ほらね、そうやって笑顔で誤魔化す




                       
                       それは以前から何となく感じていた事だった。
                       最初に気づいたのは香穂子と付き合い始める前。
                       学内コンクール中にリリからもらったというあのヴァイオリンが
                      壊れた時だった。

                       夕方、校門で肩を落とすリリに会った時、俺は香穂子のことが
                      心配でならなかった。
                       気がついたら踵を返して職員室に向かっていた。

                       金澤先生に香穂子の家の電話番号を聞くために・・・。

                       最初は躊躇ったが、勇気を出して掛けた電話に出た彼女の
                      声は意外にも明るいものだった。

                      「もしかして心配してくれたの?」
                      「大丈夫だよ。ちゃんとお別れ出来たしね」
                      「今は新しい相棒のことで頭がいっぱいなの」

                       その言葉を聞いた時、素直に信じてホッとした。
                       良かった、彼女はまだヴァイオリンを続けてくれると・・。
                       だが、そうじゃなかった。
                       彼女は俺が思った以上に傷ついていたのだ。

                       それに気づいたのは一瞬だけ、ほんの一瞬だけ見せた
                      暗く泣き出しそうな表情だった。

                       気がついたら彼女の腕を掴んでいた。
                       驚いたような表情で俺を振り返り、すぐに笑みを浮かべる香穂子。

                      「どうしたの?月森くん」
                      「我慢なんかしなくて良いと思う・・」

                      「え・・・?」

                      「悲しい時は素直に泣けば良いんだ」
                      「無理に笑って気持ちを誤魔化さなくて良いんだ」

                       香穂子の表情は変わり、首を横に振る。

                      「ダメだよ・・そんなの・・。みんな困った顔するもの」
                      「だったらせめて俺の前ではそんな顔しなくて良い」
                      「俺はちゃんと受け止めるから・・」

                       そう言った時、彼女は瞳に涙をいっぱいに浮かべて俯いた。
                       
                      「酷いよ・・月森くん・・」
                      「せっかく頑張ってたのに・・・」

                       香穂子は両手で顔を覆い俺の腕の中に収まった。

                       それから数日後。
                      コンクールは最終セレクションを迎え、終了と共に俺の腕の中は
                     正式に彼女の泣き場所になった。


                       だが、これからしばらくはその役目を終えなくなる。
                       今度彼女を悲しませてしまうのは俺自身だから。

                      「何?月森くん」

                       呼び出した場所に彼女の親友はやってきた。

                      「もうすぐ出発するから急がしいんじゃないの?」
                      「君に頼みがある・・」

                      「頼み?」

                       天羽さんは俺の言葉に訝しげな表情をした。

                      「俺が留学したら・・彼女が笑っているときこそ傍にいてやって欲しい」
                      
                      「え・・・・?」

                      「俺が戻ってくるまで・・君たちが彼女の泣き場所になって欲しい」

                       天羽さんは最初驚いたような感じだったが、すぐに心外とばかりに
                      ふんぞり返った。

                      「あのね・・そんなの言われなくても解ってるに決まってるでしょ!!」
                      「そうか・・」

                       天羽さんの言葉に苦笑が零れる

                      「そんなことより、ちゃんとプロになってあの子のこと迎えに来なかったら
                     承知しないからね」

                      「あぁ・・それは香穂子との約束だから必ず!」

                       もうすぐ俺はプロになるために旅立つ。
                       俺だけに与えら得た役目の一つを人に託すのは気がかりだが、

                      でも、彼女を思ってくれる気持ちは本物だからきっと心配はいらないだろう。

                     

                       迷った末に留学直前の話。