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2004年3月31日Wed.
ではまた
今日で課長とお別れだ。堂々、定年退職である。
2年足らずのおつきあいであったが、なにがお互い気が合ったものか、というか住吉のどこを気に入ってくださったものか、二人でよく飲んで帰ったことだった。たくさんごちそうになりました。ふかぶか。
3人の子の母で、穏やかな物腰にして豪快。食事をしながら話すことといえば、特にどうということのない四方山話で、それで気分良く家路についたものだ。
最後の日にも、結局二人で飲みに行き、旅の話や読んだ本の話、家族、昔の仕事、飼っている猫のこと、いつもと変わらない他愛もないおしゃべりで盛り上がり、これで終わりという実感のないまま、いつものようにお別れした。
お互いしんみりしたのは苦手だし。
「お世話になりました。ではまた」
2004年3月30日Tue.
狭い世界
ひさしぶりに樋口有介の新刊を見つけて一気読み。
この人の本は、文庫になったものはおおむね欠かさず読んでいるが、相変わらず狭い社会の濃密な人間関係を描くのがうまい。今回の「海泡」は某離島の話で、濃密も濃密、プライバシーなどないに等しい(らしい)。そういうところで思春期を過ごした、ちょっとすれた青少年たちの、その年代にありがちな生硬な美しさ、一歩間違えればフェティシズムに陥りがちな面を、よく書けているとおもう。
しかしさすがに、加齢と共にリアリズムに目覚めたらしく、「風少女」の頃のような透明感は遠ざかってしまった。余談だが直木賞候補作となった「風少女」は、私のお気に入り小説のベスト10に入る。
ただ、この人が描く少女の美しさは、あくまで男性の目を通してなのだなー、と思ったことがある。「ともだち」でめずらしく女子高生を主人公にしているのだが、魅力ある造形にもかかわらず、いまいち生かし切れていなかった。やはり男の子を主人公として、かれらに少女の美しさ強さを語らせるのが、一番筆が生きるらしい。
2004年3月29日Mon.
春は別れの季節だし
入職して最初にお世話になった課長が退職する。
今日は個人的な送別会として、二人で飲みに行った。
異動の多さを差し引いても、10年ちょっとで6人の課長というのは、結構多い方ではないか。ましてや万事まったりとした仕事場なのだ。
思い返してみると、今までのところ、総合的に見て上司には恵まれた方だと思う。というより、大アタリか大ハズレかが極端で、数的にアタリの方が多かったというかなんというか。
で、アタリだった最初の上司も、今の課長も、同じ3月に去っていってしまう。
げに逢うは別れの始めなのである。
2004年3月28日Sun.
けほけほ
気分的にはちっと浮上。
しかし相変わらず胸がイタイ。比喩でなく。
だいぶましになったが、朝は声が出なかった。
ためしにチョーヤの歌を歌ってみると。
♪じゃーら"りどぢだ〜ぶ〜げ〜ぢゅ〜
とかいう発音になったのだった。
ともあれ熱発はないので、洗濯をして布団を干して、暖かい昼間のうちにお風呂に入った。さっぱりすると少しはよくなったような気がするのだが、明日はどうだろう。
2004年3月27日Sat.
よろよろ
おとといはガマンの飲み会があり、昨日は野球部の送別会、しかも帰ってから実家と夜中まで電話してたりしたので、かなりよれよれでござる。
今日は出勤して帰ったら夕方になり、どうも本格的に気管支が腫れてきたようで、いやなセキが出ていたりもする。
さいわい熱はないようなので、さほど辛くはないのだが。
よれよれなので、このまま寝ます。起きたらちょっとは浮上している予定。しかし予定は未定。(こら)
おやすみなさい。
2004年3月24日Wed.
生々流転
4月からの仕事の割り振りが決まった。
泣くかも。
というわけで、今日はかなり愚痴っぽくなりますので、読み流すか読まないかでお願いします。
この4月から、住吉は別の部署に移る。正確には所属している課が消滅してしまうので、隣の課にスライドするのだが。
わたし、どこまで流れたらよいのだろう。
そもそもあまり異動がない職場の中で、私はかなり動いている方だと思う。異動そのものに異論はないし、世間では 「あさってから○○支社!」 みたいなとばされかたをすることもまれではないらしいので、そのこと自体はまあ、別にいい。
別にいいというか、上司が最低ってところに動かされたりすると、 「てえと、なにかい? 私は別にどーでもよい人材だったわけかい? おおコラ」
とひがんでみたりもするが、まあそれはそれ。
幸い今度の上司も普通の人で、それはよいのですが。
担当する仕事が。
「やりたくないよー」 「できれば避けて通りたいよー」 と、見ないふりをしていたものに、もろ当たってしまったのだった。
と、いうか、当たらないはずだったのに!!(咆吼)
課がなくなる話はだいぶん前から出ていて、課員の処遇が二転三転しているのは、なんとなくぼやぼや聞こえてきていた。とりあえずだいたいの方向として認識していたのが、なんだかびみょーに、びみょーに、びみょーに変転し、
「どうも最初の話と違う」 という所属に落ち着いたのが先週。で、今日になってきちんと仕事の分担が発表になった。
ええまあ。今の上司も、行き先の上司も、私がその仕事をこんなに嫌がっているとは露ほども思わないだろうし、いろいろ考えてくれているのも分かる。嫌な仕事でも、お給料もらっている以上はなんとかこなさないといけん、というのも当然のことだ。
だがね。経験と勘でやられていた事務仕事を引き継ぐのは嫌いなのよ〜〜〜!!!
※経験と勘でやられていた事務仕事
ex. 文書はコピーしてファイルに綴じといてくれよ!
ex. 綴じたらせめて年度ごとにインデックス付けておいてくれよ!
ex. 台帳なら台帳らしく、おのおののスタイルで手書きしないで、必要事項だけ書き込めばよいようにフォームつくっといてくれよ!
……自分の担当だったら速攻なんとかしたいところなのだが、人の仕事にそうそう手を出すわけにもいかず。たとえ自分の仕事だとしても、やってみればなにかしら文句が出たりするので、あえて火中の栗を拾う元気もなし。そもそも自分のやり方とか感覚が正しいのかどうか、近年自信がなくなってきました。
おまけに前任者も半年前に引き継いだばっかりで、おそらく私以上にわけわかんねい。そしてその仕事のヤマは4月にすぐやってくる。4月末にはくたばってるかも。
こんど一緒に組む人が同期なので、その点だけ気が楽なのですが。
まーね。もっと悲惨な状況になることもありえたわけだし。くすん。
2004年3月23日Tue.
風邪なのにー。
ノド痛いのにー。
なんで今日にかぎって8時まで居残り仕事なんじゃー!
などと言うと、連日9時10時までがんばっている他の部署のひとびとにはり倒されそうだが。
たしかに今の仕事はあまり残業がない。
こんなにのんきでいいのか、と思うくらい、ヒマなときはヒマである。
しかしいくらヒマでも、のんびりと趣味のことをやっていられるわけではないので、それなりに気疲れはするのだ。人の目もあるし。
さくさく進められて適度に忙しく、しかも5時で帰れるお仕事! というのが理想なのだが、世の中はそうはうまくない。
20代の頃は、忙しかった。それこそシーズンは9時10時で、明るいうちには帰れないもん、というのが相場だった。
世間的に見れば、そらもう日付が変わらないと帰れないとか、もっとたいへんな人はたくさんおられるのだが。
私たちの職場がちょっと特殊だったのは、このご時世に完全週休1日だったのである。
土曜は半ドンだったとはいうものの、結局事務処理に追われ、やっぱり8時頃にならないと帰れなかったりして、かなりものがなしかった。
それでも若いうちはなんとかなっていたが、体力って実感として落ちるもんですね。30の声をきいたとたんに、がっくりと土曜出勤が辛くなったのだ。
世の中にはそれこそ、明け方まで働いた挙げ句に休日も結局出勤したりするような人もいるようだが、体こわさないでね。きみももうじき三十路だし。>Kくん。
タイトルつけ忘れたが、めんどうなのでしらんふりすることにする。
2004年3月22日Mon.
母の愛
昨日の法事は、晴れていたがわりと寒かった。
だいたいここのところの天気というやつが、三寒四温まっさおの乱高下で、半袖でいいような気温の次の日に雪なぞ降りおる。
こうなると上着に困る。季節的には黒のロングコートが時期はずれになってくるというのに、寒いのでそれなりの装備をしなければならない。しかし一昨年に買った合皮のハーフコートは、襟元や袖口がボロボロになって、ちょっと着ていくのに躊躇する。
晴れたを幸い、ストールを巻き付けて法要に出向いたが、風が吹くとちょっと寒い。
すると母が、
「これ、着ない?」
と、自分のコートを差し出した。
ちょっと厚手の、黒の五分丈コートである。
「こういうの着るかなと思って買ったんだけど、もう機会がないからいらないし、捨てようかなーと思ってたのよね」
…あたしはゴミ箱か。と、ちょっと思わないでもなかったが、この場合の正しい態度は
「捨てるんならちょーだい」 である。
今日も寒かった。風邪気味でノドをやられてちょっとつらい。
しかしである。もらったコートを早速着てみたら、これが暖かいのですよ♪ 冷たい風もなんのその。
ありがとうおかあさん〜(涙)。
と、母の愛に包まれてぬくぬくしていたのだが。
どういう素材か気になって、ひっくり返して洗濯タグを見てみると、
アンゴラ100%。
あ、あんごら!? あんごらですか!? あんぐらではなく!?
あんごら捨てようとなさってたんですかお母さん!
いつからそんなお大尽さまのような真似を!
アゴがあんゴラ。(…寒い)
母のために言い訳をしておくと、まあ、 「捨てようか」 云々は言葉の綾だろうし。
普段は贅沢とは無縁の、いらんものまでとっておくつつましい人です。ほめてます。一応。
2004年3月21日Sun.
お彼岸
法事だった。
ちょうどお彼岸と重なって、お寺にはお墓参りの人でにぎわっていた。
我が家は両親の家とも禅宗なので、読経にはだいたい般若心経が入る。
もともとはすごく長いお経なのだが、現在よく唱えられているのは、コンパクトにまとめたダイジェスト版らしい。
かつて住吉が新人の職員であったころ。
所属する部署や仕事は、いろいろな意味でかなりたいへんで、今よりだいぶん血の気の多かった住吉は、他部署との摩擦でしばしばトサカにきてとっちらかっていたのだった。
ある日。そのよーなことの一つで課長に訴えた、というかグチったところ。
「研修でもらってきたから、これでも読んで落ち着いたら」
と、某仏教系大学の「参禅のしおり」を渡された。
………………………。
ありがたく活用させていただくことにした。
いろいろとたいへんなことがあるたび、そこに載っている般若心経をブツブツ唱えて心を鎮めることにしたのである。
おかげさまで半分近くまで覚えました。
後日課長にその旨報告したところ、
「唱えるのはいいけど5時以降にしてね」
2004年3月20日Sat.
八手三郎の謎
このサイトの読者で八手三郎を知っているとなると、かなりコアな趣味の持ち主であろう。住吉も30を過ぎてから初めて知りました。
しかし昨今の青色発光ダイオード訴訟の結末など見ていると、東○のとった措置は時代を先取りしていたと見るべきか。
今日はかつてのキャンパスで、卒業式とかいうイベントの仕事だった。
氷雨が降って寒かった(涙)。
大部分の人にとっては一生に一度のことなのに、ちょっと気の毒だったりしたのだった。カラフルな羽織袴などが気の毒加減倍増し。
そういう華やかな側面とは関係なく、今日住吉がやった仕事は、講演者がしゃべり終わったその場から、テープを起こして印刷用の原稿にする、ということだった。
調整室にテープ録音を頼んで、講演が終わると同時に事務室にとって返し、借りたパソコンで講演録をおこそうとしたのだが。
うちから持ってきたイヤホンがぜんぜん聞こえません(汗)。
どうやらテープレコーダーの接触が悪いらしく、イヤホンを替えてもハウってばかりで音声が聞こえない(涙)。
しょうがないから、レコーダーの内蔵スピーカーでそのまま聞いたのですが、周りにはうるさかったでしょうねえ。
時間には間に合いましたから、ま、結果オーライということで。
2004年3月19日Fri.
恋愛体質
昨日は酔っぱらって日記を書いたので、随所におかしなところが見受けられる。でもまあ酔った勢いというものを尊重して、このまま直さずにおいておくのだ。しなくていいって。
しかし二日酔いにもならずにすっきりしていたので、よほどよいワインだったのだろう。いただきもののコート・デュ・ローヌの2001年。メモメモ。
恋愛ものに関してもう少し。
住吉はらぶモノが苦手ではあるが、いちおういいわけ?をしておくと、恋愛関係全般がダメというわけではない。恋愛体質皆無とか昨日書いたくせに←だから酔った勢いだってば
小説でもドラマでも恋愛要素がないとさみしいし、登場人物の恋などけっこう応援してみたりする。
ただし、サブテーマ以下として扱っている場合に限る。
恋愛を主題にされると、とたんに興味がマイナス前屈してしまう。不思議だがほんとにそうなのだ。
だから恋愛もので 「いいなー」 と思うのは、ドライに書いてあるか、他の要素が面白すぎるか、文章が本当に卓越しているかで、残念ながらそういうものは数が少ない。
いままででいち押しの恋愛小説は、板東真砂子の 「桜雨」 だった。これはすごい。ただしこんな恋愛は私はしたくない。
「したくない」 ではなく 「できない」 だろう、と笑ったそこのあなた。まず読んでみなさい。
当然ハーレクインなどにもお世話にならずに過ごしてきたのだが、この中にもいろいろジャンルがあって、その一つにアラスカものというのがあるのを最近知った。
駆け落ちした二人が北海道に行けば許される、みたいなものか? 違うらしいですが。
これだけはちょっと読んでみようかと思ったのだった。
2004年3月18日Thu.
純愛抗体
ようやく「冬のソナタ」全編見終わりました。
えと。一言で言えば。
親の因果が子に報い。
ってことでしょうかね。
かつて通信教育などで学んで、スクーリングなど受けに京都まで行ったとき、東洋史の授業で教わったような覚えがあるのだが。
韓国では、
・結婚したら、女は名前では呼ばれない。
・血筋に対して非常に敏感である。
・ゆえに、血筋が近い人間との結婚とはタブーである。
・恋人はなるべく遠くの人がよい。
「ま、近年ではだいぶん崩れてきています」 と、その先生が言ったのは、10年くらい前の話である。
だから、近頃のヒトビトは全く関係ないかもしれないのだが。
そっか。最近は悩むけど禁忌ではないのね。しみじみ>チュンサンくん。
それでも儒教的観念が残ってるんだなーと思ったのは、この筋立てだと、日本のドラマでは濡れ場が5,6回はあるところだが、劇中で婚前交渉を断固排除してたもんな。そのわりに親の世代があっさりドロドロしていたが。
制作側は、初恋をテーマに、 「一途に人を思い続けることの大切さ」 を意図したということなのだが、、わたくしはむしろ、 「おまえらが思い続けたからややこしくなったのではないか」 と思ってしまった次第。ほんとーに恋愛体質皆無。
そのほかでもつっこみどころも大量にあるわけで。
彼らの故郷である春川は、首都ソウルより車で3時間ほどらしいのだが、
あんなにしょっちゅう帰っていて、おまえら仕事はどうしたんだ。とか。
酒飲んであんなに車飛ばしてもだいじょぶなのか。とか。
家の中でコート着たままお茶飲むのか。とか。
きわめつけは、ビデオの持ち主の姉君のお言葉。
「冬にスキー場の開発なんかやるわけがないだろう」
そーのーとーりっ!
ただし、ドラマとしては面白いし、映像はきれいだし、出色のできばえだったとは思います。
韓国行きたくなってしまいましたよ。
このドラマをきっかけに、日韓の交流も生まれてるらしく、どのようなきっかけであれ、そういうことは喜ばしいと思う。
思うが。
わたし自身は、らぶらぶーな話がちょっと苦手で、今までもそーゆーシーンに突入するたび 「恐るべきさぬきうどん」 とか読みつつ横目で見て耐えていたのである。
最終回は激アマに違いないと予測し、てっとりばやく酔えるワインを手元に置いておいた。
ま、そんなにらぶらぶーなシーンはなくて、わたくし的にはほっとしたのであるが、気が付くとフルボトル空けてしまっていた。
けーっけっけっけっけ。
サンヒョク、君はいいやつだよ(涙)。
2004年3月17日Wed.
アンドロイドはバセットハウンドの夢を見るか
公開中の 「イノセンス」 ですが、士郎正宗の作品というよりは、押井守の完全オリジナルだったようです。
で。見てまいりましたが。
これってラブストーリーだったんですか…?
にしては、
暗い……。
どこの世界にデカルトや孔子さまや詩篇やミルトンをブツブツつぶやくサイボーグな公安刑事がおるねん。いるわけないけど。
なんだかもお、むちゃくちゃ趣味的で、大友克洋の 「メモリーズ」 真っ青かも。主人公が立ち寄るコンビニのシーンなどは全部セットを作り上げて、それから映像に落としていったらしい。一緒に見に行った晶さんが指摘しましたが、「棚のブリックパックなんかは、ちゃんと違う種類が並んでる」
し、あとでパンフを見てみたら 「ハー○ンダッツも写っている」 し。
茶はこび人形がいるし。
球体関節人形だし。
お人形さんのシーンなどは、なんとなく四谷シモンの初期作品が持つ不気味さみたいなのがあって、見る人によって好きずきあるだろうなー。私は見てよかったと思うけど。
しかしバセットハウンドのほっぺたって、あんなに伸びるんですかね。びろーんと。
2004年3月16日Tue.
傷口をきれいにする
たしかに医者は、 「傷口をきれいにするテープです」 と言って、抜糸したあとの背中の傷に貼ってくれた。
小さいくせにすごい粘着力で、お風呂に入っても簡単にはがれない。
うーん。世の中は進歩したものだ。テープ貼るだけで傷口がきれいになってしまうとは。
昔は切ったら切りっぱなしで、この程度の小さな縫い跡は、一生の傷が残ろうがどうなろうが放っといたはず。
と、術後の美容にまで行き届いた治療に感謝しつつ、職場の保健婦さんにその話をした。消毒してガーゼを貼ってもらったあのお姉さんである。ところが。
「ええー、なによそれ (笑)。そんなのあるんだ」
専門家に驚かれてしまった。
「なんかこう、テープから薬効成分がにじみ出て、ケロイドとかをなくしてくれるとかなんでしょうか…?」
と言いながら、往来で見せる私も私。いや、背中といっても肩だからね。脱いだりしませんよまさか。
「薬効成分ってことはないでしょう。ケロイドとかは体質だし」 大笑いされてしまった。
「確かに傷跡って、治りかけだと組織が柔らかいから、動くと引っ張られてシワになったりするのよ。だからテープでしっかり留めとくと、皮膚が固定されて細い筋だけで済むってことはあるんだけどね」
なるほど言われてみれば、そういうことだろう。しかしそれならば、 「傷口を目立たなくするテープ」 が正確なところではないだろうか。
別にこだわってませんけど。
2004年3月15日Mon.
やめておけばよかった
後悔は後からするから後悔というのであって、先には立たないもんである。
後悔の後悔たるゆえんである。
と、いらんことを口走ってしまうのは。
やめておけばよかった。
と、本日しみじみ脱力するほど感じ入ったことがありまして。
まあ、とりかえしがつかない、とか、差し迫って命に関わる、とか、そういうことではないので、のん気なものと言えば言えるのですが。
次に挙げる選択肢のうち、当てはまるものがあるのかどうか、興味のある人は会ったときにでも聞いてやってください。
1.乾燥空豆の先物に手を出したのだが、相場に破れた。やめておけばよかった。
2.寝る前に小腹が空いたので、つい真夜中にラーメンを食べてしまった。やめておけばよかった。
3.アタマを切ったりなんだりしているうちに、スポーツクラブの更新期間が通り過ぎ、年会費が引き落とされてしまった。やめておけばよかった。
2004年3月14日Sun.
10年はひとむかしか
昨日は大学時代のゼミの先生の退職記念パーティーで、帰ってきたのは今日になってからだった。飲んだ飲んだ♪
先生は教授であると同時に、教会の司祭でもあらせられた。日本文学を専攻していたはずなのに、なぜかキリスト教のゼミをとっていたわたくし。
1年のときに一般教養で先生の講義をとって、人柄に惹かれてゼミまで参加してしまったのだった。
でも、そのゼミは生命倫理を主なテーマとしており、宗教色はほとんどなかったような気がする。
パーティーは盛況で、同期や後輩とも何人か顔を合わせることができた。
驚いた。
10年以上会っていないのに、みんなぜんぜん変わっていない。
中には母親になっている人もいるというのに、ほんとうにぜんぜん変わっていない。
思い出話やバカ話をするうちに、すみやかに学生時代に戻ってしまった。こんな気分は久しぶりである。
キリスト教系のゼミというと、なにかしら真面目なイメージが先行しがちなのだが。
忘れもしない、修善寺でのゼミ旅行のとき。
どーしても恋人岬に行くんだ!! と言い張ったのは、司祭である教授である。おかげで約20名のゼミ生、しかも9割が女子学生という集団が、車4台を連ねてぞろぞろと西海岸まで行って、むなしく愛の鐘を鳴らす羽目になったのだった。
また、私が所属していたときに、大学院生が2人いた。一人は母校のチャプレンとなり、もう一人は九州の大学の助教授となっていたと昨日知ったのだが、そのうちの一人が在学中に教えてくれた替え歌。
水前寺清子の 「三百六十五日のマーチ」 のメロディーで、さんはい♪
♪エジプトは〜、歩いてこない、だーから歩いて出るんだよ〜♪
こーゆーゼミだったのだ。
2004年3月12日Fri.
いとぬき
抜糸した〜!!
ようやく思うさまアタマ洗えるのね〜!!
シャンプー使ってはいけん! と言われているし、頭頂と背中はなるべく濡らしてはいけない。ちみちみと地肌の無事な部分を水でこする程度だったので、やっぱりちょっとアブラっぽくなっていたのだ。
ついにはなんだかパーマがかかったみたくなって、 「かわいい」 とか言われる始末。(実話)
イヤダ。さすがに。
2004年3月11日Thu.
ほんの偶然
お仕事で遅くなった。
たいしたことではない。写真をちょっと撮るだけである。
だがそれが、みなさまが飲み食いするところに、自分はしらふでたたずんでいなければならなかったりしたので、ちょっと疲れた。
疲れたので帰りに飲んでいくことにした。こういう日はカクテルに限る。
てなわけで、最近ちょっとごぶさたになった、職場の近くのバーのドアを押した。
先客がいなすった。
野球部の先輩が一人、静かにグラスを傾けていたり。
きけば、ここには遠い昔に一度来ただけで、今日は本当にきまぐれで入ったらしい。
いやー、偶然。こういうシチュってなんかよいよねー。などと言いながら二人で杯を重ね、やがて彼は
「白い巨塔」 を見なければならない、と言って席を立ち、お開きとなった。
結局、すっかりゴチになってしまったのだった♪
2004年3月10日Wed.
解禁
禁酒は5日で終わりを告げた。
帰りしな、課長から 「夕飯食べていく?」 とお誘いを受けたのだ。
断る理由はどこにもない。
今日は東京大空襲の日である。
わたくしたちが酒を飲み、チヌの刺身をつついているこの場所も、60年前は火の海だった。
当時初台に住んでいた課長は、新宿の空があかあかと燃え上がるさまを、くっきりと憶えているという。
私たちのあと、いつの世代まで、風化せずに語り継ぐことができるだろう。
2004年3月9日Tue.
酒のはいる隙間
注文しておいた日本酒一升が届いた。
わたくしが全部自分で飲むわけではない。
定年で退職する野球部員の送別会用である。
うそではない。
一升の重みにちょっと心が動いたが、どうせだから今日も禁酒してしまうことにする。
少量のアルコールは、ほどよく食欲を刺激する。ということは、今日はあまり刺激されていないなのはずだが、異様にお腹が空くのはいかなることか。
夕飯は、野菜たっぷりのラーメンにしたのだが、消化が良すぎたのか物足りない。
新ジャガをふかしてバターをつけて食べた。
なお物足りない。
夜食にトマトリゾットを作って食べた。
やっぱり物足りない。
ママレードをたっぷり落としたロシアンティーを飲んだ。
まだおにぎり2個くらいいけるような気がする。
どうしよう。
2004年3月8日Mon.
地図は読めるが計算のできない女
そうでした。4日に手術したってことは。
昨日は禁酒4日目だった…。
人間の脳細胞は毎日10万個ずつ死んでいるらしいが、住吉の場合、計算をつかさどる部分が集中的に死んでってるに違いない。計算以前の問題のような気も…。
今日も禁酒で5日目。最近の新記録である。しかし5日も飲まないと、肝臓をだいぶんいたわった気になりますね。
とりあえず空飛ぶルーシーのダイヤモンドとかピンクの象とか、そういうものは見えてないので、まだアル中にはなっていないようです。<そりゃ違う症状だろう。
2004年3月7日Sun.
禁酒3日目
昼過ぎまで寝た。
これがまた幸せなんである。
幸せなのは結構なのだが、この眠たさは薬のせいではないかと思われるふしがある。
昼ご飯を食べたあとにまた飲んだら、昼寝をしてしまったのだ。
目が溶けるかも。
2004年3月6日Sat.
薬のリスク
日記史上初の回文タイトルであったりする。たぶん。
手術したお医者さまから、傷口のところを消毒しておくように申し渡されていた。
家庭用のマキロンでよいという。そしてガーゼを当てておくように、という。
しかしなにしろ、頭の上と肩胛骨の上である。患部が自分で見えないのだ。
頭の上はまだいい。本日は仕事だったので、ガーゼはパスして髪の毛で隠しておいた。ちょっと金気くさいような気がする(涙)。
問題は肩胛骨の方である。
マキロンを塗布するのはなんとかやるとしても、ガーゼを正確に当てて、きちんとテープで留めるには、かなりアクロバチックな技術を要する。
この私に、出かける前にそんなことをやっている時間があるわけがない。
考えた挙げ句、職場の保健管理センターに行くことにした。
保健婦さんは、山の中の部署以来のおつきあいだし、気心も知れている。いまさら背中のぬい目を見られてもまったくオッケー。
で。消毒してガーゼを替えてもらう。傷口も見てくださって、「化膿してないみたいよ」
とお墨付きをいただいた。
いまのところ大丈夫なようだが、いちおう抗生物質と化膿止めを食後に飲まなければいけない。
ということは、お酒が飲めないということだったりする。
強制休肝日である。うううう。
2004年3月5日Fri.
ほかの身体的特徴
昨日の日記を書いていて思い出したことがあった。
高校時代の友人との会話である。
よほど書こうかと思ったが、何気ない会話でも、文章にしてしまうとちょっとアクが強い、という場合があるので躊躇した。
しかしせっかく思い出したことだし、もったいないので書いてしまうことにする。もったいない?
笑い話として読んでください。
住吉には腕にわりと大きい一生傷がある。
高校の時、友人にそれを見せた。けっこうじまんげ←アホだ
「遺産相続の時に証拠になるんだ〜」
友人すかさず、
「どっちかっていうと、変死体の身元確認の方が現実的だと思うんだけど」
…たしかにそちらの方が確率的にありえたり。妙に納得したことであった。
余談だがその傷は、幼稚園の遠足で岩場を登り、こけてすりむいた跡である。今であれば、一部の過保護なおかーさんが保護責任を問うて訴えてしまうかもしれない。が、私自身は、昔も今もああいうことをしながら大きくなるのだと考えているし、うちの両親も
「女の子なのに残るような傷ができてたいへん」 みたいな騒ぎ方はしなかった。というか、生傷の絶えない子だったので、いちいち騒いでられなかったのかも。
けっこう深かったので、自分の脂肪層と血管の断面図を観察できたのも、今となってはいい思い出である。
ところで、手術の記事はそれなりに皆様にご心配おかけしたようで、お見舞いメール等数通いただきました。どうも皆様、ありがとうございます。
あと、2000番を踏んでくださったのは、隣家(実家の)の叔父でした。ありがとうございます。
なにも景品等ございませんが、せめて今度どこかで酒のサカナでも調達してきます。
2004年3月4日Thu.
身体的特徴
どんよりと薄寒い絶好の手術日和だった。んなのあるかい。
「歯を抜く程度だろう」 とかーるく考えていたのだが、滅菌室に連れ込まれて、医者や看護婦に囲まれたけっこう本格的な手術だった。
術衣に着替えて5分ごとに血圧を測り、手術台にうつぶせに寝かされて、すっかりまな板の上の弥子さんである。
ほくろとるだけですよ?
と、内心ひーひー言っていたが、ここまできたら腹をくくるしかない。
大きくなるほくろは悪性の腫瘍に転化することがあるらしい。
今日切ったのは、頭頂部と背中の二ヶ所。頭の方は二十有余年も前から、 「とった方がよい」
と医者に言われていたものだ。しかし、特に悪さをすることもなく今まできたので、切らなくてもいいかもーとほっておいたのだった。
むしろ背中のものの方が、近年むくむくと太りだし、時々ツレるような感じがして気になっていたのである。
しかしそれも、親父のことがなければ、手術しようとまで思わなかったかもしれない。
ともあれ。
これできわだった身体的特徴が二ヶ所失われたわけだが。
本人確認の際には、ほかの特徴もあるのでそちらを参照されたい。
2004年3月3日Wed.
ひなまつりだが
白酒を飲むくらいで、とくに祭るようなこともなくなってしまった昨今である。
さて、 「冬のソナタ」 折り返しを過ぎて、佳境である。
かわいそうなサンヒョクくんはどんどん壊れてるし、ミニョンさんはサイテー度増加中
(当社比) 。面白いドラマなのに、いまいち感情移入しにくいのが残念。
私の好みの方が多分に偏っているのであろうことは、うすうす分かっているのだが。なにしろ 「エデンの東」 のジェームズ・ディーン演じるところのキャルがどわいきらいだったし。
ですので、これから見る人は、私の感想を参考にしてはだめですよー。だれもしないってば
2004年3月2日Tue.
行かないで
朝。最寄り駅の前で、通学生を送ってきたとおぼしき車があった。
コートを着たお嬢さんが、元気よく駅の階段に駆けていく。
見送る軽の後部座席では、茶色の毛のシェトランドシープが、お嬢さん方面にワンギャン吠えていた。
う。どこかで見たことがあるような。
どこかもなにも、ほかでもない我が家の犬が、シェトランドだったのだ。
珍しい黒い毛で、いちおう血統犬の別嬪さんだったが、素行は血統がはだしで逃げ出すようなものだった。
なにしろ悪食 (ほどひどくないけど) で、ゴミをあさったりとか、人間の晩ご飯の鶏の唐揚げを4人前たいらげたりとか、マッチをかじったりとか、妹のコンタクトレンズを食べてしまったりとか、枚挙にいとまがない。そしてそんなことのあとには、必ず隅の方でちっさくなっているのである。
その態度を見て、人間の方は逆算して 「いけないこと」 を見つけ、ガッチリ怒ってあげるのだ。
「もーちょっと、堂々としておればバレないこともあるのによー」 と思ったが、
「いけないこと」 を自覚しているだけ愛嬌があるというものかもしれない。
また、彼女はよく吠えた。
シェトランド島で、羊を追っていたと言われる犬である。本気で吠えるとそれなりに迫力がある。
電話が鳴るとバウワウ言い出すので、友人からは 「間違い電話でないってことは分かる」 とよく言われたものだ。
最も力を入れて吠えるのは、家族が出かけるときである。
そこはかとなくお出かけの気配を察し、泡を吹かんばかりになって玄関のドアに体当たりする。帰ってきたら人間に体当たりである。おかげで人間は玄関を使えずに縁側からの出入りを余儀なくされた。
あんまりすごいので、車で駅に送ってもらうときに一緒に乗せたら、三回ほどで気づいて駅で吠えだしたので、連れて行くのをやめた。今朝の光景が、デジャビュなわけである。
死んでしまってもう何年になるか。人間は玄関から出入りするようになったが、帰ってドアを開けても、喜びを全身で表して飛びついてくる家族はもういない。
2004年3月1日Mon.
ちぬき
仕事がひけてから、土曜日に行きそこなったハクション大医院へ。
自宅に近いところなので、平日に行こうとすると、どうしても閉院まぎわになってしまう。
そして閉院まぎわだというのに。
「しばらく血液調べていないから、ちょっと採ってみようか」
と、なぜ今日おっしゃるのでしょうか先生。
「いやー、土曜日に別んとこで採血したばっかりなのですよ。はっはっは」
などということは、言い出すタイミングを逃すと、なんとなく言いづらくなるもので。
せめて、この間注射器を刺したのではない腕を差し出してみたり。
「鉄剤どのくらいの割合で飲んでいる?」 と聞かれ、
「最近は1週間に一度くらいです (事実は全くさぼっている) 」と答え、
「それってほとんど飲んでないにひとしいのでは」 と看護婦さんに突っ込まれ。
いやははは。今日血を採っても、赤血球数がどうとかいうより、物理的な容量として足りなくて貧血なのでは〜。
さすがにめまいがして歩けなくなるなどということはない。しかし気分はすっかり血抜きされた鶏さんで、しかたなく新規開拓のバーで血中アルコールを補充(こら)。
やばいことに、かくれがバーを見つけてしまったかもしれない。
とりあえずスプリングバンクとロングローとポートエレンとグレンリベットの10年をロック、ということだけ覚えておこう(こそこそこそ)。