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2005年5月28日Sat.
オープン予告

ようやく本棚もそろい、落ち着くべきところに大方落ち着きました。
ので、6月1日に住吉亭を開館いたします。
日程にも開館宣言にも意味はぜんぜんありません。
強いて言えば、オープンからしばらくはまだ散らかっていないので、急なお客様もまったくオッケー! ということでありましょうか。
この、 「まだきれい」 ではなく 「まだ散らかっていない」 という表現に、住吉亭の運営姿勢がほの見えます。
そんなわけで、まだ広々としておりますので、親類縁者、友人諸氏のお越しをお待ちしております。
飲みましょう。


2005年5月25日Wed.
血は酒よりも濃い

朝もはよから目医者だった。
それ自体は別に問題はない。
問題なのは、昨晩のワインが残っていたことにある。
元の職場の仲間と、月に1回ほど食事をしているのだが、今回は銀座でイタリアンだった。
次の日は診察だし、自重しよう。
そう思って臨んだのだが、リースリングのさわやかさにつり込まれて、気が付けば実質3人でフルボトル2本。1人はあまり飲まない子だったのだ。
特に2本目の赤が、もろ私たち好みのミドルタイプで、気が付いたらすっかり空けていた。
それでも意識はしっかりしていたつもりなのだが、別れ際に駅の改札で抱擁などやらかしてたから、かなり酔っていたのかもしれん。

で、今日。ヨイヨイの頭を抱えつつ、都心まで出たのだった。
当然機敏な動きができないので、予約の時間には遅刻する。受付で 「電車の中で気分が悪くなって…」 と言い訳をするが、本当に青い顔をしていたので、医院の人には気づかわれた。嘘ではない。電車の中で気分が悪かった、というだけである。
診察は手術のためのもので、採血とアレルギー反応の検査も行った。
血中アルコール濃度、だいじょうぶなんだろうか。
静脈から採った血は、黒みがかった深紅色で、なんつーか「フルボディの赤」のラベルを貼りたくなってしまう。口を開けたらアロマが立っちまうような気が。

午後になって、だいぶ立ち直る。いつもそうだが、ふつか酔いが醒めると、ものすごく体調がよくなるのだ。これだからやめられません。
夜は横浜まで船に乗りに行った。横浜港内のクルーズで、仕事の関係で乗船チケットを持っている同級生から、この間の同窓会でもらったのだ。横浜勤めの大学の同期をご招待。
飲茶コース3,500円と、少々お高めだが、量も味もしっかりあって、かなりのおすすめです。
サンデッキに出てみれば、町の灯りがとてもきれいねヨコハマ♪ なシチュエーションで、ろまんちっくむーど満点。もう少し暑くなったら、ここでビール飲んだらうまいだろうなあ。ろまんちっく♪


2005年5月22日Sun.
新居について8

家具を買わねばならなかった。
収納はかなり充実していたので、大きな物入れは必要ないし、衣類はビニールロッカーで済ませることができたのでタンスも必要ない。
しかしそれでも、コマい物を入れる引き出しや食器の収納が欲しい。カウンター下のスペースに棚を入れることにした。
ところが、寸法が合うものがなかなか見つからない。
新築マンションにありがちな作りつけ家具のオプションは、ものすごく高かったので断ったのだが、ああいうものは高いだけに意味があるのだ。
最終的には通販で手に入れた。実家で妹が中心となって、ネットで3時間くらい探してくれたらしい。
そうです、家具を買うに当たって、熱心だったのはむしろ家族の方だったのです。
購入当初からうすうす感じていたが、 「私のお城〜♪」 と浮かれていたのが、どうもちちとははのお城となりつつあるような気がしないでもない。いや、心を砕いていただいて、まことにありがたいのですけども。
で、カウンター下である。
わたくしたちは、白い壁に合わせて白の棚を買ったつもりだった。
こんな画像だったのである。

白いカウンター♪



届いたのは、こんな色だった。

ぎんぎらカウンター♪

「えええええ〜? 白じゃないの〜?」
と、一同びっくらこいたが、カタログページをよくよく見直してみると、「メタリック調のクールな輝きが美しいモダンデザイン」と確かに書いてある。見落としたわしらが悪いのだ。
どうにもギンギラギンにさりげありすぎるデザインだが、慣れれば結構慣れてしまうもので、いまではぜんぜん気にならない。

そして今日、食卓テーブルが届いた。
これに関しては、住吉はかなりゴネたのだった。つまり、
「座卓にしたい。テーブルはいやじゃ」
と、ずーっと言い続けていたのだ。
せっかくひろびろとした空間なのだ。ひろびろさしときたいではないか。
ところがこの意見は、家族から総スカンを食った。
「洋間に座卓はおかしい!」 というのである。珍獣を見るような目つきであった。
でもさーでもさー、ここは日本だしさー。友だちのところもソファとコーヒーテーブルだったしさー。
ぶちぶちぶちぶち。
多数決である。私のお城がまたひとつ遠のいた。
時間を割いていろいろ見て回ってくれたので、感謝してますが。
せめて私の好み…と、四角くて、脚はまっすぐで、余分な細工をしてなくて、天板の下には幕板の付いてないやつで、椅子は片手で持ち上げて掃除機をかけられるやつで、長さ125センチ以上あるやつで、といろいろ条件を付けたら、これがまたぴったり来るのがないのですね。
あちゃこちゃ家具屋を回って、ようやく納得のいくのが見つかったのが、5月に入ってだいぶたってからだった。

脚が斜めなのを除けばほぼ理想どおり

思ったよりずいぶんながめがいい。座卓の方が良かった、とかいうのは別にして、満足なのだった。

ところで、今回新居を構えるにあたって、親族の皆様からお祝いをいただいてしまいました。
テーブルとカウンター下収納と、台所用品購入にありがたく使わせていただきました。
この場をお借りしてお礼を申し上げます。(ふかぶか)


2005年5月21日Sat.
新居について7

捨てられないと言えば、本である。
もともと幼少の頃から「趣味は読書」であった。といっても「いわゆる文学少女!」とかいうのではなく、中学時代はコバルト文庫と西村京太郎、高校時代は新井素子が主だったのであるが。
なんであれ手の届くところに活字がないのは寂しい。しかし近所に大衆小説を置く図書館はなく、学校で借りるにしても装幀の重いハードカバーを持ち歩くのは難儀である。そしてびんぼーな学生には本に割く金はない。
と、いうわけで、社会人になって自分の自由になるお金ができた途端、タガがはずれたのだった。
ええもう、買いまくりました。
もちろん買うのは文庫である。さすがにハードカバーや新書を置いておけるほどのスペースはない。
アパート暮らしをしている間も勢いは止まらず、異動で通勤時間が倍になったために、むしろ加速した。電車の中で本がないと、呼吸を止められたも同然というほど、活字中毒は進行していたのだ。
多い頃は、年に400冊くらい読んでいたかもしれない。
当然アパートの部屋に置いておくスペースはない。下手をすると重みで床がゆがむ。
で、どうしたか。
ひきょーにも、ある程度溜まると、せっせと実家に持ち込んでいたのであった。

今回引っ越すに当たって、実家から蔵書を全部引き上げた。
段ボール何箱になったかは数えていないが、収まりきらないのが目に見えているので、「もうこれは読まないだろう」 というのを選別して泣く泣く古本に出すことにした。
都合3回、しめて800冊。
それでもちっとも減ったように見えないのはどうしてだろう。

分類をしてみると読書傾向の偏りが顕著である。
多いところで有栖川有栖、東野圭吾、森博嗣、帚木蓬生、折原一、それに篠田節子に坂東眞砂子。寡作だと思っていた黒川博行とか真耶雄蒿や樋口有介がたくさんあったり。愛川晶も意外とあった。泡妻はさすがに多い。今野敏は多作だから分かるとして、真保裕一がこんなにあったとは。北原亞以子が知らないうちにたまっている。司馬遼太郎と藤沢周平はコーナーを設けなくてはならん。
梶尾真治がいつの間にか積み上がっている。火浦功は次いつ新刊でるんだろう。椎名誠、野田知佑もずいぶん読んだ。あやしい探検隊は沢野画伯や木村弁護士の本も。
宮城谷昌光は、すまないのうと言いながら 「夏姫春秋」 以外を手放した。酒見賢一は 「後宮小説」 と 「墨攻」 と 「聖母の部隊」←これは笑えるのみ。岡嶋二人、姉小路祐も厳選。綾辻行人はホラー系はたぶんもう読まないだろうし。
藤原伊織、高村薫は捨てられません。笠井潔もダメです。田中芳樹も。森雅裕、当然捨てられません〜(涙)。

ほんの一部

今後は福井晴敏や池井戸潤が増えるんだわー。「月に繭 地には果実」ええ、ようやく文庫を見つけたので本編見てもいないのに上中下買っちまいました。「戦場のローレライ」はなんと4冊になってしまったので、今のところぐっとがまん。
90センチ幅のスライド書棚を、結局4個購入した。6畳の洋間の壁一面が、本棚である。
幸せと言えばものすごく幸せな環境であるが、しかしそれに収まっていられるのは何年だろうか。


2005年5月17日Tue.
新居について6

どうもこのごろ、「年をとったもんだな〜」と感じ入ることが多い。
そもそもこの間の同窓会が 「卒業後○○年」 ということで開催されたわけで、ひふみよと数えればその通りなのだが、「ウッソでえ」と叫びたくなるほど実感がなかった。これまでは。
なんでなかったというかと、中高大学生あたりのメンタリティーから、自分が成長しているという実感がぜんぜんなかったからだ。
ところが友だちの子どもがそろそろ中学生になるような勢いだったり (実際なってしまった子もいる) 、80年代からどのくらい経ったか数えてみちゃったりすると、否応なく時が流れたことを突きつけられるのだ。
とどめは引っ越しの後始末だった。
社会人になってから一人暮らしを始め、おおかたの物は実家に置いてきたのであるが、このたび専有面積が広がったので、自分の物をこちらに引き上げることにしたのだった。
実家の私の部屋は、私の物を凍結したまま家族の物置と化していた。主に母。
そこから私の物をサルベージするのは結構な苦労がいったのであるが、今までほったらかしにしてきたツケなのでしようがない。
季節外の洋服、ほとんど使わなくなっていたカバン、勤め始めた時の資料、そして大量の本。
今のところ毎日が日曜日で、時間だけはあるものだから、この際思い切って整理することにした。
しかしまあ、自分でもあきれるほど物持ちがよいのだ。
もともとリスが巣にエサを溜めるように、なんでもかんでもとっておく性格である。あらためて部屋をひっくり返すと、まあ出てくるわ出てくるわ。
狭いアパートに暮らして、物を増やさない習慣を身につけたのは正解だったかもしれん。
なにしろ小学生の時に集めていたシールやレターセット、中学の時に気に入って買ったファンシーノートなどがそっくりそのまま残っているのである。これらを持ったまま何度引っ越ししただろう。

それから教科書類。
小学3年生の時に配られた 「かまくら」 とか、 「5年生の道徳」 とか、やーもう何十年前だろうか。
それでもじわじわ処分していたらしく、全部の教科は残っていなかった。
しかし積み上げればかなりのカサになり、これらを全部取っておくわけにもいかない。泣く泣く紐でくくる。
地理のノートが出てきたりして、 「あーこれは受験教科でもないのに結構がんばったやつだよなー。むしろ受験教科の方がおざなりだったなー」 としみじみ。ところがこれは処分しても、きらいだった (そして今でもきらいだ) はずの英語の教科書が捨てられない。不思議なものだ。
まだ全部片づけていないので、これから出てくるかもしれないのだが、受験用の参考書が驚くほど見あたらない。いったいナニを勉強していたのか謎である。

本棚をひっくり返したら、大量のカセットテープが発掘された。
クラシックにどっぷりつかっていた中高時代。音楽学部のある大学の図書館を使えたので、せっせと通ってはレコードを借りてテープに落とした。感心するくらい多い。
大学に入ってから、いわゆるJ−POPなども聴くようになり、浜省やら久保田利伸やら、友人から借りてダビングしたもんだった。ユーミンのカセットを大量コピーさせてもらったのもこの頃である。
先日、大学時代の先輩とカラオケに行った際、たわむれに 「人魚になりたい」 を選曲したら、それから二人でユーミンオンパレード。郷愁をそそるなにものかがあるのだ。

中高大と続けた卓球。使わなくなったラケットが捨てられない。
とぼしい小遣いの中から毎月買い続けた 「卓球レポート」 も捨てられない。
リーグ戦のパンフレット。JTTAのゼッケン。
あああああ、ごめんなさい、捨てられません(涙)。
もう使うことがないのが分かっていて、取っておいてもしょうがないのだが、ダメです。
卓レポはさすがに場所をとるので、大学の後輩が入り用だったらあげてしまおうかと思っているのだが、ちょっとぱらぱらめくっただけでもよみがえるものがありすぎる。
糠塚さんとか前原さんとか山本さんとか星野さんとか橘川さんとか佐藤さんとか。
いまだ現役でがんばっている松下雄二くんの坊主頭とか。
スウェーデンのリンドは東京大会で肉眼で見たんだった。曹燕華は美人さんだった。江加良という文字を見て、ごく自然に 「ジャンジャリャン」 と発音できてしまうし。大学の同期の 「ジャンジャジャーン」 というつまらないギャグまで思い出してしまった。
ビデオを整理していたら大学のリーグ戦を撮ったものが出てきた。
中身の確認で回し始めたら、止まらなくなってしまった。
うわー、わたしが若い。
お尻が(今より)小さい…。胸も(今ぐらい)小さい。
こんなの、フォームをチェックする目的以外で見ることなかったのに。こっ恥ずかしくて見てらんなかったのに。
しみじみ 「元気だったよな〜」 とながめてしまう自分に、歳月の流れを見た気がした。
結局最後まで選手として今一歩で終わったし、試合運びは青臭いし。
でもこのころは一所懸命だったもんなあ。
しみじみ。
あー、年をとったものだ。


2005年5月14日Sat.
5月なのに息が白いとはなんたるちあ

寒いのに髪を切りに行ってしまった。かれこれ半年も美容院に行っておらず、あばら屋の生け垣のようになってしまっていたので、少しはさっぱりさせないと。
で、さっぱりしたついでに、買い物をして帰ることにした。
行きつけの美容院は、引っ越し前の家の近所だったもので、以前よく行ったスーパーがある。
結構ここの品揃えは好きだった。小さい店舗なのに必需品はきちんとそろっていて、特売も多くて。
今日も安かった。
しめじ1パック50円、キャベツ1玉150円、じゃがいも玉葱ニンジン詰め放題で200円!
あまりのお買い得に逆上していろいろ買い込んだら、帰りは肩が抜けるかと思った。白い大袋3つ。電車に乗って帰るのに〜。

両親が来る。
苗が安かったんだとかで、持ってきてくれる。ならばプランターも今日用意してしまいましょうということで、近所のホームセンターでお買い物。
トマトと青じそとパセリとイタリアンパセリ〜! うっとり。
大きくなるんだよ〜! そしておいしくなるんだよ〜! ←重要。


2005年5月13日Fri.
シュウマイをカツにしたような

ようやく口を開けても流血しなくなった。
クチビルに残ったヘルペス痕のかさぶたである。
笑ってもあくびをしても、かさぶたがツレて皮膚が破れる。
「リンゴをかじると血が出ませんか」 というのはあまりにも有名だが、この場合は 「バカ笑いをすると血が出ませんか」 てなもんである。笑う門には血が来たるんである。

昨日はハローワークの説明会。わたくしの場合、誰が見ても立派な自己都合での退職であるからして、失業手当はまだもらえないのであるが、職安の相談窓口の使い方などビデオで講習する。とにかくぼちぼち就職活動をする気分を整えねば、予定よりだいぶゆっくりしてしまったもんなあ。
しかし就職活動と言えば、わたしらが新卒で活動した頃、 「就活」 なんて言葉使ってましたっけ?
最近はほんとうになんでもかんでも略してってしまうらしいが、違和感ありまくりなのですが。ちょっと違うけど、「ロミジュリ」とか「レミゼ」ってのも昔は言ってました? でも「ドン・キ」は範囲内。
こんなことを言い出すのは年取った証拠かねー。でも多分3年後くらいには私も普通に使ってるんだわ。それが国語ってもんだし。


2005年5月11日Wed.
こんなこともある

今日は本棚が届く日だった。
増殖を繰り返す我が蔵書に対し、ついに必殺のスライド書棚上下2個組の技を繰り出して対処することになったのだが。
すでに90p幅のものを2組購入してあるのだが、しかしそれでも足りそうにないので追加で1つ頼んでいたのが届くはずだ。
それなのに熱を出した。原因は不明。
うー、我ながら弱っぴいだなー、と嘆きながら、実家から持ってきた私物をノロノロと片づけていたら、なんと大学一年の時の体力測定の結果が出てきたのだった。

春の測定
敏捷性 2
持久性 2
筋力  2
柔軟性 
瞬発力 

秋の測定
敏捷性 2
持久性 3
筋力  3
柔軟性 
瞬発力 

いっやー。なんじゃこりゃ。いやしくも体育会に所属していたとは思えない体力の無さ。
瞬発力だけが飛び抜けて良いだけで、他はほぼ全滅。この頃から刹那の女だったのねー。

それはそれとして、本棚本題。 by晶さん

注文した本棚は、自分で組み立てるタイプであった。
すでに届いた2つは、親父さまが電動ねじ回しを駆使してちゃっちゃと作ってくださったものだが。
やっぱりこういうことも一人でなんとかできるようにならないとねー、と殊勝にも思った住吉は、午後になって熱が下がるのを待って、包装を解いてみた。
すると。
注文した物と、色が違うんですけど〜!!
「ブラウン」 の二個組を頼んだのに、一個は 「ナチュラル」 で来ていたのだった。
私のことだから、注文間違ったのかも〜(汗)! と、あわててカタログやらメールやらを確認する。「私は間違ってないぞ(鼻息)!」ということを確かめてから、販売元に電話。
どうやらメーカーの配送ミスらしい。正しいものは明後日に届くそうで、今日は半分だけ組み立てることにした。ねじねじねじ。
こんなこともあるのね。


2005年5月7日Sat.
鎌倉街道はなぜあちこちにあるか

一晩明けて、首と肩は少しマシになったような気がする。
が、右も下も向けない状況に変わりはないので、いま 「あっち向いてホイ」 をやったら確実に負ける。
そして口内炎は二つ目ができた。おまけにお腹も下した。
ボロボロである。
でもまあ、ちょっとは筋肉をほぐしたほうがよいかも、と思い、某所で開催されたウォーキング大会に行ってきた。
実はこれ、住吉父が役員をしている会の催しなのだ。
「道について研究しながら歩く」 といった主旨の会で、今日はとある公園の中の道を、中世古代までさかのぼってたどってみようというものである。
たまたま父がガイドをしている回を歩いたが、手前味噌だがなかなかうまく説明していて面白かった。
HPもあるのでリンクでもしようかと思ったが、妹に 「ここ (当HP) の関係者だとバレるのは絶対ヤだ!」 と言われたので断念。興味あるオフラインのお知り合いの方は、個別に問い合わせていただければURLをお知らせします。

明日は包丁を研ごうと思い、買ってきた砥石をあらためていたら、箱に書いてある惹句が目に入った。
「誰もが知っているエ○印砥石」
…ごめん。わたしは知らなかったよ。


2005年5月6日Fri.
新居について5

目覚めたら激痛が走った。
右の首から肩にかけて、ひどい寝ちがえを起こしたのだ。
泣きそうだ。
なんとかゴミだけ出しに行く。朝8時までなのだ。
体の向きを変えるのも一苦労で、その時のわたくしの動きは、おそらくC−3POよりぎくしゃくしていたのではないかと思われる。
ともかく安静にしていた方がよいようなので、パ○ックスを奮発して2枚、背中に貼って昼まで寝た。
昼。起き上がってみたものの、良くなった気配はない。しかしまた横になると、寝過ぎで気持ち悪くなりそうである。
こうなると家のこともできないし。思い切って外に出てみるか、ということで、築地まで行ってきた。
今日こそ包丁を買うのだ。

……長い前ふりでしたが、要するに台所用品の話である。
旧宅で使用していた鍋釜は、安い上に使いつぶしたので、あらかた処分してきたのだった。
で、新しい物を買わないといけないのだが、これが気に入るようなのがなかなかないのだ。
前にちょっと書いたヤカンは、結局店頭では見つからず、通販に逃げた。おかげで形も容量も私好みのかわいいヤカンを手に入れることができた。

わたしのかわいいやかん♪

現在我が家には、ヤカン1個とステンレス鍋の小と中が1個ずつあるのみである。
まあ、鍋1個あれば大抵の用は足りるので、そうは不自由していないのだが、いつまでもそれに甘んじているわけにはいかないだろうし。
てなことで、フライパンは、鋭意探索中である。北京鍋と小ぶりのオムレツパンが欲しいのだが、軽くて鉄で木の握りがついているやつが見つからない。
圧力鍋は、どこのがいいかこれからリサーチ。
寸胴鍋も買わにゃならん。
そして包丁。
包丁くらいはいくらなんでも手元にある。さすがにこれとまな板がないと生活ができない。
のだが。
ずいーぶん前に日記にしたためたが、わたくしが持っていたのは、菜切包丁1本のみ。
トマトのヘタを取るのにも苦労をする代物である。
なぜか。
これでも住吉は最初から菜切を用意したわけではない。一人暮らしするにあたって、ちゃんとヘンケルスの文化包丁を購入したのだ。
ところがある日研ぎに出したら、先っちょが消失して長方形になっていたのだった!
そんなわけで調達せねばならん、と思っていた折、叔母と電話したら、「杉本のペティナイフがよいわよ」 と言う。
料理上手の叔母の言うことだから、間違いはないだろう。と、いうことで、本日買いに行ってきたのだ。
しかし文字通り首の回らない状態では、万事行動がスローモーになりがちで、乗り換えを間違えた上に着駅を乗り過ごし目的の店に着いた時には閉店5分前になっていたのだった。
まだ痛い…。


2005年5月5日Thu.
新居について4

新居に引っ越すためには、荷物をまとめて引っ越しをしなければならない。あたりまえである。
しかし旧居は六畳一間。
なるべく物を増やさないように暮らしてはいたが、8年近くも籠もっていると、それなりに溜まるものがある。
もう、「どこにこんなに隠れていたんじゃ〜!」と叫びたくなるほど、狭い空間から出てくる物、物、物
「ああ、うう、あれも、これも」 てなもんである。
これでも物いらずの生活をしてきた自覚はあるので、世間のヒトビトの引っ越し時には、いかほどになるのでしょーね。

とか嘆いていてもコトは進まないので、とにかく荷造りである。
電車で数駅の、まあご近所に越すので、手で持って行ける物は紙袋で抱えていく。
休みの日に両親の都合が付けば、車を出してもらって運べる物を運ぶ。
とにかくジワジワと移動しなければ、荷造りをするスペースすらない! のだ。
折しも杉花粉飛散のまっただ中。窓も開けられやしない中で黙々と箱詰めをし、掃除機もかけられない中で、荷物とちゃぶ台の間にスキマ家具のように丸まって寝るしかない3×歳独身♀。
我ながら憐憫をさそう情景である。
ホコリもすごかったし、よく病気にならなかったものだ。

さすがに家の軽だけでは全部は運びきれず、とどめの引っ越し日には実家隣の叔父一家が軽トラで応援にきてくれた。
物心ついてから幾度となく転居している住吉だが、引っ越し屋さんを頼んだことはほとんどないのだった。みなさんお世話になりました。
新居に移ってなにが嬉しかったと言って、どれだけ荷物を散らかしてもとりあえず寝る場所がある!
これに尽きる。

つづく

そろそろ疲れが取れて良いころなのに、ヘルペスウイルスと口内炎のダブル攻撃を受けています。Cクイックくらいです。
しかしまあ、収めるべき荷物はおおむね片づきました。ようやく通常営業の気分です。
その前に実家の荷物を片づけにこい、と母から厳命を受けています。
一人暮らしを始める時に、とりあえずのものしか持って出なかったので、ツケが回ってきました。ああうう。


2005年5月4日Wed.
ようやく風薫る

季節替わりの長いトンネルを抜けるとそこはすでに初夏であった。
てなわけで、杉の花粉にふんふん言っているうちに、春はわたくしの頭上を通り過ぎてしまいました。
さて、4月も終わってしまい、わたくしはいったい何をしていたのでしょうー?
ただひたすらくさめをして、家の片づけをしていたような気が。
昨日、大学時代の先輩と上野にラ・トゥール展を見に行ったのだがKさんありがとー<私信、「あんた1ヵ月いったいなにをしてたん」 と問われて 「はた」 と思い返し、「なんだかなーんにも覚えていないなー」 と。ああ、あぶないあぶない。
30日には高校時代の友人の新居におじゃまし、おいしいものをさんざんいただきて帰ってきたのだが、その前は?
……その前は旅行に行ってたのだった。(ぽん)
で、その前は…?
日記もろくに書いていないので、ほんとうに思い出せん。
だいじょうぶだろうか。