急がば回れ

早朝、5時30分。
日向丘市に在住の、向井弘樹。彼の朝は早い___

「いってきまーす」
出立の挨拶と共に玄関から駆け出ていく弘樹。



日向丘市。
東に大きな山脈「代瓦岳(しろがだけ)」、西に広大な河川「水白河」が流れる丘陵地帯である。
代瓦岳の標高は1600メートルにも及び、ふもとに住まいを置く人達にとって朝日を遮る巨大な堤防の如くそびえ立っている。
この町での早朝というのは深夜に近い。
反面、山を越えてしまえば西側に下るだけになるため、朝日に比べて夕日が落ちるまでの時間が圧倒的に長い。
そして夕日が川に映り込み、反射した陽光が山を照らしていた事から
昔は「日向丘」ではなく「夕日ヶ丘」と呼ばれていたらしい。
その名残なのか、水白河のある町の西側を夕日ヶ丘、
山のある東側の町を日向丘(日の向かいにある丘)と地元住民には認識されている。

弘樹は布製の質素なバッグを肩から下げ、自転車で未だ暗い街中を進む。
先に述べた通り、山によって日を遮られたこの町は「深夜」が少々長い。
当然出歩く人間は少なく、時折り通り過ぎていく運送トラックと、遠吠えをする飼い犬ぐらいしか騒音と呼べるものが無い。
逆に自分のこぐ自転車の音がうるさいぐらいに、町は静かである。

「………一件増えたんだっけ」

弘樹は自分の町内の案内図を取り出し、新たに追加された目的地を再確認していた。

新聞配達である。

「南野…さん、かぁ」

中学生の頃から彼が欠かさず続けていた唯一の小遣い収入源。
本来、中学生はアルバイトが全面的に禁止されているが、新聞配達に関しては許可が下りれば承諾してくれるようで、先立つ物が無い弘樹は迷わずそれに飛びついたのである。
それも根本の原因を探れば、彼の家庭の事情に大きく関わる事になるのだが____その話は今回省略しよう。


「町内の一番端っこ……うーん、遠いなぁ」

げんなりと溜め息をつき、面倒くさそうに肩がなだれる。
自分の持ち場が一件増える度に毎回同じように溜め息を吐いているのだが、そんなものはもう慣れっこである。
それにいつまでも無駄な時間を費やしてるわけにはいかない。
何故なら今日は____

「水白高の入学初日から遅刻なんてしたらいい笑い者だよな……さっさと済ませよぅ……」

7時30分ぐらいに実家から出れば、水白河高等学園まで歩いて十分間に合う距離である。
それまでに新聞配達を終わらせ、実家に戻るのが最優先なのだが___

「この南野さん家…って、すんげー遠いんだけど……」

直線距離ならば大した距離では無い。
__問題なのは回り道が必要な点だった。

困った事に、その南野さんとやらの家の直前には線路、そしてそれを囲う堤防がある。山から下りてきた野生動物が誤って侵入しないための処置らしいのだが、線路の向こう側に渡るには遠回りをして町内の北か南の踏み切りまで行かねばならない。

大きなタイムロスを考慮に入れていなかった弘樹は、やや焦りながら自転車をこぐ足を速めた。

いつもなら40分で終わる配達が、一番最後の南野さんの家に着いた時点で1時間が経過していた。帰り道、寄り道せずに戻って15分。
何も無ければ十分間に合う____

と、思った時に限って何か起こる。
そんなネガティブな考えがよぎるが、頭をぶんぶんと振り「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせ、弘樹は南野家の玄関へと朝刊を届けに行った。

和風の引き戸に石畳、懐かしい感じのする古風な造りの玄関で、足を踏み入れると同時になんだか懐かしい匂いがした。
少しの間浸っていたい気になりそうだったが
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まろやか投稿小説 Ver1.50