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2004年8月31日Tue.
夏風邪はなんとかが引く
台風16号は各地で甚大な被害をもたらしたらしい。
しかし今夜旅立つ予定を延ばしたのは台風に影響されてのことではない。いや、ちょっとはあるのか?
合宿最中にどうやら風邪を引いたらしく、本日は熱が7度5分。
明日には治して出立したいところなのだが、昼の時点で7度から下がらなければ、また延期かも。
で、しかたないのでぼんやり休息することに。
ちょうどプロバイダでユン・ソクホの「秋の童話」を無料配信していたのでぼーっと見てみたのだが。
また兄妹ネタかいな。
韓国の萌えネタなのか? 「みゆき」を持って行ったら売れるんじゃないだろか。
2004年8月30日Mon.
ぼくの夏休み
帰ってまいりました。信州より。
心配されていた台風は、どうにもとろたら奄美・九州地方を歩き続け、直撃どころか南信地方晴れてましたよ。
しかし、借りていた施設のグラウンドは、なんでも前週の花火大会が繰り延べで今週になったとかで、あんまり練習はできなかったのだった。それでもトスバッティングとか振り回しすぎて肩が痛いです(涙)。
ぽっかり空いた時間で、どうせ信州に来たのだからと、飯田まで繰り出して天竜川ライン下り。1時間近くで3千円ほどしますが、川面からの眺めは絶景だし、お魚を網で上げて船の上で焼いてくれるし、。
「どーせ観光地仕様だろう」 と思っていたのだが、これは結構おすすめかも。
で。夜は繰り延べの花火大会。泊まっていたところは危険区域に設定されるほど近いところで、久しぶりにちゃんと花火を見ました。
なんか、8月も押し迫ってから、正統派日本の夏休みを過ごしているのかも。
2004年8月27日Fri.
迫り来る
台風がどんぴしゃになりそうなのだが、明日から野球部の合宿で長野に行ってきます。
屋内練習場での練習になるだろうけど、借りられなかったら温泉三昧かー?
うーむ。それでもいいかも。←かなり真剣。
2004年8月26日Thu.
日頃のツケ
休みの日だったはずが、引き継ぎをするのに結局半日仕事に行ったのだった。
しかし午後には晶さんがウチに来る。
その前にせめて掃除機くらいはかけておきたい。
「隅の方が白くても気にしないでくだサイ」
と言ってはあるものの、親しき仲にも礼儀は必要なのだ。少なくとも床は見えてないと(汗)。
がんばれ自分。
2004年8月24日Tue.
東北は広かった
ちょっと旅行せねばならないということで、3連休中に2泊3日で東北逃避行を企てた。のはいいのだが。
出勤のあとは1日ダラダラ過ごさねば保たないカラダとなってしまったため、1泊旅行となってしまったのだった。
で、どこに行くか決めていなかったので、 「とりあえず静かで行ったことがないところ〜」
ということで、平泉に行くことにした。
平泉編
突然行くところではないかも知れない、と気が付いたのは、新幹線の切符を買った時だった。
高かったのである。
東北方面には何回か行ったことがあるが、どうも関西ほど距離感をつかめていない。もしかして平泉というのは岩手県で、なおかつ岩手県はすごく北なのではないか、と思ったときには遅かった。いまさら取り消しもできないので、腹をくくってコンクリの覆いに囲われた金色堂を見てきたのだった。
米沢編
「とりあえず静かで行ったことがないところ」 という基準のほかに、 「帰りやすいところ」
というのが加わった。で、平泉からひたすら南下して福島で分岐。とっぷり暮れてからホテルにチェックイン。
明けて。
晴れのち曇りの予報だったというのに、どーゆーわけか朝から雨が降ってきた。米沢はわたしに恨みでもあるのか。
上杉神社周辺を歩き回っているうちにどんどん本降りとなり、気温も下がってきて8月だというのに風邪を引きそうだ。
ちょうど雨宿りがわりに入ったのは小嶋屋本店の 「東光の酒蔵 」。酒造りの資料館となっていて、奥の売店では試飲もできるのだ。
ついふらふらと寄っていったわたくしに、 「飲んできー」 と注いでくださる売店のおばさん。
それはありがたいのですが、ひとつ問題なのは。
素泊まりだったもので、朝ごはんをどこかで食べようと思っていたのだが、食べられるところを発見できずに今に至っているのである。
すきっぱらに朝っぱらから日本酒。なんとなく韻を踏んでみました。
ええと、気分良かったです♪
2004年8月20日Fri.
見合った。
見合いだった(疲)。
先方とこちらの都合をすりあわせて、夜に会うことにしたのだが。
8月は、間にぼつぼつ休みがある代わりに、出勤した日はひじょお〜に忙しかったりするのだ。うううう。
今日も余裕をもって時間を設定したつもりだったのだが、結局ぎりぎりまで残業したので、待ち合わせの時間にまさに滑り込みセーフ。
化粧を直すのがせいいっぱいで、トイレに行く暇もありませんでした(涙)。
来週の出勤日は帰れないかも(涙涙)。
2004年8月19日Thu.
再会
北海道に嫁いだ後輩が、出産で帰ってきている。無事産まれたそうでおめでとう!
それに合わせて、四国に嫁いだ後輩も娘2人をかかえて帰ってくることになった。ほ○ちゃん大きゅうなったのう。
在職中の後輩が予定を調整してくれて、4人プラス2人で久しぶりに会うことにした。
東京駅の真正面、丸ビルというところに初めて入ったが、アクセス最優先なのでこういうときは駅近が嬉しい。
遅めのランチはイタリアン。ほぼ当然のように昼ビールを楽しむ面子なのだが。
うち二人は授乳期間中だったりするのである。だいじょうぶではあるらしい。
今度は夜に飲もうねー。
2004年8月18日Wed.
めだるらっしゅ
アテネは絶好調らしい。
時差のせいもあって、ゆっくりテレビ放映をみられるので、さぞ視聴率も良いだろう。
と、いいつつ私もなんだかんだで見ているのですが。
今日も柔道にメダルの期待がかかっている。見ればやはり自分とこの国の選手を応援するし、盛り上がるし、にわかナショナリストになるのに別にためらいはないのだが。
ここまでメダルがかさむと、どうも、メダルを取らなかった人のことを考えてしまうのだ。
これはぜひマスコミに言いたいことだが。
もうメダルの数を数えてはしゃいだり、メダルの期待期待言うのはやめにしなさい。
期待するのは、周りで応援する人や視聴者で十分です。
選手を嵐のようにヒーローに祭り上げて、彼らの人生にはなんの責任も持たない報道のありようは、「報道の自由」ではありえない。報道合戦は視聴者のためと見せかけて、実は報道する会社のためである。
とか書いているうちに、上野選手が金、泉選手が銀だった。
試合は選手のものだから、勝っても負けても選手自身がかみしめるものがあるだろう。勝った選手に賞賛を惜しむものではないし、負けた人には雑音に負けないで欲しいと思う。
2004年8月16日Mon.
語感
へろへろになって帰る途中。
なんの脈絡もなく
「パラグアイとはらぐあいって、なんか似てますよね〜」
と同僚に言ってみたらば。
「全然ちがう」
とあっさり斬って捨てられました。まる。
ちなみにパラグアイの首都はアスンシオンというそうで、意味も教えてもらいましたが覚えられませんでした。3歩あるいたから。<こら
2004年8月15日Sun.
消化のよいもの
今日は終戦記念日にして、今年七回忌を迎えた祖父の誕生日である。
お線香の1本もあげに行かなかった不孝な孫だが、せめて供養のためにビールで献杯。<もしもし。
今日もなんとなく胃がもたれていたので、ジャガイモとキャベツをコンソメで煮込んだもので夕飯にする。
そろそろタンパク質が欲しい。
2004年8月14日Sat.
コルクのエキスでふつか酔い
そんなわけで、今日は休肝日なのだった。
しかし「休肝日」で一発変換。辞書やさんにまで飲んべが認知されているのね。
2004年8月13日Fri.
コルクにもげられる
ちょっと寝酒が欲しくなって、ブランデーを取り出した。
洋酒はなにしろコルク栓がいい。あのきゅぽん! という景気のいい音がなんとも言えないのだ。
が。
なんということだ開けようとした途端きゅぽんどころかモロッともげてぼろぼろ落ち込んでしまったではないか!
瓶の中に漂うコルクのくず。
秘蔵のカミュのナポレオンなのに、飲み尽くすまで茶こしで濾さなければいけなくなってしまったのだった(泣)。
2004年8月12日Thu.
蝉にたかられる
我が家の近所はちょっとした蝉の楽園である。
近くの竹藪から、日がな一日大合唱が鳴り響く。
蝉さんはその生態上、7年間も暗いところで隠忍したあげく、たったの1週間しか青春できずにその一生を終える。
だから日の当たるところにでられたならば思うさま青春していただいて結構なのだけれども。
うちの玄関先ではかんべんしてください。
慣れてきたとはいえ、目の前でバタバタ飛び回られると結構コワイのだ。
帰宅すると扉の前で2匹が青春していたので、一段落するのを待って開けようとした、のだが。
急に活動を再開してくださったので、開けるに開けられなくなってしまった。
バタバタバタバタバタバタ。
きゃ〜〜〜〜、と立ちすくんで、静かになってみると、2匹ともわたくしにしがみついているではないか。
わたしは木じゃないのよーーーー!!
2004年8月9日Mon.
たぶんオッケイ
週があけてもいろいろあり、かなりサツバツとした気分だったので、飲んで帰ることにした。
ラフロイグを3杯。
野菜スティックをつまみながら、鳥飼否宇の「中空」などひもとく。
横溝正史賞を受賞しただけあって、なかなかサツバツとしているのだが、結局これが一番のストレス解消になるのだった。
2004年8月8日Sun.
おかたづけ
ようやく休めました〜! ああづがれだよおお。
遅くに帰ってるうちは気にならなかったというか気にしてられなかったが、日の当たるところで見ると床が白くなっている…。
てなわけで、掃除をして布団を干して洗濯をしたのだった。
それからビールを飲んで昼寝をしたのだった。
この10日間、作り置きのカレーが大活躍したのだが、さすがに途中で口の中が荒れてきて、居酒屋でおひたしや海草を補填してきた。
明日はまた早番だ。うう。
2004年8月7日Sat.
終わりよければ
地獄のロード終了。
えー、まあ、ゴロがよいのでそう称してみたわけだったのだけど。
ほんとに地獄になるとは思ってもみませんでした(泣)。
そこまでおおげさではないですけど。
まあ。その。
月夜の晩ばかりじゃねえぞ
と、なんど思ったことかっ!
なんというんでしょうねえ。
いうなれば、ワガママでプライドが高くて無責任な議員さんに手を焼く地方公務員の苦労に近いでしょうか。
げにすさまじきは宮仕え。というほどでもないけども。
もっとわかりやすく言うと。
たとえばマラトンからアテネまで水道橋の建設を計画したとしよう。たとえばです。
資材の調達、人員の確保、肝心の稼働性など、すごーく綿密な計画が要求されるのに、工事の当日に設計書を持ってきて、工事が進むにつれて、 「ボクは思いつきで変えるヒトだから」 と、次々と橋の形状を変えていってくださる、てなもんで。
別に性悪なわけではないんだろうけど、みーんなが 「困る!」 と言っているのに、自分が正しいと無邪気に思いこめる才能ってのは、本当に迷惑である。あんたに給料もらってるんでないのよわたしら。
これのせいばかりではないが、毎日のようにトラブル続発で。それでも 「やってられるか!」 と投げ出すには、スタッフ一同が常識的な社会人でありすぎた。てか、それがふつうなんだよジイさん。
そんなこんなで期日がきまして、アテネまで橋がつながりました。
設計のボロは、現場の職人達がモルタルでふさいで、ずいぶん漏水もしたけれどとりあえずアテネまで水が届きました。だからたとえばですってば。
ウチの場合、なんとなくつじつまが合ったし、よいことにすっかー! と、なるにちがいないのだった。
疲れたしもうそれでいいです(涙)。
2004年8月4日Wed.
避雷
朝5時半起き(泣)。
野球部の大会は、17対7という非常に景気のいいスコアで終了した。お疲れさまです。
スコアほどの大敗ではない。と思う。打撃戦だったし、ウチの方もずいぶんクリーンヒット打ったし。
てなわけで。
ああああ、ちょっと打つの待ってっ! とか、たっちあっぷってどーやって書くの〜! とか、だげきぼうがいひらがなで書いといていいですか! とか。半狂乱になりながらスコアをつけていたのだった。
隣接する田んぼで鳥追いの空砲がぼすぼす鳴り響くのが追い打ちをかける。
ついに適当にお茶を濁した(涙)。点数さえ間違ってなければ!
ところでこのこのグランドは、だだっ広い河川敷の運動公園にある。というか、グランドが何十面も寄せ集まっている。
今年は大丈夫だったが、この季節はだいたいいつも、夕立がやってきて雷鳴がとどろくのだ。
この広い野っぱらで、雷に遭遇したらどうなるか。しかも軟式野球では金属バットを使用する。
しかし、安心めされ。わがチームには、身長180pを越す一塁手がおられるのだ!
「落ちるならTさんのとこだよね」 ←本人の前での会話。
ひどい人たちだ。
だから今年不参加だったのか? まさか。
2004年8月3日Tue.
いい大人
地獄のロードも佳境に入り、明日は結局、野球部の試合のあとに出勤することにした。
ま、それはよいのだが。
今週かかっているイベント、前もって綿密に段取っておかなければならないよーな性質のものなのに、担当者が
「ボクはやっているうちにドンドン変えていく人だから」 とか言って、ほんとーにドンドン変えていってくださるものだから、現場は振り回されてさーたいへん。
ドロナワのようにビデオをダビングして送れだの、そのビデオが画質が悪くてどーにもならないので、
「どーにもならないのですが」 と言ったら 「そんなことはない! いっつもそれでやってるよボク」
と言い張った挙げ句、結局ビデオを間違えていたことが発覚しただの、いやまあ、いろいろやってくれるわまったく。
今日など当日急に用意したパワポの資料がうまく送れなくて、事務担当の同僚が関係者各位に謝罪していたが、これは用意した方に問題があったわけで、もうまったく同僚の責任ではない。
その上。
「ボクのところに責任がこなければなんでもいいんだけどね」
とのたまってくださったりするもので。
ふざけんじゃねえ。
と言いたいところだが、そこはこらえて
「いえいえそんな。責任持っていただかなければこまりますう」
と笑顔で釘を差すのが大人の対応♪
しかし敵はワタクシより倍くらい大人なはずなのだが。
2004年8月1日Sun.
こづかい稼ぎ
同じ課の同僚が、そのむかし海女さんをやっていたことが発覚した。
日本海を臨む風光明媚な町をふるさとに持つ彼女は、高校生の時に海に潜ってはアワビやサザエやもずくを採って、お小遣いの足しにしていたとか。
「ほら、ファミレスもコンビニもない時代だし、ほかに高校生がアルバイトできるようなものがなかったしー」
と、おっしゃいますが。
3時間潜って5千円くらいになったとは、今から考えても相当割がよいような気も。体力も使うけど。
もちろん高校生といえど、漁業権を持たないと密漁になってしまう。彼女の場合はご実家で持っていたのだとか。
「えっと、白装束ですか?(わくわく)」
と思ったのですが、 「水着の上にTシャツ」 が通常のいでたちだったそうで。