#12.夜行人

 普通の人間は、夜のスラム街には近寄りたがらない。
 昼間でさえ陰湿な空気が漂い、犯罪の温床となっているこの場所は、夜になると輪をかけておぞましい場所に変貌するのが常。若い女性が一人歩きしていれば強姦の対象となりかねず、少年少女が出歩けば未成年略取や人身売買の危険が付きまとう。麻薬ディーラーが恥も何もなく、若者相手にドラッグを売り捌く光景など、此処では日常茶飯事である。
 しかし今、そのスラムの住人達――ホームレス達から売春婦、ギャングの構成員達までもが恐れる一人の女が、あるものを求めてバイクに跨り、太いマフラー音を響かせて乗り込んできた。普通なら女性では扱いかねるショットガンを背負い、懐には黒曜石の様な物質で形作られた極東式の刃を忍ばせ、蒼い瞳に人ならざるどす黒い思念を宿し、半分寂れた一軒屋まで進んで行く。
 彼女にとっては、此処は既に馴染みと言える場所であり、その光景に違和感はない――脳天を撃ち抜かれた2人の男が転がっている事を除けば。
 何をして殺される羽目になったのか。マフィア同士の抗争の果てか、或いは――女はそんな事を呟くも、当然ながら骸は何も応えず、女も女で、骸に徒な感傷を抱く事はない。脇目も振らずに亡骸を通り過ぎ、古びた一軒家まで辿り付くと、そこでバイクから降り、ブーツのソールで地面を叩きながら、寂れた一軒家へと向かっく。
 そしてドアノブに手を掛けようとした時、ドアが突如開け放たれ、女の体と顔面を打ちつけた。
「誰だ!?」
 家主と、客人らしき男性が女に駆け寄る。そして両者とも、女の正体にすぐに気付いた。
「……アストライアー嬢ですね?」
 女――マナ=アストライアーが声に反応して振り返ると、首筋当りまで伸びる白銀の髪と、ターコイズをはめ込んだ様な青緑色の瞳を持つ青年の顔があった。青年は驚いた様子もなく、興味深げにアストライアーを見下ろしていた。
「オイオイ、此処でアリーナの前哨戦は止めろよ。面倒起こされると後が厄介だ」
 此方の軽い声は、この寂れた一軒家の主である情報屋メタルスフィアのものだった。彼はジャケットにジーンズ姿で、手には今時珍しいランタンを持っている。ランタンの中で揺らめく炎の煌きで、メタルスフィアとテラの頭髪はオレンジ色に染め上げていた。
「私に関する情報を買った……そう言う事だな、テラ?」
「アストライアー嬢こそ、私の最新情報でも買いに来たのですね?」
 両者がアリーナで対決するのはこの明後日。アリーナでの対決を前にしたランカー――否、戦闘行為を競技とする選手が対峙すると、時としてその場所は一触即発の雰囲気となるのが常だ。メタルスフィアも、起爆寸前のプラスチック爆弾を前にしたような、張り詰めた緊張感を感じていた。
「……まあ、此処で無理に戦う事もないでしょう。明後日の対戦で、怪我と言うハンディキャップを負う必要も無いでしょう。全力で戦ってこそ、です」
「そうだな」
 メタルスフィアの予想に反してか、それ以上の言葉を、勿論刃も交える事無く両者はすれ違った。ここで殺す事も出来るだろうが、それをしないとは。だがテラは、あくまでもアリーナでの戦いに意義を感じ、それ故相手が全力で戦ってこそと言うのが持論である。故に、ACから降りた相手を狙う理由はなかった。
 それを知らぬアストライアーはメタルスフィアへと歩み寄り、彼女と入れ替わるようにして、テラは帰路に就いた。一軒家から離れた所に倒れていた何かをテラは引き起こした。それが自転車だと、アストライアーには認識出来た。此処まで乗って来た後、盗まれない様に隠してあったのだろう。

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まろやか投稿小説 Ver1.50