狂い咲き
                              

                              
                    最近、屯所の周りに住む近所の者達の間で密かに噂されているものがあった。

                    ”新選組屯所から女の可細い声で歌声が聞こえる”

                    守る為に戦って生きている猛者の住処において、もちろんそんな人物がいるとは
                  考えづらく、噂は尾ひれがついて”新選組の屯所には女の悪霊がいる”とまで
                  囁かれるようになっていた。
                 
                    そんな噂はもちろん副長である土方の耳にも届いていた。
                    いつもなら”人の噂も・・・・”と笑い飛ばせるのだが・・・。
                    今回ばかりはそうはいかなかった。

                    広い屯所の奥を目指して、暗い廊下を歩いていく。
                    ふっと、目当ての部屋の前に誰かが座り込んでいるのがわかった。

                    この部屋には隊士は近付かないように言いつけてある。
                    だとしたら、そこにいる人物は限られている。
                    土方はその限られた人物の中から一番確率の高い人間の名を呼んだ。

                   「総司!!」
  
                    人物はゆっくりとこちらを振り返る。
                    やはり当たっていたらしい。
                   「様子を見に来てくれたんですか?土方さん」
                    総司は読めない笑みを浮かべてゆっくりと立ち上がる。
                   「神谷の調子はどうだ?」
                   「相変わらずですよ」
                    スッと襖に手を掛けて開くと、土方にその中を見せる。
                    部屋の真中に一枚の布団が敷かれていて、その上には女子のような
                   容姿の隊士が腰を下ろしていた。
                    焦点の合わない瞳で歌を歌っている。
                    そんな神谷の傍に寄り、総司は跪いて声を掛けた。

                   「神谷さん、副長が来てくれましたよ」
                    その言葉に神谷はゆっくりと総司を見つめる。
                   「ふく・・ちょう・・?」
                    やや首を傾げてこちらを見るが、すぐにツイと目を逸らす。
                    まるで何も見えなかったように。
                    そして再び歌を歌い始めた。

                    土方はフーッと深い溜息を吐いた。

                    神谷清三郎がこんな状態になったのは一月前からの事だ。
                    何が原因でこうなったのかわからない。
                    蘭学に秀でた松本法眼ですらお手上げ状態なのだ。
                    ある日突然、総司以外の人間がわからなくなった。
                    総司の存在だけを認め、総司だけの声を聞く。
                    神谷の世界には総司しか存在しなくなったのだ。
                    他の誰が声を掛けようが、覗き込もうが見えてはいない。

                    ただ、歌を歌うだけ。

                    土方は神谷の横に腰を下ろす総司を見た。
                    そっと寄り添ってくる神谷を見つめ、口元に優しげな笑みを浮かべている。
                    こんな状態の神谷を一番に心配しそうな人間なのに。
                    最近の総司はどこか満足そうで・・・それが妙にふに落ちない。
                    土方は以前から抱えていた疑問を口にした。

                   「総司・・・」
                   「お前、もしかして神谷がこうなった理由を知っているんじゃないか?」


                    総司がゆっくりと土方を見上げる。
                    そこにはいつもの笑みはなかった。

                   「なぜそう思うんです?」

                   「お前はどこかこの状況に満足している」
                 
                    総司はじっと土方の顔を見つめたあと、俯いて笑みを浮かべた。
                   「心外だな」
                   「大切な部下を・・しかも弟のように思っていた神谷さんがこんな事に
                  なったんですから、心配に決まってるじゃないですか」
                   「ただ、法眼にすら治す術を知らないなら、この状況を受けて入れて
                  あげる事が神谷さんのためなんじゃないかって・・思っただけですよ」

                   「そうか・・・悪かったな」
                   「良いんですよ」

                   「じゃあ、俺は仕事に戻る」
                   「お前も、早く部屋に戻れよ・・・」

                   「えぇ、わかってます」

                    総司は暗闇の中を戻る土方の後姿を黙って見送る。
                    その姿が見えなくなったところで小さく息を吐いた。

                   「やれやれ、土方さんの勘の良さには敬服しますね」

                    再び部屋に戻り、歌を歌い続けるセイを抱きしめた。
                   「神谷さん、今、あなたに見えているのは私だけですよね?」
                    セイは総司の腕の中からその顔を見上げ笑みを返す。
                    総司は満足そうに頬を摺り寄せた。

                    一月前の事だった。
                    しばらく身も凍るような寒い日が続いたが、久しぶりに小春日和になった時があった。
                    これは幸いと甘味処に繰り出した総司が、その帰り道に見つけたのは
                   夕闇に咲く、狂い咲きの桜だった。

                    「急に暖かくなったから春と間違えてしまったんですね」

                     小さく可憐なその花びらに触れようとすると、ぬかるんでいた地面に
                    足を滑らせ、勢いでその桜の枝を折ってしまった。

                    「あぁ、私ってば何て事を」

                     寒い冬に頑張って咲いた花を自分が台無しにしてしまった事を激しく
                    後悔した。
                     桜の花はセイとの思い出の花だから余計に落ち込んでしまう。

                    「花を折ってしまったの?」
                    「折ってしまったんだね」

                     突然背後に聞こえてきた幼い声に、驚いて背後を振り返る。
                     そこには同じ顔をした童女が二人、総司をじっと見つめていた。

                    (双子・・?どこかの置屋の禿だろうか?)

                    「これ、二人ともご無礼はいけませんよ」

                     リンと響く鈴の音。
                     夜目にも鮮やかな赤い着物姿の女が、二人の小さな肩に白い手を置く。
                     花魁だろうか?

                    「うちの禿が失礼を・・・」

                     小さく首を傾げる女に総司は慌てて両手を振った。

                    「いえ、私が桜の枝を折ってしまったのがいけないんです」
                    「桜を・・・」
                     女は総司が握る小さな小枝を見つめた。

                    「そうですか・・あなたが私を・・」
                    「え・・・?」
                    「知っていますか?この木の下には鬼女が封印された鏡が埋まっているんです」
                     女は総司の横を通り、桜の幹に触れた。

                    「鬼・・・女ですか?」

                    「えぇ、昔、狂って鬼となった女が人間を喰らっていました」
                    「徳の高い僧は、その命と引き換えに女を鏡に封印し、
                   二度と人に触れられないようにこの桜の下に埋めたのです」
                    「ですが、極稀に・・一日だけ鬼女が外に出る機会があるのです」
                    「桜には魔力があるので・・特に狂い咲きの桜には・・・」
                    「その力を利用するのです」
                 
                    「だったら、私は鬼女を外に出してしまったのでしょうか?」
                     総司の問いに女は紅い唇を吊り上げた。
                     暗闇の中、それがはっきりと見える。

                    「さあ、それは・・・」
                    「お侍様、その枝にあなた様の願いを込められてみては?」
                    「この枝に?」
                    「鬼女が外に出られたなら、礼にその狂い咲きの枝を通してあなたの願いを
                  叶えてくれるのでは?」

                    「私の・・・願い?」

                    「ですが、お気をつけ下さい・・」
                    「桜は人を狂わせます。それに・・・」
                    「鬼女が願いを聞くのは、ただ一度きりですから」
                    「それ以上は望んでいけない・・・だって・・」

                     急に強い風が吹き始めた。
                     女の言葉が風にかき消される。
                     思わず顔を伏せると、桜の花びらが数枚舞い散っていくのが見えた。

                     チリ・・・ン

                     女のつけていた鈴の音が風の中に溶けていく。

                     総司が顔を上げると、不思議な事にそこには女も禿もいなかった。
                    「私の願い・・か・・」
                     総司はそっと目を閉じる。

                    (私の願い、それは・・あなたが私だけを見てくれる事・・・)


                    「せんせ・・・」
                     セイの細い指が総司の頬を撫でる。
                     確かに鬼女は私の願いを叶えてくれた。

                     だがしかし、私の心も狂わせていった。



                     あの日、風に消えた女の言葉。

                    「それ以上は望んでいけない」


                    それ以上の事を望めば、
                         
                         いつか、桜に攫われてしまうから。


                 

                  うが〜、だいぶ遅いキリリクになってしまいました。
                  のんのん様ごめんなさい。
                  しかも総司ってば中途半端に黒いし。
                  鬼女の話はちょこっとオリジナルからです。
                 
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