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北海道へ 昨夜11時すぎに青森を出帆した連絡船は朝靄の中 津軽半島と下北半島の間の海峡をくぐり抜けると、 すぐに北海道の南端 渡島半島に近づいていく。 函館港に入っていく青函連絡船の甲板から眺める北の大地は、 ただ大きく青く私を圧倒した。 |
道南の旅 1961年9月 | 函館駅 | こんにちは! 北海道(函館駅前) | ||
トラピスチヌ修道院 |
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函館の郊外湯の川から、15分ほど雨上がりの泥濘の坂道を上っていくと、風見鶏(ウェーザークック)のついた尖塔が見えてきた。 小高い丘の上にある修道院は、赤煉瓦の重厚な建物で厚い堅牢な 石の高塀がぐるぐると巡らされており内部を覗くよすがはない。 |
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泥濘の道の果てに尖塔が見える | 修道院を囲む石塀 |
円形の芝生を過ぎると、ツタのからむロマネスク風の建物があり、その塔にも外廊にも女性的な曲線 がほどこされ、 いかにも女子修道院というやさしさにつつまれた雰囲気である。 |
. | 夏草の茂る庭の一角に大理石のマリア像、着色された怪獣をたおす 聖ミカエル像が立ち、あたりは静寂に包まれている。 修道院を取り囲む広大な耕地に影はなく、早い秋が訪れていた。 |
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月寒の羊が丘 羊群声なく
羊が丘は、札幌市街の南東部にある。
空高くポプラ並木のつづく道を車で30分ほど走ると、目の前に小高い丘が広がる。
明治39年当時の農商務省が設置した月寒牧場でめん羊が放牧されていた。
空は広く、緑の大地がそこにあった。
石川啄木像 | 北海道は秋 | |||
”潮かおる北の浜辺の砂山のかの浜薔薇(ハマナス)よ今年も咲けるや” 啄木 啄木が「砂山の砂に腹這い初恋の・・・」 痛みを思い出したという函館郊外の大森海岸 には海岸線に沿った道路脇に啄木公園が 作られ啄木の座像が建てられている。 西條八十の啄木に捧げる詩碑も出来ているが 殺風景な中の物思いに耽る台座の上の像は なにがなし物悲しさを誘う。 |
9月初めというのに朝晩は 肌寒い。 コスモスも咲き乱れ、 秋冷の所為か色鮮やか・・ 本州より一ヶ月季節は早い。 |
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札幌にて |
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テレビ塔展望台より札幌市街を望む | テレビ塔は中央大通りにあり、 十字路を隔てて花壇が続き 鮮やかな花々に彩られている。 この一角にある近代的な市民会館の 前にある花時計も大変美しい。 |
テレビ塔と街路樹のはるにれ | テレビ塔の下の花時計 |
札幌は大なる田舎なり。木立の都なり秋風の郷なり。しめやかなる恋の多くありそうな都なり。路幅広く人少なく木は茂りて陰をなし 人は皆ゆるやかに歩めり。 札幌は詩人の住むべき地なり。懐かしく静かなる地なり。 啄木日記より |
北大構内クラーク像 | ||||||
北海道大学構内 | 北大構内のエルムの樹 | 植物園 | ||||
時計台 | ボンネットバス | |||||
植物園 | 植物園 | |||||
*この項は兄からの提供写真です(1953年6月) |
勇払原野 (何処までも地平線) | 山田牧場にて | |||||||
"夏のゆく曇りはかなし 遠山も近山もなき あらくさのはな" |
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昆布の海(室蘭本線の車窓より) | クッタラ湖 | 白老アイヌコタン | 熊牧場 | |||||
登別温泉駅 | 登別 地獄谷 | |||||
噴火口のあとで硫黄のこびりついた 白い地肌の丘が起伏していて底の方に 溶鉱炉で鉛を溶かしたような湯が ブツブツと煮えたぎっている。 大地獄・虎地獄・鉄砲地獄など さまざまな名がつけられ あたりには湯けむりが立ち込めている。 |
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洞爺湖
洞爺湖には円錐形・土饅頭形などの三つの島が湖上に浮いている。
左から中島・観光島・饅頭島といいいずれもなだならか線をもち
宗達の屏風絵にでもありそうな新鮮な緑色を見せている。
湖上観光船 | 洞爺湖畔より羊蹄山 | 湖上より昭和新山を望む | ||||
洞爺湖に浮かぶ中島の湖畔 | 中島にある洞爺森林博物館 | |||||
昭和新山 | |||||||
洞爺温泉よりバスで20分 やがて目前に奇妙な形の山が 見え出す。それは余り高くはなく、大きくもない。 昭和18年有珠山麓に突然爆発とともに隆起しできた 270mの山である。 もっこりと地上から頭を擡げた象の頭・背中・尻というぐあいに 一頭の象が顔を伏せて眠っているかのようにみえる。 草木の無い赤茶けた土色の山肌は荒々しく 象の頭の部分からかすかに煙が上がっている。 |
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かもめ島 江差の沖合いの日本海にかもめが羽を 広げたように浮かぶ。 |
江差は函館からバスで二時間の西に日本海を望む猟師町である。 江戸時代後期、鰊漁で栄えたこの町は「江差の春は江戸にもない」と謳われたが 今はその繁栄はない。 |
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江差追分 ♪ かもめの鳴く音に ふと目をさまし あれがエゾ地の 山かいな |
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江差鹿舞 | 本物の餅をつきながら踊る”餅つき囃子” | ||||||||
♪ 船は船頭の 唄声のせて はやる心も 波まかせ |
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旅の終わり | |||||||
青函連絡船が 函館港の岸壁を離れと蛍の光のメロディーが流れはじめた。 船のデッキと桟橋とを繋ぐ五色のテープが風にひらめき 双方が離れるにしたがって互いの手に残ったテープの切れはしが海に落ちる。 惜別の情が秋風に乗りお互いの心に去来する。 |
9月26日函館を出航した我が羊蹄丸は しばらくすると汽笛を鳴らし始めた。 s29年の丁度同じ日青函連絡船洞爺丸は台風15号に遭遇し千百余名の命が函館の海に消えた。 日本海難史上最大の惨事である。哀悼の汽笛はゆるやかに津軽海峡を渡っていった。 |
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完 |