手をつないで町を歩く
「意外と早く終わったな〜」
香穂子は腕時計の針の位置を確認すると一人呟いた。
今日は久しぶりに小学校時代の友人と会うことが出来た。
蓮と結婚して一ヶ月。
結婚式は身内や親しい人だけの小さいものだったので、残念ながら
招待できなかった友人達と食事をしながら結婚の報告をした。
「久しぶりなのだろうし、ゆっくりしてくる良い」
朝、仕事に出かける前に蓮もそう言ってくれた。
折角だから甘えようと思っていたが、香穂子以外にも家庭を持っている
友人が数人いて予想外に早めのお開きとなった。
「蓮もそろそろ仕事終わる頃かな?」
今日は次のコンサートの打ち合わせだと言っていた。
上手くいけば蓮と外で会えるかもしれない。
連絡しないで急に香穂子が行ったらきっと驚くだろう。
そしてその後にとっびきりの笑顔を見せてくれるに違いない。
そう思うと何だか楽しくなってきた。
「よし!行っちゃおう!!」
バッグから手帳を取り出し、蓮の今日の打ち合わせ場所を確認
する。
ここからそんなに遠くない。
歩いても十分に行ける距離だ。
「いざ!出発!!」
香穂子は足取りも軽くその場所に向かって歩き出した。
蓮の今日の打ち合わせ場所はとあるホテルの中にある喫茶店
だった。
大きな窓に面したテーブルに蓮は一人で座っている。
どうやら打ち合わせはすでに終わっているらしい。
香穂子が店員に案内された席は、蓮のいる席から離れていた上に
観葉植物に視界を塞がれていたがすぐに見つけることが出来た。
どんなに身を隠そうとしても蓮は目立つのだ。
人を引き寄せるオーラみたいなものがある。
そしてそれは、ヴァイオリンを奏でる事でますます人々の心を
掴んで放さない。
香穂子も高校生の時、初めて蓮の演奏する姿を見て心を
奪われた。
そこから蓮を追いかける日々が始まった。
最初は香穂子に会うたびに不機嫌な顔をされて結構傷ついた。
それが今ではプロポーズされ、結婚してしまったのだ。
「すごいよね」
「そうだな・・・」
頬に片手を当て、溜息を零すと思わぬ相槌の声。
ハッとして顔を上げると、いつの間にか蓮が目の前に座って
マジマジと香穂子を見つめていた。
「い、いつの間に・・・」
「さっきからいたんだが・・・」
「君は全然気がつかなかったな」
「暗い顔をしていると思って慌てて傍に来てみれば、
今度は青くなったり紅くなったり・・相変わらず見ていて飽きないな」
蓮は少し呆れたように溜息をついた。
「それで?どうしてここに?」
「友達と食事をしていたんじゃなかったのか?」
蓮の問いかけに香穂子は姿勢を正して答えた。
「意外と早くお開きになりまして・・・」
「折角なので旦那様と外でおデートでもと思いまして、やってきました」
「連絡をしてくれればいいのに」
「ごめんね?びっくりさせたかったの」
「した。君を見つけたときはびっくりした」
「えぇ?私が見てなかったら意味ないよ〜」
香穂子は少しむくれた表情をして「つまんない」とそっぽを向いた。
「では、お詫びに君の好きな所をたくさん廻ろうか?」
蓮が立ち上がり、向かい側から香穂子に手を差し伸べる。
香穂子はそっぽを向いたまま視線だけちらりと蓮を見た。
香穂子だけに何とも甘く優しい笑顔を向けている。
それが嬉しくて、自然と顔を綻ばせると「しょうがないな〜」と
言いながら蓮の手に自分の手を重ねた。
二人で手をつないだまま街に繰り出し、香穂子のお気に入りのお店を
見て廻る。
最近はずっと忙しかったからこんな穏やかな時間は久しぶりだ。
蓮は一応有名人なのでやたらと外を歩けない。
今は薄暗く、買い物や帰宅するのに忙しくて気づいてもたいして
騒がずに通り過ぎていく人がほとんどだ。
本当は蓮に声を掛けようとした女性が数人いたのだが、二人のあまりの
甘い雰囲気に声を掛けることも出来なかったのを二人は気づいていない。
「そういえば・・・」
隣で楽しそうにウィンドーを眺める香穂子に蓮は思い出したように
声を掛けた。
「ホテルで何を思い出してあんなに紅くなってたんだ?」
「ん?」と香穂子も顔を上げ、蓮を見つめる。
「蓮にプロポーズされた時の事を」
「!!」
今度は蓮の顔が一気に赤くなる。
「まさかあんな風にプロポーズされるとは思わなかったな〜」
しみじみと思い出す香穂子に蓮は「やめてくれ」と言いながら
口に手をやる。
「あれは・・一生に一度のことだから出来たんだ」
「今、冷静に思い出すとかなり恥ずかしい」
恥ずかしがる蓮を見て内心可愛いと思いながら香穂子は
軽く首を振る。
「でも、私は嬉しかったよ」
「あの時の気持ちは一生忘れない」
目を閉じ、その時の幸せを思い出しながら蓮の手を握る力を強めた。
それに答えるように蓮も強く握り返す。
「俺もだよ・・」
「君が頷いてくれた時の幸せを忘れない」
香穂子が蓮にそっともたれかかると、蓮はそっと顔を近づけた。
香穂子が静かに目を閉じると、二人はそっと触れるだけの
口付けを交わした。
そのうち書く予定です。
恥ずかしいプロポーズの話。
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