日記TOPへ戻る

2003年12月27日Sat.
よいお年を

本日からしばらく実家に帰ります。
いやー、なんだか押し詰まってからいろいろあった2003年でした。
来年はどういう年になるのだか。
皆様もよいお年をお迎えになられますように。

てなわけで、ひさしぶりに更新。年内最後です。
来年はどのくらい書けるもんだか。どうもこのところのペースを見ていると、カメよりも遅いと思われますが。
ゆっくり、のんびりやっていけたら、それに越したことはないと思ってますので、ひとつなま暖かく見守ってやってください。


2003年12月25日Thu.
大掃除日和

外傷の治りが少し芳しくないので、滋養のあるものを食べさせてください、と主治医は言ったらしい。
ので、スッポンのスープなど差し入れてみた。
ハラを切った人間にスッポンなど飲ませていいんだろうかと一瞬思ったが、この際医者の言葉を信じるしかない。
しかしさすが酒飲みというか。一緒に持って行ったバナナやフルーツケーキには目もくれず、とりあえずスッポンに手を伸ばした父であった。

今日は世間ではクリスマスらしい。
そんなこととは関係なく、よく晴れて暖かい日だった。
ということで、さっそく大掃除。そして台所と風呂場をやっつけたところで力尽きた。


2003年12月20日Sat.
中間報告

タフでなければ生きていけない。
と言ったのはフィリップ・マーロウだったか。
病院へ行くと、しみじみそう思う。先生やナースはもちろんのこと、病人だってタフでならざるを得ない。

そういうわけで、ながらくお休みいたしておりましたが、中間報告など。ちょうど五十(ごとお)日だし。
父が入院いたしました。
ほおっておいたらやばいことになる疾患が見つかったのが先月末。手術をしたのがその1週間後。
怒濤のような師走の日々でしたが、さいわい術後の経過もまあまあで、これから腰を据えて闘病です。

しかし、驚きました。
本人まったく自覚なく、体調もよろしく、まさに青天の霹靂。
なにが悪かったのだろう、と、しばし母と話したりしましたが、食べるものもそう悪くない、週に3日は2万歩もあるくほどなので運動不足でもない、趣味のことでハツラツと動き回っているのでストレスだって無縁そうだし。心配事といえば娘どもの嫁ぎ先が見あたらないことくらいだが、まあそれはおいといて。
手術前に住吉父と住吉とを並べ、 「どちらがくたばりそうか」 と聞いたら、10人中9.8人まで 「住吉」 と答えたに違いない。
まあ、こんなことを言ってられるのも状況が絶望的ではないからで、父といえばいつまでもいつまでも元気でいるような気がしておりましたものですから、正直まいりました。


なにかあるときは、ほかのことも重ねて起こる、というのは世の中のことわりですが。
父の入院からこっち起こったこととして、正しくないものを一つ挙げよ。
●手術当日にガソリンスタンドに寄り、精算を済ませたあと発車したら、なんと給油ホースが刺さったままで、根本から引きちぎってしまった。スタンドのミスです。大事故になりかねん。
●実家の水回りがこわれた。
●コンタクトレンズをなくした。
●スパムが攻めてきた。
●電波がきた。
●出勤しようとしたら鍵が見あたらなかった。10分後に発見
●溜まりに溜まったビールの空き缶を、不燃ゴミの日に出し忘れた。
●布団を干して、取り込もうと思ったら取り落としてしまった。
●しかもその布団というのが、高校の頃から使っている骨董品で、中綿が露出しているような代物だったので、下の部屋に取りに行ったとき、えらく恥ずかしかった。

こういうときは戸締まりに気を付けるように、と言ってくれたのは晶さんですが、たしかに普通にしているつもりでも、気持ちが浮ついてるので、すごく有効でした。いつもは浮ついていないのかというと、そんなこともないのだが。


2003年12月1日Mon.
しばしのお休み

師も走る師走になりましたので、ちょっと日記をお休み。
再開未定ですが、今月いっぱい真っ白、ということはないと思います。

たぶん。

では皆様よい年の瀬を。(それはまだ早いか)