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2006年2月28日Tue.
逃げ月

そんなわけで、2月が逃げてしまう。
職場の机の上に、関連会社の卓上カレンダーが置いてあり、月ごとに年金やら人生設計やらの説教じみた一言が書かれているのだが。
2月のお言葉は、最もリアルかつ味わい深い逸品であった。

取り戻そう 払いすぎた税金 確定申告


2006年2月24日Fri.
化学の話3

と、だらだら続いているが、話はだんだん化学から遠ざかっていっているような。

さてさて。数字や記号が大の苦手な私であるが、実のところ、そういうのは根本的な苦労ではない。わけが分からなくなってんぎゃあああ〜! と頭をかきむしることはあっても、分からなければ調べなければよいのだし、時間をかけて検算すればよいことである。時間がなかったら薄氷を踏むような思いをするが、ま、そうそうあることではない。
問題なのは、数字で表せない部分である。たとえばデータの一部欠損とか、それを問い合わせたら先方で紙ベースが見あたらなかったとか、そもそもどこに問い合わせたらよいのか途方にくれたりとか。そんでもって、難しい依頼がきたときに、かちょーが北とか南とかに行ってしまっていて途方にくれたりとか。そもそもなにが難しいのか分からなくて途方にくれたりとか。他部署とコンセンサスをとらなければいけないけど、信義則なので手加減が分からなくて途方にくれたりとか。それなのに後から齟齬が出て問題になりかけたりとか。やんやん。
ともかく前任者のマニュアルと過去ファイルが頼りなのであるが、この仕事自体がここ数年で急激に立ち上がったような面があり、ストックも数年分しかなければ、要求も年々厳しいものとなっていてそれに対応しきれていない面がある。それでもそのマニュアルやファイルは、まさに宝の山のようなもので、日々それらに顔を埋めつつ、少ない脳みそを絞っているのであるが。
事務処理の引き継ぎを受けた事のある人は、多少覚えがないでもないと思う。過去ファイル、過去事例というものは、そのときの担当者の癖が意外と反映されているものなのである。
ちゃんと手順が決まっているものでさえ、人によって完璧に同じというわけではない。何を残すか、どう整理するか。そのときのメール記録ややりとりメモ。なんとなくグレーだけど、重要ではないのでそのままにしてあるもの。どこをどう見て参考にすればよいのか、なんちゅうかもう、「空気読め! デスよ」byのだめ と言われているようなもんで、物言わぬ書類相手にどうやって読むんデスカ〜! と、最初は泣き言をいいたくなるようなケースがしばしば。これはもう、やっているうちに体で覚えるしかない。
幸いなことに、前任者は丁寧なマニュアルを書き、きちんとファイルを残してくれている。しかし仕事がよくできる彼女も、人間なのでどうしても間違うことがあり、そこでつまづくと「?????」となる。前任者の間違いよりも、私の理解の足らなさの方がはるかに可能性が高いわけで、「うーんうーんうーん」と七転八倒した挙げ句、やっぱりこれは間違いだよな、と多大な時間をかけて確信にいたったりする。それは設計図面や取引先の間違いも同じことである。
それでも前任者には、そんなことを上回っておつりが来るような恩恵を受けているのだった。サッパリした気性で男女問わず人気者だった彼女の後任ということで、周囲のマナザシが好意的で、なにくれと気にかけてくれるのだ。
足を向けては寝られませんですよ。


2006年2月23日Thu.
化学の話2

昨日はあんなことを書いているが、私はツールや基礎研究を軽んじているわけではないので、念のため。

さて、引き続き化学の話である。
私の仕事をもう少しくわしく言うと、データを集め、ブラッシュアップし、調査の依頼があれば提供する、こんなところだ。これだけ見ると、とっても簡単そうである。
ところがこの依頼というやつは、あたりまえだが先方のフォームや精度で出さないといけないので、手持ちのデータをそれ用に加工しなければならない。
一番分かりやすいのが単位である。
たとえばこちらの手元にはg・%で持っているが、先方はmg・ppmでくれろと言ったりする。周知の通りmgはgの千分の一(実は私は忘れていた)、ppmは%の一万分の一なので、その通りの単位で表を埋めていくのだが。
あちゃこちゃから数字をひっぱってくると、途中でわけが分からなくなってくるものなのだ。もちろんmgやppmでもデータとしては持っているが、元の値からずずっとひっぱって割ったりしており、見た目は数値でも実際はセルは数式が入ってたりするので、コピペするのも一手間がいる。

さらに追い打ちをかけるのが、指数、という代物である。
理数系の人は今さらの話でごめんなさい。私この年になるまでこんなものがあるとは知りませんでした。
知らない人には解説。要するに、とても大きかったり、小さかったりする数値を示す表記法である。
たとえば、
1,000,000 を小数点以下二桁の指数で表すと、 1.00E+6 となる。
0.000001 を同様に表すと、1.00E-6 となる。
つまりはゼロが前や後ろに何個付くか、という桁数表記なわけだ。
いま扱っているものは、どちらかというととっても小さい数字が主なわけで、たとえば
0.000000000000314 なーんていうのも、指数で表せば
3.14E-13
で、ほーらスッキリ!

…………なのだが。
2.98E-05/9.45E-07/1.26E-04/3.98E-1/2.54E-07/…
などと並べられても、とっさにはどれが一番多いか少ないか、ちんぷんかんぷんなのである。
いっか、ゼロいっこくらい。-6でも-7でもあんまり変わりあんめえ、と危険な考えがよぎったりする。(←結構危険です)
毎日見続ければ、多少は目が慣れるもんなのだろうか。不安だ。

そして作成にかかる関門は、化学の問題だけではないのだった。


2006年2月22日Wed.
化学の話

中学入学早々、理数系につまづいた住吉にとって、化学=よくわからんものの代名詞であった。
化学式の美しさに感動を覚えないこともなかったが、今も記憶にある化学関係の知識といえば、アセトアルデヒドを加水分解すると酢酸(CH3COOH)になるということくらいだ。
それなのに、なんだかホイホイ化学の職場に入ってしまい、毎日のように元素記号を見ていると、あら不思議。必要に迫られれば覚えるもんなんですねこれが。
今なら何とか、中学レベルの化学のテストで、平均点以上をとれるのではないか。<程度低すぎ

この仕事の前に、メーカーの営業事務をやったときにも思ったが、要するに記号や決まりは言語における文法のようなもので、表や図面を読み解くツールなわけである。このことを20年前にちゃんと理解していれば、あるいは私の人生は違う道だったかもしれない。(どうせろくなもんではないに違いないが)
私の理数科目のレベルの低さを教育だけのせいにするつもりはないが、久しく言われている学生の理数系離れは、ツールだけをまずせっせと教え込もうとするやり方にも問題があるのではないか。
私は日本文学に進んだ。
しかしそれはツールとしての文法を学ぶためではない。八尋の時を超えて受け継がれたことばの美しさに惹かれたからである。 (そりゃ文法に惹かれる人もいるだろうけども)
別に私の例を引かずとも、とりあえず文系に進もうとする人が多いのは、まず伝達ツールとしての日本語を手に入れてしまっていて、その先の目的が見えやすいからでないだろうか。コミュニケーションとはまことに不思議なもので、文法を知らなくとも、自国語くらいは自然に身に付いてしまうものだ。
理系離れを食い止めたいと思うなら、理系の勉強とはツールを学ぶことが目的ではないことを示してみたらいかがか。
たとえば設計図面なりをバーンと与えてしまって、わけのわからん記号や書き込みは、自分で調べさせ、完成品を推理させてみるとか。その過程で成分記号やら数字やらが、目的ではなく手段であることに気づくだろうし、興味も湧くような気がするのだが。どうだろう。

と、自分を基準に考えてみる。


2006年2月20日Mon.
すりりんごもといすりりんぐの日々

今のところに勤め始めて早や2ヶ月。当初は美しく片付いていた机の上もほどよく散乱し、少しは慣れたかしらん〜と思うそばから新たな課題が出てきよる。
前にも少し言ったが、私の業務は主に調査関係である。なかなか人が決まらなかったそうだが、化学の基礎知識はいるわ社内外の調整はあるわで、こりゃ確かに経験がないと苦労するわ、と実感したのだった。ちなみに私は 「実際担当したことはないが、そういう業務があるのを知っている」 という触れ込みでもぐりこんだが、もとよりはったり以外のなにものでもない。当然の帰結として、たいそう苦労しました(笑)。いやもう、未知の領域に手を出すのはいいが、身のほどを知ろうね住吉さん。
しかも上司や前任者の予想より世間のニーズが難しいことになりつつあるらしい上、上司や前任者の予想より上司が忙しくなってしまい、週の半分以上は地方の工場に身柄をとられてしまう始末。
さらに恐るべきことに、この仕事が分かっているのは、課の中では上司と私の二人こっきり、なのだ。
下手を打てば大問題になりかねんポジションですぜ? そりゃどんな仕事だってそうかもしれませんが、こういう状況でホニャホニャした派遣一人で置いといてええかー、ええのんかー!?
そんなわけでまことにすりりんぐな毎日なのである。
今週はスリルに磨きをかけるためか、上司は海外へ旅立ってしまう。メールはつながるから、とはいうものの、ここのところ翌日納期のヘンテコな依頼が来たりしていて、それこそシャーッシャーッとすり下ろされるリンゴの気分を味わうかもしれないのだった。
こんなに身の細る思いをしているというのに、なんで痩せないんだろう♪

答え:飲んじまうからです♪


2006年2月19日Sun.
法事と税務署

昨年亡くなった親戚のおばさんの3回忌であった。

法事は午後だったので、その前に税務署に寄って、確定申告を出してくる。家で申告書を作成できるようになるわ、休日に開いているわで、昔に比べるとまあなんと楽になったことでしょう。
しかし昨年は退職したりなんだりで、分離課税で退職金のも作成しなくてはだし、3箇所からお給料をもらっているし、保険関係もぜーんぶ自分で記入である。フォーマットの自動計算でよかったよほんと。
今度は長期勤めとはいえ、天引きは3月からなので、来年も自分で出さにゃならん。オンライン申告もやってみようかしら。


2006年2月17日Fri.
ハーパー

昨晩、遅まきながら、と課で歓迎会をやってくれた。
異動する人もいるので歓送迎会なのだが、みんな忙しくて、延び延びになっていたのだ。
飲むのが好き…、と一言つぶやいたら、ハーパーのダブルをロックで注文され、調子に乗って3杯空けてきたのだった。
とりあえず、尋常に出勤しました。この程度ならまだなんとか。


2006年2月15日Wed.
目医者の日

仕事を休んで都会の目医者へ。年明けに外来部門が独立し、高層ビルの2フロアで営業することになったので、待合室もひろびろゆったり。以前は椅子が足らなくて立ち待ち客であふれていたのだ。窓からの眺望もなかなかのものである。画像はぼやけ気味であるが。



しかし混雑は相変わらずで、10時半に受付をしたにかかわらず(しかも予約でだ)、終わってそこを出たのが1時過ぎ。診察時間は約3分。
まあ待ち時間に銀行2つ回って郵便局で振込も済ませることができたのでよしとしよう。ぜんぶ歩いて3分以内だから可能だったのだが。ビバ都会。
次は半年後らしい。


2006年2月14日Tue.
ポートエレンを飲んだ

職場の近くのショットバーで、ポートエレン23年を飲んだ。
もう二度と飲めないかもしれん。

※20年前に生産が中止された蒸留所のウイスキーなのである。


2006年2月13日Mon.
暴利んぐ・フォー・バレンタイン

かつてないほど、バレンタインデーに深い怒りを覚えたのだった。

ダレだこんな風習を日本に広めやがったのはようぉラ!


なんで好きでもない人にチョコを配らねばならないのだ、というような単純な話ではない。仕事でお世話になっている人に、多少の感謝の気持ちを伝えるのはよいことではと思うし、別にあげたくないというわけではない。
んだが、当然義理ということがつきまとったりして、そうなると 「ダレにあげてダレにあげない」 とか、「人によってあげるものの配慮」 などという変な問題も発生したりする。
そりゃ私だって、嫌いな人からでなければ義理でももらった方が嬉しいし(酒の方が嬉しいが)、ちょっとしたことで人間関係が多少円滑になるということも心得てはいる。逆に言えば人間関係を多少円滑にするためには、ダレかがムリヤリ作った社会の風潮に乗っかって、あーでもないこーでもないと頭を悩ませなければならないわけで。ああめんどくさい。
こういう思いをしているのは私だけではないようで、昼休みには「子供だけの行事にしてくれればいいのに」と同僚がぼやいてたし、YAHOOニュースでも「OLの7割がチョコレートの受け渡しの習慣がなくなればいいと考えている」 という調査結果が出ていたりする。
そして何が腹立つって、買いに出かけた先の混雑で、実際にくたくたになることだ。あげく、ちょうどよいものがなかなか見つからなくて時間の浪費をするだけだったり。私のアフター5を返してくれ。

あんまり腹がたったので、勢いでスモークサーモンと帆立の刺身を買い込み、叔母に教わったレシピでマリネを作ってワインを飲んだ。
うまかった。


2006年2月12日Sun.
古代史な人々

昨日は叔母が上京してきて、我が家にお泊まり。母も交えて三人でお出かけした後にうちに来てもらったのだ。
夜には川崎市の郡衙(ぐんが)跡に関する講演を聞きに出かけていた父も合流。すかさず父の持ち帰った資料を見ながら、「橘樹郡が…」「笠原使主が…」「弥勒寺遺跡は…」と素で討論し始めるこの人たちってなんなんだろう。
いや私も人のことは言えんが。それにしても玄人はだしの叔母はともかく、父も母も私よりはるかに向こうに行ってしまっているのだが。
そしてモーグルの予選を見ながら眠りに落ち、モーグルの決勝で目覚め、今日はまた母と三人で市が尾あたりの古墳を見にお出かけ。風は冷たかったが良く晴れて日射しが強かったので、車の中は暑いくらいだった。雪国が寒すぎたら、いつでも暖まりに来てくださいまし。

そして昨夜はもう一つ。父が「大人の科学」を組み立てたので、早速点灯してみたのだった。



星空の下で一杯やるのがくせになりそうであった。

ただまあ、やっぱり豆電球1個の光源では、かなり壁に近づけないときれいには投影できないようだ。トイレの中で掲げ持つのが一番気分が出る。それでも2000円の付録でこれだけ贅沢な雰囲気になるのだからすごい。
北極星とオリオンはすぐに分かったが、北斗七星やカシオペアがまだ発見できていない。

業務連絡>晶さん
動いた動いた! 暗黒面だよ師匠!



2006年2月9日Thu.
つらつらと

ちょっと残業続きでヨイヨイである、
のだが、世間では紀子さんご懐妊で多少浮き足だっておるらしい。私も多少思うところはあるのだが、なにしろビール2本のあとにシソ酒をたしなんで本当にヨイヨイなのでコメントは差し控えたい。

どうでもいいが、「そのとき歴史が動いた」で「○○まで××日」というのを聞くにつけ、初代宇宙戦艦ヤマトの「地球滅亡まであと○日」というのを思い出してしまうのだ。見てないけど。
プロデューサーか誰かがそーゆー年代の洗礼を受けているに違いない。
同級生のお父さんは、放映当時 「一週間経ったのに計算が合わないではないか」 とブツブツ言いながらまじめにカウントしてたらしい。ちなみに父の同僚である。たしか。


2006年2月5日Sun.
泣いちゃいそうかも

気温は低かったらしいが、良く晴れて空気も乾いていて、洗濯日和だった。
ので、今日はすぐ乾くだろうな〜、と軽い気分でシーツを洗ったのだが。
干す時に、裾を落として汚してしまったのだった。

これは結構悲しいできごとである。
別にすごくたいへんな事態ではないが、また洗い直しかよ、というそこはかとない徒労感で溜息が出る。
仕方ない。今からならもう一回やり直しても、充分乾くだろう。
気を取り直してホコリの付いたところをすすぎ、脱水してもう一度ベランダへ。

今度は気をつけて、サオに掛けて広げ……、
ばさ。
また落とした。

これはずいぶん悲しいできごとである。
仕方ない。今からならもう一回やり直しても、充分乾くだろう。
気を取り直してホコリの付いたところをすすぎ、脱水してもう一度ベランダへ。

なんだか卒論を思い出した。
私らの時代は、まだまだ手書きが主流で、専用の原稿用紙にペン書きして製本していた。
提出期限に追われながら、万年筆で白いマス目を埋めていく。気は焦るが、修正液を使ってはいけないことになっていた(確か)ので、一字間違えると400字詰め1枚最初からやり直しである。
そしてなぜか、一度間違うと、その原稿用紙から抜け出せない魔の一枚になったりする。
慎重に慎重に写していって、最後の数行、てなところでふと別の字を書いてしまい、「んぎゃお〜!」と叫ぶこともしばしば。
多い時には4〜5枚書き直したのではないだろうか。気力も萎えるラビリンス状態である。

もう何年前だろうかね〜。などと遠い目になりながら今度はちゃんと干し。
そのあと両親が来たりしてお昼を食べた後、さてそろそろ乾いたのを入れるかとベランダに出てみたら。


……………
サオから落ちていた。

風もないし、とズボラして洗濯ばさみを使わなかったのが敗因であった。
自分のせいとはいえ、だいぶん悲しかった。

そのあとまた洗って脱水 (4回目) し、日が陰っても干しておいたら、なんと8割方乾きました。
乾燥注意報かも。



2006年2月1日Wed.
グレてやる byIME

職場のIMEが反抗期だ。
いままでの学習が一斉にリセットされてしまったのかしらんが、おかしな変換ばっかりしおるのだ。しかもその変さ加減が筋金入りなのである。
ざっとこんなもんだ。
添付→奠冨 項羽と劉邦の時代とかにいそうデスが。
対応→泰央 エラそうな感じがしますが。
その他→其田 地名デスか?
不使用→節用 竹っぽいデスが?
依頼→伊礼 頼む時にお礼まで済ませますか。
制限→清源 清原っぽいデスね。
監視→貫之 土佐日記デスか。
ご回答の→五回東野 ケーゴくんを5回読むなら受けて立ちましょう。
以上→居城→伊塲 次にキーを押して異常で終了したらどうしようかと思いました。
確認させていただきたいことが→確認させて頂タイ子利賀 もおどおでもいいです。

信じる信じないはご自由だが、本当にこれらで出たのである。学習機能のついた変換アプリを使っていると、ふだん打ちつけている単語などは、だいたいトップで出るつもりでタイプしているので、わからんちんな候補が出るたびにつっかえてしょうがない。
腹いせに「わけ分かりません」と打ってやったら、「わけ和刈間煎」ときたもんだ。もはや日本語辞書としての意義を放棄しているのではあるまいか。

しょうがないのでネタにでもしてやるか、と書き写す私もどうなんだろう。