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2004年11月30日Tue.
横浜散歩 後編
ゆうべのこと。実家からの電話において、わたくしは妹からかなりえんえんと、わたくしの見合いに対する姿勢についてたしなめられた。
言ってることは君が正しいよ。たぶん。>妹
たしなめられた翌日に見合い話の後編を書いてしまうのもどうかと思うが、なにしろ前後編にしようっと! と思ったのが、たしなめられる前だったので、いたしかたない。
で、なぜ前後編かというと、理由など
まったくないのだった。
しいていえば息切れ。
さて。 「美術館に行きましょう」 といざなわれて行った先は、言わずとしれた横浜美術館。
両翼にひろびろとした白亜の建物である。
横浜博にあわせて開館し、今年で15周年を迎えるらしい。その記念企画展をやっていたのだが。
そのタイトルがいきなり。
失 楽 園。
……………………………。
もちろん語義は渡辺淳一などではなく、本来のパラダイス・ロストであろう。しかしことばで喚起されるイメージというやつがなんというかその。見合いの最中なんだよねいちおう。
歩いてるときにはぜーんぜん気にしませんでしたが、あとから考えると寓意とかムリヤリくっつけようとすればできる状況かなと。
←こらこらこら。
見ているときに気になったのは、むしろ展示の内容がですね。
なんで
こーゆータイトルにしたのか、浅学非才のわたくしには理解が及ばなかったのでした。
にしてもさ。
コローデュフィセザンヌボナールブラックシスレーモネ今村紫紅ルオーピサロベルナール岸田劉生小津安二郎ヴラマンクルノワール梅原龍三郎! エトセトラ! エトセトラ! キャパもいたなあ。
よくまあこれだけ集められたものだ、と、それはすごく感心しましたが、とりとめがなさすぎて、この展示でナニを訴えたかったのか解説文を読んでもよく分かりません。
インパクトだけでタイトルを付けただろう! とプロデューサーをちょっと揺さぶりたくなったのだった。
2004年11月29日Mon.
横浜散歩 前編
見合いで足腰がイッたのだった。いたいよう〜(涙)。
要するに日頃の運動不足がいかに深刻であるかということなのだが。
今回は横浜・みなとみらいが舞台であった。
昼前に待ち合わせをして、クイーンズスクエアでお昼を食べて。
大道芸をちょっと見たあとに赤レンガ倉庫近辺をくまなく散策して駅まで戻り、さらにそのまま横浜美術館に入ってしまったのだった。
えんえん4時間近く歩きっぱなし(泣)。
わたくしパンプスでございました。
相手の方は、ごく普通に優しい人だったらしく、美術館に行きましょうと言ったあとに
「あ、足元つらくないですか?」 と気づかってくださいましたが。
見合いの場というものは、やっぱり 「わし、もう歩くのイヤじゃけんね」 とはなかなか言えません。
そこで言えるようなら、これほど見合いが苦手ではないのかもな…。
しかし、幾多の経験により、失礼にならない程度の軽装を心がけていたので、ダメージも足腰だけですんだかも。頭痛まできたらやばいです。
見合いというのは相手の出方によって思いもよらない長丁場になるので、こちらも相応の覚悟が必要なのだ。
てなわけで、履き慣れた通勤のパンプスで自己防衛していたのでまだましなのだった。
後編に続く。
2004年11月28日Sun.
生存確認
とりあえず生きてますその2なのだった。
いやもう、降って湧いたように残業続きだったり、プライベートでいろいろあったり、今日は今日で見合いしてきたりとか、なかなかしんどいこの頃なのである。
おかげで自宅に帰り着いて、まずはビール飲んでご飯を食べて、ちょっとくつろいだりするとすぐツブれてしまう毎日なのだった。でもまあ、なんとか暮らしてはいますから。
ちょっとショックなことがあった。
すでに日記で大公開してしまっている検定試験であるが。
落ちたのだった。
まーね。ほとんど勉強してないし。ワープロ検定とはいえ1級だし。世の中甘くはないんだよ、てことだよ。
ただ、どこが悪くて落ちたのかが分からん。リターンマッチをするにしても、ちょっととっかかりがつかめないのが難である。
しかしなにがショックといって、自慢ではないがわたくし、検定と名の付くものが不合格になったためしがないのだ。
なぜなら。
今まで1回しか受けたことがなかったからなのだった。
それも大学の時に取った簿記3級だもんな。そのほかは英検4級すら受けたことありません。そりゃ落ちたことないわな。
これで、勝率10割から、一気に半減して5割になっちまった。今後どんなに受けても10割に戻ることはないのだ。ぐぞー。
なんか、悔しがりどころを間違えてるような。
2004年11月23日Tue.
ゴローさん
勤労を感謝する日である。
勤労の感謝とはなんの関係もないが、同期の0さんが 「飛び石連休のお供に」 と貸してくれた
「プラネテス」 を読んだりして過ごしたのだった。
…これは。たしかに往年のSFファンがよろこぶかもしれない。
ちょっとネタバレ反転。
木星到達の第一声が「さよならジュピター!」だったのには死ぬほど笑いました。左京先生はやっぱり偉大だ。
そしてこれを読んで絶賛した人から、BSのアニメ版がブーイングを食った(らしい)のもよく分かった。
ブラッドベリだと思って読んだら岬兄悟だったよーなもんだ。最初から岬兄悟を読むつもりならよいが、なにせ落差が激しすぎる。フィーさん以外全員人格がかわっているではないか。
特にタナベ!
かつてない映像詩になるかもしれなかったのに、ただのアニメになってしまった。もったいない。
ところで、本編プラネテスには、住吉がだーいすきなキャラクタがいます。
さて、だれでしょう。
2004年11月20日Sat.
ぬ〜ぼ〜。
えー、あー、生きてます。
とつぜん残業が増えたりして、毎日乾いた笑いを発しながら、ともかくも生存はしています。
ただもう、家に戻ってごはんを食べると、日記を書くどころではなくツブれてしまうのでした。
いつまでつづくぬかるみぞ。
ところで、おとといはボジョレーヌーボーの解禁だったらしく。
飲んだ人によると、 「ジュースみたいでおいしかった」 とのこと。
「あれならひとびんいけるかもよ〜♪」
だそうで、別にこだわるものはないのだが、買ってみても良いかも。
2004年11月16日Tue.
イベント
あかん。ついに腰にきた。
ので、先輩をさしおいて先に代休をいただくことにした。
本当は休んでるどこではないのだが、エネルギーゲージの残量がゼロに近い。
疲れ方もいろいろなのだ。
たとえば残業がこんでいるときでも、仕事だけしているのならば、ちょっとは保つ。
問題なのは仕事以外のことがきたりした場合で、1日のうちに複数種類をことをこなさねばならない日が続いたりすると、それだけ体力気力を喰っていくのだ。
これを、住吉のイベント制体力係数と名付けることとする。
たとえば、出勤して仕事をすることを1イベントとしよう。
仕事以外の研修は0.7イベント。
手のこんだ夕ご飯を真面目に作るのが0.5イベント。
組合の仕事があったりすると0.5イベント。
スポーツクラブに泳ぎに行ったりするのも0.5イベント。
風呂だけ入りに行ったら0.3イベント。
遊びに行くのは0.7イベント
見合いはおおむね0.8イベント。
これらを1日のうちで足して、1.5イベント以上になったらもうダメ。残数ゼロ。ちーん。
先週から今週にかけて、組合の残務整理とか帰ってから勉強したりとか髪切りに行ったりとかいろいろあった。そのうえ日曜出勤でとどめがきたので、ゲージが回復するどころではなくなったのだ。
そんなわけで、今日は洗濯をしてちょっとテープ起こしをしたほかは、ほぼ1日だらだらと体力充填につとめたのだった。
ちなみに飲みに行くのはマイナス0.3イベントなので、てっとりばやく回復するには一番良いのだった。
2004年11月14日Sun.
脅かす
日曜出勤だった。
いやもうほんとに、疲れたのだった。
ナニをやったかというと試験監督で、まあそんなに緊張するものでもないのだが、今日は来年からお願いする人たちが見学に来てたりして、妙に肩に力が入ったのだ。
おまけに最後、試験の係だけ年に2回実施のテストの監督があって、とどめを刺された気分なのだった。
しかし試験を受ける方は真剣である。その試験はマークシート方式だったので、エンピツの音も響かずにひえびえとした沈黙が教室を支配する。
ここでいきなり「わっ!!」とか言ったらそれこそ刺されるだろうな〜、と思いながら、つつがなく監督業務を終えたのだった。
試験といえば、妹が合格率9.4%の難関国家資格に一発合格したのだった。
エラかったので、ちょっと宣伝。
2004年11月13日Sat.
華燭の宴
中学時代からの友人の結婚式が東京湾岸でとりおこなわれた。
新婦も幸せそうで、感慨深かったのだった。
ところで住吉は自分の服装及び顔造りのセンスにきっぱりと自信がない。
それはもういさぎよいほど自信がない。
しかしほかならぬNちゃんの結婚式であるので、そんなことも言ってはいられません。妹に協力を要請し、彼女の全面的なバックアップのもと、一時的に姿形を作り替えたのだった。
妹としては 「せめて人並みにしてくれないと恥ずかしい」 という思いがたぶんにあったのだろう。髪の毛や眉もぜーんぶ当たってくれて、化粧もばっちりほどこしてくれたのだった。世話になったのう。
ふだんアイラインなど引くこともないので、でかいだけの目がますますでかくなり、人造人間スミヨシなどに見えなくもなかったが、それは見慣れないからだと彼女は言う。ともかくもめずらしいことなので、叔父叔母イトコと祖母にも見せに行ったのだった。←あほや。
新婦のドレスは始めが白で、お色直しが濃紺、どちらも色白の彼女によく映えて、きれいな花嫁さんでした。
披露宴もとてもよい雰囲気で、新郎新婦もあえて高砂ではなく同僚の方々と同じテーブルで食事をしたりと、なごやかに過ぎたのだった。
お幸せに。
2004年11月11日Thu.
品のない
自分で自覚しているが、わたくしはあまり性格的に上品ではないらしい。
かといって 「下品か」 とか正面切って聞かれると、それも返答に困るのだが。
「品がない」 というのは便利な表現であると思う。
←そうか?
で、 「品のなさ」 も、使いようによってセンスを感じさせたりするもので、
霞流一あたりは計算された品のなさという気がする。上品な品のなさというか。
未亡人の鼻先でクサヤを焼いたり。おいおい。
これが
蘇部健一あたりになると、押さえた品のなさになるので、またちょっと趣が違う。ミステリのキーワードに
勝負パンツという言葉を使ったのは、おそらくこの人が初めてであろう。
2004年11月10日Wed.
景気
密度の濃い1日であった。
ちょっとさぼり気味だったテープ起こしの勉強を最近再開したので、この2〜3日はかなり濃いい目だったのだが、それにも増して。
まあとにかく、仕事はいつもどおりテンションが低めだった。
そのあと髪を切るべく、自宅近くの駅まで戻る。今週末に友人の結婚式なので、人相を整えておかねばならないのだ。
いままさに美容院に行き着かんとす、てなところで、実家から電話。
中越地震で流れたアルビレックスのホームゲームを、国立競技場で今晩! やるというではありませんか!
しかも新潟から叔父叔母が観戦に来るというではありませんか!
行くしかない。
髪切り時間と競技場までの道程を計算し、後半には間に合う! とスバヤく判断。住吉にしては近年まれに見るアクティブなアフター5を過ごしたのだった。
試合結果は「ちえ」というものでしたが、やはり見に行っていた妹を中継して、叔父叔母と無事邂逅。いやー、ああいう天災のあったあとだけに、顔見てほっとしたですわ。
叔父貴たちはバスのツアーでここまで来たらしいのだが、関越がいつ止まるか分からないので、東北自動車経由で7時間かけてたどりついたとのこと。2時間で東京ー新潟を結ぶ上越新幹線は、やっぱ偉大だったのだ。
「長岡がダメになると新潟ももろともにダメになるからね」
と言うが、たしかに新幹線と関越、二つの大動脈が遮られると、その先の新潟市は大打撃である。げに長岡は交通の要衝であることを、こういう形で実感したくはなかっただろう。
もともと越後の国は、政治も経済も長岡が抜き出ていた。県庁所在地が新潟市となったのは、維新政府の謀略というかイヤガラセだったという説もある。県名と県庁所在地が一緒である県は、薩長の思惑でそれまでの国の中心をはずされたという。福島しかり、山形しかり。ありそうな話だ。
今回の震災では、県内の温泉地もキャンセル続きで打撃を受けているという。次に連休があったら新潟の温泉旅館に行くことに決定したのだった。
2004年11月6日Sat.
午後出勤
世間は週末である。
しかしわたくしは世間の波にさからうよーに午後から出勤なのだった。
まー特にめずらしいことではないしさ。いちいちやさぐれてもいられないし。
サービス業の方々に較べたらなんてことないんだし。
でも来週も日曜出勤なんだよな! 太陽に向かって吠えてみたり。
で。こういうシフトの時というのは、何事もなければ何事もないのだが、なにかあるとそれはもぉひっくり返るような目にあうというのが相場である。 「ほどよく」 という単語は存在しない。
今日は後者であった(涙)。
お疲れさまですFさん〜(涙)。
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気が付けば11月に突入して1週間。気の早いデパートではクリスマス商戦を開始していたりする。早すぎるぞまだ勤労感謝もしていないのに(怒)。
まあそれはどうでもいいのだが、このままではなにも更新しないままで今年が終わってしまうではないか。
いかん。いかんよ。このところ日記もさぼりがちだし。いや趣味でやっているんだからいけなかないんだが。
てなわけで、ちっとは本来の目的を果たすべく、ちまちまと壱岐・対馬の道中を書き始めています。
近日アップ予定。と書いておかないと、自分にプレッシャーがかからないのだった。
2004年11月5日Fri.
5時と共に去りぬ
てなわけで、昨日は同僚たちと女性ばかりの5人で飲んできたのだった。
うち、自他共に認める酒好きは、わたくし含め3人。どれだけ飲んだのかは内緒。
明けて。なんとかふつか酔いもせず、かなりすっきり憑きものが落ちたような気分になったのだった。
強制排出というやつかもしれない。
2004年11月3日Wed.
初バリウム
人間ドックとは、要するに半日かけた健康診断ということなわけだ。
だいたいどういう様子か分かっていれば、そんなにまごつくこともない。が、あちゃこちゃ連れ回されたり胃レントゲンでぐるぐる回転したり、結構体力を使うので、元気なうちに慣らし受診しておくのがよいかもしれない。
結果は後日郵送されるらしいのだが、当日分かったところについて、軽く面談してくれた。
「右目があやしいので、脳のCTとか取った方がいいかもしれないね〜♪」 とブキミなことを言われた以外は、内臓関係も痛風も糖尿もオールクリア。よかったよかった。これでまだビールが飲める。
2004年11月1日Mon.
飲食禁止
ブリヂストンが石橋さんというのは知っていたが、サントリーも同じゴロだったとは。
赤玉ポートワイン=太陽= 「サン」 に、創業者の鳥井さんを合わせたのだとか。(by「フォックスの死劇」霞流一)
そこまでしてカタカナ社名にしたいものかと思うのだが、まあ、そんなものかもしれない。
ダスキンは 「ダスターぞうきん」 だし、ミノルタは 「実る田」 だし。
この手のとりあえず命名法は、探せばたくさんあるような気もするのだが、今日は余計な労力を使う余裕がないので次に気が向いたときに回すことにする。
なぜなら! 明日は人間ドックなのだ!
よーやく健保の補助がおりる年齢に達したのだ! 年を取って良かったと思う瞬間である。あれ?
風邪を引いてノドが荒れてたりする状態で、どこまで正確に結果が出るもんだかアヤシイものなのだが。次の日が休みの平日で、しかも業務に支障がないような日というのがあまりないので仕方ない。再検査とか言われたらどーしよ。
ともかく8時までにご飯を済ませ、12時以降は水も飲んではいけない。それが12時間以上続くのである。
空腹に耐えなければならないが、どちらかというと耐えられないタチだったりするのだ。
しかしそんなことも言ってられないので、心頭滅却などこころみたりしているときに。
なんで今日に限って焼き芋屋さんが歌いながら通っていったりするんですか!