いつまで一緒にいられるかな



                      
                       音楽科の生徒は授業の終了を知らせるチャイムが鳴ると、
                      それぞれが自分の楽器を持ってすぐに練習に向かう。
                       日々知識を深め、高い技術を身につけるためにこの学院に入学したのだから
                      当然と言えば当然なのだが・・。
                       音楽科全員が練習出来るほど練習室があるわけではないし、今日のような
                      天気の悪い日は外で練習する事が出来ない。

                       努力する気持ちはあっても周囲の状況が追いつかないのが残念ではある。

                       そんな音楽科の生徒の中で普通科の彼女が練習をしていくのは更に大変で
                      はないだろうか?

                       頭の片隅にそんな考えが浮かぶ。
                
                       俺は今日は日直だった事もあり、少し遅めの時間で練習室を予約していた。  

                       外の天気は雨。

                       晴れていたら屋上や広場で練習する事も出来るがやはりこんな天気の日は
                      練習室の予約が取れないのはキツイものがある。

                       日直の仕事をすべて終え、練習室に向かおうとして廊下を歩いていると
                      前方から荷物を持ってヨタヨタとした足取りで階段を上ってくる普通科の制服
                      が見えた。

                       こんなにも抵抗無く音楽科の校舎を歩いているのは一人しか思いつかない
                       俺は躊躇いなくその生徒に声をかけた。

                       「何をしているんだ?」

                       「お?」

                        少しだけ下げた荷物の上に見えた顔は思った通りに日野だった。


                       「さっき金澤先生に捕まっちゃってさ・・・」
                       「生徒総会の資料を運ばされてるの・・」
                        
                        彼女は困ったように笑って荷物運びの経緯を話し始めた。

                        見れば一クラス分の資料+ヴァイオリンと自分の鞄。
                        良くここまで持ってこれたものだと感心する。

                        俺は少し迷った。
                        本当は手伝うと言いたい。
                        だが、同じ音楽科の生徒にまで疎まれる俺が手伝って迷惑では
                       ないだろうか?
                        
                        いっそうのこと彼女から言い出してくれたら良いのに・・。

                        そんなことは他力本願だとは思うがどうにも素直になるのは苦手だ。
                        彼女のことに関しては殊更に・・。
                        でもやはり見て見ぬ振りも出来ず、俺は少し彼女の勝気な性格に
                       賭けてみることにした。
                       
                       「そうか・・大変だな。それじゃ俺はこれで・・」

                        わざと関心なさ気に横を通り過ぎようとする。
                        すると日野は思ったとおり焦ったように俺を呼び止めた。

                       「ちょ、ちょっと〜!!」
                       
                        立ち止まって怪訝そうに振り返る。
                       
                       「何か?」
            
                       「か弱い女の子が困ってるんだから手伝おうよ」
                       「か弱い?」

                        俺は日野の言葉を是とも否ともせず、無言のまま辺りを見回して
                       見せた。
                        予想通り日野がむっとしたような表情を浮かべる。
                        その表情が可愛くて可笑しくて俺に悪戯心を芽生えさせた。
                        
                       「もうすぐ2年の教室だぞ」
                       「まだ半分あるんだってば・・」

                       「お願い!手伝って下さい」
                   
                        日野は荷物を抱えたまま頭を下げた。

                       (あ、そんなことをしては・・・)

                        その瞬間、思ったとおり資料はバサバサと廊下に滑り落ちた。

                       「あ・・・・・・・」
                       「・・・・・・・・」

                        (やっぱり・・・)

                        
                        茫然とする日野を見て、俺は可笑しくて身体が震え出しそうだった。
                        普段から感情を外に出さないようにしていていたのがまさかこんな所で
                       役立つとは思っても見なかった。

                        俺は呆れた素振りを見せつつ落ちた資料を広い、更に日野が持っている資料
                       の半分を引き受けた。

         
                        「ありがとう・・・」

                        日野がやんわりと笑う。
                        いつも思うことだが、日野の笑顔は心に明かりを灯すようだと思う。
                        だがなぜか胸が苦しくなることもある。

                        「時間の無駄だ、早くしてくれ」

                        俺は居た堪れなくなって足早に教室に向かった。
                        
                        そんな俺の後を日野が慌てて追いかけてくる。

                        その姿がまるで俺たちの今の関係のようだと思う。

                        幼い頃からヴァイオリンを学んでいた俺。
                        魔法のヴァイオリンを授かり、コンクールに出場した日野。
                        スタートラインはまるで違うけれど、彼女はグングンと才能の羽を伸ばして
                       俺を追いかけてくる。

                        だが、不思議と焦りはない。

                        むしろ楽しみながら後ろを振り返り、彼女が同じ位置に立つのを待っている。

                        彼女と並んで歩いていきたいと思う自分がいる・・・・。


                       「よし!これで終わり」

                        2年B組の教卓の上に資料を置くと日野の頼まれた仕事は終了した。
                        入口の所からぼんやりと窓の方を眺めた。
                        誰もいない教室が暗く翳っている。
                        その中にやけに浮き上がって見える日野の姿。

                        横顔を見つめていたら日野が急に俺を見たから胸が高鳴った。
                        じっと見ていたことに気づかれただろうか?
                        だが、日野は申し訳なさそうに礼を言い始めた。

                       「本当、助かったよ。月森くん」
                       「練習時間短くなっちゃってごめんね?」

                        俺は恥ずかしくなって目を逸らした。

                       「それはお互い様だろう」

                       「あ・・私は今日は練習室が空いてなくて練習出来ないの」
                       「だからもう帰ろうかな〜って・・・」

                        日野がまた困ったような笑みを浮かべながら言う。
                        今日は天気が朝から悪かったから午前中のうちに予約はいっぱいだった。
                        普通科の日野はやっぱりその事を知らなかったのだ。

                        俺は迷った。
                        もういい加減素直にならなければならない。
                        そんなに気になるなら誘えば良いじゃないか。

                        俺は意を決して重い口を開いた。

                       「俺は今日、練習室をおさえてある」

                       「うん?」

                        日野は話が見えないのか首を傾げている。

                       「その・・君さえ良ければ・・一緒に練習室を使っても構わないが・・」

                        その瞬間、日野は口を開けて驚いたような表情で俺を見た。

                       「い、良いの?」
                       「俺は構わない」

                       「ありがとう!お願いします」

                        日野が嬉しそうに満面の笑顔を浮かべた。
                        その笑顔があまりにも眩しくてまっすぐに見てはいられなくなった。
                        でもこの笑顔に出会えたときはいつもこう思うのだ。


                        いつかこの笑顔が俺だけのものになれば良いのに・・と。

                    
  
                         月森視点の話は異様に長くなってしまいました。