最後の嘘
「先生ってば!また出歩きましたね?」
神谷さんが私の元に来るなり頬を膨らませて怒った。
「だって暇なんですもん!」
その顔が可愛くて、可笑しくて思わず笑みが零れた。
「我慢して寝ていてくれなきゃ、いつまでたっても治りませんよ」
私を無理矢理に横にすると、勢い良く布団を被せた。
「はいはい」
「ハイは一つ!」
私は布団を鼻に位置までずらすと、神谷さんの顔を盗み見た。
「何です?」
それに気がついた神谷さんが不思議そうな顔をした。
「なんでもないです!」
私は慌てて頭まで布団をかぶる。
「変な先生」
その声で布団の中からも彼女が微笑んだのがわかった。
「先生、私お薬を頂きに行ってきますね」
「帰ってくるまで絶対大人しくして下さいよ?」
「・・・・・・」
私は無言で答えた。
やがて彼女が立ち上がる気配がすると、静かに襖の開け閉めする音がした。
私は再び布団から顔を出すと、天井を見上げた。
神谷さんの頬は赤く涙の筋が残っていた。
色白の彼女は、どんなに隠しても泣いていた事がすぐにわかる。
それは、私の病が決して完治できるものではないと物語っている。
それでも、彼女は必死に私を励まして隠し続ける。
泣いたであろう後に見せる彼女の作り笑いを見ると、そんな顔をさせているのは
私なのだと、返って胸が苦しくて切なかった。
今となっては、屯所にいた頃が懐かしい。
喧嘩したり、はしゃいだり。
あの頃は何の変化もない日常がどんなに幸せなことかわからなかった。
もうあの頃には戻れない。
このまま、神谷さんの本当の笑顔は見られないのだろうか?
「やっぱり・・・」
「ずっと、このままじゃいけないですよね・・・」
私の中に一つの決意が芽生えていた。
「今、何とおっしゃったんですか?」
出かけ先から戻った神谷さんは私の目の前に座って目を瞠った。
「ですから、ここから出て行きなさいと言ったんです」
私は厳しい顔付きをして見せた。
「なぜですか!?」
「なぜ、傍にいてはいけないんですか?」
神谷さんは身を乗り出して私の夜着を掴んだ。
その手を払い退ける。
パシっと音を立てて叩かれた手を神谷さんはそっと押さえた。
「まだわからないんですか?」
不思議な事に口元に笑みが浮かんできた。
嘘だったはずの感情、がまるで本当のようにわきあがってくる。
「いいかげんうんざりなんですよ、あなたには」
「影でメソメソ泣いて・・・私の前に来てわざとらしく笑って・・・」
「そんなに私が可哀相ですか?」
「それともそんな私の面倒を見る自分が良い人だとでも?」
自分でも酷い事を言っているのは解っていた。
それでも言葉は次々と思い浮かびあがってくる。
私はあぁそうか、とどこか心の奥で妙に納得していた。
これも、私が隠していた感情の一つなのだ。
病になって生まれた黒い感情。
彼女に嫌われまいと必死に隠し、そしてそんな醜い自分に気づかないフリをして
目を逸らしてきたモノ。
それは、妬み。
私だけがなぜこんな病に・・・?
私の世話をするためにここに留まり続ける彼女。。
ここに縛られている理由を私にするこの人が憎い。
まだ、彼女は飛び立つための翼があるのに。
飛ぼうとはしない。
私は飛びたくても飛べないのに。
あなたは自分で飛ばないくせに・・・
まるで私が籠に閉じ込めているかのように思わせる。
彼女が憎い。
「もう、あなたの顔はみたくない」
「すぐにここから出て行きなさい」
私は顔を伏せ、布団を握り締めた。
言いたいことを勢い良く言ったせいか激しく咳き込んだ。
しばらくの沈黙の後、神谷さんはゆっくりと口を開いた。
「それは・・・」
「本当に先生の本心ですか?私に気兼ねしての嘘ではなく?」
「・・・・・・・・気兼ねでこんな事は言いませんよ・・・」
「そうですか?先生は他人のために自分を傷つけるから・・・」
「嫌いな人のために傷つく理由はありません」
「そうですか・・・。解りました」
「でも、ここを出るまでにしばらく猶予を下さい」
「次に住まう場所を探さねばなりませんので・・」
「わかりました・・・・良いでしょう」
私の返事を聞くと、彼女は静かに立ち上がって部屋から出て行った。
もっと泣くかと思ったのに・・・。
意外とあっさりとしていたものだった。
あっさりしすぎて彼女の感情が読めない程に。
それからの数日間、彼女は多忙を極めた。
彼女が去った後の私の世話の依頼や自分が住まう場所の確保。
そして荷造り。
相変わらず私の薬を取りに行く日々が続いていた。
だが、それも数週間の後に終わり、彼女は私に別れの言葉を告げにやってきた。
「大家さんからのご縁で嫁すことになりました」
「私が次の居場所を探していると知って、良い話があるからと・・・・」
「正式な婚礼はまだ先ですが先方も事情を知って、早くに迎えてくれる事になりました」
「相手はどんな方ですか・・・?」
「優しくて誠実な方です」
「そうですか。それはよかった・・・・」
「どうか幸せに・・・これは本当に祈っています」
「・・・・・・・ありがとうございます・・・」
旅支度を整え、頭を下げる神谷さんにもう一度口を開きかけた。
だが、すぐに思いとどまり口を噤む。
彼女はこの家から新たな未来へ静かに歩き出す。
何とか見送りに出た私を振り返る事は一度も無かった。
最後に言いかけた言葉。
どうか、私がいたことをずっと忘れないで・・・・・。
それはあまりにも我がままな言葉。
本当に彼女をここに縛ってしまいかねないものだった。
一度も振り返らない彼女の背中が消えた時、病とは違う胸の痛みが
私を苦しめた。
さようなら・・・・もう、決して逢えない。
「神谷、本当に良いのか?」
山口先生が心配そうに私を振り返った。
私は口元だけに笑みを浮かべ、平然と答えた。
「もとより、私の居場所はここと決めていました」
私の言葉に山口先生は少しだけ何か言いたそうにしていたが、
すぐに前を見据えた。
「沖田さんはあんたに惚れていた」
「そして救われていた。それは変わることの無い事実だ」
背中越しに語り、そして先生は走り出す。
私は無言でそれに続いた。
ねぇ、 沖田先生。
私は嘘をつきました。
他の誰かの許へ嫁すと告げたあの日。
でも、私は再び男として戦地に舞い戻ってきた。
副長たちと一緒に戦いながら、最期の場所を見つけために。
貴方に逢いにいける場所を得るために・・・。
これは、私から愛しい貴方に対する意地悪な最後の嘘。
だって・・・・・。
貴方のいないこの世界なんていらないから。
やっと書き終わった〜。
ずっと少しずつ書いてたんですよね。
ちょっと暗すぎますね。
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