越 乃 寒 梅



 私が初めて飲んだ地酒がこれ。

 新潟は石本酒造のかくれなき名酒で、私などが語れるものでもないのだが、そんなわけで思い入れがあるのでひとこと。

 叔父が新潟に住んでおり、人よりほんの少し多くこのお酒を飲む機会に恵まれているが、初めての口にした時が未だに印象に残っている。
 当時私は高校生
(もう時効だからいいだろう)。家でも外でもアルコールは飲まない頃で、当然日本酒の味など分からないはずなのであるが、それでも「おいしさ」を実感するのに十分だったのだ。

 水のように飲めるのである。

 後年、「淡麗水の如し」などのキャッチフレーズを知ることになるが、その時は先入観もなんにもなかったので、余計に感動も深かったのかもしれない。
 さらに幸運だったのは、先代社長の味を飲むことができたということだろう。おそらく先代の方針で酒造りをしていた最後の頃だったらしい。「水の如き」味がきわだっているのである。
 現社長が目指しているのは、「もう少し米の味を生かしたふくらみのあるお酒」のようで、これは好みの問題でどちらが良いとも言えないが、私は最初の体験が強烈に過ぎた。

 もっとも、今のお酒も嫌いというわけではない。これはこれで、おいしくて好きなのだ。やはり「水のように飲める」のだが、あたりまえだが水とは違う。
「味がないようなんだけど、何層もの含み味があるから旨い」とは、叔父の言である。一本調子ではなく、舌に豊かなのである。
 他の淡麗系と飲み比べると、その差が如実に分かる。

 都会では高級酒として知られ、ひと頃ほどでないにしろ一杯に破格の値が付く寒梅であるが、一面、有名になりすぎて名のみが先行しがちであり、蔵元は頭を痛めているらしい。
「地元で晩酌に飲んでもらいたい」という姿勢でいるのだが、人気が徒となり、転売された挙げ句に高値が付いたり、偽酒もあとを絶たないというような記事を見たことがあった。

 飲む方の立場から言うとお気楽な言葉となってしまうが、めげずに地元においしいお酒を供給しつづけていただきたいものである。

2003年6月記