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2005年9月30日Fri.
あなたとなら大和路 2
飛鳥の地は、昨日に引き続き、どんよりと曇っていたのだった。
サワヤカな秋晴れでないのは残念だが、歩き回る身にはこの方がありがたい。
さて。本日は京都からの帰りなので、なるべく北に向かいたい。
しかしこのあたりをうろつきたりない気がしたので、大和八木から藤原京の北端を少しだけ歩くことにした。
香具山は 畝傍を愛しと 耳成と 相争ひき
神代より かくにあるらし
いにしへも しかにあれこそ
うつせみも 妻を 争ふらしき
嫁さんを弟と争った中大兄皇子の歌である。
30分ほど歩いて耳成駅から近鉄腺に乗る。次の目的地は平城京のあたりと決めた。
もう何十年も発掘調査と整備事業を行っているのは知っていたが、ちゃんと公園内に入るのは初めてなのだ。
西大寺の駅で自転車を借り、まずは南下して第11代垂仁天皇陵へ。
そして道に迷った…。
レンタ屋のおじさんが、「奈良は道が悪いしややこしいから気いつけてやー」 と言っていたが、そのとおりである。
お、わりといい道、とどんどん行ってみたら、途中で
工事区域に入ってしまって進めなかったり。
それでもなんとか尼ヶ辻駅付近に出、垂人陵と言われる前方後円墳を半周する。

系図で確認してみたら、この人、
かぐや姫の旦那さんだったんですねー。
さて、次は平城京。
ちょっと大回りをして、東北にあたるところ(丑寅の隅じゃ…)に自転車を止め、遺構資料館などを見学。整備したといっても全部の遺跡が露出しているわけではなく、遺構によって基壇のみあるいは全体を復元したりもしている。が、おおかたは埋め戻して草原になっている。

なにしろ広すぎて徒歩ではホネなので、他は自転車で乗り付けることにして、ひとまずお昼ごはん。
このあたりは市街地からちょっとはずれた住宅地なので、お店らしきものがぜんぜんない。
ガイドの地図に「抹茶料理の店」というのがあったので、探していってみたが、あいにく抹茶定食はメニューからはずれていた。それでもソバ定食にありつけたので良しとしよう。
おソバのあとは、佐紀路めぐり。
どういうわけか、広い奈良盆地の北端に、大き目の古墳がゴニャっと固まっているのだ。
まずはコナベ古墳。全長約200メートルの大型前方後円古墳である。
隣接するウワナベ古墳はさらにデカい。約250メートルもある。
ところで、ウワナベ・コナベの間には、なぜか自衛隊の幹部候補生学校があった。古墳にはさまれておべんきょーするのはどんな気分かと思ったが、誘惑するものが周りになにもないので、集中できてよいのかも。
旅のお供に 「亡国のイージス」 を携えてきていたので、とりあえず
「宮津二佐〜!」と呼びかけておく。
あとで案内板を見たら、自衛隊は自衛隊でも航空自衛隊の方であった。艦長がいるわけがない。
閑話休題。
ウワナベ古墳は、かなりうつくしかった。
わたくし的な前方後円墳ベスト1は、柄鏡型の箸墓古墳であるが、この古墳もなかなかいい勝負をする。
周濠をめぐらせているせいもあるが、前方部がきれいに見える。造り出しを持っていてややアシンメトリックなのも、それはそれでよい。
いまではさほどでもなくなったが、20代のある時期、住吉は
「古墳フェチ」であった。
日本全国を訪ね歩き、古墳を見ては興奮していたのである。イマドキの言葉で 「萌え〜♪」 とかゆーよーな状態だったのだ。
もちろん中に入れる古墳などほとんどないので、たいていは遠くから眺めて満足しているだけであったが。
しかし前方後円墳などは、空から鳥瞰した時こそその美しさがきわだつわけで、なんでまたこんなけったいな形に墓を造ったのか、それはいまだに謎である。
ちなみにコナベ・ウワナベの被葬者は不明。

周辺は自転車道路が整備されており、人があまり歩いていなくて不気味なのを除けば、かなり快適なサイクリングであった。磐之姫命陵や日葉酢媛陵、成務天皇陵、孝謙天皇陵などのあたりをのどかに走る。
磐之姫命は、第16代仁徳天皇の皇后、日葉酢媛は第11代垂仁天皇皇后、成務帝は第13代、ここらあたりはまあいい。なぜかぐっと下がって第46代考謙帝(=第48代称徳帝)がこんなところに。
奈良の都があった当時だから、近所といえば近所なのだが、じゃあ、それならなぜ河内王朝時代のヒトがここにいるのだろう。
と思ったが、どうも仁徳天皇は磐之姫命の嫉妬深さにへきえきしていたようで、それで遠くに葬ったのか。そうなのか。
ま、当時の人の心のうちはわからない。かわいそうだったのは天皇なのか、皇后なのか。
ふたたび平城京に戻り、復元された朱雀門の近くへ。
フィルタをかけてもなおボケボケ写真しか撮れなかった。分かりづらいが、前を走っているのは近鉄線の特急である。

そして西の端にある資料館を見学し、そこで体力が尽きた。
時刻はまだ午後4時前で、レンタル時間はまだ残っていたが、これから家まで帰ることを考えて、切り上げることに。
本当は元明陵・元正陵まで足を伸ばしたかったが、またのお楽しみとしよう。
そうして京都に出、ポルタ地下街でおばんさいの店で一杯。
これがあるから旅はやめられない。
2005年9月26日Mon.
あなたとなら大和路 幕間
橿原の宿は、昭和のたたずまいを色濃く残す、古き良き時代の旅館という風情であった。
急に予約したもので、素泊まりである。
夕飯は近所の串焼き屋。ご当地の名物料理などあればそういうところにしたいのだが、奈良はなんとなくお店の絶対数が少ないのだ。
そしてホロ酔いで宿に戻ったらば、なぜか廊下の本棚に、よしながふみの 「西洋骨董洋菓子店」
1・2巻を発見。
以前にテレビドラマ化されて、その存在は知っていたのだが、今まで読む機会がなかったものだ。
しかし本棚には、「ときめきトゥナイト」やら「ミンミン!」やら「新・白鳥麗子でございます!」やらがあるかと思えば、「シュート!」や「DEAR BOYS」なども。この宿には、30歳前後の娘さんがいるに違いない。
ともかく「西洋骨董」をお借りして、寝しなの友とする。
……で。
いきなりモーほー話ですか。(汗)
誤解なきよう言っておきますが、そういう性向の人が悪いと言っているわけではありません。真剣に愛し合っている人にケチをつける資格もないですし。
ですが、ですが…。わたくし体質的に、801はダメなのです〜。(涙)
とか激しく言い訳しながら<誰にだ、それでも読んでいくと、これが結構おもしろいのだった。いえ、801がではなく。
なにしろ最初に「ホモ」を持ってこなければ話が成り立たない力技でこられているので、「まいりました」と言うしかない。
さすがに「えーとえーと…」と言いながら読み飛ばした部分はあるのだが、話としてもおもしろいし、なにしろスイーツの説明がおいしそうでたまりません。
帰ってきても、しばしば幻覚(この場合は味覚の覚ね)が現れて、失業中にも関わらず、ケーキを買いに走ろうかという衝動にかられて往生しているのだった。
それにしても、奈良まで行って、何をしているんでしょうね。
2005年9月24日Sat.
あなたとなら大和路
今回の関西行きは、お参りのついでに物見遊山を兼ねるといった、まあ江戸時代のお伊勢参りのようなものだった。
のか?
先祖のお墓が大阪にあるので、ちょっくらお線香をあげに行ったのだ。
この夏の暑さで、墓まわりは草ボウボウであろうと覚悟していたのだが、どうやら墓所の管理人がお彼岸に備えて草取りをしてくれていたらしく、きれいになっていた。
ま、せっかく来たのだし。墓石を磨いてお花を供え、そしてお線香を。
……あげようとしたのだが、湿気っているのか、
火がつかない。
うーむ。戸棚に転がしておいたやつだからなあ。
しかし燃え残られてもいやなので、根気よく火を付け続ける。マッチを何本も燃えさしにして、これでは火遊びをする危ないヒトのようではないか。
ぜいぜい言いながら、ようやくのことで一束に着火。したらしたで、今度はたき火効果で炎がボウボウ立ち上って、何度あおいでも収まってくれない。
やーん、もお、泣いちゃうよわたし。
ようやく落ち着いたときには、半分かた灰になっていた。このありさまをご先祖が見たらなんと言うだろう。
思いきし目の前だし。
やらなければならない用事は、ひとまずこれでおしまい。あとは物見遊山の方である。
まずはその足で住吉大社へ。
名称からして他人とは思えんこのお社は、海の神様を祀る古社である。

鳥居から入ってすぐに太鼓橋があり、下りるときには結構怖いくらいの高さがある。

親父の病気平癒を祈願したりして、路面電車であべの橋へ。

いつかは使おうと思っていた二上山沿いのルート、近鉄南大阪腺で一気に飛鳥に移動。
大阪の繁華街と奈良は、思いのほか近いのである。急行に乗れば、あべの橋−飛鳥で約40分。首都圏の感覚なら十分通勤圏内だ。
飛鳥ではもちろんレンタサイクルの出番である。
まずは橘寺。
奈良には何度か来たことがあって、わりと濃密に見て回っているのだが、ここには来た記憶がない。
なんでも聖徳太子生誕の地ということである。真偽は分からないが、まあ地理的に無理はないかも。
しかしなんだか、隣の山がめちゃくちゃ古墳くさい。
ついでに石舞台まで足を伸ばしたが、いつの間にか拝観料を取るようになっていて、釈然としないので生垣のスキマからのぞき見するにとどめておいた。
北北東に進路をとって、板葺宮址などを見つつ、
飛鳥寺へ。
以前にも訪れたことがあるが、ここの仏さまは何度見てもよいのだ。
飛鳥坐神社にちらっと寄ったのち、水落遺跡を見ておくことにする。
これは天智天皇が造った水時計の施設跡である。これが発見された当時の新聞記事を、ぼんやりと覚えている。ような気がする。
天智帝も、いろいろやったもんだ。
1日目はここまで。
2005年9月23日Fri.
お彼岸
関西方面へちょびっと逃亡してました。
日程の都合で1泊2日の小逃亡でした。失業中だし。
明日は明日で、また朝からきりきり働かなければならないので、とりあえず生存確認のみでご勘弁。
2005年9月18日Sun.
おー我が母校
ひさしぶりに神宮なぞに行ってきたのだった。
大学野球のリーグ戦である。
いやーいやーいやー若いっていいわー!!!
と、もはやそれしか感想がありませんです。
選手もヨイけど援団もヨイ!
伝統にあぐらをかくのは好きではないが、伝統を継承する若者がいてくれるのは、素直に感動する。
そーよねー。いろいろお約束があったわよねー。
ずっと変わらない応援歌、7回に粛々と校歌を歌うならわし、バトントワリングに拳を振るリーダー部。
私が現役の頃には、たまたま二度も優勝に立ち合わせた。体育会に所属していたので、優勝パレードの裏方として、警備や清掃の係に駆り出されたものだった。
「じゃーなにか? 私らが優勝したら、野球部がパレードしてくれんのか?」 いや優勝してくれるのは嬉しいけどさ。
などと思ったこともあったが、同期の野球部主将がめたくたいい奴で、こいつのためなら何だってやってやろう、という気になったものだ。
O田くん、元気にしてるかい?
2005年9月17日Sat.
総会
マンションの管理組合の総会なるものに行ってきた。
生まれてはじめての経験である。
なんとなく一生そんな機会は訪れないと思っていたのだったが、人生は何があるか分かったもんでない。
なにせ生活圏の自治団体に戸主として初参加するわけで、とにかく様子見がてら、おとなしく議事を聞いておこうというつもりだった。
参加者のほとんどは、同じような人たちだったと思う。
ところがですね。やっぱりいました。積極的に重箱の隅をつついて自分の存在感をアピールするロートルさんが。
一言あるたびに、「それは管理規約の何項何条に基づくものですか!?」 ときたもんだ。
個人的には、こういううるさ型は共同体には必要だし、外部との契約に関わる議案にはチェックの目を光らせていないとまずいとも思うのだが。
やっぱさ。言い方というのもあるよね。
理事会の役員は、一応全員の義務とはいえ、立ち上げのときに一番苦労するものだし、それぞれの仕事や生活の合間を縫ってやってくれているのだし。
わたくしに理事が回ってくるのはずいぶん先のことだが、今日のような物言いをされて、黙っていられる自信ははっきりいってナイ。それを思うと、今期の理事さんたちは、ずいぶん大人の対応だったと思う。
社会人ならそれで当然、ではあるのだけど、子どものけんかみたいにカラむ人も、社会人なんだよね。(溜息)
2005年9月16日Fri.
エルメスさんは
電車男の相手だった。ならばヘルペスさんにはNゲージ男くらいなのか。←こらこら。
ええ。まだしっかり顔に居座っております。
炎症はだいぶん治まってカサブタ様になってきているので、気持ち悪さはなくなってきましたが。
………今日はこの顔のまま、面接だったのですよ。
若かりし頃と違い、もはや恥じらいやらタメらいやらをぬぐい捨てているので、顔がどうこうでブルーになるようなことはなかったのですが。
下地とファンデを厚く塗りこんで、なんとか肌色にしたりして。ああ体液に粒子が混じりそうだわー。(sigh)
肝心の面接は、手ごたえはまあまあだったと思うけど、こればかりは採用通知が来るまでわかりませんし。
落ちたら顔のせいだと思おう。なにごとも前向きに考えなければ。<違
こことは別に、某有名アーティストの事務所の求人があったので、ミーハー根性まるだしで応募していたのだが、さすがに書類でハネられた。
あわよくばスタジオ見学♪ と思っていたのに〜。仔○○語のメインテーマはアルバム収録の予定があるのか聞きたかったのに〜。
2005年9月13日Tue.
その上
リンパ腺まで腫れてきた。
顎下の真ん中。頤下リンパ節らしい。
おとがいかりんぱせつ…。
なんかたいそうな病名みたいだわ〜。
今日は晶さんが来てくれて、ちょっといろいろ打ち合わせ。
おみやげにガンダムのロングインタビューのビデオを貸してくれたのだった。
おお、これがうわさの?トミノ語りですか。
しかしZもZZもろくに見てやしないし、その後のシリーズは存在すら知らなかったのに、裏方話だけくわしくなってどーするよ。<自分
種の絵なんか、あの目のでかさについていけないものを感じるんだが。あれでいーのか。ほんとにいーのか富野氏!
2005年9月12日Mon.
ヘルペス
口の上に、吹き出物ができたニャー。
いやだニャー。
などと思っとったのですよ。
2〜3日腫れていたので、夕べはびらんの薬を塗って寝ましたが。
朝起きてみたら、立派に熱の華が!
ギニャ〜〜〜!
イタいカユい熱い気持ち悪い!!
そういえば、今時の季節によく発症してたよなあ。ゆだんしてた…。
今週は面接があるかもしれないのにい!運がよければだけど。
しょうがないので、家にいるときは保冷剤で冷やしているが、今日はハローワークにも行かねばならなかったのだ。この面相のまま。
しっかし最近はよく寝てるしダラダラ過ごしてるし。なんにも体に負担かけてないのに。
夏の暑さの後遺症でしょうかねえ。
2005年9月11日Sun.
選挙
うちのあたりは、いわゆる新興住宅地である。
しかもどん詰まりの地区なので、投票所が遠い遠い。
近所に設けてくれるかとなんとなく思っていたのだが、甘かった。投票所入場券が届くなり、ウッソーと叫んだものだ。
…文句を言っても距離が縮まるわけでもないので、30分ほどてくてく歩いて行ってまいりました。
だれに入れたかは内緒だが、朝っぱらから拡声器でガンガン怒鳴っていた奴には入れてやんないことに決めていた。
10時過ぎを朝というのかどうかは別として。
その足で、母校まで。
クラブの秋季リーグ戦をやっているのだ。
大学を卒業して十年以上経ってたりするので、いいかげん隠居してもよさそうなものだが、私よりさらに先輩方がまめにいらしてるし、たまに顔を出さないと。いけないような気になる小心者。
それに毎年、4年生の最後の試合か〜と思うと、応援したくなるしね。
めでたく優勝しました♪
2005年9月9日Fri.
シャバダバダ
結局、父は本日無事に退院できました。
さすがというか、すぐさまシャバ@実家の空気になじんで、たまったメールを見たり電話をしたりしてました。
……なんだかとっても元気です。
そして9時には 「消灯時間だから♪」 といって元気に就寝しました。えっとー…
しばらく投薬治療が続きますが、完治を願うばかりです。
2005年9月8日Thu.
うーん
日本語うにゃらら検定の一級、本日申し込みに行ってきたならば、家から近い試験場は一杯だったり閉鎖だったりで、もっとも遠いところで受けなければいけなくなってしまいましたとさ。ちいー。
明日は父が退院する予定だった。のだが、検査の結果が思わしくなく、延びるかもしれないとのこと。
うーむ。
ま、家に帰ったからといって、なにが変わるわけでなし。本人が酒が飲めないという辛さが身に沁みるだけとはいえ。
おるのとおらないのとでは、やはりちょっとは違うのですよ。
なにが、と言われたら、ちょっと困るのではありますが。
メーラーの整理してくれよ〜とか。<こら
2005年9月5日Mon.
変換
ちんたらやっているので、テープ起こしがちっとも終わらない。
なんとか折り返しを過ぎたので、巻きを入れないといかんのだが。
なんかこう、気をくじくようなことが多々あったりして、「今宵はここまでにいたしとうございます〜」とサボりまくっているのだ。
気をくじく要因とは、湿気べとべとの残暑だったり、熱中症っぽいダルさだったり、いろいろあるのだが。
日本語辞書にも多分の原因があるのだった。
おめーのせいだよおめーの。>IME
今年も日本語文書処理技能検定一級に挑戦してみようか、という心持ちがあるので、低テンションなりに訓練を始めているのだが、その一環として基本辞書をATOKからIMEに変更したのだ。なにしろ某まいくろそふとの陰謀のおかげで、自前のパソコンを持ち込むのでなければIMEで受験するしかない。
キータッチや変換の仕方は、しばらくすればまあまあ慣れる。
許せないのは、語彙の貧弱さと学習機能の低さなのだ。
なにしろ歴史と地理に関する講演である。
津久井や片倉や高乗寺くらい一発で出さんかい。
氏照や氏邦が一度で出ないのはまあ許そう。しかし北条氏を何度打っても芳情氏と出すのはどーゆーこっちゃ。
めんどうくさがって辞書登録をしなかったのが失敗とはいえ、太田道灌と入れるのに、いちいち 「おおたみちかんがい」 と打って漑だけ消さなければならない羽目になったし。
ああっ、ATOKなら日本の地名は大体入ってるし、歴史的な人物もおおむね覚えてくれてるのに〜!
テープ起こしだって、まずは 「テープお越し」 と出よる。テープにお越しいただいてどうするっちゅうねん。
それでも 「テープお腰」 でなかっただけ、まだ恥じらいがあったというべきか。<なんの。
……とか、くだんないことを考えながら、ぼへぼへ続きをやっていたら。
「信玄道」と打ったら「震源道」と出てきたよ…。こわー。
2005年9月2日Fri.
業務連絡
日記ファイルの階層をいじっているので、ちょっとおかしくなっています。
近日復旧予定。
2005年9月1日Thu.
焦らないと
日記というものは、興が乗れば毎日でも書くし、なんとなくさわらないでいると一週間くらい余裕でほったらかしである。
で、ほったらかしたまま、もう9月である。
といっても、なんちゃ変わったことがあるわけでなし。
母が行けない日は病院に行き、行くたびに別に来なくていいぞーと親父に言われ、親父の団体が開催した講演会のテープ起こしをボランティアでたらたらやり、ご飯をつくって食べてビールを飲み、そろそろ次に受ける資格のべんきょーでもしなくてはなーと思い、でも残暑に溶けていてなかなかエンジンがかからない、そんな毎日の繰り返しである。
しかし。
月の半ばには、某ハローワークに行かねばならない。
行くだけならよいが、ともかく2回は就職活動をしておかなければ、手当てがもらえない。
なーんもせずにのんびりしているうちに、月が替わっちまったわけで。
そろそろ焦らないと。