視界 ・・・08,07,24某所チャットにて
ある日、大下が署に現れた時、その様子に一同が目をむいた。大下が、左目に眼帯をして現れたからだ。
早速、薫が茶々を入れに行く。開き戸を押して入って来た大下のスーツの脇腹をつついて、しきりに話かけた。
「ね、ね、大下さん、何、喧嘩したの?」
決めつけてきた。大下は、そんな薫に一瞥くれて、ため息をついた。
「ものもらいだよ。何だか、ばい菌入ったみたいで、昨日の朝から。ほら、俺昨日非番だったろ?」
「病院は行ったの?」
「面倒。行く訳ねーじゃん」
大下はひらひら手を振ってそう言うと、どっかと自分の席に座った。背後の広い背中の持ち主は、そんな会話に参加もせずに、英字新聞を読んでいる。
肩越しにちらりとその背中を見て、大下は仕方なく書類を引っ張りだした。
間の悪いことに、すぐさま無線室から良美の声が署内に響き渡った。
「中区山下町東邦銀行横浜支店から緊急通報。銀行強盗発生。犯人は二人組、拳銃を所持」
鷹山は、手早く英字新聞を畳むと、大下の肩を叩いた。
大下はそれに促されるように、すかさず鷹山の後を追う。
犯人は、あっという間に追いつめられ、廃工場へと逃げ込んで行った。そこそこの広さを持つ工場だ。
二人は散開すると、犯人の足取りを追った。
大下が犯人の影を見つけ、背後から忍び寄ろうと歩を進めた。
だが、静まり返った工場が災いした。大下の足音は相手に気取られてしまったのだ。
すぐさま大下の周辺で、銃弾の火花が舞散る。
その音に、遠くでもばたばたと人の気配が動き出していた。
「ちっ」
大下は軽く舌打ちをして、物陰から物陰へと走り出した。
髪を掠めて飛ぶ銃弾に、首をすくめる。物陰に飛び込むと、相手に向かって一発発砲した。
が。
その弾丸は、犯人が隠れている物陰から約50cm離れた鉄骨に火花を散らしてぶちあたった。
「あれ」
どうも、片目だと距離感が掴めない。
大下は、いらだたしく眼帯を乱暴に取り外した。しかし、外しても左目の視界は霞んでいる。
ふうっとため息をつくと、大下は自分の銃の弾倉を確認する。
別の方向で、銃声が響いている。あっちも銃撃戦をやっているみたいだ。
大下は、無線機を取り出して、吉井たちの応援を頼むことにした。
自分のこの視界で、へまやったら、という頭が珍しく働いたのだ。
「一気でいきてぇけどなぁ・・・」
無線機に気を取られたためか。相手の気配が感じられなくなった。
「あれ・・・、まっじぃ?」
向こうの銃撃の音で、こっちの足音は相手に聞こえないが、相手の足音もこっちには聞こえない。
ちょっとした間だった。
間近で、破裂音がし、焼け付く痛みとともに、体が吹っ飛ばされ、床へと叩き付けられた。その弾が飛んで来たであろう方向に、三発本能的に反撃する。
相手に当たったかどうかすら、判断する事が出来なかった。
「くっ・・・ぁ・・・」
叩き付けられた体を無理矢理起こすと、右肩から血がしたたり落ちる。
銃を持つ手は、もう上がらない。
別方向の銃撃は、いつの間にか消えていた。
「タカ・・・、終わったのか・・・?」
その方向から、駆けてくる足音がする。
だが、それを確認する前に、大下は別の方向から加えられた力で、地面に叩き伏せられた。
「ぐぁっ!!」
傷口を上から踏みつけられ、あまりの痛さに、意識が混濁する。
「ユージ!!」
鷹山が見たのは、大下を踏みつけ、銃口を突きつけている男の姿だった。
「拳銃捨てな、刑事さん」
鷹山はぎりっと歯ぎしりをし、その男にぴたりと銃口を向け、対峙した。
「捨てろって言ってるだろ」
後ろから駆けつけてきた吉井と、田中が鷹山の後ろに立つ。
「鷹山」
吉井が、斜め後ろから鷹山に言葉をかけた。
しかし、鷹山は、銃口を向けたまま、微動だにしない。
「捨てるのはお前の方だ」
鷹山は、静かに言った。
「撃ってみろ。お前もあの世に送ってやる」
じりじりした時間が流れる。そんな鷹山の視界に、男の背後へと迫る町田の姿が入った。
町田が、鷹山へと頷き、そっと男の方へと近づく。
後少し。
男の足下でうめいている大下は、鷹山の姿をうつろに見ていた。動かない体に、少し力が戻って来る。
もう少し。
「トオル!!!」
鷹山の声で、男の背後で、町田が派手に音を鳴らした。
男がその方向を見て、重心が僅かに動いた一瞬、大下がその足を左手で掴んで足払いをかけた。
男が体勢を崩した隙を、すかさず、鷹山が飛び込んであっという間に男を組み伏せ、殴り倒す。
「ちょ、先輩っっっ」
何度も殴りつける鷹山を、町田は慌てて止めに入った。
大下は、左手で体を起こし、苦痛に顔を歪める。
「やりすぎ」
と、鷹山に釘を刺すのを忘れずに。
「思った」
「何を」
病院から退院してきた大下は、鷹山にぽそっとそう言った。
「一気のユージは、やっぱり一気に行かないとだめだなと」
「・・・なんだそりゃ」
「丁寧に仕事しようとするから、こんな目に遭うんだ。うん」
妙な納得をしている相棒に、不思議そうな視線を送った鷹山だった。
結局、ものもらい完治は、抜糸と同時ごろだった。
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