孵化


  



 黒い艶やかな羽がくるくると円を描くようにたくさん落ちてくる。


 

 あるとても天気が良い日だった。
 今日はいつも姿を見せている黒い猫はまだ来ていない。
 私はやせ衰えた身体をどうにも出来ず、ただ天井を見つめていた。
 障子が開け放たれているせいか、どこからともなくひらひらと季節外れの
黒いあげは蝶が部屋の中に入ってきた。
 まるで、私に話しかけるように布団の上を飛び続ける。
 その光景は遠い日に命を落とした愛しい人との思い出を蘇らせた。
 
 あの時もこんな青い空の日だったように思う。

「先生、見てください。蛹が孵りますよ」
 彼女はすらりと伸びた木々の枝を指差して言った。
「ホントだ、蝶のようですね」
 私は隣にたって彼女の指が指すものを見つめた。
「綺麗な蝶だといいな・・」
「わかりませんよ?意外と蛾かもしれないですしねぇ」
 私の言葉に彼女は口を尖らせながら怒った。
「もう、先生は夢がない事言わないで下さいよ」
 もう、だいなしと言いながら彼女はそっぽを向いた。
 そんな膨れっ面を見ながら思わず笑みがこぼれる。

(普通、武士はそんな事言わないと思いますけどね・・)

 彼女は出会った頃より幾分成長したとはいえ、傍にいるとこんなにも
幼さを残している。
 女子ながら、弟のように思う私にはどこかそれにホッとしていた。
 
 時々、彼女はまるで別人のような表情を浮かべる。
 
 凛とした横顔、慈愛に満ちた瞳。
 それは紛れもなく大人の女の顔。
 大人の女の色香。
 私はそんな彼女を見るたびに、息をするのを忘れてしまうほど見惚れてしまうのだ。
 今はまだ、そんな彼女を見ることは少ないが、いつかはこの蛹のように羽を広げる時が来るだろう。
 
 そう、もうすぐ彼女は、幼さと言う殻を破って濡れた羽を広げるのだ・・・・・。

 私はなぜかその時は自分自身をなくす日でもあるような気がして恐ろしく思えた。

(大人になんかならないで・・・・そのままの貴女でいて・・・)

 私は心の中でそんな身勝手な願いを呟いた。

 後に起こる悲劇など思いもよらずに・・・。
 
 ある日の隊務中、私を庇った彼女が深手を負った。
 斬りつけて来た浪士との間に飛び出してきたのだ。
 血を流しながら倒れる彼女を見て、呆然として動けない。
 他の隊士たちが急いで屯所に連れて帰り、医師に診断させた。
 彼女の傷を見た医師の表情が曇る。
 医師は低い声で言った。
「今晩、もつかわかりません・・・・」
 私は、その言葉をどこか他人事のように聞いていた。
 
(持たないって誰が・・?神谷さんが・・・?)

(そんなことあるわけないじゃないですか)
(私、夢見てるんでしょうか・・・)

 周りを見回す。

(どうしてみんな泣いてるんです?)

 私は大刀を持って立ち上がった。
「総司?」
 土方さんが呼んだけれど、答えずに彼女が寝かされている部屋に向かった。
 部屋の真中に白い顔をした彼女が寝かされている。
 それを見た瞬間、一気に現実へと連れ戻される。
「かみ・・神谷さ・・神谷さん!!」
 傍へと走りより、彼女の白い手を握った。
 いつもよりも白い手は冷たく、握り返す事はない。
 
(ごめんなさい・・私が子供だったばかりに・・・)
(貴女が大人になっていくたびに、私は理性を失いそうで怖かった・・)
(だから・・・あんな願いを・・)

 これは罰なのだ。
 あんな身勝手な願いをした・・・。

 
 

 私は彼女の耳元に唇を寄せ囁いた。
「神谷さん、聞こえますか?」
「貴女が先に逝ってしまうのは悲しいですが、私と約束してください・・」
「私の天命が尽きる時、貴女が迎えに来てください」
「一人で天国に逝っちゃイヤですよ・・」
「貴女が迎えに来て・・そしてともに地獄へと堕ちましょう」
 彼女はわずかばかりに唇を動かしたが、声にはならず、浅い呼吸を2,3度すると
黄泉の国へと静かに旅立った。




 黒いアゲハチョウは今だ飛び続けている。
 私は身体に疲労感を感じ、まどろみ始めた。
 耳元にパサという音を聞き、薄く目を開ける。
 枕元に黒い艶やかな羽が落ちていた。
「いったい、どこから・・?」
 気がつくと、上からたくさんの黒い羽がクルクルと円を描く様に落ちてくる。
 まるで部屋を羽で埋もれさせるかのように。
 黒い蝶は私の足元へと降り立ち、人へと変化した。
 長く真っ直ぐな黒髪は下ろされ、黒い衣装を着ている。
 その背には大きな黒い翼があった。
「神谷さん・・・?」
 私は目の前に立つ美しい女の人に言った。
 蝶から変化したその人は、愛しい人にとても似ている。
 女の人は微笑んだ。
「先生、約束どおり、お迎えに参りました・・」
「共に黄泉の国へと参りましょう」

 そう言うと、彼女は大きな鎌を振り下ろした。
 私は目を閉じる。

(あぁ、貴女はずっとこの時を待っていたのですね・・)

 殻を破った彼女は、恐ろしさと美しさという羽を広げて今、私を黄泉の国へと誘う。




 ぺんた様にサイト
 「月は東に日は西に」に献上した
 お話です。
 セイちゃんがよりにもよって死神です。
 これは最初に話より絵が頭の中に浮かびました。
 黒い羽がたくさん舞う中で佇んで笑みを浮かべる死神セイちゃん。
 怖いというより綺麗というイメージでした。
 黒いワンピース姿で鎌というよりランプ。
 死神よりも魔女とか隠者の方が合ってるかな。
 


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