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2007年4月30日Mon.
祝日主婦

世間は大型連休である。
なのにわたくしは、担当業務が月初に集中するため、明日もあさっても出勤せねばならない。
ちなみに、課長はじめ、課員のほとんどは9連休である。いじ。
そんなわけで、中型連休となってしまったので、とりあえず家のことを片づけることにした。
まあ、最初の2日間は、病気でもないのに寝付いていたので、実質ふつうの土日と変わらないのだったが。
しかし今日一日で、布団を干し、通常の洗濯をし、毛布と肌がけとシーツを洗い、洗い残していたセーター類をエマールし、布巾やタオルを漂白し、コンロを掃除し、ヤカンを磨き、シャツのシミを抜き、掃除機をかけ、風呂を洗い、ベランダを掃いたのだ。
あたりまえのことだし、一人前なのでたいした量ではない、のは分かっているのだが。

だれかほめてください。(疲)


2007年4月29日Sun.
4月のつれづれ

またしてもずいぶんサボりました。
てなわけで、まとめ日記。

15日(日)
フリーマーケットやってきました。
今回は晶さんとこもうちも抽選に当たったので、広いスペースで一挙に売りまくることに。幸い隣のブースをもらえたので、トイレ休憩などお店番していただいたあげく、晶さん母上にお昼までごちそうになってしまった。ありがとうございますー。
売れ行きの方は、それなりに大物がはけたのだが、肝心の衣類の方はサッパリだった。どのブースも衣類が山のように積まれているので、どもならん。

21日(日)
実家と実家隣の叔父貴の家を招待して、いなにわうどんバーティーを開催。
佐藤養助のうどんの端切れを大量に買い込んだので、これはひとつ皆様にふるまわねばならんてなことで、つゆを2種類、薬味を5種類くらい用意したのだが、やはりぱーちーともなると、うどんは脇役にならざるを得ないのでした。
実家が用意した刺身や肉じゃがでお腹をくちくして、結局うどんは1回茹でただけ。
ま、また食べたくなったら声かけてくださいな。

22日(日)
FREEDOM3の無料配信を見る。
なんちゅうか、話はありきたりだし、主人公はほぼアホだし。チョウさん顔でサムアップはいかがなものかと思うし。
しかし脚本がつまんなくても、世界観と動画だけで見せてしまうもんなのですねー。ある意味すごいわ。

23日(月)
よーやく書類が全部整い、労災のお金を取りに行く。いやー、しちめんどかった!
しかも病院が、駅は同じでも会社と別の方向にあるので、てくてく歩いて15分くらいかかる。就業後は間に合わないので、会社に行く前に寄っていったのだが、往復で30分ですぜ。
加害者の豹柄女は、どうも私と同じ駅の住人らしい。ま、もうええですけど。
で。病院に行く途中、三菱重工の本社が入っているビルの前を通るのだが、なんとそこのエントランスに、H2AロケットのLE−7Aエンジンが、どーんと展示されているのを発見。
おわ〜。君にはたしか、筑波でお会いしたような。

26日(木)
前課長の送別会と新課長の歓迎会。今の課に正式に移ったってことで、わたくしも歓迎していただきました。
次の日も仕事なので、多少はひかえよう♪ と思っていたのだが、飲み放題メニューで部長にそそのかされ、結局冷酒にいってしまったのだった。
しかし同じマンションの彼女がいるので、酔いつぶれてもだいじょうぶ♪ (←迷惑)

27日(金)
酔いつぶれはしなかったが、少々酒が残り、頭が重い。
この日も飲み会である。またまた同じマンション彼女が一緒だった。というより、彼女たちの飲み会に誘っていただいたのだ。
銀座の焼き鳥屋で炭火で焼いた串に舌つづみ。このころには酒も抜けていたが、さすがに軽めに鍛高譚のロックなどで止めておく。
そうして2次会のあとに、終電ぎりぎりで帰ったのだが、なんとしたことか、山手線が乗客同士のトラブルで遅延し、途中駅から終電車に間に合わなくなってしまった。ひどい。
しかし2人で同じところに帰るわけなので、タクシーも半分こでオッケー。ご近所さんてよいわ。


2007年4月12日Thu.
ヒール

昨日のことである。
出勤途上、電車で足を踏まれた。
それだけならままあることなのだが、一つ問題だったのは、踏んだ女性の履いていた靴が、ピンヒールだったのである。




痛 か っ た 。



ちなみに、ヒョウ柄のパンプスであった。



声も出ないでいる住吉に向かい、一応「すみませエん」 と謝ったものの、その後は気まずくしらんぷりを決め込むことにしたらしい。ま、いいけども。

しかしかなり力をこめて踏まれたので、小山のように腫れあがるわ、擦りむいた表面が気持ち悪いわで。
まあ骨には異常はないだろう、と自己診断して、昨日は部の飲み会に行っちまったのであるが。
応急処置をしてもらった会社の診療所では、「なにかあっても対応できないので、通勤途上災害の申請をしてください」と言われ。今日になってやっと、のたのたと申請書を書き上げたのであった。
不思議なもんで、事故経過を書いていると、なんだか患部がむずかゆくなってくる。
とりあえず定時もそこそこに、労災指定病院でレントゲンを撮ってもらったが、幸い内出血だけのようでした。
これで骨が折れたりしてたら、ほんとの「骨折り損」だよなー。

ちなみに、通勤災害の申請書には、事故の起きた状況の他に、「今後の対策」 などとゆーものを書く欄がある。
どーせいちゅうんじゃ。
とりあえず、「ハイヒールを履いた女性には近寄らない」 と書いておいた。


2007年4月8日Sun.
やなやつ

4月も早や一週間が過ぎ、戦々恐々としていた新課長であるが、なぜかいまのところ、「ものすごく普通」なのだった。
ややクセはあるが、受け答えも普通だし、ちゃんと意味も通るし、ときどきブラックなせりふを吐いてギョっとするのだが、冗談だと思えば思える範囲だし。
ならばしかし、あの前評判の悪さはどうしたことだったのだろう。
同僚たちと、「普通だと思って油断していたら、ある日突然爆発するんではないだろうか」と、また別の緊張感の中にいるのだった。
このままの状態がずーっと続くという保証があれば、安心できるのだが。

しかしまた別に、キッツく見える人も、よくよくつきあってみれば実は気のいい人だった、というパターンもあるわけで。
金曜の晩、そういう一人のキッツいエンジニアさんと、うちの課の女子で飲みに行ったのだった。
コワイ人、という先入観があるので、少々緊張して出かけた私たちであるが、いきなり家族計画のシモーな話で盛り上がり、南極さんだの○体盛りだの、あやしい単語をみんなゲタゲタ笑いながら連呼していたのだった。あんなに笑ったのは久しぶりである。
(つうか、聞こえてた人は、どういう集団だと思っただろう)
「電話だけのおつきあいのときは、ほんとおおおに怖くて、プレッシャーだった」人なのだが、要するにこわもてに出てしまうので、損をするタイプなのである。
そういう面は、ある程度は本人の責任なので、あんまり同情はしないが、新課長もそういうタイプであったということであれば、ちょっとは光明があるかも。


2007年4月1日Sun.
エイプリルな憂鬱

4月である。
いろいろ裏で思惑が交錯した結果、土壇場で私は業務をやっている課に完全に移籍することになった。
やっている仕事は今のまま。3ヵ月かけて独り立ちした業務を、またも引き継ぎし返す必要はなくなったのだ。
が。
今度はその課の課長が異動することになってしまった。
後任には、同じ部の他課の課長がスライドしてくる。

……わたし、課長、6人目ですがな。

兼務だから多いというのもあるが、仕事ベースでだって5人目である。
なんだか、私の上に来る人は、もれなく事業部の外に行ってしまわれている気がする。
異動の貧乏神だったりするのだろうか。

しかし、今度来る課長は、はっきり言って評判が良くない。
いよーに細かくて、いやみたらしくて、「赤い血が通っている感じがしない」とまで一部で言われているのだ。
うちの課の女子は、もう本当にブルーである。
もっともうわさなどどこまで真実か分からないし、実際良いところもあるかもしれないが。
とりあえずは、「住吉さんに期待するから」と言われたのだった。
うまいこと貧乏神が発動するだろうか。