放課後
香穂子は薄暗い音楽科の廊下を歩いていた。
「なんでこんな事になっちゃうのよ〜?」
外はすっかり暗くなっていて、帰宅を促すチャイムが鳴り響いてから
だいぶ時間が経っていた。
普通科の校舎よりも古い音楽科の校舎には、独特の雰囲気があって
人気がないとやや不気味だ。
そんな放課後の音楽科の廊下をなぜ、普通科の生徒である香穂子が
歩いているかと言うと、話は今日の昼休みに遡るのだ。
「ねぇねぇ、この学院に纏わる七不思議って知ってる?」
森の広場でお弁当を食べながらの何気ない雑談。
自称、学院一の情報通の天羽が持ち込んだのは、学校によくある噂話だった。
「七不思議?」
香穂子はお箸でミートボールを口に運びながら首を傾げた。
「そう、正門前の妖精像が夜になると動くとかね、誰もいない練習室で
誰かの演奏が聞こえるとか・・・」
楽しそうに話す天羽を見て、香穂子はあんぐりと口を開けた。
「それって・・・」
(間違いなくファータの仕業じゃない?)
「怖いよね〜」
どちらかと言うと楽しそうに同意を求める天羽に香穂子が少し焦って誤魔化す。
「で、でも、そう言うのって・・小学校の二ノ宮像が夜中に校庭を走ってるっていう
噂と変わんないよ」
「もう、香穂って案外夢がないのね」
「あ、でもこれはロマンチックよ」
「音楽科校舎奥にある大鏡!」
「大鏡?」
「日が暮れてから誰もいない時にその鏡を見ると未来の結婚相手が見えるんだって」
「未来の・・結婚相手・・?」
隣に座る冬海と思わず顔を見合わせる。
「それでね、その噂を報道部で検証したいのさ」
「検証?」
「そう、学院七不思議の真実にズバリ迫るってね」
「結構、女子生徒の中じゃ噂になってんのよ」
「そ、それで、天羽先輩は放課後にその鏡を見に行くんですか?」
冬海が上機嫌の天羽に恐る恐る訊ねた。
「それがね〜」
「私、今日は別の取材に行かなきゃならなくてね」
「代理に行ってもらおうと思って」
「代理?」
問い返す香穂子に向かって天羽が意味ありげに笑った。
「そう・・」
「ここは一つ、よろしく頼むよ」
天羽の手がポンッと香穂子の肩を叩く。
「え?」
「えぇ!?」
予想外の展開に香穂子は心底驚いた。
「何で普通科の私?」
「冬海ちゃんは音楽科の生徒じゃない!!」
それを受けて冬海は青くなってぶんぶんと大きく手と首を振る。
「わ、私には無理です先輩」
「それに今日はレッスンの予約日ですし・・」
「そういうことなのよ・・」
「頼りにしてるわよ〜香穂」
意地悪げな天羽の笑みを見て、何だか最近どこぞの先生に
似てきたのは気のせいだろうかと香穂子は内心思った。
「えっと・・鏡、鏡っと・・」
音楽科二階の廊下を一番奥まで進むと倉庫として使われている教室
がある。
その教室の更に置くにその鏡はある。
天羽の言葉を思い出しながらひたすら早足で廊下を進む。
こんな不気味な用事は早く済ませてしまうに限る。
「教室・・あった」
教材室と書かれた教室の前に香穂子は立ち尽くした。
ごくりとつばを飲み込む。
「えぇ〜い!!」
勇気を出してドアに手を掛けると、そのまま一気にガラッっと引いた。
「けほっ、埃っぽい」
教室の中にあしを踏み入れると、そこは乱雑に物が置かれており、だいぶ
動かされていないのか埃が溜まっていた。
「電気は・・」
壁を探ってスイッチを見つけたものの、何度やっても天井の蛍光灯は
点く気配はない。
「嘘でしょう〜」
「こんな不気味な所を明かり無しで探すの?」
香穂子は途方にくれた。
いっそうの事、もう帰ってしまいたい。
だが、天羽には期待されているし、何よりここまで勇気を出して来たのが無駄になる。
仕方ないと僅かに残った勇気を振り絞って足を踏み入れた。
ギシギシとなる床に気をつけながら、教室の奥を目指す。
今にも動き出しそうな音楽家たちの肖像画や石膏像に守られるように
それはあった。
「もしかしてあれが鏡?」
大きな白い布をかけられた四角い大きな物が壁際に置いてある。
香穂子は鏡の前に立つと、その鏡の大きさを実感した。
162cmある香穂子でも見上げてしまうほど鏡は大きい。
そっと掛けられている白い布を掴んだ。
(ここまで来るのに夢中で考えなかったけど・・・)
もし、本当に未来の結婚相手を見ることが出来たなら・・・。
それがあの人だったなら・・。
いや、別人だったなら自分はどうすればいいのだろう。
不安に手が無意識に震える。
「大丈夫、ただの噂だって・・」
それを打ち消すようにわざと声に出して布を引いた。
布はバサッと音を立てて香穂子の足元に落ちてきた。
見事なアンティークな作りの大きな鏡が姿を現す。
鏡が久しぶりに映した人間は香穂子の姿だけだった。
「なんだ・・やっぱりデマか・・」
ホッとした反面、少し残念にも思う。
鏡に映る自分と手を合わせるように鏡面に触れると俯いた。
誰かの妻となった自分。
毎日、当たり前のようにその人の隣で過ごして、その人との
子供を産んで。そして育てて。
そんな自分の隣にいてほしいのは・・・。
香穂子はもう一度鏡を見た。
そして今度は大きく目を瞠った。
鏡に映る制服姿の自分。
その背後には確かに白いタキシード姿の思い人の姿が映っていた。
「う、嘘・・・」
「何が嘘なんだ?」
聞きなれた不機嫌そうなその声に振り返ると、腕組みをした蓮が香穂子の
背後に立っていた。
「月森くん・・・」
もう一度鏡を見ると、音楽科の白いブレザー姿の蓮がさっきと変わらず映っている。
(なんだ、ブレザーを見間違えただけか・・・)
「月森くん、どうしてここに?」
「練習室に篭っていたら下校時間が過ぎてしまって・・」
「気づいて帰ろうとしたら君の姿が見えたから不思議に思ってついて来たんだ」
「君こそこんな遅くに音楽科校舎で何してるんだ?」
「私は菜美の報道部の手伝いで・・・」
「天羽さんの?」
「うん・・」
「とにかく、門も閉まってしまうし、もう帰ろう」
蓮は香穂子の背中に手をまわすと先を促す。
「う、うん・・・」
香穂子が先を歩き始めると、蓮も何気なく鏡を振り返った。
「月森君?」
着いて来ない蓮を不思議に思って香穂子は振り返る。
蓮はまだ、鏡を覗いていた。
「あっ・・あぁ、今行く」
「・・・・?・・・」
振り返った蓮はどこか戸惑っているような感じがした。
帰り道、香穂子は昼休みの経緯を蓮に話した。
もちろん、あの鏡に未来の結婚相手が映るという話は黙っていたが。
「そんな事を頼む天羽さんも天羽さんだが、そんなことを引き受ける日野もお人好しだな」
っと、少し呆れられてしまった。
交差点に差し掛かり、「それじゃ」と別れた。
香穂子は信号待ちしながら遠ざかる月森の背中を見つめる。
(月森くんだって、心配して私の事追ってきてくれたくせに・・・)
(月森君だって十分お人好しだよ・・)
やがて信号は青に変わり、香穂子は歩き始めた。
交差点で香穂子と別れ、しばらく歩いた後、蓮は再び後ろを振り返った。
横断歩道を渡り終えた香穂子の姿が見える。
(あの時、見えたものはいったい・・・)
香穂子の話によると、学院の七不思議の一つだというあの鏡。
”未来を映す鏡”
蓮が何気なく振り返った時、信じられないものが映っていた。
ウエディングドレス姿の香穂子。
驚いて立ち尽くす蓮に向かって振り向いたのだ。
実際に香穂子の声に我に返ると、そこには制服姿の香穂子が同じように
映っていた。
(あれは、日野の未来を映したのだろうか?)
だとしたらなぜ・・・?
鏡は誰かの妻になるという香穂子の未来を蓮に見せたのか。
蓮はそっと目を閉じる。
願わくば、鏡が見せた未来が現実となる時、君の隣にいるのは・・・
俺でありますように。
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