掴んだすそ
香穂子との放課後の練習を終え、家に帰るとリビングのテーブルの上に何枚かの
葉書や手紙が置かれていた。
きっとお手伝いさんがポストから出しておいてくれたのだろう。
俺はそれを手にとって確認していく。
贔屓にしているお店などからのダイレクトメールや有名音楽家である家族宛の手紙が
ほとんどだ。
母宛のファンレターなどは自宅にはもちろんやってこない。
家に配達される手紙のほとんどが音楽関係者や取引先からのご機嫌取りの手紙なのだ。
こんな時、会社社長である父や音楽家である母、祖父母の付き合いの大変さを思い知る。
一通り確認して最後の一枚を手にした時、俺はそれが自分宛であることに初めて気がついた。
書かれている丁寧な文字に見覚えがあるものの、一応差出人を確認してみる。
月森美沙
やはり母からに間違いは無かった。
今は日本にいるものの、地方に公演に出てかけていてしばらく不在だった。
封を開けると、ふわりと微かに甘い匂いがしたような気がした。
きっと母が愛用している香水の匂いが少し便箋にうつったのだろう。
丁寧に折られた便箋を開くと、はらりと二枚の紙が足元に落ちる。
「・・・・?・・」
なんだろうと拾い上げると、それは近日公開になる映画の試写会のチケットだった。
母親からの手紙には、前評判の高い映画の試写会のチケットを貰ったので香穂子を
誘って行って来なさいという内容だった。
若い人に人気の俳優や女優の舞台挨拶があるし、中々手に入らない物らしいので
きっと香穂子も喜ぶと思うからと・・・。
いつもの自分だったら、どんなにプレミアがあろうと興味を示さずないで
友人達の手に渡っていたに違いない。
だが今回は違う。
母からの手紙の一文に目を落とす。
”香穂子さんも喜ぶと思うわよ。”
その言葉に俺はとても弱い。
このチケットを見せたらどんな顔をするだろう。
想像しただけで自然と自分の顔にも笑みが浮かぶ。
俺は忘れないようにと、そのまま持っていた鞄にチケットをしまった。
翌日。
「本当に良いの?蓮くん!!」
香穂子が興奮したように聞いてきた。
「ああ」
「うわぁ〜」
チケットを両手で掲げて見る香穂子を見て思わず笑った。
昨日思い浮かべた通りの反応だ。
有名人である家族は自分にとっては壁だったが、今回ばかりは感謝せずにはいられない。
「土曜日楽しみにしてるね!」
お陰でこんなに香穂子を喜ばせることが出来たのだから。
土曜日。
「すごい人だね」
香穂子が映画館に並ぶ人の多さに圧倒されていた。
「でも、全員が招待者じゃないだろう」
試写会にしては集まった人数が多すぎる。
どう見たって会場に入りきらない人数だ。
「きっと俳優さんのおっかけとかもいるんだろうね」
香穂子が一人納得したように頷いた。
「俺たちはこっちだ・・」
テレビ番組などでチケットを当てた一般客とは別の関係者用の入口に向かう。
「なんかすごいね・・」
香穂子が緊張したように俺の腕にしがみ付いてきた。
「大丈夫だ」
そのまま香穂子を案内された席まで連れて行く。
腕時計を見れば、まだ始まるまでには時間があった。
「まだ、少し時間があるな・・」
「何か飲み物を買ってくるから待っててくれ・・」
「うん」
俺は香穂子を残したまま席をたった。
ジュースを二つ持って席に戻ると、香穂子の様子がさっきと少し違って見えた。
「おまたせ・・・」
持っていた片方の容器を香穂子に渡す。
「ありがとう・・」
笑顔で受け取ったものの、やはりどことなく様子が違う。
「どうかしたのか?」
「別になにもないよ?」
「それなら良いけど・・・」
何でもないというのをそれ以上追求する事も出来ず、とりあえず席に着いた。
やがて開演の合図とともに会場は暗くなった。
視線はスクリーンへと移される。
内容は戦時中の日本が舞台だった。
外国語を使う事を禁止され、演奏される音楽や楽器も制限される中、、
諦めずに海外の音楽を広め続けた青年とそれを支える恋人の話。
周囲の冷たい仕打ちにやがて二人の関係は危機を迎える。
(あぁ、だから・・)
と妙に納得した。
今回は音楽家の話だから母は試写会の招待を受けたのだろう。
「・・・・・っ・・」
隣から聞こえてきた嗚咽に驚いて香穂子を見つめた。
ぼろぼろと大粒の涙を惜しげもなく流している。
女の子はこういうものに弱いのだろうか・・?
そっと手を伸ばして、スカートの上に握られている香穂子の手を掴んだ。
ゆっくりと顔を上げた香穂子に向かって微笑むと、香穂子もその手を握り返してきた。
やがて映画は終わり、舞台挨拶が始まった。
出演した俳優達が登場をすると、あちこちから黄色い声が上がる。
主演した俳優が今、若い女の子に人気だと手紙には書いてあったが本当らしい。
香穂子を見ると、周りほどではないにしろやはり嬉しそうだ。
それを見て何となくムッとする。
「そんなにかっこいいのか・・?」
「れ、蓮くん・・・」
思わず呟いた言葉に香穂子が困ったように周囲を見渡した。
香穂子の隣にいた女の子がギロリとこっちを睨んだ。
どうやら聞こえてしまったらしい。
だが、俺と目が合うと急におどおどして目を逸らした。
「なんなんだ・・?」
「知らない!」
急に香穂子が怒った様に俯いた。
「香穂子・・?」
香穂子は押し黙ったままずっと顔を上げなかった。
それから、舞台挨拶は俳優達の挨拶と簡単なインタビューで幕を閉じた。
ホールは会場から出てきた人たちでごった返していた。
俺ははぐれないように香穂子の手をしっかりと握った。
出口までもうすぐというところで香穂子の「あっ!」という声が聞こえた。
「どうした?」
「服が・・・」
見ると、香穂子の掴んでいるスカートに赤い滲みが出来ていた。
「ご、ごめんなさい!!」
近くにいた壮年の女性が慌てて自分のハンカチを出している。
その片手にはジュース入りの紙コップ。
思わず悪態をつきそうになった。
なぜ、こんな場所でそんなものを持っているのだろう。
誰かにかかるのは目に見えているじゃないか。
香穂子は「大丈夫ですから」とハンカチを女性に返している。
早くしないとスカートの滲みが広がって落ちなくなってしまう。
辺りを見回すと、すぐ傍にトイレがあった。
「香穂子、手洗い場で滲みを落としてきた方が良い」
「蓮君は・・?」
「俺はホールの中心にあるベンチで待ってる」
見れば、人ごみは出入り口にかなり集中していてホールの中心は少なくなっている。
あれくらいなら待っていても苦にならないし、見逃す事も無いだろう。
「でも・・・」
「早くしないと落ちなくなるぞ」
言いよどむ香穂子の背を押して送り出した。
香穂子は何か不安そうな表情を残してトイレへと向かった。
「ふぅ〜」
ホールの中心にある大きな柱に背を預けて溜息をついた。
(なんなんだ・・今日は・・)
香穂子を喜ばせたくて連れてきたのに、途中から元気はなくなるし、
怒ってるし、その上ジュースをかけられてしまった。
これでは何の為に連れてきたのかわからないじゃないか。
「あの・・・もしかして月森君?」
名前を呼ばれて見れば、どことなく見覚えのある男女数名が立っていた。
「私達、中学の時の同級生だけど覚えてる・・・?」
「ああ・・」
女の子達は俺を見てまたおどおどしている。
なぜそんな態度になるのか気になりつつも返事を返した。
「月森君も試写会のチケット当たったの?」
「イヤ、母にもらったんだ・・」
「そういえば月森の母さんてピアニストだったな」
「そうなの?すごい!!」
一つ答えるごとに彼らは段々とにこやかに話しかけてくる。
「俺たち今度の同窓会の幹事でさ」
「この後、喫茶店でその相談するんだけど、良かったら月森もどう?」
「悪いが俺は・・・」
断ろうとしたした瞬間、後ろから着ていたセーターを軽く引張られた。
「蓮・・・」
その声に振り向くと、香穂子がさっきよりも不安そうな表情をしてセーターの裾を掴んでいた。
「香穂・・子・・?」
その様子に気が付いた一人が香穂子を覗き込む。
「もしかして月森の彼女?」
「あぁ・・まあ・・」
返事した瞬間、みんないっきにどよめいた。
「へぇ〜、可愛いじゃん。同じ高校?」
「は、はい・・」
「星奏学院か・・・頭も良いんだね」
「悪いがあんまり覗き込まないでくれ」
じろじろと香穂子を見る彼らの視線にイライラして思わず自分の背中に香穂子を隠した。
「どうりで月森の性格が丸くなったわけだ」
「彼女のおかげだな」
「女子は残念だったな」
男子の言葉に女子達が「ちょっと余計な事言わないでよ」と非難の声を上げた。
「じゃあ、俺たちはこれで・・」
「二人のデートの邪魔はしねぇよ」
手をひらつかせながら立ち去る彼らを見送った後、相変わらずセーターを掴んだままの
香穂子を振り返った。
「いったいどうしたんだ?今日はなにか変だぞ」
「今の人たち・・・」
「中学の時の同級生だ・・」
「知ってる・・・蓮君がジュースを買いに行ってる間に女の子達の話が聞こえたの」
「久しぶりだし・・声をかけてみようとか・・・」
思わず溜息がこぼれた。
「それが元気が無かった理由か?」
「だって!!だって・・」
「いや・・だったんだもん・・」
「あの人たち、私の知らない蓮君を知ってて・・」
「楽しそうに話をしてて・・何だか私だけ取り残されたみたいで・・」
「それに、私の隣にいた子だって・・きっと蓮君があの俳優よりかっこ良かったから
黙り込んだんだよ!!」
「他の人が私の知らない蓮を知ってるのも、見惚れてるのも全部全部イヤなの!!」
「例えわがままって言われても・・・いやなの・・」
再びその瞳から大粒の涙が溢れ出した。
白い両手で顔を覆う香穂子を見て、なんとも言えない愛しさが込み上げた。
その細く柔らかい身体を力いっぱい抱きしめる。
「蓮・・?・・」
香穂子が腕の中で驚いたように顔を上げて見つめてきた。
俺はその頬に自分の頬をすり寄せた。
「俺だってイヤだよ・・」
「他の男に君を見つめられるのは・・・」
「それに・・これだけは覚えておいて欲しい」
「出会う前の二人の時間は取り戻せないけれど・・・」
「俺のこれからの時間は全部、君のものだから・・・」
「蓮くん////」
我ながら少しクサイとは思ったけど、これが本心なのだから仕方が無い。
腕の中から香穂子を解放する代わりにその手を握った。
「行こう・・」
「今日の残りの時間を二人でめいいっぱいすごそう」
「うん!」
香穂子はようやく今日一番の笑顔を見せてくれた。
俺の残りの人生は本当に全部、君のものだから・・・
だから、君のこれからの時間を全部俺に預けてくれる?
高校生で両思いの話って書いた事無いなって思って書いてみました。
ちなみに管理人は試写会がどんなものか知りません。
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