支えあい



                     新居で一頻り練習をした蓮は、少し休憩をしようと自室からリビングに
                    出てきた。

                    「香穂子、お茶を頼めるだろうか?」

                     ソファーに座っていた香穂子に声をかけると、蓮を見て微笑みながら頷いた。

                    「練習終わったの?今淹れるね」

                     そう言って立ち上がる香穂子の様子を見て蓮は眉を顰めた。
                     立ち上がることさえ億劫な様子でどこかダルそうだ。
                     そう言えば、先程の笑顔にも元気がなかった。

                    (もしかしてどこか具合でも・・・・)

                    「香穂子・・・」

                     蓮は擦れ違う香穂子の腕を掴んでその額に自分の額を宛てた。
                     いつも触れている時よりも少し熱く感じる。

                    「熱があるな・・」

                    「大丈夫だよ。ちょっと前から風邪気味なだけだから・・・」

                     香穂子は蓮の胸に手を宛てて身体を離すと弱弱しく笑った。
                     そのままキッチンに向かおうとするが、蓮は抱きしめてそれを許さなかった。

                    「君は動かなくて良い」
                    「倒れて怪我でもしたら大変だからな。俺が運ぶから」
                    「ちょ、・・・蓮!」

                     蓮は香穂子の膝裏に腕を入れるとお姫様抱っこをしてベッドまで運んだ。

                    「下ろして!大袈裟だよ。大丈夫だってば」
                    「ダメだ」

                     ジタバタと暴れようとする香穂子を窘めてベッドに横にする。
                  
                    「今、体温計を持ってくるから着替えて大人しく寝てるんだぞ」

                     蓮は珍しく有無を言わさぬ態度で香穂子に言いつけ、自分は体温計を
                    探しに部屋を出た。

                    「体温計・・確か救急箱の中に・・」

                     キョロキョロと辺りを見回し、サイドボードの上にあるのを発見した。
                     箱を下ろそうとした瞬間、気をとられすぎて隣に置いてあったガラスの置物まで
                    落としてしまった。

                     ガラスは勿論粉々に割れ、辺りに飛び散る。

                    「う・・・後で片付ける・・」

                     誰もいないリビングでまるで言い訳するように呟くと、救急箱を持って香穂子が待つ
                    寝室に向かった。

                    「大丈夫?何か物音がしたけど」

                     大人しくパジャマに着替えた香穂子はベッドに入って上体を起こしていた。

                    「大丈夫だ。大したことじゃない」
                     
                     蓮は救急箱から体温計を取り出すと香穂子に渡した。
                     香穂子はそれを腋に挟んでしばらく待つと、ピピッと電子音が鳴り
                    体温計を取り出して蓮に見せた。

                    「37,8か・・少し熱があるな」
 
                     香穂子の前髪をかきあげるように額に触れる。
                     香穂子は蓮の手に触れられるのが心地よくて目を閉じた。

                    「病院に行くか?」
       
                     蓮は心配そうに香穂子を覗きこむが香穂子は首を横に振って断った。

                    「大丈夫だよ。薬飲んで寝てたら治るから」
                    「薬を飲むにしても何か食べないとダメだな」

                     蓮は思案しながら立ち上がった。

                    「今、お粥でも作るから・・」
                    「え!蓮が!?」

                     香穂子のあまりの驚きように蓮はムッとした表情になった。

                    「俺が作ることに何か問題が?」
                    「ううん・・初めてだから・・」
                    「た、楽しみにしてるね・・」

                     その一言に機嫌が良くなったのか蓮はどこか嬉しそうにキッチンに向かっていった。
                     だが、香穂子には一抹の不安が過ぎる。

                    (本当に大丈夫かな・・?)

                     それはもちろん大丈夫では無かった。

                    「さて、お粥の作り方を調べなければいけないな」

                     料理などしたことがない蓮はお粥の作り方など知っているはずも無く、本棚から
                    香穂子が時々見ている料理の本を引っ張り出した。
                     が、そこにあるものは手の込んだ料理のレシピばかりでお粥の作り方などは
                    当然載ってはいなかった。
                     がっくりと肩を落とす。

                    「料理の本とはまず、基本的なことを載せるべきではないだろうか」

                     自分が基本的なことを知らないのを棚に上げて不満を言ってみる。

                    「だが、困ったな・・・・うちにある本に載ってないとすると・・」
           
                     そこでもう一つ調べる手段があることに気がついた。

                    「そうだ、ネット!」

                     蓮は急いで自室のパソコンの前に座った。
                     検索すると美味しいお粥のお店など、かなりの数がヒットした。
                     そこからキーワードを打ち込んで数を絞り込むと、欲しかった情報がいくつか
                    見つけることが出来た。
                    
                    「何だ、簡単じゃないか」

                     レシピを見てこれなら俺にも大丈夫だとやけに自信がついた。
                     蓮は再びキッチンに向かうと材料と道具を揃えた。

                    「まずは米をとがなければいけないな」

                     ボウルの中に計量カップで考えることなく米をドバッと入れる。

                    (すぐに美味しいお粥を香穂子に届けられる・・)

                     蓮は張り切っていたがそこからは意外と多難だった。

                     洗っているうちに米が流れていってしまう。
                     土鍋の蓋を落として割ってしまう。
                     火が強すぎて溢れ出す。
                     

                     完成したころにはキッチンは散々たる状況だった。

                    「う・・・後で片付ける・・」

                     蓮は再びそう呟くとお粥を持って香穂子の元に向かった。
                     
                    「香穂子、出来たぞ」
                    「本当?」

                     ウトウトと眠っていた香穂子は蓮がよそってくれたお粥を見て驚いた。
                     見た目は卵が入っている普通のお粥だ。

                    「いただきまーす」

                     レンゲで一口、口に運ぶとちょうど良い塩加減だった。

                    「おいしい!おいしいよ蓮」
                    「良かった」

                     次々と口に運ぶ香穂子を見て蓮も嬉しそうに頷いた。

                    (うわ!今の満面の笑みだよ)
                     
                     こんな蓮を見れるならたまには風を引くのも悪くないと思えてしまう。

                     「さぁ香穂子、食べ終わったら薬を飲むんだ」

                      食べ終わった茶碗と引き換えに薬と水を手渡す。
                      香穂子はそれを素直に飲むと再びベッドに横になった。

                     「蓮・・・」
                     「ん?」

                      香穂子は鼻が隠れる位置まで布団を被ると恥ずかしそうに言った。

                     「夫婦って良いね」

                      蓮は一瞬驚いた表情になったがすぐに微笑んで頷いた。

                     「そうだな」
                     「俺はいつも君に支えてもらってばかりだが、たまには役に立てて良かった」

                      布団の上からまるで子供をあやすようにポンポンと叩く。

                     「今日は何も気にしなくて良いから・・ゆっくりお休み」
                     「うん、ありがとう・・蓮・・」

                      香穂子はそのまま目を閉じると眠りの世界に落ちていった。

                      その後、すっかり元気になった香穂子がリビングとキッチンの状態を見て
                     再び顔色が悪くなるのは翌日の事。