戸倉城山
 新春ということで、戸倉城山に武蔵五日市七福神めぐりを組み合わせて歩いてみました。始めて武蔵増戸駅で下車しました。「むさしますこ」と読むのを知りました。踏切を越えて進むと最初の標識です。読みやすい標識です。
 徳雲院から10分ほどで瀬音の湯に着きました。途中で、サルの群れを見かけました。親子のようです。
 瀬音の湯では、入浴後にレストランに行きましたが、生ビールのつまみがほとんどなく、武蔵五日市駅の近くで飲み直しました。
 十里木から15分ほどで寿老人の徳雲院に着きました。徳雲院も臨済宗建長寺派のお寺で、戦国時代の開山と伝えられているそうです。駐車場の一角に寿老院堂があり、木造の寿老人が祀られています。
 下りは十里木に向かいます。途中、出丸に寄ってみました。御岳山方面の展望が開けています。
 鉄塔の下をくぐって、戸倉城山山頂から35分ほどで十里木に下りました。
 戸倉城山は、戸倉城があったところで東京都の史跡に指定されています。山頂の説明板には「戸倉城 戸倉城は、標高434メートルの城山山頂を中心にして東西の峰に築かれた中世の山城である。当方の峰に城の中心となる曲輪(削平地)を設け、その下に数段の曲輪を備え、虎口(出入口)は枡形風に方向転換してから出入する防衛上効果的な形態がとられている。山頂近くには現在でも水のわき出る水の手(城内の飲料水としての井戸)が残る。西方の峰を中心として築かれた部分は出丸に相当する。この峰上からは西方に桧原城が眺望できる。出丸のある山腹には堀切や竪堀の遺構が認められる。 戸倉城の築城時期は明らかではないが、土着の地侍と考えられる宮本氏や網野氏らが構成員となった南一揆衆の活躍時期に使用されたものと思われる。尚、宮本家には南一揆に関する文書が残っている。」と記されています。
 玉林寺から道を間違えたりして40分ほどかかって布袋尊の光厳寺に着きました。光厳寺も臨済宗建長寺派の古いお寺で、足利尊氏が開基とされています。境内に石造の布袋尊が祀られています。
 大悲願寺から15分ほどで弁財天の正光寺に着きました。あきる野市唯一の時宗のお寺で嘉元3年(1305)の創建付伝えられています。弁財天は、境内の弁天堂に祀られていました。
 駅から20分ほどで大黒天の大悲願寺に着きました。建久2年(1191)源頼朝の発願で建立された真言宗豊山派のお寺です。とても立派な山門や伽藍で、国や都の文化財に指定されているそうです。大黒天は庫裏の中に祀られていました。

あきる野市にある標高434.1mの山で、その名のとおり戦国時代の山城、戸倉城がありました。山頂近くには今も遺構が残っています。山頂からの展望が良く、五日市の市街や付近の山々が眺められ、またベンチやトイレも整備されています。

タイトル
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 光厳寺の脇から登山道です。崖を登るような急な坂道を登り35分ほどで戸倉城山山頂(434.1m)に着きました。八王子市街が一、ベンチもあって気持ちの良い山頂です。ここでお弁当にしました。
 正光寺から20分ほどで恵比寿天の下町地蔵堂に着きました。恵比寿天と確かに書かれていますが、道内を探しても恵比寿天像は見付かりませんでした。祀られていあるのは石造の子育て地蔵です。このあたりは道端にもお地蔵さんや道祖神、庚申像などが多くあります。
 お寺の前でどんど焼きの準備をしていました。懐かしい風景です。
 坂を下って次の正光寺へ向かいます。快晴です。
2023.1.8(日)
武蔵増戸駅9:40……10:00大悲願寺(大黒天)10:10……10:25正光寺(弁財天)10:30……10:50下町地蔵堂(恵比寿天)11:05……11:15番場地蔵堂(毘沙門天)…玉林寺(福禄寿)11:25……12:05光厳寺(布袋尊)12:15……12:50戸倉城山(昼食)13:30……14:05十里木……14:20徳雲院(寿老人)14:25……14:35瀬音の湯
 下町地蔵堂から10分ほどで毘沙門天の番場地蔵堂に着きました。ここは玉林寺が管理しているそうです。
 
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 番場地蔵堂の脇から墓地を下ると福禄寿の玉林寺です。玉林寺は、貞和3年(1347)創建の臨済宗建長寺派の禅寺です。庭が良く手入れをされていて美しいのに驚きました。境内に福禄寿のお堂があります。