雨の日の既視感(デジャビュ)


                      本当に偶然なことだった。
                      その日、天羽や冬海と久しぶりにショッピングを楽しんだ香穂子は、
                      二人と別れた後、夕食の買い物をしようと近くのスーパーに立ち寄った。
                      数十分の後、買い物を終えて店の中から出てくると、外はいつの間にか
                     しとしとと雨が降り始めていた。    

                      (そういえば天気予報でも夕方から雨って言ってたっけ・・)

                      店の軒下から灰色の空を見上げ、今日の朝、蓮と朝食を摂りながら何気なく
                    見ていたニュースの天気予報を思い出した。

                      (そうそう、だからバッグに折りたたみの傘入れておいたんだった)

                      その存在を思い出し、買い物袋を腕にぶら下げて何とかバッグの中を漁って
                     みる。
                      腕の買い物袋が少し重くて中々上手く取り出せないでいると、俯いた視界の端に
                     濃紺の傘がスッと差し出されたのが目に入った。

                      驚いて顔を上げれば、左手にヴァイオリンケース。
                      右手に傘を持った蓮が穏やかな笑みを浮かべて香穂子を見つめていた。

                     「蓮?」
                     「反対側の歩道から君の姿が見えたから渡ってきたんだ」
                     「傘がないならここに入っていくと良い・・」

                      そう言って蓮は更に傘を香穂子に傾ける。
                      香穂子は慌てて首を振った。
                      そんなことをしたら大切なヴァイオリンを入れたケースが濡れてしまう。

                     「ううん、傘はあるの」
                     「ほら、朝のニュースで雨が降るって言ってたでしょ?」
                     「だから傘は持って出かけたんだけど、荷物が多いせいか中々取り出せなかった
                    だけだから・・」
                     「ちょっと待ってて!」

                      再び急いでバッグを漁り始めた香穂子に蓮は「そうか・・」と残念そうに傘を
                     引いた。

                      (んん?何か元気ない?)

                      なぜかショボンとする蓮の表情を見て香穂子は首を傾げる。

                      仕事で何かあった?
                      ううん、さっきまでは普通だった。
                      じゃあ私、何か言った?

                      思考をフル回転していると、記憶は蓮が傘を差し出してくれたところまで
                     巻き戻された。

                      「あ!」

                      ようやく思い当たることを見つけると、無意識に声を上げていた。

                      「どうした?」
                      「ううん・・その・・やっぱり荷物も多いし、傘に一緒に入れてもらって良い・・?」

                      最初は不思議そうに香穂子を見つめていた蓮だったが、その言葉にふんわりと
                     した笑みを浮かべて頷いた。

                      「もちろん」



                     雨の中、相合傘で帰る道すがら、香穂子は蓮の横顔を盗み見ながら色んな
                    ことを考えていた。

                     (きっと蓮ってば、同じ傘に入って一緒に歩きたかったんだろうな・・)

                     でも不器用で照れ屋なこの人は、二人きりの時ならともかく、あんな大勢の人
                   が出入りしている店先でそんなこと言えなかったんだと思う。

                     (あれ?でもこういうこと前にも無かったっけ?)

                     前にも同じ経験をしたような気がして再び記憶は巻き戻しをし始める。
                     婚約中、蓮が留学していた大学時代、そして出会った高校時代。
                     流れる様々な記憶の中にたくさんの二人の思い出が映し出されていく。

                     そして、ほぼ出会って間もない頃まで思い巡らしたとき、頭に浮かんできたのは
                    今日のような雨の日の夕方の景色だった。

                     (あぁ、そうだ。思い出した)

                     あれは学内コンクール中のこと。
                     まだ、付き合うどころか自分の気持ちすら自覚出来ないでいた頃だった。

                     練習室で練習を終えた香穂子がホールから出てくると、外は雨が降っていた。

                     (困ったな・・・)

                     その日は朝から澄み切った青空が広がっていたので油断して天気予報をチェック
                    しなかったのだ。
                     下校時間ぎりぎりともなれば普通科の生徒はほぼ帰宅しているだろう。
                     かろうじて残っている部活の生徒もこの天気では中止で帰っているに
                   違いなかった。

                     家に電話をしようか?

                     そんなことを考えながら屋根から落ちる雫を見つめていると、隣に白い人の影
                    がやってきた。
                     パサ!という傘を開く音に「この人は傘があるんだ」と何となく隣に目をやった。
                     だが、それは意外にも良く見知った人物だった。

                    「月森くん・・・何でここに?」

                     自然な疑問だった。
                     ここは普通科のホール。
                     音楽科の月森がいるのはかなり不自然なことのように思えた。

                     蓮は一度香穂子に目をやると、すぐにそらして校庭を見つめたまま
                    話し始めた。
             
                    「別に・・・購買に用があっただけだ・・」
                    「荷物があるならわざわざ音楽科に戻らずともここから帰れば良いだろう」
                    「そっか〜。なるほどね・・」

                     購買は普通科のこのホールしかないのだ。
                     それなら蓮がこのホールから帰ろうとしていることにも納得が行く。
                     
                     香穂子はもう一度蓮に目をやった。
                     傘は開かれた。
                     だが、蓮はまだ香穂子の隣に立ったままで動こうとはしない。

                    (どうしたんだろ・・?)

                     何の言葉も発しないまま、雨音だけがその場所に流れる。
                     そして沈黙を破ったのは蓮の方だった。

                    「もし・・良かったら、その・・一緒に入っていかないか・・?」

                     その言葉に驚いて香穂子は蓮を見つめる。
                     いつもクールな彼の表情はいつに無く頬が赤く染められていた。

                    (ああ、だからずっと・・・)

                     なかなか言い出せなくてここに立ち止まっていたんだ・・・。

                     傘が無い香穂子を心配していてくれたのだと思うと、
                   浮かれてしまうほどに嬉しくて、思い切り頷いたあの日。


                    (そうだよ・・。あの日も今日みたいに優しいけど不器用でちょっと損してるな
                 って思ってた)

                     でも、そんな彼の本質を知っているのが自分だけだと思うとちょっと
                    誇らしかった。

                    (ふふ、何年たっても変わらないんだな〜)

                     思わず笑みが零れて蓮を見つめる。

                    「上機嫌だな。どうしたんだ?」
                    「ううん、ただの思い出し笑い」

                    「ねえ蓮・・・」
                    「ん?」

                     香穂子は傘を持つ蓮の袖口を掴んだ。
                     そしてあの日と変わらない笑顔を蓮に向ける。

                    「何年経ってもそのままでいてね?」
                    
            
                 

                     何だかいつもと違う月森に仕上がりました。