傍にいるって言ったじゃない

「傍にいるって、言ったじゃない」

「…」

ステージ内に沈黙が降りる。
つと、セットの外から、アーチの声がした。

「隆、台詞は?」
「あ、俺だっけ」

「カット!」

監督の声が響く。しまった、本番中だったっけ…。

「龍君、どうしたんだ? 何か、調子が悪そうだが…」
「あ、いや・・・。すみません・・・」

その言葉、嫌いなんだ。

母親が出て行く前、そう言って、親父を責めてた。
今考えると、親父とお袋の間でのもめ事じゃなくて、俺たちと親父の間柄の話だった気がする。

それが元で、何かが起こったような記憶もあるけど・・・。
何だったか、覚えていない。

おふくろは元々、あんまり俺らの事、気にしてなかった。

正直、接する時間が短くても、親父の方が好きだった。
おふくろが姿消しても、何とも思わなかったし。

俺は、落ち着く為に、水を飲んだ。


その水が、赤く染まっていた様な気がして、思わずコップを投げ捨ててしまった。

「隆?」

アーチの声で、我に返る。
あの日の、あの色は、いくら脳裏から拭っても、拭い取れない。
気を抜くと、いつでもあの色は俺の視界を浸食する。

「あ、いや・・・すまん・・・」

紙コップを片付け、もう一度テーブルについて、深呼吸した。

「疲れたんなら、このシーン、後撮りにするけど」

監督が、そう言ってくれた。

「二時間だけ、休ませて下さい・・・」
「分かった。じゃ、龍君のいない、シーン75から・・・」

スタッフは、慌ただしくスタンバイをする。

「龍、大丈夫か?」

共演の沖田雅人さんが、おしぼりを持って来てくれた。

「ん・・・、大丈夫です・・・。一寝入りすれば・・・」


過去は取り戻せない。
あの惨劇の日も、取り戻せない。

俺は机に突っ伏し、首筋にタオルを乗せ、仮眠する事にした。


「今」へと向き直る為に。

「昔」を振り切る為に。


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