連載小説
[TOP]
ACX『Spirit of Salvation』
※初めに
本作品は、アーマード・コアXを元にした二次創作作品です。
原作にはない設定、用語、単語が登場する他、筆者のフロム脳で独自解釈した世界観の見解が含まれます。


ARMORED CORE X
Spirit of Salvation

4.『イグニス≒エリーゼ』

 あの時から、一体どれだけの時間が経っただろうか?
 長く車に揺られる内、眠りこけていたエリーゼは、周囲の声で目を覚ました。
 目を覚ませば、そこは輸送トレーラーの助手席。
 倒したシートを半身と共に起こし、分厚い窓ガラスから外を覗くと、そこは廃墟だった。
 いや、廃墟ではない。“攻撃を受けたのだ”と、エリーゼは直感した。
 薄らと脳裏の奥底から過去の記憶と経験が蘇ってくる。
“かつて自分もこのような場所によく出くわした”と…。
 崩れたコンクリートの壁。高熱で溶け、破られた鋼鉄の扉。真っ二つに割れた砲台やミサイルランチャー。
 それらは、ほとんどが外から、一部は中から破壊されていた。
「やれやれ…、一足遅かったみたいだな」
 声と共に運転席のドアが開き、青年が乗り込んできた。
 ジュン・クロスフォード。エリーゼがこの世界で目覚めて最初に出会った人。
「おっ、目が覚めたか?ごらんの通り、凄い光景だぜ…。一晩で街の防衛機構の半分を喪失したらしいから、よほどの腕利きの仕業だな」
 ドアを閉め、ジュンはなれた手付きでトレーラーを発進させる。“遠回りしなくちゃいけないな”と聞こえるように独白しながら、華麗なハンドルさばきで、車を旋回させる。
本来入場予定だった正面ゲートをあきらめ、街の裏手の入り口へ向かう。
「君のいる部隊も無事だといいな」
 表情を曇らせ、ジュンが話しかけてくる。彼の表情が物語るように、街の外周からでも、この街で起こったことが察しできる。
 崩れた防衛壁。破壊された防衛機能。中の市街地らしき建物は、未だ所々煙を上げ、崩れたビルや破壊された戦闘兵器がそのまま残されていた。
「あっ…」
 エリーゼはふと目に入った光景に小さく声を漏らした。
 崩れた防衛壁の隙間からわずかな間だが、壊れたACを視ることができた。
(この世界にもACがある…。と、いうことはあの時からそれほど時間は経っていないのか?)
 上半身を鉈で割られたかのような壊れ方をしている逆足の機体を見つめながら、エリーゼはこれまで得た情報を整理していた。
「やはり気になるよな?もう少しで着くから」
 その表情を見ていたのか、心配そうな顔で勘違いしたジュンはそう告げ、車のスピードを上げる。
 やがて、裏口へとついたトレーラーは、厳重な兵士による検問を抜け、市街地へと入った。
 市街地もやはり、破壊の具合が酷い。あちらこちら、建造物に大きな風穴が開き、アスファルトは割れ、所々煙が未だに燻っている。
住んでいた自宅の惨状を見て、茫然としている人。逆に何かないか、瓦礫の山を漁る人。そして、家族と死に別れ、泣き叫ぶ人。それを宥める人…。
その光景に胸が締め付けられる。
“かつての自分もそうやって何度も−”
「−この辺でいいわ。私、仲間の所へ行ってくるから」
 堪らず自分の奥底から湧いて出る嫌な感情をシャットアウトするように、彼女は強い口調で切り出した。
「えっ?あ、あぁ…。分かった」
 突然の申し出にジュンは戸惑いながらも、車を路肩に止め、ドアのロックを解除する。
「ありがとう、ジュン。またどこかで会いましょう」
 そう告げて、エリーゼはドアノブに手をかけ、車から降りようと腰を上げた。
「あっ、待ってくれ。君、最後に名前だけ教えてくれないか?」
 彼女を呼び止めるようにジュンは慌てて声をかける。
「テレーゼよ。テレーゼ・マルファッティ」
 それに冷静な言い回しで、わざと偽名を答えて、彼女はトレーラーを降りた。
 それを無言でジュンは見送った。
 サイドミラーごしに見た、歩いてゆく彼女の背中は、どこかこの世界の兵士らしからぬ人間らしさを感じさせた。

 一体どうして自分は生きているのだろう?
 歩みながらエリーゼは、今いるこの世界を見渡していた。
 次々と現れる光景は、まるで自分のいた世界とはまるで違い、“まるで世紀末の世界へ行ったのか”と錯覚させるほど荒れている。
 これまでいた自分の世界がよっぽどマシな環境だ。
(そう、昔はこういうビル街はとてもきれいで−)
 言葉に出さず、思い出すかのようにつぶやきかけて、彼女はそれをやめた。
 先と同じ嫌な感情が心の奥底からこみ上げてきた。
「いや、この世界も、私の世界もそれほど変わらない」
 目の前で略奪が行われていた。それは、かつて自分の記憶がある世界も同じだった。
 様々な要因が積み重なって、国家による統制が危うくなり、金が、資源が、人望が、物をいう世界。
 そして、その終末を迎えそうな危うい世界で、かつての自分は戦っていた。
 “それは何と?”
 目の前で男たちが銃を突きあげ、“俺のものだ!”と死んだ兵士らしき人間から物を剥ぎ取り、奪い合っている。
 全身大やけどを負い死んだ人間だ。もう放置しても自然に朽ちる人間の遺体にまで、この世界は無慈悲なのか。
「何だよ、ねーちゃん。何か文句あるのか?」
 眺めていたエリーゼに気づき、一人の青年が睨みながらこちらへ歩いてきた。
「いえ、別にアンタたちがすることに興味はないわ」
 冷静に、蔑んだ瞳でエリーゼは青年に答えた。
「だったら何だよ、その眼は!?俺たちはコイツらのせいで食べるモノも、着るモノも、住む場所も失ったんだぞ!死んでいようが関係ねぇ!!俺は−」
 刹那、エリーゼは反射的に右手を思いっきり突き飛ばしていた。
 にぶい音と共に声にならない声を上げ、男の体が宙に舞い、5メートル先の瓦礫の山へ落ちた。
「………」
 騒がしかった周囲が、一斉に静かになった。
(何なの、この力は…?)
 感情的な反応とは言え、自身が思う以上の結果にエリーゼは内心驚き、自分が作った右手の握りこぶしを見つめる。
「野郎ッ!!」
 伸びた青年の仲間か、激情した男が拳銃を此方へ向ける。
 エリーゼがそれに気づいた次の瞬間、拳銃が火を噴いた。だが−
 その弾は身を反らしたエリーゼの肩を掠めただけで、彼女の動きを止めることはできなかった。
“次が来る!”
 エリーゼの、本能的に刷り込まれた兵士としての感性が訴える。
 刹那、彼女は地を蹴った。
 そして、瞬く間に彼女はその拳銃を持つ男の前に駆け寄る。
「−!?」
 人らしからぬ動きに男は恐怖で顔を歪ませ、目の前に立つエリーゼを見た。
 そして、見た。目の前の女の目が−“まるで機械のようだ”。
 刹那、男は顔面に強い打撃を感じたと同時に意識を失った。

“あれからどれだけ時間が経っただろうか?”
 眠りから覚めたイグニスは、力なく顔を上げた。
 幽閉された屋敷の一室の隅。壁にかけられた時計は正午を回っている。
 ここは何ともアンティークが多い場所だ。“代表の趣味なのだろうか?”と思いながら、力なく彼は顔をふさぎ、壁の隅で体育座りをした。
脱力感。
無力感。
喪失感。
その三つが彼を支配していた。
“楽になりたい…”
そう思う彼を、自分の雇い主がそうはさせない。
 “死ぬなら、私の依頼を完遂してからにしろ。それまでは何が何でもお前を生かす”
 リュークはこの部屋に自分を幽閉する時、そう告げた。
 “目の前にある貴方の責任を果たしなさい。そうでないと、私の気がすまないわ”
 そのリュークの主人である広杉・フィーナがそう告げた。
「アンタたちに、今の俺の何が分かる…」
 そうつぶやき、イグニスは再び眠りについた。

 静かな本館とは打って変わって、屋敷の別の場所では慌しくなっていた。
 行政区が破壊されたことも手伝ってか、街を統制する指揮系統が広杉邸の邸内へ移動していた。
 これは、自然な流れだ。代表である広杉・フィーナ。その腹心であるリューク・ライゼス。そして、彼の仕事仲間であるジュン・クロスフォードとパートナーのレオナ・アルファード。
 それと同時にリュークが搭乗するソルジットタイプTR、ジュンが搭乗するソルジットタイプTLが持ち込まれていた。ようやくではあるが、広杉・フィーナが構想するチームが出来上がりつつある。
 本来ならもっと早くにできるはずだった。元々この構想は一年前、広杉・フィーナの父親である初代代表によって構想されたものだ。
 だが、それが“Phantom Children”による事件によって中断され、彼らとの鬩ぎ合いの中、今に至っている。
「リューク、例の男の行方は?」
 屋敷の一室に設けられた会議室へと向かう廊下で広杉・フィーナは訊ねた。
「はい、今の所詳しい行方はつかめていませんが、複数の目撃例によれば、ここより郊外の封鎖地域に向かったようです」
 それに答えるようにリュークが口を開く。
 いつもの執事服とは違い、パイロットスーツにブルゾンを羽織っただけの姿で、彼女の数歩後ろを歩いていた。
「封鎖地域?あの酷い磁気嵐が吹くエリアじゃない。もしかすると、そこに彼らのアジトが?」
「その可能性はあります。人が立ち寄らない場所こそ、そういう拠点を作るには相応しいですから」
 彼女が歩いてきたのを見計らって、会議室の前にいた使用人たちがドアを開ける。
 開け放たれたドアの先では、何人かの行政区で共に仕事をしている人間たちに混ざって、ジュンとレオナが正面のノートPCを食い入るように見つめていた。
「よぅ、お二人さん。ちょうどいいところに来たね」
 フィーナとリュークの姿を見て、ジュンは“こっち、こっち”と手を挙げ、いつもの緊張感の感じられない陽気な口調で話しかけてきた。
 フィーナとしては、こういう軽い男はあまり好きではない。どちらかというと苦手なタイプだ。
「クロスフォードさん。協力は大変ありがたいのですが、今はもう少し緊張感を−」
「あぁ、ゴメンな。別に緊張感がないってわけじゃないだ。こういうノリの男だからね」
 本音なのか、建前なのか、ジュンははにかみながらフィーナへ平謝りすると、パソコンのキーボードをいくつか叩き、
「まぁ、ちょっとだけ、コレを見てよ」
クルリとノートPCの画面をフィーナらの方へ向けた。
 画面には何かの解析結果だろうか?プログラム言語が羅列されたウインドウと共に別のウインドウに文章が作成されていた。
「ここに並びますは、摩訶不思議な謎のAC“タイプ0”が昨晩の戦闘後、何度か発信している情報だ」
 そう告げるジュンが指でモニターの一部を射す。
「搭乗者本人には、ある種デジタル信号のようにダイレクトでこの情報は流されるわけだけど…」
「ジュン、二人は結論が先に聞きたいのよ」
 熱心に語っている彼に釘をさすように、レオナが静かにジュンに耳打ちした。
 目の前の二人が苛々しているのを見たジュンは、咳払いして話を続ける。
「まぁ、ずばり言うよ。『システム“Klotho“の機動確認。対象を索敵し、回収せよ』」
「どういうことだ?」
 ジュンが話終わると同時にリュークが訊ねた。
「さぁな。ただ、このACのシステム、完全じゃないけど一種の“自我”のような物もっているな。次にあれしろとか、こう動け、とか…」
 再びノートPCをクルリと自分の方へ向け、ジュンはいくつかのキーボードを叩き、電源を落とした。
「こっちからは俺の完全な考察だけど、戦闘中特定の条件が揃うと、このACに与えられた本来の役割を果たそうとメッセージが出るみたいだ。もしかしたら、俺たちが探している相手は、その何かが目的かもしれないな」
 そう告げて、チラリと会議室の窓へ眼をやる。
 外の庭に設営された仮初の整備ドックでタイプOは眠っていた。ただし、その各部には先の戦いで受けた損傷があちらこちらにある。特に脚部とブースターの損傷が激しい。
しばらくは戦場には出せない。
「そうならば、近いうちに向こうからこちらへ対するアクションがあるだろうな。ただし−」
 そう言いかけて、ジュンは腕組みし、片目を閉じて、リュークを見た。
「前回の攻撃で、息子であるキース・ウェーバーをアレによって失っている。恐らく、素直に目的を果たすだけじゃ済まないだろう、ということだな」
 ジュンの言葉を補完するように、リュークはそう告げた。
 “御名答”とジュンは答え、レオナを連れて会議室の外へと歩き出した。
「とりあえず、お二人の指示があるまで、俺は機体の整備に精を出すよ。まぁ、何かあったら呼んでくれ」
 一方的にそう告げると、彼は会議室を後にする。
「まったく、あの方はどうも苦手です…」
 ため息交じりにフィーナは呟くと、続々と入っている仕事を片づけに、スタッフたちの所へ駆け寄った。
(…ジュンのいう通りなら、今度はこちらから仕掛けてみる必要があるな)
 それを横目で見ながら、リューク自身も室内に居る警備部隊の隊員から情報を吸い上げるべく、彼らに話しかけた。

 一言でいえば、そこは異様な光景というべきか。
 まるで旧世紀来の禍々しい装飾。悪魔を模した仮面をつけた集団。漆黒のローブの集団。
 複数のローソクの火が暗闇の中、無数に浮かび上がり、亡き者を弔っている。
 −いや、それは弔いなのだろうか?むしろ、邪神崇拝をしているのではないか?
 そう思えるほどの光景の中心にその男はいた。リグシヴ・ウェーバー。
 “Phantom Children”の司祭にして、ミグラント、傭兵、屈指の重量AC乗り。
「我が息子、キース・ウェーバーは我らが信仰する神の元へ逝った!!」
 祭壇の上、司祭服を着たリグシヴは集団に叫ぶ。
「だが、神は我が息子の魂を受け入れてはくれぬ!!なぜか?!それは対価がたりないからだ!!神の世界へ向かうための対価が足りぬ!!」
 その力強く、扇動するかのような言い回し。時代が違えば、彼は政治家か、活動家になり得たかもしれない。
「奴らだ!!」
 リグシヴが力強く右手を上げると、壁にフィーナ、リューク、イグニスの写真が映し出された。
「神は奴らの血を望んでいる!!皆の者よ!!今一度、息子の為に!!我らが神のために!!その力を貸してはくれぬか!!」
 歓声。決起の雄叫び。彼らの手に握られた銃器が一斉に天井へ向かって突き上げられる。
 その歓声を受け、リグシヴは感謝の表情を浮かべながら、祭壇の奥へと姿をくらます。
「出来過ぎなぐらい、饒舌な扇動だな。息子が死んだというのに、それを逆手に取って組織を動かすとは…」
 祭壇の裏手。通路を歩くリグシヴをその者たちは出迎えた。
「貴方たちか…。例の“シティ”に、下見へ行っていたのでは?」
 リグシヴは正面に立つ二人の影に訊ねる。
「あぁ、見てきたよ。あちらはあちらで既にいくつかの勢力が介入している。今の我々が介入して得られる利点はない」
 影の一人が薄ら闇の中で蠢き、リグシヴに一冊のファイルを差し出す。
「あと、土産だ。我々が留守の間、色々と下準備をしてくれたお礼だ」
 リグシヴがそのファイルを受け取り、視線を落とすと、“TYPE D No.5”の文字が。
「これは−」
 思わずリグシヴも息を呑む。
「好きに使ってくれ。前にも言った通り例のシステムはハードとソフトを形状さえ残せば何も言わん」
 そう言って二つの影は闇へ紛れた。
 “これならば…”
 彼らを見送り、リグシヴは再びそのファイルを見る。どうやらオペレーティングマニュアルのようだ。
「クククッ…」
 薄らとリグシヴは笑う。復習ができる。あの息子を奪った化物ACに。あのパイロットに。そして、あの街に−

 夕暮れ時。
 エリーゼは俯き歩いていた。
 あの暴徒たちは、全て倒した。
 結果、分かったことは、自分がもはやただの人間ではないことだった。
 反射神経や運動神経は人の規格を外れ、素手で人に致命傷を負わせることができる。
 一言でいえば、『規格外の化物』
(死んだと思えば、別の世界で目覚めて、そして、自分は化物に−)
 エリーゼは、たくさんの事が一度にありすぎて、それを一つ一つ理由をつけて整理することができずにいた。
「何なの…。夢なら覚めてほしいわ…」
 見上げた夕空が妙に侘しく感じる。
「…ん?」
 ふと、その彼女の視界に不思議な光景が目に付いた。
 自分が歩く通りの隅、大きな塀にハシゴをかけようとする子供二人。
 一人は男の子、もう一人はその子よりもやや小さい。
 視線を塀の奥に向ければ、そこにはこの荒れた街に不釣り合いな大きな屋敷が経っていた。
 よく見れば何か所に監視カメラが稼働し、もうじき彼らはそれの視界に入る。
「ちょっと、人の家に泥棒なんて、感心しないわね」
 彼らに近寄り、エリーゼは声を大きめに話しかけた。
「ッ…」
 今まさにハシゴを昇ろうとした少年が不満そうにこちらを睨む。
「ボウヤ、アレを見てなかったの?」
 塀の向こう、屋敷の壁に設営された監視カメラを指差す。
「分かっているさ。それでもボクたちは、この中に用があるんだ」
 “余計な御世話だ”と告げて、少年はハシゴに足をかける。
「やめなさい!」
 その少年の肩をグイッと掴み、エリーゼは自分の胸元へ引き寄せた。
「何するんだよ!危ないじゃないか!!」
 声を荒げ、エリーゼを睨みつける少年。
「よく見なさい。あの監視カメラ、侵入者をただ視ているだけじゃないわ」
 その少年を諭すように、エリーゼは備え付けられたカメラを指差した。
 それを見た少年はようやく彼女の言うことの意味を理解した。
 カメラには、簡易的なモノとはいえ、侵入者を迎撃する機構が備え付けられていた。
 カメラの右隣に備え付けられたレーザーガン。それが不用意に入った者から自由を奪う。
「大人ならまだしも、貴方のような子供がアレを喰らったら、ただじゃすまないわ。ましてや、その子を置き去りにする気?」
 少年の後ろでオロオロと不安そうに視る少女。必死な目で少年に何かを訴えていた。
 少女の顔を見た少年は、大きく息を吐き、落胆する。
「何か…、この中に用があるの?」
「この屋敷のあの部屋に、探している人が居る。その人に用があるんだ」
 少年は塀から見える屋敷の2階の一室を指差した。数ある窓の中で、唯一カーテンが閉め切られた部屋が見えた。
“誰かが閉じ籠っているか、あるいはこの屋敷の主が軟禁させているのだろうか?”と思い、エリーゼは眉顰める。
「どうしてもその人に合わなくちゃいけないの?」
「うん」
 少年は小さく−、しかし、はっきりと頷き、答えた。その眼はそれなりの覚悟が宿っている。
 その隣の少女のつぶらな眼も、強い意志を感じさせる眼光を放っていた。
「その人の力がどうしても必要なんだ」
 子供たちの意思は固い。“どうしても合わなくちゃいけない人間がいる”−その決意は恐らく自分がいくら諭した所で揺らぐことはないだろう。
「分かったわ…。君、名前は?」
 エリーゼはかけられた梯子に手をやり訊いた。
「ネロだよ。ネロ・F・ヴィヴィオ。」
「いい名前ね。そこで待ってなさい。あの部屋へ連れて行ってあげるわ」
 彼の名を聞いたエリーゼは、薄ら口元に笑みを浮かべるとスイスイとハシゴを昇り始めた。
(…まぁ、なんと豪華なこと)
 塀の淵、頭を半分出すようにしてエリーゼは目的の部屋へ向かうためのルートを見極めていた。
 塀の内側はきれいに整った緑の芝が一面広がっている。屋敷の壁までは約5メートル。
屋敷の建物側には、しっかりした幹を持つ広葉樹が等間隔で植えてある。それが足場変わりになりそうだ。
監視カメラはその中で一機。あまりメンテナンスが行き届いていないのか、首振り機構にやや癖があった。
(右への動きが鈍い時があるのよね)
 三回に一回。左右のカメラの往復が鈍い時がある。時間にして10秒。
監視カメラの視界から外れる場所まで行くには、十分だ。
「ネロ、私の側に来なさい」
 塀の上に昇り、周囲を見渡しながら、エリーゼは小声で梯子の袂にいるネロに手招きした。
“ちょっと担ぐわよ”
 そして、躊躇しながら梯子を上ってきたネロの体をひょいとバックのように掴むと、彼を肩に担いだ。
「ちょっ?!おねえちゃん!?」
「シッ。一気にあの部屋まで行くわよ」
 ネロが次“どういうこと?”と訊き返そうとした時には、既に担がれた彼は塀の内側にいた。
そして、息をつく間もなく、瞬く間に屋敷の側に生える木の袂へ。
 音もなく、まるで瞬間移動したかのような錯覚に陥った。
「周囲は私が見ておくから、あの部屋へ行きなさい。あなた、木のぼりはできるでしょ?」
「…う、うん」
 身に起こったことを、そして、それを瞬く間に成し遂げた目の前の女性に驚きを隠せぬまま、ネロは本来の目的を果たすべく、木を昇り始めた。
「…―――」
 その彼を見ながらエリーゼはふと遠い昔の記憶を思い出していた。
“子供の頃、自分もよく木のぼりしたり、こうやって人の家に忍び込んだり…”
 そんな回想をしながら、でも、それと同時にそれが泡のごとく、一瞬と言っても過言ではないわずかな時間であったことも思い出した。
「…私、どうしたんだろう」
 そう小さく呟いた時、彼女を現実に引き戻すかのように、大きくガラスが割れる音がした。

 イグニスは突然の事に驚き、俯いていた顔を上げた。
 暗闇の世界がまるで壊されるかのように、閉め切られた窓が割れ、閉ざされていたカーテンが外から流れ込んだ風で大きく揺れる。
 そして、その者は割れた窓から部屋へ入ってきた。
「ふぅ…。探したよ、イグニス兄ちゃん」
「お前…」
 入ってきた人間をイグニスは知っていた。“ネロ”。
シスター・リトナの聖堂で、リトナが週に一度、街の施設にいる戦争孤児を集め、勉強から生活の知恵、はたまた料理を振る舞い、養っていた。
その中で、この子とその相方(?)の少女−ステラは、格別リトナが気にかけていたのだ。
 無論、彼らも格別リトナを慕っていた。イグニスもまるで実の親子のように話す三人の姿をみている。
 そして、彼らは自分の能力を知っているリトナ以外で唯一の人間だ。恐らくこの子らが自分を探しに来た理由は一つだ。
「シスターを探してほしいのか?」
ため息交じりにイグニスは訊ねた。そして、“悪いが、彼女はもういない”と言おうとした瞬間、乾いた音が部屋に響いた。
突然の事に茫然とするイグニス。左の頬がすごくズキズキする。
「そんなこと…、分かっているよ…」
悲しみと怒りを含んだ目でイグニスを見下ろすネロ。
 それに何も言わず、イグニスは力なく顔を下ろし、
「済まない…」
 力なく小さな声で謝った。
「俺を責めに来たのだろう?当然だよな…?俺が、俺のこの力が−、千里眼が、シスターを−」
「違う!!僕はその為にここへ来たんじゃない!!」
 そして、自分の左手を見つめながら淡々と話す彼の言葉を遮るように、ネロは叫んだ。
「イグニス兄ちゃんにしか頼めないことがあるから…、シスターからの伝言があるから、此処へ来たんだ!!」
「えっ、それはどういう−」
 詳しいことを訊き返そうとしたイグニスの左手をネロはグイッと両手で掴みあげた。
「ッ−!?」
 刹那、イグニスの脳裏にフラッシュのような、小さな電流が流れ、イメージが投影された。
 それは、あの日−、あの最後の対峙の直前、シスター・リトナが二人の子供たちへ自分への言葉を託している場面だった。
 その場面のリトナは、いつもの顔で“私に万が一の時があった時は、私の依頼を彼に託して−”と告げていた。
 そして、その唇が動き、自分への依頼を口にする−
「イグニス!!何があった!?ここを開けろ!!」
 ドアを激しく叩く音とリュークの叫び声と共に、彼は現実へと引き戻される。
「誰か、ここのカギを!!早く持ってこい!」
 ドアの向こうでは、数人の使用人と共にリュークが内側から閉ざされた部屋の扉を開けようと集まっていた。
「ヤバイよ。ここに居たらタダじゃ済まない!」
 彼らの気配を感じ、ネロは騒がしいドアを見ながら焦りを口にする。
「ネロ、外にステラもいるのか?」
 その声にネロが視線をイグニスへ戻した時、彼は立ち上がった。
「う、うん。あと、協力してくれた人もいる」
「協力者がいるのか?なるほど、ここによく入れた理由が分かったぜ…」
 そして、近くのテーブルにおいていた仕事道具一式の入ったバックを持つと、割れた窓へと足早に駆け寄った。
「ネロ、ありがとな。シスターからの最後の依頼。受け取ったぜ」
 ガラスの割れた窓を開け放ち、イグニスは窓枠に足をかけ、下を見た。
 見知らぬ金髪の女性が一人、こちらを“早く来い”という顔をして見上げている。
「行くぞ!」
「うん!」
 二人がその部屋を抜け出したとほぼ同時に、部屋のドアのロックが解錠され、リュークを始めとする屋敷の人間が部屋へとなだれ込んだ。
「イグニス!」
 リュークが開け放たれた窓から半身出した時、彼の姿は見知らぬ子どもと女性と共に屋敷の塀の上にあった。
「リューク、すまない!ちょっと用事が出来たからそれを済ませてくる!」
 こちらを見るイグニスは今までで見たことがない、生き生きとした表情をしていた。
昨日まで、大切な人を失い、その怒りのままに人を殺め、懺悔し、自失していた人間とは思えぬくらいに…
「アンタとの約束は、必ず果たすから!」
 そう言って彼は塀の外へ軽い身のこなしで飛び降り、姿を消した。
「………」
 騒ぐ周囲とは違い、リュークは落ち着いた表情で先までイグニスがいた塀を見つめていた。
「どうしますか?リュークさん」
屋敷の使用人の一人が深刻な顔で訊ねてくる。
「ほっておけ。あの男はここへ帰ってくるから」
 それに薄ら口元に笑みを浮かべ、リュークはそう答えた。

 太陽が西の地へと沈む頃。
 一台のジープが“陽だまりの街”を後にした。
 それを運転するのは、イグニス。その隣にはネロ。
 後部座席には、エリーゼとステラの姿がある。
「アンタまでついてくる必要はないんだぜ?」
 後部座席に座るエリーゼに、イグニスは訊ねた。
「いいえ、乗りかかった船よ。私も同行させてもらうわ」
 “それにもう帰るところはなくなったしね”とエリーゼは、言葉少なげに続けると、窓の外を見た。
 目的地へ向かうジープの前方、低く暗雲が立ち込めている。どうやら一雨降りそうだ。
 それを見つめながら、エリーゼはこれから向かうという“シュバルツガルト”と呼ばれる地域に、何か惹かれるようなものを感じていた。
 本能的なのか、そこへ行けば何かが分かるような、そんな気がしたからだ。
「そういえば自己紹介してなかったな…」
 ハンドルを握るイグニスが切りだした。
「エリーゼよ。帰るところがなくなった元兵士。そういう貴方は?」
「イグニス。帰るところがない、ただの採掘屋だ」
 ルームミラーごしに互いの顔を見ながら、二人は互いにクスッと笑い、“似た者同士だ”と言葉を続けた。
 目的地へ着くのは最低でも1時間後。
 そこで何が得られるか、何があるのか、現時点では分からない。
 しかし、その道中は少なくとも互いに似た者同士、それなりに楽しい旅になりそうだ。

4.終









あとがき

ようやく主役4人、揃いました(汗汗
仕事とプライベートが忙しく、なかなかACXができない日々が
続いていますが、コツコツ書き記していきますよ〜
次回は、8月5日投稿予定です。

TOP

まろやか投稿小説 Ver1.50