黒神親子の一日
設定投稿者:黒神さん
世界観:幻昼界
常昼の世界とも言われる野生の世界。
住人には獣人や人型の妖怪が多く、東洋のサムライという文化を重んじた発展をしている。
中心都市に王都リゼルトナタルシア(和名では天竜街と呼ばれてる)があり、そこを中心に発展している。
また常昼の世界と呼ばれるだけあり、樹木が生い茂り、多くの生物が住む世界となっている。
巨大とまで成長した木々は集落を作る元となっており、だいだいは巨木を中心として村々が作られている。
代表的なのは王都より北東に10kmほど進んだ所にある人竜族の集落、南に進んだところにある人狼族の集落などが有名。
王都にある天竜城では、王姫である黒神 紗那が過ごしており、賑やか。
また紗那の娘である黒百合が稽古をサボって街で遊びまわる為、たまーに街に被害が出、紗那が謝って回っている姿が時折見られる。
王都に住んでいる人妖は主に、妖狐、妖猫、人狼族など一般に獣人と呼ばれる者が多い。基本はその獣の耳と尾が付いている、という感じ。
一般に多く広まっている武具は刀であり、達人級にまでなると真空波まで飛ばせるようになる。
街の中の各地にもいくつか道場があるが、どの流派も相当の修練を積まないと免許皆伝とまでは行かない。
4ヶ月に一度、王妃主催の御前試合では各地からの腕に覚えのある人間が集う為、かなり見応えがあるうえ、流派選びにもなる。
王都から離れた辺境には強力かつ凶暴、交渉も通じない竜が生息していることがあるため、竜を狩ることができる者が必ず同行する。
南西に行ったところに翠の草原があり、そこから更に西に行くとそこには前王妃の綾鳴が住む幻の城(うつつのしろ)というのがあり、半月周期で幻夜界と行ったりきたりしている城がある。
その近くにも陽の湖というものがあり、大ヌシを狙って釣りをする太公望が絶えないという。
街から南東の位置にある翠の森の山、その台地に夜草神社という大きな神社があり、アルラウネ達が住んでいるという。
時間軸だが、21時〜3時が夜であり、3時〜6時までは朝焼けの時間が続き、18時〜21時までは夕暮れの時間が続く。
キャラクター
・黒神 紗那 性別:女 年齢:18歳
王族の血を引いて生まれた王妃様で、本当に王女かと疑わしいぐらい悪戯好きで子供っぽい。
城内をかくれんぼ大会の会場にしたり、城下にお忍びで出かけられたりと行動には突っ込みどころ満載である。
ネコミミと尻尾を持っており、暇なときに日向ごっこしている。
・黒神 綾鳴 性別:女 年齢:2100歳
紗那の実母で、前王妃。色々とフリーダムで自由奔放。
普段は幻の城で過ごしており、暇があれば城下に出てきたり紗那と遊んでいることも。
九尾の狐尾と狐耳を持ち、様々な神通力を使いこなす。
あらすじ
この世界を舞台にした冒険譚や日常などを、自由にお願いします!
もちろん恋愛物語だろうと御前試合でのライバル同士の激闘などもOKです。
キャラクターは書いてくださる方のオリジナルを使うことをお勧めします、口調が判る方は紗那ちゃん主役でも構いません。
〜黒神親子の一日〜
昼の日差しが窓から差し込む天竜城の廊下に、コツコツという規則正しい音と、それに付随する形でガラガラという音が響く。
コツコツという音の正体は山羊頭の獣人、ゴートンが歩いた靴音だ。黒い燕尾服に蝶ネクタイに身を包んだ彼は、両手でカートを押している。ガラガラの音はそれによるものだろう。
カートの上には金属製の蓋を載せた皿がいくつも並べてあり、彼が昼食を運んでいる途中だと分かる。
その彼の足がピタリと止まった。
両手をカートから離すと、ドアの前に立ち、軽く二度ノックする。
本来ならば執事であるゴートンは主人の部屋に入るのにノックする必要は無いのだが、この城の主、つまり王妃に部屋に入る前にノックするようにと言いつけられていた。
だがドアからは何の返事も無い。
訝しげな顔をするゴートンだったが、もう一度ドアをノックし、今度は声を掛けてみる事にした。
「紗那様? 昼食をお持ちしましたが……」
だがやはり返事は無い。
まさかと思い、言いつけを破ってドアを開ける。
中へと入ったゴートンが見たものは、椅子に腰掛けて此方に背を向ける天竜城の主、黒神紗那の姿があった。
その猫型の耳がピクリと動く。
姿を確認できた事にゴートンは胸を撫で下ろした。
「良かった……。返事が無いものですから、何かあったのではないかと、このゴートン、肝を冷やしましたぞ」
しかしそんなゴートンの言葉に、紗那は口を開こうとしない。それどころか背を向けたままで此方を見てすらいないのだ。その姿は怒っている様にも見える。
はて、自分は何か彼女を怒らせるような事をしただろうかと考えたゴートンは、すぐに先程の失態に気づいた。
「言いつけを破ってドアを開けた事は申し訳ございません。しかし、それも紗那様の身を案じての事。どうかお許しくだされ……」
それでも紗那の態度は頑なだった。時折耳がピクリと動く以外は身じろぎもせず、此方を振り向こうともしない。
「……紗那様?」
ここでゴートンは椅子に座る紗那の姿がおかしい事に気づいた。
着ている服は紗那のものだ。
猫型の耳と尻尾もある。
だが、その色が紗那のものと違うのだ。
では……。
ここに座っているのは誰なのか……?
ゴートンは足早に椅子へと駆け寄り、回り込んだ。
そして座っている者の顔を見た瞬間、彼は目を丸くした。
そこに座っていたのは黒神紗那ではなかった。
ぷるぷると身体を震わせ、目の端に涙をためているその顔には、ゴートンも見覚えがあった。
城で働くメイドの一人で、しょっちゅうミスをしてはメイド長に怒られている娘だ。
彼女は泣きそうな声でゴートンに説明を始めた。
「あっ、あの……その……、お部屋を掃除してたら、紗那様が御自分の服と私の服を交換しようと突然仰られて……! それで断る暇もなくて……、その……」
しかしゴートンの耳には、彼女の必死の弁明は入ってなかった。
フラフラと開け放たれた窓へと歩きだし、窓枠に両手を突く。
「またお忍びですか! 紗那さまあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ゴートンのその悲痛な叫びは天竜城中に響き渡った。
それが本人の耳に届いたかどうかは不明だが……。
王都リゼルトナタルシア。
天竜街とも呼ばれる街中を、一人の少女が歩いていた。
メイド服を着た黒髪の少女は、姿だけを見れば食材の買出しに来たメイドにしか見えない。
しかし彼女の目的は食材の買出しではない。
その視線の先には、串焼きの屋台がある。炭火であぶられた肉や魚介類の香ばしい匂いが食欲をそそり、少女のお腹がぐうとなる。
耳ざとい店主がそれを聞きつけ、笑いながら少女に話しかける。
「どうだいお嬢ちゃん。焼き立てで美味いよー」
だが少女は首を横に振った。
確かに空腹ではあるが、少女は街に出る際に財布の類を忘れてしまっていたのだ。
そうとは気づかない店主は、もう一度串焼きを勧める。
だからだろう。
後ろから売り上げの入った袋を掴もうとする影に気づかなかったのは……。
しかし袋に伸ばしたその手が届く事は無かった。
何かに捕まれたように、突然手が動かなくなったのだ。
自分の身に起こった出来事を理解できず、その場から逃げ出そうとするが、それも叶わない。
いつの間にか動かないのは手だけでなく、全身に及んでいたからだ。
混乱で頭が真っ白になる中、とうとう店主に気づかれた。
「……お前さん、何やってんだ?」
何故自分の後ろに見覚えの無い男が立っているのか分からず、店主は首を傾げた。
「その人……、貴方の店の売り上げを盗もうとした泥棒だよ」
後ろから掛けられたその声に店主が振り向くと、そこには先程まで接客をしていたメイド服の少女が立っている。
少女は人差し指を突きつけ、もう片方の手で頭に被った帽子を脱いだ。
その途端、帽子の中に押し込められていたのか、長い黒髪が零れ落ちる。
店主と男があっと、声を上げる。
この国に住んでいる者で、彼女を知らない者はいない。
天竜城の王妃、黒神紗那の事を……。
「本当に良いの? こんなに貰っちゃって……」
紗那の前にあるテーブルの上には、山盛りの串焼きが載せられた皿が置かれていた。
泥棒から店の売り上げを守ってくれた御礼にと、店主が出してくれたのだ。
「なーに、気にしないでくだせえ。紗那様のおかげで今日の売り上げが無事だったんだ。これでもまだお釣りが来るぐらいですぜ」
「そう? それじゃ遠慮なくいただきまーす」
そう言って貝柱の串にかぶりつくと、たちまち紗那の顔が綻んだ。
後はもう夢中になって、口と手を動かした。
その食べっぷりが気に入ったのか、店主は次から次へと串焼きを皿に追加していく。
「しかしよりにもよって今、お忍びとはねえ……。ここ最近の街中は物騒ですぜ」
「むぐっ、そうなの?」
口の中に串焼きをほうばりながら、紗那が聞く。
店主が真面目な顔になって答えた。
「ええ。どうも最近、若い娘ばかり襲われる事件が続けて起こりましてね。幸い、命には別状は無いんですが、皆怖がって外を出歩かないんですよ」
そういえばと、紗那は辺りを見渡した。
「まだ昼間なのに、若い女の子の姿があまり無いね?」
「そうなんですよ。何でも夜だけでなく、真昼間に襲われたって娘もいるらしくてね。だから紗那様もしばらくは出歩かない方が良いですぜ」
「ふーん……」
少し不機嫌そうに眉をひそめると、紗那は立ち上がった。
「ご馳走様。残った串焼きだけど、持って帰るから、何か袋にでも入れてよ」
その言葉に嬉しそうに頷くと、店主は串焼きを紙袋に詰めていく。
「ありがとうございました。お気をつけてお帰りを!」
紗那は串焼きの入った紙袋を片手で抱えると、来た道とは反対の方向を歩いていく。
その彼女の後姿を見つめる者がいた。
だが紗那にそれを気づいた様子は無く、それに満足下に頷くと、立て掛けてあった刀を手に取り、その後を追い始めた……。
「綾鳴様、申し訳ございません!」
ゴートンは一人の少女に頭を下げていた。
黒神綾鳴。
見た目こそ若い少女のものだが、実際には二千年以上生きる九尾の妖弧で、紗那の実母でもある。
「別に謝らなくても良いのよ。自由気ままに育てて来たのは私なんだからぁ」
「しっ、しかし……! 最近街では危険な事件も起きておりますし、もしもの事があったら……!」
そのもしもの事が次々と頭をよぎり、ゴートンは今にも卒倒しそうだった。
「もう。心配性ね、ゴートンは……。あの子の居場所は私には分かるし、もし危なくなれば、私の力で避難させるわよ」
その綾鳴の言葉に、ゴートンも少し安堵を覚えた。
彼女の住む幻の城は、天竜城から南西に離れた場所にある。
だが二千以上生きた妖弧としての力は本物で、その神通力ならば離れた場所であるここからでも、紗那の安全を確保できるだろう。
「……あら?」
「……どうなさいました?」
突然首を傾げた綾鳴に、ゴートンは多少の不安を覚えて尋ねた。
「紗那が、噂の通り魔さんと出くわしちゃったみたい」
今度こそゴートンは卒倒した。
「……それで? 貴方が噂の通り魔で合ってるのかな?」
紗那の背後から、息を呑む気配が伝わった。
紗那はゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは、ボロボロに擦り切れたコートを着た男だった。
「……どうして分かったのかな、お嬢さん?」
顔は大きめのフードに隠れているが、その口元は歪んだ笑みを作っている。
紗那は眉をひそめて答えた。
「分かるよ。そういう嫌な視線はね」
「そうかい、そうかい。けど気づいていたにしては、随分と無用心すぎるんじゃないかい?こんな人気の無い場所に逃げ込むなんて……」
そう、二人のいる場所は街の路地裏、人の滅多に寄り付かない場所だった。
だが紗那は不適な笑みを浮かべる。
「だって人の多い場所だと、思いっきりやれないからね」
「……何?」
紗那の姿が消える。
そう男が思った瞬間には、既に懐に接近されていた。
「くっ……!」
慌てて男が刀を抜こうとするが、それより速く紗那の拳が男の腹部に打ち込まれる。
「がはっ!」
ようやく抜けた刀を振り回すが、紗那の身体は既に離れている。
それを見て男はにぃっと笑った。
紗那へ向けて刀を振り下ろす。
だが離れた位置にいる紗那に、刀が届くはずも無く、空振りに終わった。
それが間違いだと気づいたのは、次の瞬間だった。
突風のような音を立てて地面を削りながら、衝撃波が紗那に迫る。
慌てて回避するが、かすめた肩口を浅く斬られた。
「達人級の腕を持ってて、どうして通り魔なんてするの?」
驚きより先に疑問が湧いて、紗那は男に質問する。
それに男は楽しそうに笑って答えた。
「順序が逆だな、お嬢ちゃん。俺は弱い奴をいたぶるために、達人になったんだよ」
紗那が男を睨み付ける。先程よりも強く拳を握り締め、姿勢を低く落とした。
「最後に聞いといてあげる。貴方のお名前は?」
「聞いたところで意味無いと思うがねぇ……。ま、お嬢ちゃんの最後に土産に教えてやるよ。俺の名前はウォルフってんだ。あの世に行っても忘れないでくれよ?」
ニヤニヤと笑いながら、ウォルフも刀を構える。
先に動いたのは紗那の方だった。
ウォルフ目掛けて真っ直ぐ駆け出す。
対するウォルフは、刀を振り下ろして衝撃波を発生させる。
しかし紗那はその衝撃波を避けようとしない。
衝撃波は紗那に命中し、その身体が宙を舞った。身体を少しも動かす事が出来ないのか、紗那は頭から地面へと叩きつけられた。
衝撃波だけでなく、地面に叩きつけられたダメージも大きいのだろう。
紗那はうつぶせの格好で、ピクリとも動かない。
ウォルフはその姿を見て、実に嬉しそうに笑った。
しかし紗那の身体が霞のように消えた途端、その笑みは凍りついた。
背中にそっと触れる指先の感触がある。
たかが指先の筈なのに、刃物を突きつけられたかのように、背中がぞくりとする。
「残念だったね。さっきのは私が見せた幻覚だよ」
ウォルフは雄叫びを上げて、振り向き様に刀を振るう。
刃は紗那の首筋を狙ったものであり、振り向き様の姿勢であっても紗那の首を跳ね飛ばせる威力があった。
だが刀身が首へ到達するよりも先に、紗那の拳がウォルフを捉えた。
ウォルフの頬に紗那の拳が打ち込まれたが、達人の腕前を持つ剣士であるウォルフは、まだ倒れない。
刀の持ち方を変えると、紗那に突き立てようとする。
しかし紗那の拳から放たれた不可視の力が、ウォルフの身体を吹き飛ばした。
まるで空気の塊をぶつけられた様な衝撃に宙を舞うウォルフの身体目掛け、紗那はもう一度拳を振るう。
再度放たれた不可視の力はウォルフの身体を捉え、その意識を刈り取った。
「ふう。ま、こんなもんかな?」
服についた埃を手で払いながら、紗那は言った。
「うわ、肩のところ破けてる。これ他人の服なのに……」
どうしようと悩んでいる紗那。
そのため、一瞬とはいえウォルフから注意が逸れていた。
その指がピクリと動き、刀を掴むのも見逃していた。
気づいた時には既に遅い。
身体を襲う衝撃波に、成す術無く宙を舞った。
受身も取れずに地面に叩きつけられたが、衝撃波のダメージが大きいのか、既に痛いとすら感じない。
楽しげに笑うウォルフの声が聞こえるが、それも段々聞こえにくくなってくる。
ウォルフが近づいてくる。
先程幻覚を見せられた事を警戒しているのか、その足取りは慎重なものだ。
何とかしなければと紗那は思うが、気持ちとは別に身体は少しも動いてくれない。
動かない身体に少しずつ気持ちも弱気になってくる。
涙がこみ上げてきた、その時だった。
見覚えのある背中が、紗那の前に立ったのは。
幼い頃からずっと見続けてきたその背中は、紗那の母であり、天竜城の前王妃、黒神綾鳴のものだ。
綾鳴とウォルフ、二人が何かを言い合っている。
綾鳴は穏やかに、対するウォルフは喚く様に、対称的な態度で会話は続く。
意識を失いそうな状態のせいか、二人が何を言い合っているのかは分からないが、どうやら話し合いは終わったらしい。
ウォルフは刀を構え、綾鳴は九本の尻尾を一斉に動かし始めたからだ。
紗那にはこれから始まる勝負の結果が見えていた。
もう後は母に任せて、自分は少し休もう。
そう考えたときだった。
「……別にね、私は貴方が通り魔で、民を傷つけたから怒ってるんじゃないの。私はね……」
何故か綾鳴の声が聞こえた。
「貴方が紗那を傷つけた事に怒ってるのよ」
親馬鹿、そう心の中で呟いて、今度こそ紗那は意識を手放した。
気がつくと、紗那の顔を覗き込む綾鳴の顔があった。
何故か逆さまな母の顔を疑問に思った紗那だったが、頭の後ろに固い地面と違う柔らかな感触がある。
どうやら綾鳴が自分の膝の上に、紗那の頭を寝かせてくれていたらしい。
「……お母さん」
「ん? なあに、紗那?」
「ウォルフは……、通り魔はどうなったの?」
紗那の質問に、綾鳴は無言で指差した。
紗那が指先に視線を向けると、そこにはウォルフのコートや服、刀だけが落ちている。
「え……? 何で服だけ……?」
疑問に感じた紗那だったが、その時コートがもぞりと動いた。
突然動き出したコートに驚いて、起き上がる紗那だったが、コートの中をもがく様にして抜け出した物体を見て、呆気に取られた顔をする。
「……犬?」
コートから出てきたのは、茶色い毛並みの小型犬だった。
怯えた目付きで綾鳴を見ると、一目散に逃げ出そうとする。
「こらこら、待ちなさいって」
綾鳴が手をかざすと、途端に犬の動きが止まった。
止まったというよりは、まるで硬直したかの様に動きが固まっている。
そして綾鳴が手招きするように指を動かすと、ずるずると綾鳴の近くに引き寄せられる。
そんな犬の扱いを見て、紗那は何となくその正体がウォルフであると気づいた。綾鳴の力によって、犬に姿を変えられてしまったのだろう。
「さて、こんな姿じゃ、もう悪さも出来ないでしょうし、許してあげる?」
そう問いかけてくる綾鳴に、紗那は頷いた。
途端に硬直が解けたのか、ウォルフ犬はその場から駆け出そうとする。
だが、その動きが再び止まった。
紗那が隣にいる綾鳴を見ると、彼女は手をウォルフ犬に向けてかざしていた。
「紗那は許したけど、私はまだ許してないわよ?」
ニコニコと笑顔でウォルフ犬を手繰り寄せると、いつの間にか手に握られていた筆を、その顔に近づけていく。
全身を硬直させられているウォルフ犬は、その筆を見つめることしか出来ない。
「さらさらさらっと……。うん、これで許してあげましょう」
太く立派な眉毛を描かれたウォルフ犬は、硬直が解けると、今度こそ一目散に逃げ出した。
「……ぷっ」
そう噴き出したのはどちらが先だったか。
だがそれが引き金となったように、二人はお腹を抱えて楽しげに笑い出した。
ひとしきり笑った後、城へ向かう道を二人で歩き出す。
歩きながら紗那と綾鳴は色々な事を話した。
「そういえば、どうして私の居場所が分かったの?」
「ふふん。お母さんの愛の力ってやつね」
「真面目に答えてよ」
「お母さんはいつだって真面目よ?」
疲れたように肩を落とす紗那は、思い出したように抱えた紙袋を綾鳴に手渡す。
「そうだ。はいこれ、お土産」
「わっ、何これ! すっごく美味しそう!」
「泥棒捕まえたお礼にって……」
「わー、ありがとう紗那。こんないい娘に育って……、これも私の教育の賜物ね!」
「それはどうかなあ……」
親子の他愛の無い会話は決して途切れる事無く、天竜城へ到着するまで続いた……。
世界観:幻昼界
常昼の世界とも言われる野生の世界。
住人には獣人や人型の妖怪が多く、東洋のサムライという文化を重んじた発展をしている。
中心都市に王都リゼルトナタルシア(和名では天竜街と呼ばれてる)があり、そこを中心に発展している。
また常昼の世界と呼ばれるだけあり、樹木が生い茂り、多くの生物が住む世界となっている。
巨大とまで成長した木々は集落を作る元となっており、だいだいは巨木を中心として村々が作られている。
代表的なのは王都より北東に10kmほど進んだ所にある人竜族の集落、南に進んだところにある人狼族の集落などが有名。
王都にある天竜城では、王姫である黒神 紗那が過ごしており、賑やか。
また紗那の娘である黒百合が稽古をサボって街で遊びまわる為、たまーに街に被害が出、紗那が謝って回っている姿が時折見られる。
王都に住んでいる人妖は主に、妖狐、妖猫、人狼族など一般に獣人と呼ばれる者が多い。基本はその獣の耳と尾が付いている、という感じ。
一般に多く広まっている武具は刀であり、達人級にまでなると真空波まで飛ばせるようになる。
街の中の各地にもいくつか道場があるが、どの流派も相当の修練を積まないと免許皆伝とまでは行かない。
4ヶ月に一度、王妃主催の御前試合では各地からの腕に覚えのある人間が集う為、かなり見応えがあるうえ、流派選びにもなる。
王都から離れた辺境には強力かつ凶暴、交渉も通じない竜が生息していることがあるため、竜を狩ることができる者が必ず同行する。
南西に行ったところに翠の草原があり、そこから更に西に行くとそこには前王妃の綾鳴が住む幻の城(うつつのしろ)というのがあり、半月周期で幻夜界と行ったりきたりしている城がある。
その近くにも陽の湖というものがあり、大ヌシを狙って釣りをする太公望が絶えないという。
街から南東の位置にある翠の森の山、その台地に夜草神社という大きな神社があり、アルラウネ達が住んでいるという。
時間軸だが、21時〜3時が夜であり、3時〜6時までは朝焼けの時間が続き、18時〜21時までは夕暮れの時間が続く。
キャラクター
・黒神 紗那 性別:女 年齢:18歳
王族の血を引いて生まれた王妃様で、本当に王女かと疑わしいぐらい悪戯好きで子供っぽい。
城内をかくれんぼ大会の会場にしたり、城下にお忍びで出かけられたりと行動には突っ込みどころ満載である。
ネコミミと尻尾を持っており、暇なときに日向ごっこしている。
・黒神 綾鳴 性別:女 年齢:2100歳
紗那の実母で、前王妃。色々とフリーダムで自由奔放。
普段は幻の城で過ごしており、暇があれば城下に出てきたり紗那と遊んでいることも。
九尾の狐尾と狐耳を持ち、様々な神通力を使いこなす。
あらすじ
この世界を舞台にした冒険譚や日常などを、自由にお願いします!
もちろん恋愛物語だろうと御前試合でのライバル同士の激闘などもOKです。
キャラクターは書いてくださる方のオリジナルを使うことをお勧めします、口調が判る方は紗那ちゃん主役でも構いません。
〜黒神親子の一日〜
昼の日差しが窓から差し込む天竜城の廊下に、コツコツという規則正しい音と、それに付随する形でガラガラという音が響く。
コツコツという音の正体は山羊頭の獣人、ゴートンが歩いた靴音だ。黒い燕尾服に蝶ネクタイに身を包んだ彼は、両手でカートを押している。ガラガラの音はそれによるものだろう。
カートの上には金属製の蓋を載せた皿がいくつも並べてあり、彼が昼食を運んでいる途中だと分かる。
その彼の足がピタリと止まった。
両手をカートから離すと、ドアの前に立ち、軽く二度ノックする。
本来ならば執事であるゴートンは主人の部屋に入るのにノックする必要は無いのだが、この城の主、つまり王妃に部屋に入る前にノックするようにと言いつけられていた。
だがドアからは何の返事も無い。
訝しげな顔をするゴートンだったが、もう一度ドアをノックし、今度は声を掛けてみる事にした。
「紗那様? 昼食をお持ちしましたが……」
だがやはり返事は無い。
まさかと思い、言いつけを破ってドアを開ける。
中へと入ったゴートンが見たものは、椅子に腰掛けて此方に背を向ける天竜城の主、黒神紗那の姿があった。
その猫型の耳がピクリと動く。
姿を確認できた事にゴートンは胸を撫で下ろした。
「良かった……。返事が無いものですから、何かあったのではないかと、このゴートン、肝を冷やしましたぞ」
しかしそんなゴートンの言葉に、紗那は口を開こうとしない。それどころか背を向けたままで此方を見てすらいないのだ。その姿は怒っている様にも見える。
はて、自分は何か彼女を怒らせるような事をしただろうかと考えたゴートンは、すぐに先程の失態に気づいた。
「言いつけを破ってドアを開けた事は申し訳ございません。しかし、それも紗那様の身を案じての事。どうかお許しくだされ……」
それでも紗那の態度は頑なだった。時折耳がピクリと動く以外は身じろぎもせず、此方を振り向こうともしない。
「……紗那様?」
ここでゴートンは椅子に座る紗那の姿がおかしい事に気づいた。
着ている服は紗那のものだ。
猫型の耳と尻尾もある。
だが、その色が紗那のものと違うのだ。
では……。
ここに座っているのは誰なのか……?
ゴートンは足早に椅子へと駆け寄り、回り込んだ。
そして座っている者の顔を見た瞬間、彼は目を丸くした。
そこに座っていたのは黒神紗那ではなかった。
ぷるぷると身体を震わせ、目の端に涙をためているその顔には、ゴートンも見覚えがあった。
城で働くメイドの一人で、しょっちゅうミスをしてはメイド長に怒られている娘だ。
彼女は泣きそうな声でゴートンに説明を始めた。
「あっ、あの……その……、お部屋を掃除してたら、紗那様が御自分の服と私の服を交換しようと突然仰られて……! それで断る暇もなくて……、その……」
しかしゴートンの耳には、彼女の必死の弁明は入ってなかった。
フラフラと開け放たれた窓へと歩きだし、窓枠に両手を突く。
「またお忍びですか! 紗那さまあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ゴートンのその悲痛な叫びは天竜城中に響き渡った。
それが本人の耳に届いたかどうかは不明だが……。
王都リゼルトナタルシア。
天竜街とも呼ばれる街中を、一人の少女が歩いていた。
メイド服を着た黒髪の少女は、姿だけを見れば食材の買出しに来たメイドにしか見えない。
しかし彼女の目的は食材の買出しではない。
その視線の先には、串焼きの屋台がある。炭火であぶられた肉や魚介類の香ばしい匂いが食欲をそそり、少女のお腹がぐうとなる。
耳ざとい店主がそれを聞きつけ、笑いながら少女に話しかける。
「どうだいお嬢ちゃん。焼き立てで美味いよー」
だが少女は首を横に振った。
確かに空腹ではあるが、少女は街に出る際に財布の類を忘れてしまっていたのだ。
そうとは気づかない店主は、もう一度串焼きを勧める。
だからだろう。
後ろから売り上げの入った袋を掴もうとする影に気づかなかったのは……。
しかし袋に伸ばしたその手が届く事は無かった。
何かに捕まれたように、突然手が動かなくなったのだ。
自分の身に起こった出来事を理解できず、その場から逃げ出そうとするが、それも叶わない。
いつの間にか動かないのは手だけでなく、全身に及んでいたからだ。
混乱で頭が真っ白になる中、とうとう店主に気づかれた。
「……お前さん、何やってんだ?」
何故自分の後ろに見覚えの無い男が立っているのか分からず、店主は首を傾げた。
「その人……、貴方の店の売り上げを盗もうとした泥棒だよ」
後ろから掛けられたその声に店主が振り向くと、そこには先程まで接客をしていたメイド服の少女が立っている。
少女は人差し指を突きつけ、もう片方の手で頭に被った帽子を脱いだ。
その途端、帽子の中に押し込められていたのか、長い黒髪が零れ落ちる。
店主と男があっと、声を上げる。
この国に住んでいる者で、彼女を知らない者はいない。
天竜城の王妃、黒神紗那の事を……。
「本当に良いの? こんなに貰っちゃって……」
紗那の前にあるテーブルの上には、山盛りの串焼きが載せられた皿が置かれていた。
泥棒から店の売り上げを守ってくれた御礼にと、店主が出してくれたのだ。
「なーに、気にしないでくだせえ。紗那様のおかげで今日の売り上げが無事だったんだ。これでもまだお釣りが来るぐらいですぜ」
「そう? それじゃ遠慮なくいただきまーす」
そう言って貝柱の串にかぶりつくと、たちまち紗那の顔が綻んだ。
後はもう夢中になって、口と手を動かした。
その食べっぷりが気に入ったのか、店主は次から次へと串焼きを皿に追加していく。
「しかしよりにもよって今、お忍びとはねえ……。ここ最近の街中は物騒ですぜ」
「むぐっ、そうなの?」
口の中に串焼きをほうばりながら、紗那が聞く。
店主が真面目な顔になって答えた。
「ええ。どうも最近、若い娘ばかり襲われる事件が続けて起こりましてね。幸い、命には別状は無いんですが、皆怖がって外を出歩かないんですよ」
そういえばと、紗那は辺りを見渡した。
「まだ昼間なのに、若い女の子の姿があまり無いね?」
「そうなんですよ。何でも夜だけでなく、真昼間に襲われたって娘もいるらしくてね。だから紗那様もしばらくは出歩かない方が良いですぜ」
「ふーん……」
少し不機嫌そうに眉をひそめると、紗那は立ち上がった。
「ご馳走様。残った串焼きだけど、持って帰るから、何か袋にでも入れてよ」
その言葉に嬉しそうに頷くと、店主は串焼きを紙袋に詰めていく。
「ありがとうございました。お気をつけてお帰りを!」
紗那は串焼きの入った紙袋を片手で抱えると、来た道とは反対の方向を歩いていく。
その彼女の後姿を見つめる者がいた。
だが紗那にそれを気づいた様子は無く、それに満足下に頷くと、立て掛けてあった刀を手に取り、その後を追い始めた……。
「綾鳴様、申し訳ございません!」
ゴートンは一人の少女に頭を下げていた。
黒神綾鳴。
見た目こそ若い少女のものだが、実際には二千年以上生きる九尾の妖弧で、紗那の実母でもある。
「別に謝らなくても良いのよ。自由気ままに育てて来たのは私なんだからぁ」
「しっ、しかし……! 最近街では危険な事件も起きておりますし、もしもの事があったら……!」
そのもしもの事が次々と頭をよぎり、ゴートンは今にも卒倒しそうだった。
「もう。心配性ね、ゴートンは……。あの子の居場所は私には分かるし、もし危なくなれば、私の力で避難させるわよ」
その綾鳴の言葉に、ゴートンも少し安堵を覚えた。
彼女の住む幻の城は、天竜城から南西に離れた場所にある。
だが二千以上生きた妖弧としての力は本物で、その神通力ならば離れた場所であるここからでも、紗那の安全を確保できるだろう。
「……あら?」
「……どうなさいました?」
突然首を傾げた綾鳴に、ゴートンは多少の不安を覚えて尋ねた。
「紗那が、噂の通り魔さんと出くわしちゃったみたい」
今度こそゴートンは卒倒した。
「……それで? 貴方が噂の通り魔で合ってるのかな?」
紗那の背後から、息を呑む気配が伝わった。
紗那はゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは、ボロボロに擦り切れたコートを着た男だった。
「……どうして分かったのかな、お嬢さん?」
顔は大きめのフードに隠れているが、その口元は歪んだ笑みを作っている。
紗那は眉をひそめて答えた。
「分かるよ。そういう嫌な視線はね」
「そうかい、そうかい。けど気づいていたにしては、随分と無用心すぎるんじゃないかい?こんな人気の無い場所に逃げ込むなんて……」
そう、二人のいる場所は街の路地裏、人の滅多に寄り付かない場所だった。
だが紗那は不適な笑みを浮かべる。
「だって人の多い場所だと、思いっきりやれないからね」
「……何?」
紗那の姿が消える。
そう男が思った瞬間には、既に懐に接近されていた。
「くっ……!」
慌てて男が刀を抜こうとするが、それより速く紗那の拳が男の腹部に打ち込まれる。
「がはっ!」
ようやく抜けた刀を振り回すが、紗那の身体は既に離れている。
それを見て男はにぃっと笑った。
紗那へ向けて刀を振り下ろす。
だが離れた位置にいる紗那に、刀が届くはずも無く、空振りに終わった。
それが間違いだと気づいたのは、次の瞬間だった。
突風のような音を立てて地面を削りながら、衝撃波が紗那に迫る。
慌てて回避するが、かすめた肩口を浅く斬られた。
「達人級の腕を持ってて、どうして通り魔なんてするの?」
驚きより先に疑問が湧いて、紗那は男に質問する。
それに男は楽しそうに笑って答えた。
「順序が逆だな、お嬢ちゃん。俺は弱い奴をいたぶるために、達人になったんだよ」
紗那が男を睨み付ける。先程よりも強く拳を握り締め、姿勢を低く落とした。
「最後に聞いといてあげる。貴方のお名前は?」
「聞いたところで意味無いと思うがねぇ……。ま、お嬢ちゃんの最後に土産に教えてやるよ。俺の名前はウォルフってんだ。あの世に行っても忘れないでくれよ?」
ニヤニヤと笑いながら、ウォルフも刀を構える。
先に動いたのは紗那の方だった。
ウォルフ目掛けて真っ直ぐ駆け出す。
対するウォルフは、刀を振り下ろして衝撃波を発生させる。
しかし紗那はその衝撃波を避けようとしない。
衝撃波は紗那に命中し、その身体が宙を舞った。身体を少しも動かす事が出来ないのか、紗那は頭から地面へと叩きつけられた。
衝撃波だけでなく、地面に叩きつけられたダメージも大きいのだろう。
紗那はうつぶせの格好で、ピクリとも動かない。
ウォルフはその姿を見て、実に嬉しそうに笑った。
しかし紗那の身体が霞のように消えた途端、その笑みは凍りついた。
背中にそっと触れる指先の感触がある。
たかが指先の筈なのに、刃物を突きつけられたかのように、背中がぞくりとする。
「残念だったね。さっきのは私が見せた幻覚だよ」
ウォルフは雄叫びを上げて、振り向き様に刀を振るう。
刃は紗那の首筋を狙ったものであり、振り向き様の姿勢であっても紗那の首を跳ね飛ばせる威力があった。
だが刀身が首へ到達するよりも先に、紗那の拳がウォルフを捉えた。
ウォルフの頬に紗那の拳が打ち込まれたが、達人の腕前を持つ剣士であるウォルフは、まだ倒れない。
刀の持ち方を変えると、紗那に突き立てようとする。
しかし紗那の拳から放たれた不可視の力が、ウォルフの身体を吹き飛ばした。
まるで空気の塊をぶつけられた様な衝撃に宙を舞うウォルフの身体目掛け、紗那はもう一度拳を振るう。
再度放たれた不可視の力はウォルフの身体を捉え、その意識を刈り取った。
「ふう。ま、こんなもんかな?」
服についた埃を手で払いながら、紗那は言った。
「うわ、肩のところ破けてる。これ他人の服なのに……」
どうしようと悩んでいる紗那。
そのため、一瞬とはいえウォルフから注意が逸れていた。
その指がピクリと動き、刀を掴むのも見逃していた。
気づいた時には既に遅い。
身体を襲う衝撃波に、成す術無く宙を舞った。
受身も取れずに地面に叩きつけられたが、衝撃波のダメージが大きいのか、既に痛いとすら感じない。
楽しげに笑うウォルフの声が聞こえるが、それも段々聞こえにくくなってくる。
ウォルフが近づいてくる。
先程幻覚を見せられた事を警戒しているのか、その足取りは慎重なものだ。
何とかしなければと紗那は思うが、気持ちとは別に身体は少しも動いてくれない。
動かない身体に少しずつ気持ちも弱気になってくる。
涙がこみ上げてきた、その時だった。
見覚えのある背中が、紗那の前に立ったのは。
幼い頃からずっと見続けてきたその背中は、紗那の母であり、天竜城の前王妃、黒神綾鳴のものだ。
綾鳴とウォルフ、二人が何かを言い合っている。
綾鳴は穏やかに、対するウォルフは喚く様に、対称的な態度で会話は続く。
意識を失いそうな状態のせいか、二人が何を言い合っているのかは分からないが、どうやら話し合いは終わったらしい。
ウォルフは刀を構え、綾鳴は九本の尻尾を一斉に動かし始めたからだ。
紗那にはこれから始まる勝負の結果が見えていた。
もう後は母に任せて、自分は少し休もう。
そう考えたときだった。
「……別にね、私は貴方が通り魔で、民を傷つけたから怒ってるんじゃないの。私はね……」
何故か綾鳴の声が聞こえた。
「貴方が紗那を傷つけた事に怒ってるのよ」
親馬鹿、そう心の中で呟いて、今度こそ紗那は意識を手放した。
気がつくと、紗那の顔を覗き込む綾鳴の顔があった。
何故か逆さまな母の顔を疑問に思った紗那だったが、頭の後ろに固い地面と違う柔らかな感触がある。
どうやら綾鳴が自分の膝の上に、紗那の頭を寝かせてくれていたらしい。
「……お母さん」
「ん? なあに、紗那?」
「ウォルフは……、通り魔はどうなったの?」
紗那の質問に、綾鳴は無言で指差した。
紗那が指先に視線を向けると、そこにはウォルフのコートや服、刀だけが落ちている。
「え……? 何で服だけ……?」
疑問に感じた紗那だったが、その時コートがもぞりと動いた。
突然動き出したコートに驚いて、起き上がる紗那だったが、コートの中をもがく様にして抜け出した物体を見て、呆気に取られた顔をする。
「……犬?」
コートから出てきたのは、茶色い毛並みの小型犬だった。
怯えた目付きで綾鳴を見ると、一目散に逃げ出そうとする。
「こらこら、待ちなさいって」
綾鳴が手をかざすと、途端に犬の動きが止まった。
止まったというよりは、まるで硬直したかの様に動きが固まっている。
そして綾鳴が手招きするように指を動かすと、ずるずると綾鳴の近くに引き寄せられる。
そんな犬の扱いを見て、紗那は何となくその正体がウォルフであると気づいた。綾鳴の力によって、犬に姿を変えられてしまったのだろう。
「さて、こんな姿じゃ、もう悪さも出来ないでしょうし、許してあげる?」
そう問いかけてくる綾鳴に、紗那は頷いた。
途端に硬直が解けたのか、ウォルフ犬はその場から駆け出そうとする。
だが、その動きが再び止まった。
紗那が隣にいる綾鳴を見ると、彼女は手をウォルフ犬に向けてかざしていた。
「紗那は許したけど、私はまだ許してないわよ?」
ニコニコと笑顔でウォルフ犬を手繰り寄せると、いつの間にか手に握られていた筆を、その顔に近づけていく。
全身を硬直させられているウォルフ犬は、その筆を見つめることしか出来ない。
「さらさらさらっと……。うん、これで許してあげましょう」
太く立派な眉毛を描かれたウォルフ犬は、硬直が解けると、今度こそ一目散に逃げ出した。
「……ぷっ」
そう噴き出したのはどちらが先だったか。
だがそれが引き金となったように、二人はお腹を抱えて楽しげに笑い出した。
ひとしきり笑った後、城へ向かう道を二人で歩き出す。
歩きながら紗那と綾鳴は色々な事を話した。
「そういえば、どうして私の居場所が分かったの?」
「ふふん。お母さんの愛の力ってやつね」
「真面目に答えてよ」
「お母さんはいつだって真面目よ?」
疲れたように肩を落とす紗那は、思い出したように抱えた紙袋を綾鳴に手渡す。
「そうだ。はいこれ、お土産」
「わっ、何これ! すっごく美味しそう!」
「泥棒捕まえたお礼にって……」
「わー、ありがとう紗那。こんないい娘に育って……、これも私の教育の賜物ね!」
「それはどうかなあ……」
親子の他愛の無い会話は決して途切れる事無く、天竜城へ到着するまで続いた……。
11/04/01 21:17更新 / 謎のレイブン