#10.篭の中

 その日、彼女は愛機のコックピットの中に居た。
 いつも通りの変わらぬ風景ではあったが、しかし彼女の眼前には、既に彼女とは別の、コックピットのシートに座る人物がいる。
 短く切りそろえられた濃紺の髪。濃紺の軍用コートに身を包んだその姿には見覚えがあった。他ならぬ自分自身だからだ。顔の皮膚の一部が銀色に変色していた事を除けば。
 だがおかしい。何故自分がここに居るのか。もし目前の存在が自分だとすれば、では銀色の自分を見つめている「私」は何者なのか。
 そう感じる間に、「銀色の彼女」はACを操り、ろくに歩けない老人、何も知らずに遊んでいる子供、身ごもった女性、そういった者がいても彼女には無関係だった。とにかく目に付いた人間を片っ端から殺し、目に付いた建造物を次々に破壊している。何の抵抗も出来ぬままに、「銀色の彼女」によって、多くの存在が砕かれて行く。
「これが貴女の選択した道。貴女は生きる為に破壊し、殺さなければならない世界に足を踏み入れた」
 冷たい視線を向けて語りかけてくる「銀色の彼女」。攻撃すれば攻撃するほどに、彼女の非人間的な銀色の輝きは増し、その範囲も、劇的にクローズアップされたように広がって行く。
「貴女もいずれこうなる…私と同じようにな…」
 だが認知出来たのは此処までだった。傷付いた記録媒体の音楽の様に、彼女の意識と視界は唐突に飛んだ。


 視界が戻った時、彼女は晴れた空の下にいた。まだ年端も行かぬ少女――と言うよりは幼女を引き連れ、彼女は公園を進んでいた。
 眼前には、小さなプールのがあり、幼女と同じ年代位の子供が、何人も遊んでいた。彼女に無邪気な視線を向け「入っていい?」と聞く。
「……良いよ、遊んで来な」
 彼女の一声で、弾かれた様に噴水に突進し、水飛沫を上げて飛び込んだ幼女。気持ち良いのか、笑顔を向け、両手で水を跳ね飛ばして自分に掛けようとして来た。
 だが彼女は誰なのか。子供として彼女を産み落とした記憶もないのに、何故幼女は彼女を慕うのか――


 再び記憶が飛んだ先には、慣れ親しんだACのコックピットが広がっていた。だがコックピット内の各所からは火花が散り、ディスプレイやモニター、計器類の表示は全て砂嵐となっている。
 そればかりか、周囲には赤い飛沫が――自分の血が散らばっている。下半身が拉げ、腕も酷い怪我を負っている事は解るが、一切の痛覚が失せていた。
「……呪うなら私より、自分の無力さを呪ってくれ」
 壊れかけた通信機から流れる、無機質な青年の声。自分をこの様な有様に至らしめたのも彼だろう。しかしそこまでは解るが、その後の行動は一切出来ない。普段なら剣戟の一発でも見舞う所なのに。
 人としての機能を果たせぬ肉塊となった身体から、急激に体液が失われる感覚を認識したのを最後に、彼女の意識は三度、深遠へと飲み込まれた。


 底知れぬ闇――全ての光景が泡沫となり、過ぎ去った後に残ったものを簡潔に表現すれば、そんなものだった。
 そして彼女は一連の光景を察する。あれは幻だったのだと。此処に意識が流れ着いて以来、彼女を支配していたのは今まで見てきた記憶の繰り返しと、それに続く永遠の闇。この2つを繰り返していただけだ。
 自分の存在は認知出来る。しかしそれ以上の事は出来ない。
 と言うより、彼女は「ただ存在しているだけ」だった。自分の身体が空気となったかのように、彼女は自身が見つめて来た世界を、映写機のように、ただ再生し、それを繰り返しているだけの存在でしかなかったのだ。
 あるいは、ただ闇が広がるだけ。


 記憶の輪廻と虚無
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まろやか投稿小説 Ver1.50