君限定で甘えてるってしらないだろう



                      放課後。
                      いつものように練習室を確保してヴァイオリンの音色を響かせていた
                     月森は、ある程度のところまで弾きこなすと、深い溜息を吐いて弓を下ろした。
                    
                      眉間に皺を寄せ、不機嫌とも呆れたとも言える表情を浮かべながら窓に向かって
                     歩き出す。
                      そして窓に手を掛けると勢い良くそれを開けた。

                     「いい加減にしてくれないか?」
                     「いったいいつまでそうしているつもりなんだ?」

                      外に身を乗り出して見下ろせば、そこには慌てふためく香穂子がいた。

                     「わ!わゎ月森くん!!」
      
                      予想しなかったことにかなり驚いたのか、手足をバタつかせて危うく抱えていた
                     ヴァイオリンを落としそうになった。
                      これにはさすがの月森も驚いて慌てて手を伸ばしたが、間一髪のところで香穂子
                     が持ち直したために二人してホッと安堵の溜息を吐いた。

                     「楽器は大切に扱ってくれ・・・」
                     「ご、ごめん・・・」
                     「さっきから楽器を抱えてこんなところで何をしているんだ?」

                      だいたいの答えの予想はつくものの、念のためにと香穂子に訊ねた。
                      香穂子はキョトンとした表情を見せた後、「あ〜」と言いながら人差し指で頬を
                     掻きながら苦笑を浮かべる。

                     「実は教えて欲しいことがあって探してたんだけど、見つけたと思ったら
                    素敵な音が聴こえてきまして・・・」

                      思わず聴き入ってしまいましたと言いながらぺこりと頭を下げた。

                      「またか・・」と腕を組んでジトッと香穂子を見つめる。

                     「君の熱心さと努力には感心する」
                     「俺も君の解釈の仕方には考えるものがあるから俺の知識でよければ役に
                    立てればと思う。だが・・・」
                     「俺の意見ばかり気にするのはどうかと思う」
                     「君が訊ねるなら先輩方も先生も喜んで教えてくれるんじゃないか?」
                     「現に今では音楽科の生徒が声を掛けてくれるようになったのだろう?」
                     「たまには他の人の好意に甘えて見るのも良いんじゃないのか?」

                      それを聞いて香穂子はフルフルと首を横に振った。
                      香穂子の長い赤みがかった茶色い髪が宙に踊る。

                     「先輩達にももちろん聞いてるよ?」
                     「でも甘えるとなると話は別だよ・・」

                     「なぜ・・?」

                      月森はまっすぐに香穂子を見つめて返事を待った。
                      だが、香穂子は顔を真赤にしてもじもじとし始める。

                     「だ、だって・・」
                     「だって私ね・・」

                     「甘えて欲しいのも甘えたいのも月森くんだけなんだもん!」

                      そう言い放つと、香穂子はくるりと向きを変えてダッシュでそこから走り去った。
                      残された月森はあっという間に遠ざかった背中を呆然と見送る。

                      そしてハッと我に返ったとき、真っ赤になって口元を手で覆った。

                     「いったい何だというんだ・・・」
                     「今日は・・やけに暑いな・・・」
                   

                      上昇した体温を覚ますように月森はしばらく窓辺に佇んでいた。
                      だが、そのお陰で世にも珍しい照れる月森の姿を多くの音楽科の生徒に目撃
                     される羽目になる。