君の未来に誓いのキスを
                         


                     今日は目覚まし時計の鳴る数秒前にぱっちりと目が覚めてボタンを
                    止めた。
                     こんな事は初めてかもしれない。
                     いつもは頭がボーっとして動き出すまでに時間がかかるから。
                     デジタルの時計が知らせる今日の日付は4月24日。
                     俺の18回目の誕生日だ。

                     俺は布団を跳ね除けて起き上がると急いでシャワーを浴びた。
                     そして制服を着て身支度を整えると、朝ごはんもそこそこに家を出た。
                     いつもは香穂子を迎えに行く為に早めに家を出るけど今日は更に早い。

                     お手伝いさんに「日直ですか?」と訊ねられたが曖昧に返事をして
                    誤魔化した。
                     あんまり怪しまれずに深く追求されなかったのは日頃の行いだろうか?
                     手に持った鞄とヴァイオリンケース。そして紙袋を改めて持ち直して通学路
                    とは真逆に歩いていく。
                     まだ登校時間よりだいぶ早いから誰にも会うことはないはずなのだが、
                    少しばかり後ろめたい気持ちがあるせいか幾分擦れ違う人間に過敏になって
                   しまう。

                     そう、今日の俺はちょっと後ろめたいのだ。

                     駅が見えてくると、今まで急ぎ足だった歩調が更に速さを増す。
                     改札に近付くと、星奏学院の普通科の制服を着た女の子がこちらをじっと
                    見ていることに気づいた。

                    「香穂子」

                     彼女の名前を呼べば、暖かい微笑と共に俺に抱きついてくる。

                    「蓮くん!」
                    「待ったか?」
                    「ううん、私も今着いたところ」

                      まるで休日に待ち合わせしているような会話に、擦れ違ったサラリーマン
                     らしき男性が俺たちを振り返ったのがわかった。

                    「みんなが来ないうちに急いで着替えよう」
                    「ああ」

                     香穂子も鞄の他に持っていた紙袋を胸のところで掲げて見せた。
                     それぞれトイレに入って紙袋に入っていた私服を取り出し、その紙袋の中に
                    着ていた制服を入れる。
                     そしてそれを鞄と一緒に駅のコインロッカーに預けた。

                    「はぁ〜。何だか悪い事してるみたいでドキドキしちゃうね」
                     いつもより大人っぽく着飾った香穂子が自分の胸に手をあて、やや頬を
                    紅潮させながら言った。
                    「実際悪い事だろう。学校をサボるんだから」
                    「そうだけど・・・。でも今日は特別vv」

                    「だって今日は蓮くんの誕生日なんだもの」

                     そう言いながら彼女は俺の腕にしがみ付いた。

                     彼女が俺に欲しいものはないかと訊ねてきたのは二週間ほど前のこと。
                     別段、欲しいものも思い浮かばず、それよりも一秒でも多く香穂子の傍に
                   いたいと思ったからそれを素直に告げた。
                     香穂子はしばらく考えた後、「その日、蓮の時間を私に預けてくれる?」と
                   言ってきた。
                     俺は香穂子が何を思いついたのか知らないまま、指示通りに私服を持って
                    待ち合わせ場所の駅にやってきたのだが・・・。

                    「で?今日はどこに行くんだ?」
                    「いいかげんに教えてくれないか」

                    「病院だよ」

                    「病院?」
                    「そ!最初は蓮くんが生まれた病院に行くの」
                    「なぜそんなところに?」

                     俺には香穂子の考えている事がわからなかった。
                     香穂子は真剣な眼差しで俺を見つめた。

                    「蓮くんの思い出を見に行きたいの」
                    「俺の思い出?」

                     香穂子は黙って頷く。
                    「私と出会う前の蓮くん・・・」
                    「私は私の知らない16年間の蓮くんを蓮くん自身から聞きたいの」

                    「ねぇ、教えて?」
                    「私の知らない時間に連れて行って・・・」
                     俺は香穂子の眼差しに答えるように手を握り締めた。

                    「わかった。行こう」
                    「俺も君に俺のすべてを知って欲しいから」

                     俺たちは電車に乗って一駅先の大学病院へと向かった。
                     早朝のせいかまだ玄関が開いていなかったので病院の庭を
                    歩きながら両親から聞いた俺の生まれた時の状況を香穂子に話す。

                     「母は俺が生まれた時、本当に顔を真っ赤にして泣いていたから痛み
                    に耐えながらも妙に冷静に「猿さるしてる」と思ったと言っていたな」

                     「猿さるって・・・・」
                      香穂子が可笑しそうにぷっと吹き出す。
                     「蓮くんのお母さんがそんなこと思うなんて意外だな」

                     「いや、たまに変な事を言い出すんだ。あれで」
                     「じゃあやっぱり蓮くんはお母さん似だね?」
                     「なぜだ?」

                     「だって・・蓮くんもたまにすごいことをさらっと言うんだもん///」

                       香穂子は何かを思い出したのか頬を赤く染めた。
                      「そうか?思ったことを口にしたままでそんなに自覚はないんだが・・・」
                       俺が首を捻っていると香穂子は少し溜息混じりに笑った。
       
                      「蓮くんてそんなところが最強だと思う」



                      次に向かったのは俺が通っていた幼稚園。
                      さすがに中に入ることは出来ないからアーチ型の門の外から園舎を
                     見つめる。
                      俺が通っていた時とは制服が変わっていたので、俺が通っていた頃の
                     制服のデザインに始まり、流行った替え歌やお気に入りの遊具の話で
                     盛り上がった。

                     「私が良く聞いたのはお雛様の替え歌と母さんの歌だったな」
                      香穂子は懐かしそうに遠くを眺めた。

                     「かあさんの歌?」
                     「そう!母さんが夜なべーをしてへそくり数えてた〜♪ってね」

                      香穂子がかあさんの歌の音程に合わせて替え歌を歌い始めた。
                      その歌詞の内容に俺は少々呆れてしまった。

                     「すごい歌詞だな」
                     「なんか作った人の家庭環境が見えてくるよね」
                      香穂子がなぜかふふふと楽しそうに、それでいてどこか意味有り気に
                     笑った。

                      そして俺たちは小学校や中学校。
                      初めてコンクールに出場したホールや指を折られそうになった橋、
                     小学生の時に通っていたヴァイオリン教室などを見て歩いた。

                      香穂子は殊更に指を折られそうになった時のことを怒り、相手の家に
                     仕返しに行くと言い出したので慌てて引き止めた。

                      「実際は折られなかったわけだし・・」
                      「折られてからじゃ遅いよ!!」

                      「それに仕返しに行って君が逆に怪我をしたらそれこそ誕生日の
                     騒ぎじゃない」

                       香穂子はムムッとして不満気に頬を膨らませていたが、どうやら思い留
                      まってくれたようなのでホッとした。

                       途中、食事をしながらゆっくりと話をしたりしたので中学校を
                      出たときはすっかりと日が暮れていた。
                       もう部活帰りの中学生すら残っていない。
                       俺は腕時計を覗きこんだ。
                       時間は六時半を過ぎている。
                       香穂子の両親も心配するだろうし、あまり遅くに帰宅させるわけには
                      行かない。
                       明日も学校はあるし、今日は俺の一秒でも多く香穂子といたいと
                      いう願いも叶えられた。                         
                       もうそろそろ潮時だろうか?

                      「香穂子、今日は遅くなったしそろそろ帰ろう」

                       だが、香穂子は黙って首を横に振った。
                      「ダメだよ。蓮くん」
                      「まだ二人で行かなきゃ行けないところがある」

                      「行かなければ・・ならない場所?」
                       香穂子は俺の手を握ると、引張りながらドンドンとどこかに向かって
                      歩きだした。

                      「どこへ行くんだ?香穂子!?」
                       俺は香穂子の為すがままに歩いていると、次第に景色はいつもの
                      見慣れたものになっていく。
                       そして辿りついた場所は俺たちにとって通いなれた場所だった。
                       石で作られた大きな門。
                       シンメトリーの校舎。

                      「学校・・・?」

                       そこは紛れも無く星奏学院だった。
                       学院は生徒もすべて帰り、シンと静まり返っている。
                       校舎まで続くアンティークな外灯がファータ像を照らしていた。

                       香穂子はゆっくりと振り返り、俺と向かい合った。

                      「月森蓮くんは星奏学院の音楽科に入学してその一年後・・」

                      「17歳の誕生日の目前、日野香穂子とコンクールのライバルとして
                    出会い、そして恋に落ちました」

                       香穂子はスカートのポケットからラッピングされた小さな包みを取り出し
                     て俺に差し出した。

                      「18歳のお誕生日おめでとう蓮くん・・・」


                      「あなたが生まれてきてくれて良かった」
                      「この出会いをくれた蓮くんの両親と神様とリリに私は感謝の気持ちで
                     いっぱいです」

                       俺は堪らずに香穂子を強く抱きしめた。
                      「俺もだよ・・・」

                      「俺も感謝してる・・・」
                      「蓮くん・・」
                       そっと香穂子の腕が俺の背中にまわして答えてくれた。。

                      「もしかしたら君との出会いは神様がくれた17歳のプレゼントだった
                     のかもしれない」

                      「今日はどうもありがとう蓮くん」
                      「いっぱい蓮くんの事が知れて良かった」

                      「ここからは・・いつでも二人一緒の思い出だよね?」

                      「もちろんだ・・・」

                       どんなに離れたいと思われても、君を手放すなんて出来ないから。

                      「どんなに先の未来でも、君の隣には必ず俺がいるよ」

                       そう、それは俺にとっても現実にしたい願い。

                       俺たちはそっと見つめ合って笑いあうと、誓いの甘い口づけを交わした。

                  
                       月森の誕生日話です。最初はヴァレンタインの話をアレンジする
                       つもりだったんですけど、この話が浮かんだのでこちらにしました。
                       誕生日かと聞かれたらかなり微妙ですが・・。
                         (初出06、4、24〜30)

                       再UPしました。
                       やっぱりせっかく書いたしな〜と思って。
                       誰もお持ち帰りの報告がなかったのでとりあえず下げましたが、
                       この話、あの時途中からフリーにしたんですよ。誰か気づいたかな?
                      
                        (再  06、5、22)