買い物
ある良く晴れた日曜日。
今日は珍しく蓮もお休みで家にいたりする。
といっても、まだ布団の中でスヤスヤと寝息を立てているのだが・・。
「ねぇ、蓮くん。起きてよぅ」
「せっかくの休みなんだからどこかに出かけようよ」
頭からすっぽりと布団に包まれているその身体を軽く揺する。
結婚し、今の新居に越してきて1週間。
必要な物はまだまだあるというのに中々揃えることが出来ない。
というのも蓮がCMの曲を手がけたことで話題になり、
雑誌で取り上げられてからというもの
人気に火がついてあらゆる所から引っ張りだこなのだ。
人気が出るのも無理はない。
ヴァイオリンの演奏は超一流な上にこの容姿なのだから。
だが、新妻の香穂子はそれが面白くない。
そのせいで中々一緒にいられないし、
他の女の人達にはきゃあきゃあ言われるし。
たまに一緒にいれたと思ったらこんな状態だ。
結婚前より二人の時間が少ないような気がする。
結婚前はどんなに忙しくても二人の時間を作るようにしていたのに・・
「結婚なんてするんじゃなかった・・・・」
思わずそんな言葉をポツリと呟いた。
その瞬間、さっきまで寝息を立てていた蓮の身体がガバッと起き上がる。
「きゃ!」
急な事に思わず驚きの声を上げた。
「なぜだ、香穂子」
「俺との結婚を後悔してるのか?」
布団から抜け出たその表情は、寝起きだと言うのにかなり焦りの色が
浮かんでいる。
(これは・・・・・)
(狸寝入りしてたわね・・・・)
香穂子は口を尖らせてぶぅぶぅと訴えた。
「だって、蓮ってば結婚してから全然構ってくれないんだもん」
それを聞いた蓮は溜息を吐く。
「夜にたくさんかまってるだろう・・」
「私がしてるのは昼間の話デス!!////」
「つまんないよぉ」
「ねえ、どこかに行こうよ〜」
蓮のパジャマの裾を掴んでぶんぶんと揺らす。
まるで駄々をこねる子供のようだ。
蓮は腕組みをして目を伏せた。
「今日は一日、次のコンサートの演奏曲を練る・・・」
「じゃあいいよ。今日は土浦君と・・・・」
「つもりだったが行く事にする(きっぱり)」
こうして香穂子と蓮は二人揃って買い物に行く事になった。
やってきたのは最近、近くに出来た大型ショッピングセンター
日曜ともあってすごい混雑振りだ。
「で?何を買うんだ?」
蓮は眼鏡のフレームを指で上げた。
ゆっくりと買い物が出来るようにと香穂子に強制的に帽子と共に装着
を言い渡されたものだ。
「食器でしょ、お客様用の換えのシーツとか・・それから・・」
香穂子は上目づかいで考えながら指を折っていく。
これは相当な量になりそうだ。
カートを押しながら二人で店内を見て歩く。
真直ぐ目的の品物がある場所に行けば良いのに、香穂子はあちこちと
視線を巡らせては面白い物があればそっちに行ってしまう。
その度に蓮は香穂子をを追いかけなければならなかった。
(だ、ダメだ・・・少しゆっくりしたい・・・)
蓮は相変わらずキョロキョロする香穂子に声をかけた。
「香穂子・・・」
「なに?」
「少し本屋をみたいんだが・・・」
「うん、私もみたい!!」
香穂子が笑顔で頷いたのでホッとした。
本屋に着くと香穂子は雑誌のコーナーを、蓮は小説のコーナー
をそれぞれ見て歩く。
香穂子は一冊の雑誌に目を止め、取り上げた所で声を掛けられた。
「もしかして香穂子ちゃん?」
「え?」
顔を上げると壮年の女性が香穂子くらいの男の人を連れて立っている。
香穂子は困惑した。
声を掛けられたもののまるで見覚えが無い。
「あの・・・・」
「覚えてない?何年か前にお母さんとあったんだけど・・」
そう言われて微かに思い出した。
確か母の中学の同級生で久しぶりに偶然会ったのだと言っていた。
あの時は大学生だった香穂子も傍にいた。
「ああ、あの時の・・・お久しぶりですね」
女性は思い出した香穂子に気を良くし、色々話しかけた。
「ますます綺麗になったわねぇ」
「女の子は華やかで良いわねぇ。うちは男一人だからつまらないわ」
女性の隣にいる若い男性が苦笑いしながら香穂子に会釈した。
香穂子も会釈を返す。
「この子ったら、この歳になっても彼女一人いないのよ」
「情けないでしょ?」
「香穂子ちゃん、もし良かったらうちの子のお嫁なんてどう?」
「え!?」
香穂子は驚いた。
お嫁も何も香穂子は結婚しているのだ。
しかも相手は今人気のヴァイオリニスト、月森蓮。
「お、おい・・母さん・・」
息子の方も困惑しているようだが、そうまんざらではなさそうだ。
「香穂子ちゃんみたいに可愛い子ならおばさん大歓迎なんだけどな・・」
「あの・・・・」
女性の勢いに香穂子はますます困惑した。
蓮がその光景に気づいたのは、手にした本の会計を済ませている時だった。
香穂子が知らない二人と話し込んでいる。
香穂子の親戚は結婚前に挨拶しに行ったり、結婚式で会ったりしてほとんど
面識があるから親戚ではないだろう。
(誰だろう・・?)
蓮は三人に近付いた。
「香穂子ちゃん、うちの子のお嫁なんてどう?」
近付くにつれ、そんな会話が聞こえて来て蓮は驚いて足を止めた。
この女性は何を言っているのだろう。
香穂子はこの間自分と結婚したばかりなのだ。
そんな人間に息子を薦めるなんて気にいらない。
香穂子の左手の薬指にある指輪に気づいていないのだろうか?
「お、おい・・母さん・・・」
隣で困惑する息子も、どこかまんざらでなさそうな所が
ますます気に入らない。
蓮はこの話を止めるべく、三人に近付いた。
帽子と眼鏡を外しながら。
「香穂子!!」
その声に振り向いて香穂子はギョッとした。
蓮がこちらに歩いてくる。
それは良いのだが、眼鏡と帽子を外しているではないか。
これでは周りにバレバレだ。
蓮は香穂子の隣に並ぶと二人を見た。
「香穂子。こちらの二人は?」
「お、お母さんの同級生とその息子さんデス」
そう説明しながら香穂子は肩をすくませた。
蓮は怒っている。
口調や態度には表れていないがオーラがそう言っている。
「あぁ・・、お義母さんの・・・」
「あの・・・」
今度は女性が困惑した。
女性は蓮を知らないようだが、息子の方は口をポカンと開けている。
「初めまして、香穂子の夫の月森と言います」
夫の部分をかなり強調した。
香穂子は蓮を見てゾッとした。
蓮が壮絶な作り笑いを浮かべている。
見惚れてしまうような笑みだが、なぜか香穂子には
相手を牽制しているように見えた。
「夫って・・結婚してたの?」
女性は香穂子を見た。
「は・・・はい・・・」
香穂子は赤くなって下を向きながら左手を見せた。
薬指にはシンプルなシルバーの指輪がある。
俄かに周りが騒がしくなった。
気がつくと、香穂子達の周りを大勢の人たちが囲んでいる。
「きゃ〜、やっぱり月森蓮よ!!」
「かっこいい〜。私、大ファンなの!!」
周囲の言葉に女性はあることに気づいた。
香穂子が抱えている音楽雑誌。
その表紙を飾っているのは誰であろう、目の前にいる青年ではないか。
「どうやら周りに気づかれてしまったようですね」
「騒ぎになると店に迷惑が掛かるのでこれで失礼します」
蓮は香穂子が持っていた雑誌を女性に手渡すと、
香穂子の手をひいて出口にむかった。
こうなっては買い物なんてしてはいられない。
「結局、何も買い物出来なかった〜」
帰りの車の中。
赤信号で止まると香穂子は怒ってポカポカと隣の蓮を叩く。
もちろん軽くなのだが・・・。
「これから休みの日は家でゆっくりに決まりだな」
蓮の言葉に香穂子は頬を膨らませた。
本日のお買い物。
小説の単行本一冊也。