
日記TOPへ戻る
2004年6月30日Wed.
得手不得手
明日から仕事の担当が変わる。いままでやっていた業務は別の人に引き継ぐのだが。
てことは。
延ばし延ばしにして見ないふりをしてきた台帳付けを、今日中にやってしまわなければならないっつうことですかい!(泣)
ここまで引っ張ること自体、ちょっとどうにかしているのだが、まじで、脱力して泣きそうになるくらいヤな仕事なのである。
てことで。
脱力して泣きながらやりましたよ。だいたい。←だいたいかい。
以前担当していた同僚(後輩)たちも、軒並み 「めんどくさかった」 と言っているので、苦手なのは私だけではないだろう、というのがなぐさめになっているのだが。
どうにもいやなのは、もっと効率のよいやり方がありそうなのに、わざわざめんどうな方法を採っているような気がしてならないことなのだ。台帳なのにいまどきオール手書きというのも非常識だし。
もう胸を張って 「苦手」 と言ってしまうのだが、「ならば得意なのはなーに?」などと聞かれると、あさってを向いて沈黙したりするのだった。
2004年6月28日Mon.
ちょっとまて。
作家の野沢尚が亡くなったという。死因は鷺沢萠と同じらしい。
なんなんだ!?
もちろん野沢さんには野沢さんの事情、鷺沢さんには彼女の事情、それぞれがあるのだから、読み手の勝手で軽々しく関連づけたりはできないのではあるが。
「呼人」 の物語はなんだったんですか、いったい。
ご冥福をお祈りします。
2004年6月26日Sat.
あくてぃぶ
真夜中の電話はいやなものだ。
午前2時40分。ベルが鳴り響く。
なにしろ実家には病人予備役がいたりするし、その他いろいろ不測の事態だってあり得る。かなりのドキドキもんで受話器を取ると。
ツ――――――――――――――ッ。ツ――ッ、ツ――ッ、ツ――ッ………
……………おい(怒)。
午前3時50分。ベルが鳴り響く。取る。…切れてる。
午前5時20分。ベルが鳴り響く。取る。…切れてる。
……こんのヤロー(怒)。
四文字言葉を吐き散らしたくなっても無理ないでございましょう。あたしの睡眠時間返せ。
出るとすぐ切れるというのも姑息である。そりゃま、電話線の向こうで荒い息をされたりするのも気持ち悪いですが、それならそれで般若心経を低く低く唱えてあげたりできるし。
そんなわけで寝不足のまま、仕事に出かけたのであった。土曜ローテ。
なおかつそれが午前中で上がったあと、見合いを一件こなし、夜は大学のクラブの新歓コンパに出席。眼の下が黒い日に限ってアクティブな1日であったのだった。
今日の教訓 : 見合いで世界報道写真展に行ってはいけない。
2004年6月25日Fri.
沖縄料理の底力
ふつか酔いにならずにすんだのは、泡盛と島らっきょのおかげであろう。
昨晩は職場のヒトビトと女の子だけの宴会であった。
中の一人のお友達がオーナーをやっているお店に行ったのであるが。
ふつうのマンションの一室しか見えないドアを開けるとあらびっくり、沖縄料理のお店でした〜! というところで、一見ではぜったい入れない、というか、そもそも見つけられないようなところだったのだ。
しかし入ってしまえば、気取りのない雰囲気で、出てくるお料理もおいしいものばかり。ゴーヤーチャンプルー、じーまみ豆腐、アーサのおひたし、田芋の唐揚げ、ナーベラーンブシー、ラフテーその他もろもろ♪
そしてまた、同性宴会だとエンリョがいらないので、飲む同士でけっこう杯を重ね、帰る頃はおーむねできあがっていた。
おー、明日も仕事なのに、ちょっちやばいかもな〜♪ とヘラヘラ部屋にたどりつき、ばったり沈没。
朝、おそるおそる起きてみたら、特に頭が痛むこともなく。やっぱり沖縄料理は健康によいのね。
しかし飲む同士の一人は、やはりふつか酔いしたのだとか。
さて本日、リンクページをアップしました。
あの! 狭間晶さんのサイトがついに開設!
ディテクティブにゃーロックの先には、さりげなくカエルがいらっしゃったりするので油断は禁物←?。ぜひご覧ありたし。
個人的にはトヨエツな耕助が気に入りなのでした。いえ、トヨエツのファンというわけではなく。
2004年6月22日Tue.
テレビ会議
そんな高級な物が、うちの組合にあったのだった。
機械関係にくわしい組合員が使役したらしい。使役?
急な選管の仕事が入って、7月上旬までなにかしらたいへんなことになりそうなのだが、折しもウチは異動の季節。
そのためのどたばたで委員長が本部に来られなかったりしたので、設置したばかりのシステムが大活躍である。時間と空間の差を、ハードウエアが埋められるということ実感した次第ですよ。
てなわけで気分が良かったので、封筒作りなどの作業をしたあと、イタリア料理屋において3人でフルボトルを空けたのだった。
2004年6月21日Mon.
吹き返し
台風6号がおいでになった。
というか、かすめて行ってしまわれた。
どうやら西日本を縦断して北陸方面に抜けたようで、関東圏は無事に切りぬけた…かに見えたのだが。
大型で強い台風をあなどってはいけない。
夕刻から雨が降り始め、帰る頃には立派な吹き降りである。電車も遅れるほどの。
かすめるだけでこれだから、直撃の地域はどーいう状態なのでしょうか(恐)。
夜になり雨は止んだが、強い風は依然としてぴーぷー吹きすさんでいる。しかし窓を締め切るとむし暑いので、にわか雨に注意しつつ全開にして涼を呼んでいたのだが。
なんか、風が哭くたび、きしんでいるような気がするんですけど、このアパート。
さすが築30年。ぐらい。
追記。
とか書いて、ぼけぼけしていたら。
きしむだけでなく、なんと風で網戸が開いてしまったのでした。
おいおい。ホーンテッドマンションかよ。
2004年6月19日Sat.
ゲームの達人
台風は歩みが遅いらしい。
午前中に江戸東京博物館にでも行くか、と思っていたが、晴れた空を見て予定変更。洗濯機を回してシーツと布団カバー、大物二つをやっつけた。
午後は同期の0さんのお宅におよばれしていたので、後輩TK嬢と訪問。
で、0さん邸でなにをしたかというと、
逆転裁判3だったりするのだった。
全編はやりきれないので、お試し第1話のみ。格ゲー得意のメーカーが作ったソフトだけあって、オーバーアクションがすごい。が、たしかに面白い。
だから自分で買うか、というと、うちにはゲームキューブを置いとくスペースはないし。しかしゲームボーイアドバンスSDならMDプレーヤーほどの大きさだから手軽だし。うーむー。
まあとりあえずゲーマーさんになる予定はないし、これ以上家電を増やしたくないので、しばらくは購入することはないであろう。
ただ、プレイステーションでひとつやってみたいゲームがあるので、それがなくなる前には考えるかもしれない。
高機動幻想ガンパレードマーチというのがそれである。ロングセラーなのですぐに消えることはないだろうが、PSも新機種が出るということだしなあ。
ちなみにこのゲーム、梶尾真治さんの娘さん夫妻が開発に関わっているそうで、メディア部門で星雲賞を受賞している。梶尾家では孫にもとらせて「親子3代で星雲賞だ!」とか言っているらしい。
0さん宅にはゲームの攻略本もいくつかあって、逆転裁判もしっかり書棚に並んでいた。昔はどうして攻略本が売れるのが不思議で仕方なかったが、いまではよく分かる。
住吉はゲーム専用機を持っていないが、パソコン上にフリーのゲームファイルをダウンロードして遊んだりしているので、RPGなどやると。
要するに、「謎を解く」ということよりも、「その先の話が知りたい」という欲求の方が強いのだ。謎を解かないと先に進めないということは、面白い本のページをめくれないのと同じことで、まことにフラストレーションがたまる。恣意性の形態が変わるだけで、本や漫画といったほかのメディアと根本は変わらないのだ。
なるほど、なのである。
2004年6月18日Fri.
上昇中
ちょっと暑いのだった。
おとといは職場の人のオフ会の応援要員として飲みに行き、昨日は組合で遅くなったりして少しヨロヨロしているのだが、住吉がヨロヨロしている間も世の中は回っており、順調に暑くなっているのだ。
だいたいが、1年でもっとも日の長い時期なのである。
梅雨の間は日が差さないが、前線が遠のいて晴れ上がったりすると、いつまでも日が沈まない。
ゆえに、暑い。
もっとも腹が立つのが、平日はカラカラと晴れているのに、休日になると途端に雲がちになりやがるんである。
シーツ洗いたいのよ! 布団干したいのよ! と叫んでもお天道さまは聞いてくださらない。
この週末は、なんか台風がくるらしいんですけど(嘆)。
2004年6月15日Tue.
作家の死
今日はちょっと暗い話になるが、追悼ということでひとつお許し願いたい。
作家、鷺沢萠が亡くなったということを、うかつにも今日になるまで知らなかった。昼休みの雑談で
「自殺したらしい。少し前のニュースで見た」 と聞いた。
なにそれ、冗談でしょ、である。
冗談でも勘違いでもなく、公式ホームページに管理人の渡部さんの報告が載っていた。ネットニュースの過去ログで、月命日を二度も過ぎていることも知った。
年が近いこともあり、高校3年でデビューした当時から存在は知っていた。好きな作家ではあったが、特に追いかけて読んでいるわけでもない。正直なところ、自分がここまでショックを受けているのが意外であるほどだ。
だがどうも、 「鷺沢萠」 と 「自殺」 というのが結びつかないのだ。仕事は好調、前向きで意欲があり、仲間がいて、酒を飲み、黒川のおっちゃんと麻雀し、藤原伊織に寿司をたかる。亡くなる2日前までいつもの調子で日記を書いているのだし、なによりも愛犬コマを置いていくはずがない。
もちろん、媒体に露出する人物像が、実情とかけ離れていることがあると理解してはいる。だが、公式ホームページの日記、あるいは角川文庫の
「サギサワ@オフィスめめ」 を読んだことのある人には、私の気分が少し分かっていただけると思う。
遺書もなく、彼女を知る人も 「原因はまったく心当たりがない」 らしい。どんな人でも心の奥の底を分かち合うことは難しいというのは、あたりまえのことであるが、受け入れることが難いことでもある。管理人渡部さんの喪失感は計り知れない。
ご冥福をお祈りします。
2004年6月14日Mon.
冷やしトマト
月曜だというのに、急な用事で実家に帰った。
いい機会なので、いったん家に寄り、小山のような荷物を担いで電車に乗ったのだった。衣替え。
そーゆーよーな苦労を月曜からしたというのに、肝心の用事の方は結局かたつかず、母とわたくしはなんとなく顔を見合わせて、ゆるゆる部屋に戻ったのだった。
しかし実家の晩飯が、カレイの煮付けだったので、ちょっと得をしたのだと思おう。うまかったです。
で、なんとなく小腹になにか入れたくなり、冷蔵庫を開けてみたら。
昨日の晩、ビールのつまみにしようと冷やしておいたトマトが小皿に盛られてちんまりと鎮座ましまし…。
皮をむいてしまっているので、もはやしなびて食べられません(涙)。すぐ取り出すつもりでラップかけなかったし。
今朝も冷蔵庫開けたのに、何で気が付かなかったのだか。ああもったいない〜。
2004年6月12日Sat.
貧血
ひさしぶりにハクション大医院へ、血液検査の結果を聞きに行った。
どうやらまたしても値がひどかったらしい。3ヶ月前の検査ですが。
結局、朝晩と鉄剤を飲むことになった。
「胃が痛くなったらてきとーにやめといて」 だそうですが。
貧血の改善は食生活から。ということで。
魚屋さんに寄ってみたらば、ブリの頭が100円!
わーい。カマの煮付けにしよ〜! と、喜んでひとつ買って帰ったのだった。ほんとは2,3個買って冷凍しておけばよかったのだが、あまりの安さに大量に買うのは気がひけたのだった。
で。ぐつぐつ煮たあとは、煮汁で雑炊。
うふふふふふふ。
2004年6月10日Thu.
どうなるんだか
7月からの異動の全容がほぼ発表になった。
ま。ひとことで言うと、
悲喜こもごも。
住吉がどっち側なのかはあえて言わない。
言うとすれば、生きててよかったね、アニキ! ←謎。
今日は同期の0さんとお昼を食べた。彼女のところには後輩 Kっち(♂)が入る。
かつて住吉と同じ課に所属しており、 「どんな人?」 と聞かれれば、 「いいやつだよ」 と、まあお世辞でなく答えられる人材である。えらそーに。>自分
ただ。
「むたくた寒いダジャレを言いますが、かんべんしてやってください」
かつていろいろ聞かされたが、寒すぎてひとつも覚えていないのだった。
2004年6月9日Wed.
磁気る
腕時計の動きがトロくなったので、百貨店の時計修理サービスへ行った。
各種修理や電池交換なども、メーカー送りにするよりはるかに早くて安いので、ここ数年ひいきにしているのだった。
たしか電池は少し前に替えたばかりだったよな〜、と首をひねりつつ、他に原因が思い当たらないので、いさぎよくえ?「電池替えてください!」 と言ったものだった。
しかし、窓口のおにーさんは、さすがプロ!
いつもなら、 「○分後にお寄りください」 と、そのままおあずかりになってしまうのだが、ゆるやかに時を刻む秒針の動きからなにかを察知したのか、 「まだ動いてますよね」 と眉根をひそめつつ、いきなり裏蓋をはがしはじめたのだった。
結論から言うと、電源を入れたCDプレーヤーの上に放置したため、時計の金属が磁気を帯びてしまい、それで動きが狂ってしまったらしい。
住吉にはサッパリ理屈は分からないのだが、おにーさんはおもむろに裏蓋を閉め、ひらひらと謎の手つきをしてみせて 、「これで磁気は抜けましたから」 とおっしゃったのだった。
おまけに、 「電池の接触部分がゆるんでいたのも締め直しておきましたから」 ともおっしゃったのだった。
以上、タダ。
ありがとうございます〜♪
2004年6月7日Mon.
予定は未定
仕事が落ち着いてきたので、今日こそはハクション大医院へ行けると思ったのだ。
だいたいおじいちゃん先生が一人で切り回しているせいか、いえ実際切り回してるのは看護婦さんなのですが、月のうち一週間はまとめて休診するし、平日はほとんど午後やってないし。行ける時間が限られているところへもって、4月からいよーに忙しくて血を抜かれたまんまほったらかしにしていたのだった。
が。数少ない平日の診察可能日住吉のに限って、なんだかんだ仕事の後かたづけがかさなって、ふと気が付くと18時。
今からでは受付時間にとても間に合いませーん。
仕方ないので、飲みに行ってしまったのだった。
2004年6月6日Sun.
煮込みハンバーグ
昨日のハンバーグの種を、少し冷凍しておいたのだった。
もちろんいざというときの保存食である。
が、そのいざというときが、今日来てしまったのだった。買い物行かなかったら食べ物がなかった(汗)。
なので、昨日と趣向を変えて、煮込みハンバーグにすることにした。
解凍した種を、鍋に入れ、ぐつぐつ煮えてきたところでサイの目に切ったトマトを投入。
付け合わせはアスパラガスで、おいしい洋食のできあがり!
の、はずが。
煮込んでいるうちにどんどんどんどん崩れてきて、単なる挽肉とトマトの煮込みになってしまったのだった(泣)!
つなぎが甘かったのだろうか。それとも、煮込みハンバーグって、焼いてから煮込まなければいけないのでしょうか。
挽肉とトマトの煮込みをつつきながらテレビを点けたら、 「クリムゾン・リバー」
をやっていたのだった。
くずれた挽肉を食べながら見るもんじゃないよな〜! と思いながら、好きな映画だったのでつい。
雪山が美しいし〜♪ 氷付けの死体とか血濡れの死体も出てきますが。
ジャン・レノはかなり好きなのだが、それだけに車のCMの俗物ぶりが残念で。
2004年6月5日Sat.
ハンバーグ
早出で2時上がりだった。疲れたのだった。
で、帰ってきてついちょっとうとうとしたら、すっかり夜が更けていたのだった。もったいない。
しかし今日の夕ご飯は、ハンバーグをつくらねばならない。
ねばならない、というが理由は特にない。食べたいったら食べたい! というのが Must be。好き勝手できるのが、一人もんの利点なんである。
そらまー、予算に自ずと限界があるので、てっちりを毎日食べたい! とか、最高級米沢牛を3時間煮込んだビーフストロガノフ中沢乳業のサワークリーム添えを毎日食べたい! といっても無理がある。庶民的な感覚で育ってよかったとしみじみ思うのである。
そんなわけでどんなわけじゃ夜中に合挽肉とパンとタマネギをこねこねして、フライパンで焼いたのだった。
ふと、 「真夜中のシャワー」(桂銀淑)という、ちょっと前の歌謡曲を思い出した。1,2度聴いただけでろくに覚えておらず、単に真夜中いう状況で思い出しただけなのだが。
真夜中のシャワーだと艶歌になるけど、 「真夜中のハンバーグ」 だとどうしても谷山浩子だよな。そちらの方が好きだけどもさ。
2004年6月4日Fri.
あふたーふぁいぶ
かねてからの約束どおり、後輩とご飯を食べに行った。
ベトナム料理とベトナムビールである。
ベトナムでは 「3」 のことを 「バー」 と言うのだろうか? 「333」 のラベルの付いたビールの名は、 「バーバーバービール」。
床屋さんに好んで飲まれそうである。
わりと時間が早かったので、食事のあとは駅ビルをぶらついて洋服を買ったり、なんだかOLさん♪のようなアフターファイブを過ごしたのだった。
そしてOLさんは、明日の土曜日、いつもより30分早い出勤なのだった(涙)。どっちかというと疲れたサラリーマンだよなー。
2004年6月2日Wed.
記念日
なんも目新しいことがない〜、と書いた昨日ですが。
すーっかり忘れてましたがこのサイト1周年だったです。
すでにして日記サイトと化しているがいやしかし。1年間よくもまあどーでもいいことを書き続けたもんだわー。
そういえば1周年記念でデザインも変更したいなあ、などと考えていたのだが、結局その余裕はなく。せめてなにか更新しよう。そのうち。
2004年6月1日Tue.
ほしゅ
特に目新しいこともないが、月が変わったのでとりあえず保守。
なにしろ日記ソフトを使わしていただいてるとはいえ、完全HTMLなので、毎月ファイルを新しくしなければならない。
ブログの日記とか借りて書き込みをすれば、そこら辺は楽なのは分かっているが、申し込んだりやめたりするのがめんどうだし。(おいおいおい)
それに不特定多数の方に見ていただくには、あまりにも情けない日常なので、やっぱりしばらくこじんまりこの路線ですね。
そういえば今日からいやんな仕事を始め、明日もそれが続くんだったわ。台帳付け。脱力するほど嫌いなのよ。←情けない日常。