読切小説
[TOP]
カプリコルヌスの脈動

 ―――ああ、光が見える。


 いつからだったか。己の言葉を失ったのは。
 いつからだったか。自身の目的さえ忘れてしまったのは。
 俺はただ強さを求めた。殺し合い、奪い合い、渡り合う為の力が必要だった。この力だけが全ての世界で、確乎たる個人として生き抜く力が欲しかった。
 その為に、犠牲に出来るものは何でも犠牲にしてきた。経歴、財産、肉体、精神――この世界で己が己だと証明するための記録もすて、持っていた全てから永劫の断絶をはかり、そして、生まれてから培ってきた自分自身をも廃棄した。
 鮮明に思い出せる最後の記憶は、俺とともに力を求めた弟が激しい人体実験の果てにその命を散らしてしまった光景。絶叫をしながらも俺は動けなかった。同じ実験を受け続けてきた俺の肉体には、弟の亡骸に近づけるだけの力は残されていなかった。
 その時から俺には、自分自身の制御が出来なくなっていた。実験指令≪ミッション≫をろくにこなせなくなり、結果は常に失敗に終わる。味方との連携もとれず、俺は落ちこぼれとして処分の一歩手前まで追い詰められた。
 だが。俺にはもう、そんな些細な事などどうでもよかったのだ。いや、そんな事を考えられる理性はもう、俺には残されていなかった。

 殺す。

 手段はなんでもいい。ただ、目の前の敵を殺す。首をひねる。脳髄を突き刺す。心臓を潰す。内臓を千切る。人道のない人体実験の果てにかろうじて得た、人の形など残されていない肉体で全ての敵を殺し尽くす。

 壊す。

 破壊する対象を固定などしない。目に見える全てをひたすらに壊し続ければ、俺以外に残るものはなにもない。それでいいのだ―――俺に勝る者など、この世にあってはならない。

 倒す。

 理由はない。ただ与えられた敵を倒す。目を潰されようが腕をもがれようが関係ない。死の果てまで、俺は眼前の敵を殺し続けた。そうしていたら俺はいつの間にか「最初の成功例」と言われるようになっていたが、感じ入る事など何一つない。

 そしてあらゆる実験を潜り抜けた俺は、いつしかアーマード・コア≪AC≫を狩る者となっていた。山羊座のカプリコルヌス。それが俺に与えられた新たな名前だ。
 どうでもいい事だ。俺はただ、立ちはだかる全ての敵を殺戮するのみ。殺して、殺して、殺して。殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して。

 殺して、俺は何も考えられなくなっていた。何故己が、力を欲したのかさえ忘れてしまうくらいに。

『くそっ!! 何なんだこいつは!?』
 焦った音声が脳裏に響き、着弾音とともに機体が振動する。誰かも分からない女の声がしきりに何かを叫んでいる。
 ライフルの銃口が俺の方を向いている。緑のAC、砂嵐のエンブレム。擦り切れた理性の端に【こいつを殺せ】と刻み込まれている。ならばこいつは間違いなく、俺が殺すべき敵だ。
 鉄を引き千切るような金切り声がやかましい。うるさい、黙れ! 耳障りなノイズを吐き散らすな! 殺す、殺す! 殺してやる!!
「ガ……ガアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
 声帯が歪に変化した俺の喉から獣の絶叫が轟く。その咆哮を纏うように、俺は自分の手足となったACで猪の如く飛び出した。
 敵の銃口から弾丸が飛び出し、俺の機体が更に揺れる。視界は赤い。警報音が止まらない。画面の半分は既に機能停止≪ブラックアウト≫し、残りの画面が【戦闘不能】の四文字を何度も何度も映し出す。
 それがどうしたというのだ。俺の右手が肘からなくなっていようとも、まだ左腕が残っている!
 半分も写っていない画面の先でもう一つの銃口が向く。バトルライフル、そう知覚する前に俺は無理やり繋がれた人造神経を通し、連続使用で摩耗したブースターを点火した。
 バトルライフルが発射されると同時に、機体がハイブーストで右にずれる。炸薬を秘めた弾丸は左肩をかすめあらぬ場所に着弾。だが、まだ銃口はこちらを向いている。
 まだ敵の火器管制装置≪FCS≫の範囲内――高速道路から飛び出した機体の足を欄干にかけ、俺は更に右へと跳躍した。
『ち、畜生!?』
 敵の驚愕の声がコクピット内でハウリングする。不愉快な高音が脳を抉る……こんなもの、既に何度も聞かされてきた。
 半壊した視界には敵の姿が写らない。しかし、俺には敵の位置が感覚で分かる。右に迫る廃ビルを足場に前方へ跳躍。更に右側に続くビル群を蹴って左に飛び出す。そして、僅かに回復したジェネレーターからエネルギーを引張り出し、後方へとハイブーストをかける。
 敵から見れば完全な消失。左を向き、その先を追いかけてもそこには俺はいない。俺がいるのは、お前のすぐ真上だ!
 ブースターを切って機体が落ちる。目の前には、俺に背を向けた緑のACがただ一機。着地の反動を足先の制御装置が流しきった瞬間、俺は左腕を前に構え、ハイブーストで前に出た。
『くそっ! どこだ!? どこに行っ――』
 ハウリングする敵の声が急に聞こえなくなる。【殺せ】それだけじゃない。【殺せ】視界が真っ白になっていき、【殺せ】より鮮明に敵の姿だけが写る。【殺せ】周囲の景色など【殺せ】などない、【殺せ】ここに【殺せ】は俺【殺せ】と敵【殺せ】のA【殺せ】C【殺せ】だ【殺せ】け【殺せ】が【殺せ】【殺せ】【殺せ】【殺せ】【殺せ】【殺せ】

 【殺せ】

「―――ヴゥアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」

 身を裂くような叫びと共に、ヒートパイルが敵に絶命の牙を打ち立てた。敵の背からコアを貫き、胸元まで貫通する。そして撃ち込まれた炸薬が反応し、敵ACは爆散した。

 元から壊れかけていた機体は最後のハイブーストで完全に沈黙した。伸びきった左腕は衝撃で駆動系が破損。敵ACが爆発した衝撃で足の駆動系もいかれて、もはや指の一本も動かせない。
 ……遠くから、風を切り裂くヘリの音が聞こえてきた。もうじき俺は回収されるだろう。そして、見知らぬ誰かたちの元へ連れて行かれ、またミッションが下るまで待機させられる。
 もう何度も繰り返してきた事だ。その度に俺の身体は代替品と組み替えられ、そして脳髄だけを治療される。それももう、限界に近い。
 目にはもう赤色しかない。ときおり落雷のようなノイズが走る、血にまみれた真っ赤な世界だけだ。思考も霞がかかったようにぼんやりとして、自分が何だったかも思い出せない。
 幻まで見えるようになっている。俺を兄と呼ぶ知らない男の顔。俺を仲間と呼ぶ笑みを浮かべた女とその後ろの十一人。誰とも知れない声だけの「主任」。こんな奴らは知らないし、これから先も、知る事はない。
 画面の一部が点滅している事に気付く。見れば、それは伝令≪コール≫を受け取れと言うサイン。
『だ……うぶ!? …………が……い……から……!』
 さっきわめいていた女の声だ。ああ、そういえば俺の指揮官だった。だが、どうでもいい。俺は、戦いさえいれば他に何もいらない。

 そこまでが曖昧ながらも思い出せる記憶。そこから先はもうぐちゃぐちゃに混ざり合ってしまっていて、何が何だか分からない。
 何も考えられなかった。何も考えたくなかった。任務が与えられるたびに殺す事に没頭し、任務を遂げるたびに新たな任務を与えられる。
 ただただ戦いに明け暮れる毎日。その中で敵を殺して、敵を殺して、敵を殺して。

 そしてその日、俺は光と出会ったのだ。

 もう、何かを思う事すら出来なくなっていた。だけど、殺す事だけは止められなかった。
『そろそろ作戦領域に到着します――No.1。貴方はそこで、戦闘を行っているAC二体を両方とも撃破してください』
 俺に殺す相手を伝えてくる声はいつしか冷たくなっていて、そんな事にさえ俺は今更気づ。そして、次の瞬間には忘れてしまう。
 殺すべき敵はどこだ。殺さなければならない敵はどこだ。俺はただ聞こえてくる声に従ってその場所に行き――そして、そこで信じ難い物を目にした。
 白と黒のACが、なす術なく翻弄されている。白と黒のACが弱いわけじゃない。機体制御、立ち回り、EN管理などが高いレベルで実現している。あのACと戦えば機体の半壊は避けられないだろう。
 だが。その白と黒のACと渡り合っている「AC」は文字通り格が違った。鋭いキレのある挙動、予知能力の有無を疑いたくなる敵の行動の先読み、目視のみで攻撃をあてる背筋が凍りそうな正確な射撃技術。
 恐ろしいのはその「AC」がただの一度も被弾していない事実だ。愚者をかたどった傷一つないエンブレムがそれを証明している。
 あんな「AC」は見た事がない。それどころか、己が戦ってきた数多の敵と照らし合わせても、あんな規格外な存在には出会った事がない。

 ―――ああ、そうか。

 ドクン、と鈍色の心臓が一際高くうなる。底なし沼に突き落とされたように沈み切っていた理性がわずかに面をあげる。ボロボロになって、粉々になっていた自分が戻って言っているのに気づく。
 白と黒のACは最後の賭けに出たようだ。高い廃ビルの遮蔽物に隠れる「AC」にグラインドブーストで一気に突っ込んでいく。
 だが、捨て身になってもその性能差は埋まらない。白と黒のACの決死の突撃をあっさりと回避した「AC」は、すかさずCEロケットとライフルの雨を打ち込み、その直後、白と黒のACは耐えきれずに爆発した。
 機体の中心から黒煙をはきだし、白と黒のACは轟音とともに大破する。その壊れた敵を前に、「AC」はゆっくりと空から降り立った。

 ―――間違いない、あれこそが。

『敵が一体大破しました。しかし、我々の目的は変わりません。No.1、速やかに出撃し、もう一体の敵ACを撃破して――』
 その声が言い終わる前に、俺は既に機体を前へ発進させていた。

 思い出す。自分が何を求めていたのか。

 思い出す。自分が何のために戦っていたのか。

 もう俺の任務などどうでもいい。あれが、あの「AC」こそが、俺が、俺達が求めていた力そのもの。そうだろう――アンジー!
 ピントが合った。壊れ果てていた自分が再び戻ってきた。弟の事も、俺達の指揮官を志願したアンジェリカの事も、俺と志をともにした仲間たちの事も。
 感覚だけで動かしてきた機体に命が宿る。代替品ばかりの身体が歓喜で打ち震える。あの「AC」を討ち果たせるのなら――俺は何者をも超える力を手にしたことになる!
『あれは……ゾディアック!?』
 近くを飛行するヘリからヒステリックな女の叫びが聞こえる。あの「AC」と戦うにはあれは邪魔だ。俺はそのヘリへと直行し、左腕のヒートパイルをぶち込んだ。
 墜ちていくヘリ。ついで落下する俺の機体。爆散したヘリの残骸の横へ降り立ち、俺は悠然とたたずむ「AC」へと視線を向ける。
「ヴルゥア!?」
 お前は何故そこまで強い。そう問おうとして、俺の喉からは獣のうなりしか出てこなかった。それでもいい。そもそも、言葉さえ交わす必要はない。
「ガ……ガァアアアアアアアッ!!」
 刻まれた衝動のままに。そして、己自身の目的の為に。俺は渾身の咆哮をあげその「AC」へと突っ込んでいく。

 ―――そして、敗れた。あますところなく、完膚なきまでに敗北した。

 もう機体は動かない。結局傷一つつけることなく、俺はここで朽ち果てる。霞みがかっていく意識を前に俺は、崩れかかった義手を伸ばした。
 黒煙が邪魔をする赤い視界に、その「AC」の姿が写る。機体から噴き出る炎に揺れるそれを、網膜へと鮮明に焼き付けた。

 敗れこそしたが、後悔はない。俺は最後に、俺自身が望んだ力の姿を、この眼に焼き付ける事が出来たのだから。

 何者にも負けない、強い力を。


 ―――全てを焼き尽くす、圧倒的な暴力を―――


12/05/10 05:54更新 / 麻婆豆腐

■作者メッセージ
 やっつけです。
 

TOP

まろやか投稿小説 Ver1.50