形が何かをほのめかしているようだ!



交響曲第6番 ヘ長調 作品68<田園>
第1楽章 Allegro ma non troppo
第2楽章 Andante molto mosso
第3楽章 Allegro
第4楽章 Allegro
第5楽章 Allegertto

ベ−ト−ベンは田園交響曲によって新しい領域へと入っていった。
大自然の中に滞在したことが、その作品創造にとって非常に重要な意味を持つ最初の偉大な作曲家はベ−ト−ベンだった!



交響曲第7番 イ長調 作品92
第1楽章 Poco sostenuto - Vivace
第2楽章 Allegretto
第3楽章 Presto
第4楽章 Allegro con brio

ベ−ト−ベンは1811年から翌12年にかけて作曲した交響曲第7番について、「私の最高傑作のひとつである。」と語っている。
交響曲第7番は既にベ−ト−ベンの生前から人気が高かった作品で、とりわけ第2楽章 Allegretto はその初演時にアンコ−ル演奏しなければならないほどであった。(本コ−ナ−のバックミュ−ジック)



交響曲第8番 ヘ長調 作品93
第1楽章 Allegro vivace e con brio
第2楽章 Allegretto scherzando
第3楽章 Tempo di Menuetto
第4楽章 Allegro vivace

交響曲第8番は第7番と違って、ベ−ト−ベン自身によって「小」交響曲と呼ばれた。
交響曲第4番と同様にこの作品は、ウィ−ン古典派音楽と共通する土台の上に立っており、ベ−ト−ベンとハイドンとの精神的近親性を示している。



交響曲第9番 ニ短調 作品125<合唱>
第1楽章 Allegro ma non troppo, un poco maestoso
第2楽章 Molto vivace
第3楽章 Adagio molto e cantabile
第4楽章 Presto

晩年(1922年から24年)の作品で、この第9番はこれに先行するあらゆる交響曲の総和である。またこの作品は最後のものとして性格、最終決定であり包括であるという符号を示している。


                      「その交響曲言語」(シュテファン.クンツェ)の一部を引用



私が小学生の頃、初めて音楽の時間に習ったクラシックの作曲家がベ−ト−ベンであったような気がする。
その音楽室には何人もの作曲家の肖像画が並べられていた!
バッハ、シュ−ベルト、メンデルスゾ−ン、モーツァルト等など!
そして、その中に神経質そうなベ−ト−ベンの肖像画も。
その時に聞かされた音楽の教師の話によると、ベ−ト−ベンの肖像画は当時から幾つも無かったそうだ!
何時間もの間、肖像画を描くために椅子に座っているその間にも、頭の中に曲が描き出されて、じっと椅子に座ってられなかったからだそうだ!?

バッハとベ−ト−ベンの2人に影響されたロックミュ−ジシャンは多いだろう!
ギタリストやキ−ボ−ディストにとって、クラシックの要素は不可欠であるし、特にプログレッシヴロックの名盤と呼ばれるアルバムを聴くと、バッハやベ−ト−ベンから影響されたであろうフレ−ズやアレンジが此処彼処に見受けられる。
クラシックだけではない! あらゆるジャンルにおいて影響を与えた作曲家なのだ!