#35.アンダーグラウンドワークス(前編)

「此方ヴィエルジュ。作戦行動を開始する」
 昨晩、直美の理解を超えた一面に困惑していた事が嘘のように、マナ=アストライアーは縦穴に出向いていた。周辺の道路では、午前9時のラッシュアワーが展開され、土砂降りの中を人々と車、通勤客を満載したモノレールなど交通機関が奔走しているが、ヴィエルジュの様子を知る事はない。
 人の濁流が流れているのは、あくまでもトレーネシティの表面であり、ヴィエルジュは現在、その200メートルほど下を、CBT-FLEETの蒼白い噴射縁を断続的に発し、減速しながら降下していた。
 いつものMHD-RE/005からCHD-02-TIEに換装されていた頭部のライトに照らされた縦穴には、人間が垂れ流した汚水や泥濘がくまなくまとわりつき、人肌に触れれば汗同然の湿りを誘う濃密な湿気と、えもいえぬ悪臭に支配されていた。
 全く、何が楽しくて下水道に向かわねばならないのだと、アストライアーはコックピットで呟いた。ヴィエルジュは摂氏34度、湿度90パーセントという悪臭付きの極悪環境に晒されていたが、機密構造のコックピット内部は気温22度、湿度45%の快適な環境に保たれているのは幸いであった。
 まこと、こんな中で作業させられている職員の面々も大変だなとアストライアーは思った。劣悪な職場として、しばしばキツイ・給料が安い・帰れないの所謂「3K」が用いられるが、下水道はそれに加えて汚い・臭い・気色悪い・危険、さらに暗いと、3Kどころか7K・8Kとしても言いぐらいの悪条件が揃っている。
 しかも、それに加えてACを動員しなければならないような「何か」が起こっているのだ。
 おまけに下水道はACが通れるサイズがあるとは言え、それでもACが飛びまわるには狭過ぎる。必然的に機動力が殺されてしまうため、防御の薄いヴィエルジュとは相性が極めて悪い。此処で万一にでもテロリストや同業者と交戦状態になろうものなら、回避のままならぬ中でバズーカやチェインガン、各種キャノンを浴びせられて即時粉砕もありうる。
 兎に角嫌な仕事になりそうだと愚痴りつつ、アストライアーは汚水の中に愛機を着地させた。ACの脛の中程までが沈むほどの汚水で、レーダーコンソールに目をやりつつ周辺を窺う。
 幸い、敵性反応は見当たらない。
「此方ヴィエルジュ、異常なし。作業員を降下させてくれ」
 了解、とだけ返答があり、その後1分間ほど、ヴィエルジュは水音と自らのアイドリング音があるだけの重苦しい静寂の中待機した。それを終えたのは、エンジン音を伴って降下して来たパワードスーツ姿の下水道作業員2名だった。
 少し遅れ、バケットアームを装備した水陸両用重機が、クレーンで下ろされて来る。
「うわ、こりゃひどいな……」
「どっかで流れが止まってるとしか思えん」
 現場に着くなり作業員達が囁きあう。
「プレーアデスよりヴィエルジュ、そちらの状況は?」
「水位がやけに高くなっている」
 アストライアーは水路脇のキャットウォークを浸している汚水を見て返した。
「スキュ……じゃない、ブルーネージュの方はどうだ?」
「逆。そっちの下流域に当るはずなのに、全然下水が流れてない。作業員の話だと、そっちに何かあって、送水が阻害されているとの事だ。だが、こちらに原因が担当区域内にある可能性も否定出来ない」
 そのため、自分の方でも調べてみるとブルーネージュは返した。
「分かった」
 アストライアーは今回、ブルーネージュが受けた依頼の手伝いに出向いていた。人間の生活拠点が集中しているだけに第2都市区域の下水道は広大で、
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まろやか投稿小説 Ver1.50