パンフレットでは、道なりに登り、警察犬訓練所から登り始めるルートになっています。殿前公園の脇から登るルートは、すぐに山道になるので、山歩きが好きな人にはお勧めです。
(2010.3.3)
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郷のパノラマ
横須賀集客促進実行委員会発行のパンフレット「三浦半島きままに散歩」によると、京急長沢駅から2時間35分の予定です。
晴という天気予報がはずれ、あいにくの曇天で気が重い。駅前のコンビニでおにぎりを買って歩き始めます。湘南長沢グリーンハイツという大きな団地の脇の道を5分ほど登ると殿前公園があり、公園のはずれが三浦富士の登山口になっています。 (2010.3.3)
つつじ祭りの前日に訪れました。地元の人々は祭りの準備で忙しそうでしたが、残念、今年は暖冬で花はほとんど終わっていました。(2016.5.1)
津久井浜観光農園売店
鳶
登山道
急な斜面を10分ほど下りきると、もう郷です。さらに15分ほど郷道を下ると、津久井浜観光農園の売店があります。三浦大根は大きいので、三浦大根の切干大根を買いました。田園風景を楽しみながら、駅に向かいます。
(2010.3.3)
三浦富士
今も地元の信仰が厚い三浦富士と武山、その間に砲台山を結ぶコース。山頂からは東京湾、房総半島、相模湾などを一望。砲台山は史跡、武山はツツジの名所。
タイトル
10分ほどで果樹園の脇を通ります。さらに進むと、ロープを張った斜面に出ます。
(2010.3.3)
急な斜面を登り切ると浅間神社バス停からの道と合流します。この道は、京浜急行の野比駅への道です。
この合流点からは階段が整備されていた道になります。(2010.3.3)
砲台山から分岐に戻り、武山方面へ10分ほど歩くと、階段の道になります。一気に登ると武山です。
(2010.3.3)
京急長沢駅
コンビニ
登山口
どんぐり
登山道
果樹園
登山道
階段
登山道
階段を登り切るとすぐに枯葉の多い山道になります。
(2010.3.3)
コースガイド
下田橋
山を振り返る
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津久井浜駅
津久井川を高田橋で渡り、もう一度下田橋で渡り返します。下田橋は分かりにくいので、津久井浜高校を目印にすると良いかな?売店から20分ほどで京浜急行津久井浜駅です。
(2010.3.3)
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道標
道標
三浦富士山頂
浅間神社奥社の石碑
分岐から5分ほどで三浦富士の山頂に着きます。浅間神社奥社の石碑と多くの石祠が並んで、信仰の山の霊気が漂います。
(2010.3.3)
見晴台
三浦富士から15分ほど下ると砲台山への標識があり、車の通れる道と合流します。砲台山の管理用の車道のようです。さらに10分ほどで、見晴台に着きます。曇天ですが、海が見えて、三浦半島の山の良さが味わえました。
(2010.3.3)
道標
車道
海上保安庁のアンテナ
?
道標
スミレ
砲台跡
見晴台のちょっと先に標識があり、武山への道と砲台山へ寄る車道が分岐しています。せっかくなので砲台山へ寄ってみました。
(2010.3.3)
サーチライト塔?
ヒメオドリコソウ
『三浦富士の山頂には浅間神社が祀られ「浅間神社奥宮」と彫り込まれた碑が建っています。浅間神社には、古くから人々の厚い信仰が寄せられていました。特に漁師たちは三浦富士や武山を目標にして、漁場の位置を知り、帰るべき港の方向を知ることができました。大漁や海上の安全にとって頼りになる山であり、それが信仰に結びついていったと考えられます。
 三浦富士の例祭は7月8日です。この日は津久井、長沢をはじめ三浦半島全域の富士講の行者によって「お焚き上げ」という護摩焚きの行事が行われ、山頂は終日にぎやかです。
 高い山ではありませんが、山頂からの眺めは素晴らしく、相模湾から東京湾まで、伊豆大島や房総半島が望めます。運がよければ、武山の上空に雄大な姿を見せる富士山を目にすることもできます。(三浦半島きままに散歩から)』
『三浦富士から武山に続くハイキングコース上にある大塚山は、昭和初期に海軍が砲台を造ったことから、砲台山と呼ばれるようになりました。
 山頂には、金網で囲まれた海上保安庁の武山受信所があり、パラボラアンテナがそびえています。
 その横に、すり鉢状の砲台跡が今もきれいに残されています。すり鉢の中央には、かつて高角砲が据えられていました。側面に開けられた8個の四角い穴は、弾薬の格納庫と思われます。
 砲台跡に続く路には、サーチライトが取り付けられていたとされる、高さ約4.5mの2本の塔が、木立の中に隠れるように立っています。(三浦半島きままに散歩から)』
道標
道標
武山不動
武山(標高200m)の一番高いところに龍塚山不動院持経寺があります。
(2010.3.3)
武山不動
『山頂に三浦半島霊場の一番札所、龍塚山不動院持経寺があります。文禄3年(1594)、奈良東大寺の僧、万立が関東行脚の途中、この地に立ち寄り、武山のふもとの南武にあった持経院という草庵を仮住まいとし、三尺九寸(117cm)の不動尊を彫刻したのが始まりと伝えられています。
 天和3年(1683)に修験僧讃誉見随が武山山頂に堂を建立し、不動尊を移して今の山寺号を授けたといわれています。
 漁師や廻船の船頭たちは、武山を漁場の位置や港の方向を知る目印にしていました。このため、豊漁や海上の安全に霊験あらたかな不動尊として厚い信仰が寄せられ、別名「波切不動」とも呼ばれています。
 この信仰は、同じ船乗りである旧日本海軍にも受け継がれ、太平洋戦争中は本堂に海軍軍人専用の一角が設けられていたそうです。
 毎年、1月28日の「初不動」の日に本尊の不動明王が御開帳され、近隣の人々はもとより、遠方からも参詣の人々が大勢つめかけます。参道にはたくさんの露店が立ち並び、名物の「麩菓子」などが晴れがましい雰囲気を盛り上げます。
 山頂一帯に2,000本のツツジ(アゼリア)が繁茂していて、4月下旬から5月にかけて開催される武山ツツジ祭りの頃には見事な花が楽しめます。
 そのツツジの中央にある屋上展望台に上がると、東京湾と房総半島、三浦半島の先端のその先には伊豆大島、相模湾を隔てて伊豆半島、そして感動的な富士の秀嶺に目を奪われます。国土交通省「関東の富士見百景」にも選ばれています。(三浦半島きままに散歩から)』
武山山頂展望台からのパノラマ
武山山頂展望台からの眺め
展望台
椿