ARMORED CORE

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MOA
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AA
AC3
SL
NX
NB
FF
LR
AC4
fA
ACV
VD


ACと共に過ごした管理人(以下、私)の記憶を綴ります。 過去の記録と私の記憶に拠りますので、正確さはそれなりです。
ARMORED CORE PROJECT PHANTASMA
1997年12月4日発売。

大学3年生の冬。私が初代PSを購入し、「KINGS FIELD 3」の次に手にしたタイトルだった。
CDショップの店頭で見つけた、ロボットゲームらしきタイトル。パッケージの裏側を見ると「オリジナルエンブレムを貼り付けて 云々」とあった。「エンブレムを貼りつける」とはどういうことかわからなかったが、ゲーム画像の褐色のロボがデザートザクみたいでカッコよかったので購入した。

始めてみると、操作の難しさはあまり気にならなかった。「KINGS FIELD」と操作が似ていたからかもしれなかった。

←「KINGS FIELD」のゲーム画像と当時描いたファンアート。
ミッションやアリーナを進めるとゴールドが入り、ロボを強化できるのが楽しかった。
中盤まで進めると、敵に空中からキャノンを撃つ奴や、ショップにないパーツを持っている奴、強力極まる光波を使う奴などが現れ始めた。当初、敵だけが使える仕様なのかと思った。

まだ、インターネットが普及する前のことである。それらの正体を知ったのは、初代ACをプレイした後であった。

←後日、自機に使えるようになった隠しパーツと光波。
ARMORED CORE
1997年7月10日発売。

PROJECT PHANTASMAのプレイを続けている中、先と同じショップで、これが中古で売られているのに出くわした。
中古価格で、確か500円だったと思う。
前作があったのは知っていたから、これかこれかと喜び勇んで買って帰ってプレイした。
アリーナがないのには驚いたが、ミッションはこちらの方がやりごたえがあった。
また、攻略本を見つけて購入し、「強化人間」や隠しパーツの存在を知って、これらを攻略した。
休日などは朝から翌日の朝までガレージに篭り、アセンや調色に没頭した。

「強化人間」や「重量過多」が界隈で好まれず対戦で禁止されるのは今でこそ常識だが、ネットもなかった当時、それらを使うことは当たり前だった。だって、強かったから。

←当時、愛用していた強化人間機の「蒼龍」。
他に、四脚武器腕レーザーの「赤城」、赤サブ重二の「加賀」、指マシ軽二の「飛龍」があった。
それから半年ほどの間、親しい友人らにACを布教した。そして、対戦に付き合ってくれる者を数人得ることができた。
私のプレイ時間は彼らより圧倒的に長かったから、対戦では常勝だった。今考えれば、それはまさに「井の中の蛙」であった。
ARMORED CORE MASTER OF ARENA
1999年2月4日発売。

この時は、既にネットの普及が始まっていたと記憶する。当サイトの前身たる「YYのHOMEPAGE」ができたのもこの頃だった。
待ちわびた続編が出るということで、発売当日に、友人らと車を繰り出し、ショップへ駆けつけた。
この時、攻略本などから「強化人間」や「重量過多」が界隈で歓迎されないことを知った。
そして、プレイ時間で差のある友人らにはそれらを使ってもらい、自分は使わないというハンデ戦を始めた。

←非強化だった「栂」。非常に堅牢だが装弾数が少なくブレードもないため、攻撃手段を失った後の領域離脱が多かった。今に至るエンブレム「三ツ銀杏」を初めて貼った機体でもあった。

←同じく非強化だった「樟」。命中力の高い射撃兵器と弾幕兵器、強力なミサイルを積んだタンクで、後の「イエロードッグ」、「ファントムクイーン」の源流となった。「三ツ銀杏」が黄色になったのはこの機体からだった。
友人らと集まりやすい環境であったから対戦会は頻回に開かれたし、一人の時は昼夜問わずガレージに篭りっぱなしだった。持てる時間の全てをACに投入していたと言っても過言でなく、留年しないのが不思議なくらいだった。

しかし、2000年春、国家試験の1年前となったとき、遂にPSを中古屋に売りACを封印した。 流石に、ACのために国試浪人をするわけにはいかなかったのだ。
ARMORED CORE 2
2000年8月3日発売。

発売されたのは、受験勉強シーズンのド真ん中だった。
PS2という新プラットフォームでの全く新しいACであったから、気にならないわけがなかった。
しかし、手を出したいのをぐっとがまんし、攻略本だけ買って勉強の合間にアセンを妄想した。

満を持し、試験の終わった2001年3月、PS2と共に購入した。
本作のOP画面は、この時の非常にすがすがしい気分を、見るたびに思い出させるものとなった。
続編のAAが出るまでの僅か1カ月、全力で遊んだ。
その時、旧タイトルで対戦会を楽しんだ学友は既にそれぞれの故郷へ散っており、このタイトルで対戦を楽しむ機会はほとんどなかった。

←AC2での唯一の愛機「ヴォルトホース」。センサー類の充実した頭部、対ザコ用のパルスライフル、対AC用のプラズマキャノンを装備した重四脚で、ミッションとアリーナはこの一機で十分だった。
ARMORED CORE 2 ANOTHER AGE
2001年4月12日発売。

社会人1年目であった。
激務の開始と同時に出たタイトルで、本作のプレイ時間も比較的短かった。
業務終了後の夜中、高速道路を駆けて身内の対戦会場へ向かったのは、強烈な思い出に残っている。

←AC2AAでの唯一の愛機「菖蒲」。「ヴォルトホース」と異なり対人戦を意識した構成だった。マルチミサイルで弾幕を張り、かいくぐってきた相手をプラズマライフルで迎撃した。
ARMORED CORE 3
2002年4月4日発売。(同Portable 2009年7月30日発売。)

AC全タイトルの中でも名作と名高いタイトルで、プレイも楽しかったのだろう。忙しかったはずだが、大量の愛機が生まれた。
この頃にはネット環境が整い、多くの優れた個人ACサイトに触れた。オフ会にも参加した。
刺激を受け、自らもキャプチャー環境を得てACサイト作りの準備を始めた。下の画像は当時作製したそのままのもので、手元にある最古のAC画像である。
↑「キングスフィールド」にちなんだ名前が多い。重二の「キングフレンダ―」はこれが初登場であった。
ARMORED CORE SILENT LINE
2003年1月13日発売。(同Portable 2009年11月19日発売。)

沢山の「色・性能違いパーツ」と、どこに弾が入っているのかわからない「実弾EO」が印象的だった。
全パーツを取得した後の同年3月30日、満を持して個人ACサイトを開業した。
↑開設当時の本サイトのトップ。初のTOP画像は、10分ほどでざっと描いたACだった。

「より強くより美しく」を旗印とし、明るいデザインで、ACを始めたばかりの方にもわかりやすい内容を心掛けた。
コンテンツ「より強くより美しく」では、見た目にこだわりながらも扱いやすい愛機を陳列した。

←「より強くより美しく」に掲載していた、サイトのフラグシップ機。アリーナの敵程度であれば、これで十分だった。

←「キングフレンダーII」。鈍重で、対人戦に使える代物ではなかったが、当時お気に入りの機体であった。
当時に人気のあった他サイト様の例にならい、「REPORT」では対戦会の記録などを画像付きで掲載した。

←初代ACの頃から遊んでくださっていた方と対戦し、その機体を紹介していた。今は遠く離れてしまったが、お元気だろうか。

サイトのメインコンテンツとして据えたのが、「PARTS CONFERENCE」での画像付きのパーツ評価だった。
当時はACパーツを画像付きで掲載しているサイトが少なく、パーツ名や「通り名」で記載されても、慣れていなければどのパーツかわからないという状態だった。
当サイトではそれに対する答えを求めた。
↑「PARTS CONFERENCE」のスタート画面。右の画像は公式に配布された壁紙画像を編集したものだった。
↑画像の特定の部位をクリックすると、該当するパーツカテゴリーの評価画面が開いた。開設時は私による評価のみの掲載だった。

このコンテンツの中に、ちょっとした悪戯を仕込んでいた。画面左側の人物をクリックすると、パーツ評価ではなく下のような人物画が出るようになっていた。
当時はそのつもりはなかったのだが、この創作キャラが、このサイトと私自身のその後に大きく関わることになるのだった。
↑ACと共に立つ人物をイメージしたものだが、色以外に共通点のない、完全な創作キャラだった。画像は、手近なコピー用紙にマジックで一発書きし、スキャナで取り込んで画像ソフトで色を塗って作った。 現在からすれば、胸まわりが驚くほどすっきりしていた。

当時の個人サイトには必ずあったBBS(掲示板)も、先例にならって整備した。記事の冒頭に選べるアイコンとして、ランカーエンブレムなどを用意した。
↑最初は適当にチョイスした数十個だったのだが、最終的には全エンブレムを網羅するに至った。これは初期に使っていたものの一部である。

サイトの整備と並行して、多忙期にはかなわなかった公式大会への出場を果たした。
2003年7月19日、サマーキャラバン福岡大会。
初めて参加した、フロムソフトウエア公式の大会であった。
レギュレーションを熟読し、自分なりの対策機を用意して参戦した。

←福岡の中心街にあるゲーム・CDショップ「GIGA天神」で開催された。
オンライン対戦が現在ほど普及していない時代の話である。対戦といえば、当然、顔を合わせての2画面対戦であったから、狭い会場に地域の強豪たちがひしめき合う、あらゆる意味で熱い戦場となった。
↑「カルメン」。固定ステージ「TRENE CITY」用の機体。高低差のある夜間ビル街のステージでの、機動戦を得意とした。長距離からのトップアタックで1回戦を突破した。
↑「ドン・ホセ」。固定ステージ「MILITARY DISTRICT」用の機体。丈の低い障害物が並ぶ平坦なステージでの、回避を無視した銃撃戦を得意とした。正面切っての打ち合いで2回戦を突破し、8強入りを果たした。
↑「エスカミーリョ」。固定ステージ「RUIN」用の機体。狭く障害物が非常に多いステージでの、一撃にかけた遭遇戦を得意とした。本機をさらに上回る攻撃力と防御力を持つタンク型の相手に敗北した。

その後、BBSを通じて、ネット上での出会いが爆発的に増えていった。
その中には、2021年4月現在もなおSNSなどで交流の続く方々との出会いもあった。
個人ACサイトを開設している方もあり、特に当サイトの成り立ちを語るに欠かせなかったサイトとして、「MOME大隊」と「MoMo Grenade」があった。
↑両サイトのバナー。当時はAC界隈を代表するサイトだったが、現在は閉鎖されている。

「MOME大隊」には、お絵描き掲示板と「なりきりチャット」(以下、なりチャ)が備えられていた。なりチャとは、自分オリジナルのキャラクターになりきって会話をする「ごっこ遊び」であり、同様の機能を持つチャットシステムは、2021年4月現在も、当サイトに実装されている。


←当時多用されたCGI-boyのDXチャット。設置が簡単な上、入室者が一目瞭然という優れものだった。個人HPの衰退に伴い、2009年にサービス終了となった。
「MOME大隊」のなりチャは常に大変な盛況であった。私も、このなりチャとお絵描き掲示板には積極的に参加した。なりチャを使用するにあたり、マイキャラとして私は先のパーツ評価の人物を登場させたのであった。「名無し」ではまずかったので、その場のノリで、そのおねえさんは「コロンさん」と命名された。

BBSへは、しばしACのアセンブルについての投稿もあった。
パーツ名だけではどんなACかわからなかったから、投稿された機体を私なりに再現して画像化し、サイトに掲載した。
それが好評で、画像化された投稿機体は、その後のタイトルの分も合わせて469機に及んだ。なるべくかっこよく撮りたかったから、没画像を含めれば撮影枚数は恐ろしい数に上った。我ながらよく頑張ったものだと思う。
↑SL時代から特に多くの投稿を頂いた方々の機体。

当サイトへの来訪者のカウンターは、2003年12月23日、1万HITを記録した。

←当時の「コロンさん」。土木作業にACを使う「ガテン系」であった。このころまでは、まだ画用紙にコピックで描かれていた。
ARMORED CORE NEXUS
2004年3月18日発売。

SLが盛り上がっただけに、諸手を上がて歓迎した新タイトルだった。発売前の体験会が頻回に開催されたこともあり、期待は大いに膨らんだ。

←NXの発売前情報を求めて参加した、2003年9月28日の東京ゲームショウ。製品版とは異なるパーツもあった。

←2004年2月1日の体験会。秋葉原ソフマップアミューズメント館前にて。当時、私は九州の僻地に住んでいた。これらへの参加にかけた情熱と暇と金は、現在から考えれば狂気以外の何物でもなかった。
しかし、ふたを開ければ、シビアな「熱システム」でハイスピードなメカアクションが難しかったり、対戦では致命的ともいえるバグがあったりと、決して遊びがっての良いタイトルではなかった。…というのが、正直なところだった。
結果、ゲームそのものより、二次創作で大いに盛り上がったタイトルとなった。
その盛り上がりは、当サイトで空前絶後のものであった。

←コロンさんの青いコスチュームは、NXの発売に合わせて登場した。NXの青いイメージカラーに合わせたものだった。

二次創作の物語では多数のACが登場した。それらは、ゲーム上の強さは度外視し、戦いでの見せ場や見た目など、ストーリー性を重視したものが多かった。
↑NXでの二次創作小説に登場したACたち。「クレスト部隊員」とフリーの傭兵たちの物語だった。

二次創作は小説などの物語だけではなく、イラストも盛り上がった。
MOMEのお絵描き掲示板をお借りしての活動では限界があり、当サイトにもお絵描き掲示板を実装した。
多数の描きこみを頂き、これも非常に繁盛した。
ここでの新たな出会いも、その後の私とサイトにとって非常に意義深いものであった。
↑当時お寄せいただいた膨大な数のイラストの中の、ほんの一部。これらの描き手には、2021年現在までイラストの活動を続けられている方も多い。

二次創作だけではなく、一応、公式大会へも参加した。
第一回バトルアリーナ、2004年5月15日、福岡県博多駅前ヨドバシカメラ2Fにて開催。
バグに近いものを利用した技や飛びぬけて強い武器に、ほとんど制限を設けないレギュレーションであった。
私は若気の至りでこれに反発、なんと、小説に登場させた見てくればかりの機体で参戦したのであった。
結果はもちろん惨敗。
今から考えれば、勝敗を真剣に考えていた他の参加者に失礼な行為であったかもしれない。
↑後日にレポートした再現画像。強武器の狙撃銃を装備した二脚型の相手を想像していたら、重火砲を装備したタンク型であり、一瞬に葬られたというもの。

(2021年4月13日更新)
ARMORED CORE NINE BREAKER
2004年10月28日発売。
ARMORED CORE FORMULA FRONT
2005年3月3日発売(PS2版)。
ARMORED CORE LAST RAVEN
2005年8月4日発売。(同Portable 2010年3月4日発売。)
ARMORED CORE 4
2006年12月21日発売。
ARMORED CORE for Answer
2008年3月19日発売。
ARMORED CORE V
2012年1月26日発売。
ARMORED CORE VERDICT DAY
2013年9月26日発売。