せめて間接キスくらい



                       「・・・・・っつ!」

                        月森は突然、手の甲に走った痛みに顔を顰めた。
                       「なに?どうしたの?」
                        月森の演奏にじっと聴き入っていた香穂子は、その様子に気がついて
                       顔を上げる。
                       「いや・・・・」
                       「弦が切れて手を少し切ってしまっただけだ」
                       「え!?」

                        香穂子はその言葉に慌てて月森に近寄って傷を見た。
                        月森の大きくて綺麗な手に赤い血が徐々に広がっている。

                       「痛そう・・・」
                       「大した傷じゃない・・」
                       「ダメ!!」

                         月森が手を引こうとするのを許さず、香穂子は怒ったように
                        軽くねめつけた。
                       「指を大切にしてくれ・・・」
                       「君の指はヴァイオリンを弾く指だろう・・・」
                       「私が怪我した時にそう言って手当てしてくれたのは月森君でしょ?」
                        途端に月森の表情は困ったようになった。
                        確かにその通りなので反論できない。
                        香穂子は月森の手を引いてそのまま練習室を出て行こうとする。

                       「どこに行くんだ?」
                       「そんなの決まってるでしょ!保健室に行って手当てするの!!」

                        凄い剣幕でぐいぐいと月森の手を引く香穂子に逆らえず、月森は
                       なすがままに保健室へと向かった。

                       「失礼しま〜す」
                        保健室の引き戸を開け、中を覗くと誰の姿も見えなかった。
                       「どうやら先生は不在のようだな」
                        香穂子の後に続いて保健室に入った月森は、机の上にある
                       ”先生は外に出ています”という札に注目した。

                       「消毒とかくらいなら先生がいなくても大丈夫だよ」
       
                        薬品棚から消毒液と大きめの絆創膏を出すと、月森と向かい合って
                       椅子に座る。
                        そうして再び怪我をしている方の月森の手を取った。
                       「沁みるかも・・・」
                        そう言って香穂子は手にしゅっしゅっと消毒液を吹きかけた。
                        その刺激に月森は思わず顔を顰める。
                       「痛い?」
                       「これくらい大丈夫だ」
                        消毒液が月森の手の甲から滴り落ちるのをガーゼで押さえながら、
                       香穂子はそっと口唇を寄せた。

                       「・・・?」

                        その意図を測れない月森はじっと香穂子の行動を見守る。
                       「フ〜っ」
                        香穂子の暖かい息が月森の手に吹きかかった
                       「っ!!////」
                        驚いた月森は真赤になって思わずその手を引いた。
                       「あっ!」
                       「な、な、何をしてるんだ/////」
                        月森が焦る一方で香穂子はキョトンと不思議そうに話す。
                       「なにって・・・・消毒液が乾かないと絆創膏貼れないじゃない?」
                       「ばん・・そう・・こう?」
                        香穂子は「うん」と頷く。
                       「だからほら、くすぐったくても少し我慢して?」
                        呆然とする月森の手をとって香穂子は再び息を吹きかける。
                        月森はその行動の中、あることに気づいた。

                        息を吹きかける香穂子の口唇。
                        それが僅かばかり月森の手に触れる。

                        月森の顔はますます赤くなっていく。
                       「うん、これくらいなら良いかな?」
                        香穂子は満足そうに頷くと絆創膏を貼り始めた。
                       「出来たよ!月森君・・」
                        顔を上げた香穂子は月森の顔を見て驚いた。

                       「どうしたの?月森君!?」
                       「顔、真赤だよ!?」

                        「また熱でもあるの?」と慌てたように月森の額に手を当てる。
                        拒む気力をなくした月森が相変わらず顔を赤らめて香穂子に訊ねた。

                       「君は・・・・」
                       「何の計算もなくこういった事をするのか?」
                       「計算・・・?」

                        変わらず、不思議そうな顔をする香穂子を見て月森は大きな溜息を
                       つく。

                       (無自覚でこんなことするなんて・・何てやっかいなんだ・・・日野)

                       「やっぱり、ちょっと熱いよ月森君」
                       「私、職員室に行って先生を呼んでくるから待っててね!」
                        香穂子は保健室を飛び出してバタバタと廊下を走っていく。
                        一人残された月森は、手当てし終えた自分の手を見つめた。
                        今も手の甲に当てられた香穂子の口唇の感触を思い出すことが出来る。
                        そこにそっと自分の口唇を当てた。

                        これも一種の間接キスなのだろうか?

                       「さて、これからどうしようか・・・」

                        月森は考えを巡らせる。
                        無自覚とはいえ、あんな事を他の男にやられたのでは堪らない。
                        何らかの対策を練らなくては。
                        廊下から再びバタバタと足音が近付いてきた。
                        きっと先生を連れた香穂子だろう。
                        これから起こる自分の”仕返し”を考えると自然と口角が上がる。

                        (覚悟しておいてくれ・・・)
                        (俺を翻弄した罪は重いぞ・・・)

                        さてさて、香穂子の運命はいかに・・・・?


                     余談。

                       実は保健室の窓の外から一部始終を見ていた人物がいた。
                       報道部、天羽菜美。
                      「あわわ、どうしよう」
                      「すごいとこ見ちゃった!!」
                      「これはヴァイオリン・ロマンスの予感」
                       やがて訪れるスクープに興奮状態だった。
                  
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