月下都市


              

                      それは、まだ月森が幼かった頃の事。

                      小学生だった月森はヴァイオリン教室に通う途中、
                     大きな病院の裏手にある公園の前の道を歩いていた。

                      そこは、月森がたまに寄り道してレッスンで気になった
                     箇所を練習をしていた場所でもあった。
                      でも今日は辺りは暗くなり始めていて公園にも誰もいない。
                      ヴァイオリンケースを小さな手でギュッと握り締め、足早に通り過ぎようとした。
                      そこへ、白い何かがふわっと月森の足元を横切っていった。
                      自然、視線はそれを追う。。

                      それは風に乗ってしばらく空中を舞っていたが、やがて静かに地面に着地した。

                      「紙ひこうき?」

                      幼い月森は落ちた場所まで走って行き、それを手に取った。
                      折り目がきちんと揃っていて几帳面な作りだ。
                      だからこそこんなにも長い時間飛んでいたのだろう。
                      月森も少年らしく、その作り方や飛ばし方に興味が湧いた。
                      指先で折り目を掴んで自分も飛ばそうと構えてみる。
                      
                      「あれ?」
                       頭上で構えてみた時、そこにうっすらと何かが書かれていることに
                       気がついた。
                       よく見てみると、それはどうやら内側に書いてあるらしく、紙ひこうきを
                      壊さなければ読む事は出来なかった。
                       月森は散々迷った挙句、それを広げた。
                       中には幼いながらも丁寧な文字。

                      「いつもあなたのヴァイオリンを楽しみにしています」

                       月森は紙ひこうきが飛んできた方向をみた。
                       公園のぶらんこや砂場の向こう。
                       白い大きな病院の建物がひっそりと建っていた。
                       窓にはそれぞれ明かりが灯っている。
                       が、どこにもこれを飛ばしたであろう人影はなかった。
                       二階の小さな窓がほんの少しだけ開いている。

                       (きっとあそこから飛ばしたんだ・・)

                        月森は紙を丁寧に折りたたむとポケットに入れた。
                       
                       (僕のヴァイオリンが人を楽しませた!!)

                        それが幼い心には何よりも嬉しかった。
                        だって両親に音楽は人も自分も楽しませるものだと教えられていたから。

                       (もっともっと弾いてあげる。喜んでくれるなら!!)

                        意気込みながら走り出す。

                       (明日も絶対来るから!!)

                        

                        それからというもの、月森は時間があればその公園にやってきて
                       ヴァイオリンを弾いた。
                        公園にやってくる人が珍しそうに立ち止まって聞いていくが、月森は
                       紙ひこうきを飛ばした人を思って演奏した。
                        その気持ちが伝わったのか、いつも夕方になって月森が帰ろうとすると
                       紙ひこうきは風に乗ってやってきた。
                        そこに書かれているのは感謝の言葉。
                        紙ひこうきが届くたびに月森は思った。
                        いつかこの子を探しに病院に行こう。
                        そしてこの紙ひこうきの折り方を教えてもらうんだ。

                        月森がそう心に決めたのも束の間。
                        その翌日からどれだけ演奏しようと紙ひこうきはやってこなかった。

                        「きっと元気になって退院したのよ」
                         
                         母親に話すと慰めるように頭を撫でてくれた。

                         月森はどこか納得できなかった。
                         それならどうして教えてくれなかったのだろう?
                         この間まであんなに嬉しそうに手紙をくれたのに・・。
                         なぜか・・あったこともないその子との間の友情が
                        壊れたような気さえした。

                         結局、紙ひこうきの折り方も、その子が誰なのかもわからないまま・・。
                         時は流れて。

                        「ふ〜ん、不思議な話だね」

                         月森の昔の話を香穂子は向かい合い、頬杖をついて聞いていた。
                        「なぜか、急に思い出したんだ」
                         すっかりと頭から消えていたのになぜだろうと月森も首を傾げる。
                        「その子・・女の子だったんじゃないの・・?」

                         やや上目遣いで月森を見る香穂子の真意がわかって月森は苦笑した。
                        「さあ?字は子供なりに丁寧だったと思ったが・・・」
                        「蓮ったら・・そんなちっちゃな頃からモテてたんだ」
                         どこか面白くなさげな香穂子に近づいてその前髪を掻き揚げる。
                         こんな彼女の嫉妬ですら嬉しく、愛しい。

                        「たとえ女の子だったとしても、俺が愛してるのは香穂子で、今は君に向かって
                       ヴァイオリンを奏でているのだから・・・」

                         そしてその額に、口唇に口づけを落とす。

                         最初は額に手を当てて照れていた香穂子だったが、嬉しそうに微笑んだ。
                         そして月森の腕にしがみつく。
                        「腕を組めるのも、抱きしめてくれるのも、キス・・してくれるのも私だけの
                       特権だよね?」
                        「あぁ・・俺を独り占め出来るのは、君だけだから・・」

                         そして、もう一度唇を重ね合わせる。
                         謎を残したまま幕を閉じた過去の思い出話。

                         それが意外な形で再び幕を上げた。
                        
                    
                       BACK          TOP        サイト案内       NEXT