3rd Contact



                   秋が近付き、日が暮れるのも早くなってきた。
                   下校時間が近付き、月森が校舎から出ると空は見事な茜色だった。

                   ふっと見れば、校門付近で数人の中学生らしい集団がこちらを
                  覗き込んでは何かを話し込んでいる。
                   月森はそれを見て、もうそんな時期なのかと頷いた。

                   きっと彼らは来年の始めにここを受験する予定の中学3年生なのだろう。
                   昨年も同じ時期に同じ光景をみたものだ。

                   月森自身は家が近い事もあり、文化祭に見学も兼ねてこの学校に
                  来た事があった。
                   星奏学院の音楽科は周辺ではそのレベルの高さで有名なため、毎年
                  遠方からも志願者がやってくる。
                   そんな志願者のために、毎年文化祭に学校側が選んだ数人のソロ演奏者と
                  オケ部が演奏会を開く。
                   月森自身もこの学校を受験するのをはっきりと決めたのはその演奏会を
                  聴いたからなのだった。


                  (そういえば・・・・)

                   そんな受験当日に一人の女の子と出会った事を思い出した。

                   教室入場の終了を告げるチャイムが鳴り響く数十分前。
                   すでに教室に入ってくる人は無く、みんなシンと静まり返って
                  参考書を眺めていた。

                   そんな中、月森は周りに気づかれないように溜息をついた。
                   この周囲のカリカリとした雰囲気が逆に集中力を散漫させる。

                   それでなくとも今日はいつものコンタクトではなく、眼鏡をしているため
                  落ち着かないというのに・・。

                   月森は腕にしている時計を見た。

                   まだ少し時間はある。
                   少し気分転換を図ろうと席を立ち上がった。

                   席に近い後ろのドアから廊下に出ると、廊下にも人の姿は無かった。
                   窓に寄りそれを開けると、流れてくる冷たい空気が妙に心地よかった。
                   教室の中は暖房が暑くなり過ぎないように設定されていたが、それでも
                  人の熱気もあって気づかないうちに少しボーっとしていたようだ。

                   外の景色を眺める。
                   広場を挟んだ向かい側は普通科の校舎だ。

                   この学校に入学すれば、今までと違い本当に一日中音楽を学んで
                  過ごすということになる。
                   今、通っている中学は音楽は授業で数時間ある程度の普通の学校だ。
                   ヴァイオリンを習っていることを好奇な目で見られることはあったが、家族の
                  ことを噂されたり、妬まれたりすることはあまりなかった。

                   だが、ここに通う生徒は本格的に音楽を学んできた人間ばかりだ。

                   少なからず著名なあの家族の名は自分自身に良くも悪くも影響を及ぼすだろう。
                    
                   ふっと、そんなことを考え、暗い気持ちになっている自分に気づいて自嘲した。。

                  「大丈夫。俺は俺じゃないか・・・」

                   まるで魔法の呪文のようにその言葉を呟く。。
                   何においても、大切なのは努力と自分自身の気力なのだ。
                   いくら両親が有名でも自分の実力が伴わなければ成功などしないのだ。
                   月森は首を横に軽く振り、頭の中から完全に暗い気持ちを打ち消すと、再び
                  視線を外に向けた。
     
                   そんな時、パタパタとした軽い足音が段々と近付いてきて月森の背後で止まった。

                  「あの・・・・」

                   恐る恐る掛けられた声に月森は振り返った。
                   随分と走ってきたのか、息をきらした女の子がそこに立っていた。

                  「この番号の教室に行きたいんだけど、どこかわからなくて・・・」
                  「どこか知りません?」

                   月森は怪訝な表情になった。
                   もうすぐ試験が始まるのにまだ探している人間がいたのか。
                   月森は女の子が差し出した受験票を受け取り、眺めた所で大きく目を見開いた。

                   大きく書かれた受験番号。
                   その下には普通科と書かれている。

                  「普通科!?ここは音楽科の受験教室だぞ!」
                  「普通科はあの向こう側の校舎だ」

                   月森の言葉に女の子はまるで飛び跳ねるように驚いた。

                  「音楽科!?どうりでずっと探してても見つからないはず・・・」
                  「ど、どうしよう・・・早く向こうの校舎に行かないと時間が・・」
                  「でも、初めて来たからどういったら良いのかわかんないよ・・」

                   うっすらと涙を浮かべてオロオロする女の子を見て、今日何度目かの溜息をついた。

                  (しかたないな・・・)

                   女の子の手を掴むとぐいぐいと引いて校舎の外れにある渡り廊下まで案内した。
                   ここまでしてやることも無いと思うが、見捨てたことで彼女が試験を受けられな
                  いという事態になれば何となく責任を感じてしまう。

                  「あ、あの・・・」

                   女の子は月森の行動に戸惑っているようだったが、時間も無いのでそのまま
                  目的の場所まで案内した。

                  「ここを渡ると職員室や図書室がある校舎に出る・・」
                  「そこから普通科の校舎に行けるから、後は先生か案内役の生徒に聞くといい」

                   目の前にあるドアを開けると、隣の校舎へ行く為の渡り廊下が現れた。

                  「詳しいんだね・・?」
                  「別に・・昨年の文化祭で見学しただけだ」
                  「そうなんだ?私も来れば良かったな」

                   女の子は少し安堵したのかふふっと笑みを浮かべた。

                  「有難う。助かったよ」
                  「わざわざここまで案内してくれるなんて優しいんだね!」
        
                  「優しい・・?俺が・・?」

                   その言葉に驚いて女の子を見つめれば、屈託の無い笑顔でうんと頷いた。

                  「優しいを通り越してお人好しかも!」
                  「でも、そのお人好しさんのおかげで助かったんだもん。神様に感謝だね」

 
                      
                   にっこり笑ってそういうと、女の子は「それじゃあ」と手を上げて走り出した。

                  「本当にありがとう!」
                  「お互い合格してまた会えると良いね!!」

                   女の子の姿が見えなくなるまで見守っていた月森は、その姿が校舎に消えると
                  眼鏡を外してポツリと呟いた。

                  
                  「お人好し・・か・・そんな事初めて言われたな」


                  「あ〜いたいた。月森、試験はじまるぞ!!」
                  「あぁ悪かった。すぐに行く・・」

                   探しに来た同級生に答えながら月森はもう一度振り返った。

                  「また、いつか・・・」
       

                  「懐かしいな・・・」

                   月森はその時のことを思い出して頬を緩めた。
                   そういえばあの時の女の子はちゃんと合格出来たのだろうか?
                   あれから会うことは無かったが・・・。
                     
                   とはいっても、月森も顔をはっきりとは思い出せないので例え合格していて擦れ
                  違っていたとしても、解らないかもしれない。

                  「あ〜、月森くん発見!」

                   あの時と同じパタパタとした足音と声に振り返れば、同じく練習を終えて帰宅するらしい
                  香穂子がにこにこと笑って立っていた。

                  「今帰り?一緒に帰ろうよ」
                  「あぁ、構わないが・・・」

                   月森が頷くと、二人は並んで歩き出した。

                  「受験生の見学者が来る季節になったね」
                  「あぁ、俺もそれを考えていた」

                   どうやら香穂子もさっきの中学生を見て同じ事を思ったらしい。

                  「自分のときを思い出しちゃうな〜」
                  「私ね、受験当日に間違えて音楽科の校舎に来ちゃって眼鏡をかけた
                 男の子に助けてもらったんだ」

                  「え!?」

                   香穂子の言葉に驚いて月森は香穂子を見つめた。
                   だが、香穂子はそんな月森の驚きを失敗に驚いていると思ったらしい。

                  「マヌケでしょう〜?」と苦笑いした。
    
                  「あの時の男の子ちゃんと合格したかな〜」
                  「月森くん心あたりない?」

                   懐かしむような表情の香穂子を見て月森は気づかれないように口元に
                  笑みを浮かべた。

                  「そうだな・・あるかもしれない」
                  「え!?本当に?」
                  「あぁ、教えて欲しいか?」
                  「うん!」

                    きっと香穂子は自分がその男の子だと告げたら驚くに違いない。
                    それを想像すると少しだけ楽しかった。

                  「それは―――」

                    いつの間にやら、二人はちゃんと再会を果たしていた。
                    それは神様ならぬ妖精の悪戯・・・?