やまのはな

                         更新:2006年7月9日 11:15

 短歌巡りyahooGooBiglobeGoogle写真便利コムリンク愛媛県

   表題 : 素麺 平成8年から10年の秋にかけて  

  平成8年の夏、食欲がないな、と言いつつ、ゴロゴロ。
  あれほど食べたうどん、素麺を食べられない。
  毎日のように食べていた。今は全く食べられない。好みが変わった。

忘却

 12月
  苦しいが、柑橘の収穫があるので苦しさをつかの間忘れていた。

腹張り

1月
  腹が張ってしんどい。
  心当たりがあるので、国立ガンセンターに行った。
  なぜなら自身の父親が直腸癌で亡くなっているからだ。

・・・せんこく・・・

  電話での連絡 平成9年1月17日、
  I市にある事務所の椅子に座 っているときにかかってきた。
  (やっぱり癌だった。本人の娘にはあと1年と医者が宣告した。)

立ち会い

 平成9年1月18日
 「もし、癌なら言って下さい。わしゃ大丈夫じゃ。いずれわかるんなら早い方がええ。」
 『そうですか。それでは。手遅れです。いわゆる胃ガンです。この写真を見て下さい。
 腹水がたまっているので胃が圧迫されるのです。
 こちらは健常者の胃です。これはあなたのです。瘤がいっぱいあるでしょう。』
 「先生、一体あとどれだけ生きられますか。あと五年は大丈夫でしょうか。」
  (返事無し。)
 『最近は良い薬がありますので、取り組んでみましょう。癌の場合、3つの対処方法があります。
 1つめは、切除手術です。
 2つめは、放射線治療です。
 3つめは、抗ガン剤の投与です。
 ただし、あなたの場合は胃ガンですので、放射線治療はできません。
 それから、はっきり言って手遅れです。
 ですから取り除くこともできません。
 衰弱するだけですから。
 しばらく入院して食事療法と組み合わせましょう。
 入院の準備をしてきて下さい。』
  「先生、わしの親父は直腸ガンで死んだので可能性はあると思っていた。
 直腸がんの検診は受けた。
 しかし、胃検診は受けてなかった。
 1回受けてゲップがでて
 気持ち悪く、それ以来受けていない。
 「わしゃバリウム飲むんが嫌なんじゃ。」

おなか

 太っていたので、おなかは全く気にしていなかった。
 入院日誌を書くことにした。
 病院は退屈。結構知り合いが入院しているらしい。
 『良く効いているみたいですね。このまま続けてみます。』

保険

 「ああ、しもた。入院の保険を掛けてなかった。死亡だけよ。」
 あれだけ保険保険と言っておきながら。
 自分の入院を入れてない。
  団体にいい顔をするため。
 なんにもならない。
 腹水を抜いた。
 『ガン細胞が水にもありました。』
 あちこち転移の恐れ。

お呼ばれ

 『娘さん、ちょっと話があります。
 今まで私が診てきた患者さんで、このような場合、半年持ったことはありません。
 何でも食べたいものを食べさせてあげて下さい。
 あなたと、あなたのお子さんもいずれは正規の検診を受けた方がいいです。
 体質は遺伝 しますから。お子さんはもう少し大きくなってからで良いでしょう。』

    追い打ちをかける言葉。白い壁。看護婦詰め所。

退院

 3月
  『気温も上がってきたことだし、
   とりあえず退院しますか。
   病院にいても何もすることがありませんから。
   通院で対処しましょう。
   抗ガン剤投与は3回目は危険ですので、
   そのときは身辺整理をしてから来て下さい。』
    (2回すんだ。)
   次の入院は究極の覚悟をして来なさいと言っているのと同じではないか。
   何がいつ起こっても不思議ではない。

転勤

  T町に転勤決定。
  全くかわることは考えていなかった。
  というのは嘘になる。
  去る視察の時にどうしてもI市に来たい人がいるので、
  あんたはどっかに行きなさいよ。
  そのようなことを言われていた。
  だから別にビックリはしなかった。
  万一の時、I市よりM市に行くのが早い。
  トップは知ってか知らずか御配慮賜る。
  I市なら家まで40分。
  T町から家までは、どんなに急いでも1時間はかかる。

触れ回り
  4月
  「行く先々でわしゃガンじゃ。」と言い触らしている。
  あちこちに知れ渡っているらしい。
  そんなこんなで、
  ことしは4月20日のお祭りは我が家のみ中止となった。

  4月20日、「静かな"おはつか"は何十年ぶりじゃろのう。」
  「背中が痛い。」

 
 骨に
 
  胃の後ろでしょう。
  『どうやら骨に転移しているのでしょう。
   骨髄に転移していれば、ある日突然手足が動かなくなる可能性があります。
   一人で病院に来てはいけません。
   必ず家族の人に連れてきてもらって下さい。』
  『私にはどう治療すればいいかわかりません。しばらく考えさせて下さい。』

  数日後、

  『胃ガンとしか言ってないので、
  放射線を背中からあて、
  胃ガン治療のふりをして骨髄に放射線をあてたいのですが。』
  何もわからない一般人に相談されてもなんになる。
  もうだめですと言っているのと同じではないか。

 
屋久島  5月

  「ひょっとしたらひょっとする。屋久島へ行こう。連休を使って。屋久杉を見に行く。
  動けるうちに。一回見たかった。これが最後かもしれん。」
  ひょっとしたらほんとに最後かもしれない旅行に行く。
  娘はなにも知らない。
    (3歳の子に何を言うのだ。)
  『この夏が山でしょう。』 (残り3カ月ですよ)
  毎晩泣きとおしている。

痩せる術  6月
  「痩せたが。自分の体じゃないような気がする。10kg痩せた。」
  「足が細くなった。」
  知らぬ間に田植えをしていた。
  T市で乗用機を借りる段取りをしていたのに。
  ガン保険には、夫婦のみ1口づつ入っている。子供はまだ入れない。
  何かを待っているような日々が続く。

出会い

  T町の人より、曼珠沙華の根っ子をいっぱいもらう。ガンに効くとのこと。
  ガンセンターで本人が知り合ったのだ。妙に気が合った。

試し

  青汁、猿の腰掛け、???。
  どこから仕入れてくるのか、得体の知れないものを
  毎日のようにすり潰し、飲んでいる。
  曼珠沙華の根っ子は足の裏に毎日塗っている。
   鉄骨でなにやら液体をもらってきた。一升瓶に六分の一程度で3カ月分ぐらい。
  1日3回、さじ1杯ずつ程度。プロポリスの液(蜂の巣の抽出液?)。

 
豆腐かコンニャク

  丸山ワクチンを自宅で打つ。
 看護婦さんは、「簡単ですよ。豆腐かコンニャクで練習すればいいんです。」
 麻薬患者とその家族みたい。

怒らないこと

  みんな苛ついている。すぐに不機嫌になるのだ。
  おばあさんは相変わらず。

 
気休め 

  ・・・ばあさんには絶対言うなよ。年寄りに心配させてなんにもならん。・・・

 
気がかり 

  「わしゃ、あいつを残して死ねんが。」
  どっちが先に行くかわからない。3月から傷病手当を最長1年半分をもらい始めた。
  
家系

ばあさん側にガンの家系と長寿の家系あり。
  


  今までに試したもの、今試しているもの
      ○は使用中  ×は使用を止めたもの
   スギナ                 ×
   ゲンノショウコ           ×
   ドクダミ            ○
   青汁                  ○
   ハコベ         2日で×
   レタスの煎じ            ×
   サルの腰掛け            ×
   トウモロコシの髭            ×
   ビワの葉                ×
   ビワの種                ×
   曼珠沙華の根 足の裏に塗る 毎日 ○
   コンニャクのゆでたのを湿布で      ○
   ケイメイガシン酸(ウコンの粉末) × 5000円/月
   プロポリス ×
   AHCC ○ 3万円/月
   鮫軟骨 ○ 1万円/月
   クロレラ錠剤              △ 2000円/月
       液剤        × 1万円/月
   青汁錠剤                ×
   灸(かかとに) ○

吐き気

 「食べれるもんか。 吐くのに食べれん。」
 ・・・水だけでも飲んだら。・・・(患者の妻) 「飲めん。」
 朝、食べて吐く。昼、食べられない。夜、「いらん。」
 「もう死ぬしかないんじゃ。もうええんじゃ。寝る。」

投げ槍

  平成9年6月29日
 ・・・作りたいんじゃから、ほうっとったらええんよ。・・・
 返せるところは返したらどうなん。
「ああー、しんど。」

やや不安

N嬢のミニ人間ドックは何とか受けられそう。とりあえず安心したい。
 昨年は申し込んでもダメだった。癌のかけらが見つかりませんように。

蛙7月

 急激な高温で普通の人でも、ばて気味なのに。
 毎日、吐く。水も飲めない。朝昼晩、ゲエゲエ。

KO

7月6日、点滴で辛うじて生きている。
  Kのおばあさんに来てもらうことになる。痛い背中をさすってもらうため。
   (患者の妻の実母)

再入院

7月7日、七夕の日、苦しくてたまらないため、急遽、病院へ行く。
 即、入院。ついに曼珠沙華の塗り薬使用終了。
  『よくここまで通院で辛抱できましたね。気力だけですね。』
 2.5リットルの水を抜く。まだ同量が残っているとのこと。
 胸からも水を抜く。検査で採血しようにも、血が採れない。
 水分補給ができないからだ。
 血がどろっとしており、とれない。
 腹水の色である程度の進行の判断ができるらしい。
  『体全体にガン細胞が隅々まで行き渡っているのは間違いありません。』
 今月末に患者の孫が10日間の旅行に行くんですが、大丈夫でしょうか。
  『今のままではわかりません。何とも言えません。非常に危険であることは間違いな いでしょう。』
 明日から高知へ行くが、大丈夫だろうか。一応連絡先は手渡し。いつ何があるかわから ない。
 ここ数日の暑さで衰弱が進んだ模様。
 自分の母に、「もうわしゃ長くないので、お前も迷惑かけるなよ。」
 ・・・入院しとんのよ。・・・
 ・・・ああそうかな。誰かついとんかな。・・・
 ・・・だれも。・・・
 ・・・そりゃ良かったな。・・・

2人

 7月11日(金)
現在、婆が来ている。年寄り2人。K婆は朝5時に起き、あちこちガサゴソ。
こちらの婆は食事を部屋に持っていく。トイレの交換。

困惑

2人の年寄りをどうするのか
 婆はさっそく帰ってもらう こちらの婆は老人ホームに入る準備をしている
 今、ホームヘルパーに来てもらっているが、私が言い出したので私が経費を出す。

収入がないけん、農業をするしかない。条件不利の畑が良いのができるのでやめられない。

諍い

 楽にする方法がない。道をつけることができない。
 木を切ることにはならん。木を切るんならやめる。
 隣の人とは30年来の喧嘩だ。わしの目の黒いうちは道をつけささん。

泊り込み

 7月13日 今日でK子さんの泊まり掛け看護3日目。個室になったのが3日目。
 7月11日より輸血。高糖度の点滴も同時に。
  もう左の肺は機能していない。
  お医者さんは3人体制、一人は肝臓担当。
  この時点で肝臓に転移していることが本人 に知れた。

イライラの原因

 婆さんには土日だけでも
 デイケアサービスに迎えに来てもらって
 行ってもらったらいいのだが。
 もう、年寄りの相手はくたくた。
 あっちへ行く順番が逆転してしまいそう。

整理

 使わない耕うん機をばらして処分に行く。
 エンジンのみ取り外す。
 ・・・左手がびりびりする。・・・
 工具置き場の掃除。何も捨ててはいない。
 門近くの釘を片っ端から引き抜く。
 引っかけていたものは勝手に移動させた。
 もう少し残っている。

日曜日

 朝は2時間ほど摘果、水路掃除。
 連日の降雨で土砂が水路に流れ込み、水があふれていたのだ。
 スコップでゴミと土砂をだいたい取り除く。
 不用なものを山に持ってきているので少しでも持ち帰る。
 特に農薬の空き瓶、空き袋、古い木箱、使えないコンテナ。
 午後、気分転換を兼ねて病院にお見舞いに行く。
 益々ひどい状況。
 しかし、家より(室内温度が)快適なので、あと1カ月は持つかもしれない。

犬の生態

飼い犬の様子が前回と変わっている。
前は毎日ワンワンうるさく吠えたが、今回は異常に静か。
ご主人様の様子を動物なりに敏感に察知しているのだろうか。
 親戚との会話。盆まで持つじゃろか。たぶんダメ。
 旅行に行くが、本当に、どうするか。その間に何かあるかもしれない。

どろっ

7月14日、心の病で長期欠勤がまた延長工作。
カウンセリングが必要。片や今にも死にそうなのに、
一生懸命生きようとしている。生きたいのにあと一月か。
点滴を止めたらおそらく早まるだろう。
一昨日は輸血していたが、
どろっとしているので、一度固まってしまい、
慌てて手で容器を揉み、事なきを得る。
もう半年もこの憂鬱な状態が続いている。

車椅子

7/15 なんかねじったとかで、骨がボキッとしたらしい。
自分で起き上がれなくなったとか。
いよいよ車椅子の出番か。

不自由

7/16 動けない。

見放し

7/17   右手の指が痛い。たまねぎを40箱調整したからだ。・・・
トラクタを移動させる。

○荘

平成9年7月19日、午前、迎えの車が来た。
取りあえず週末のみのショートステイ。
これで少し楽になる。
口論の種が失われるところ。後ろめたさか。

7月21日、夕方迎えに行く。
朝方4時頃まで起きているので世話できない。
ショートステイならいい。
ごりごりかきむしるので。
皮膚病等病気にかかっている人は入所できません。

処分する

いつまで続けられるか判っているのか。
収穫はどうするのか。今まで世話してきたのに。
除草剤しかやっていない。誰が運ぶのか。
休みの日に運んでもらえばええ。
運べる数は知れている。
取りながら運ぶのでさえしんどいのに。
前日のがあったりしたらとても無理ではないか。
判っているのに。
とにかく今年はつくる。
収入がないだろが。

出て行け。

勝手になんでもかんでも捨てて。
そんなに気にいらんのなら出て行け。
自分のはどんなんで。

同級会

昭和21年度小学校卒業生の同級会を
平成9年8月17日に計画しているが、
延期すればいいのではという意見が続出。
医者は今なら出られる、2カ月先はどうなるか判らない。
それならば延期しようという声が大。
考えてみれば当たり前。
極最近に同級生の1人が亡くなって今年が新盆なのだから。
それを自分が主人公のような顔をされるのはせっかくのお酒がまずくなる。
延期よ延期。
この同級会だけを今の生き甲斐にしている身にあってはたまらなく。

腹水

春頃は1カ月に1度抜いたら良かったのに
今は抜いても三日経てば元通り。

オーストラリア

 この暑さと混迷の中、
 一人南太平洋の大陸、珊瑚礁の海、ワニ園等を楽しんでいる人。
 この旅行中にも危険な状態と予測されているが、今の所一進一退。
 いや、一退一退か。 国際電話も慣れたもの。
 日本より1時間早いそうだ。
 昨年のニュージーランドは3時間早かったので、
 今年の時差ボケは小さい模様。
 家族の中に一人ぐらいは
 こんな時でも楽しく過ごしている人が必要だ。
 間に合うだろうか。

利用権設定

 気になっていた蜜柑山について、
 隣の人を通じて近所の人が作ってくれるそうだ。
 こちらは無条件でOK。平成9年8月2日夜9時。
 帰ってくるのを待っていたそうだ。遅くなってしまった。
 Tさんが提示した条件は次のとおり。
 ・クーラー防除の経費のみ10年の減価償却として支払うこと。
 ・あとせいぜい10個のコンテナ分の
 伊予柑を残すことで圃場使用料とする。
 ・使用契約はできれば10年の間を見越す。
  何も申し出がなければ自動延長可。
・田圃を残してすべての園地を差し出すこと。
  条件の良いところは自分で作るのでは話は白紙になる。
・移行期間の経費については、
 御礼肥からは新しい人。
 団体に言えば集計してくれるとのこと。
 ・新しく作る人は道具をあまり持っていないので
 無償で貸与すること。
 もちろん倉庫、コンテナ、動噴などは含まれる。
 義母は「喜んで。但し主人と相談してみる」とのこと。
 死んでいく人に何を相談するのか。
 決定が遅れるだけ。8月3日。
 このままだったら次に倒れる人が出てくる。
 迷わず、話を進めるべき。

やっぱり作りたい

 一番下の平地部は作りたい。
 ・・・この期に及んで何を言っているのか。
 できるのなら一人でやってくれ。
 その代わり急な山すべても引き受け者はいなくなる。
 一かゼロか。いずれにしても片づけておくこと。
 道具がどこにあるか判らない。
 「よい、どこに置いたんぞいのう。」
 などと言っておったんでは作業が進まない。
 園地条件は30年遅れている。
 それが判らないのだ。
 今後もしんどいまま作り続けるつもりらしい。
 死んでいく人に相談してなんになるのだろうか。
 これからまだ生きている人の意見の方が大切な気がするのだが。


再びT氏

 仕事で会う機会があった。この人は大丈夫なのだろうか。
この人と仕事で会っても、どうしても病院が思い起こされてしまう。
 してはいけない連想ゲーム。

1カ月

 今度の日曜日(平成9年8月10日)で
 再入院後、1カ月になる。
 身辺整理ができないまま、いたずらに時間が過ぎていく。
 はじめに来たときは、寒い寒い冬だったのに。
 今はクーラーの停止時間に苛つく。

今の仕事

 点滴を受けること。大小の排出。
 吐くこと。怒ること。孫の手を握ること。
 寝返ること。
 涙を流すこと。(平成9年8月3日)

   いつまでも待っているのか堀之内

観音水

 平成9年8月13日、
 I市のAさんと一緒にT市のKさんの自宅に伺う。
 夜も8時半ごろ。2時間ほどいろいろ話して、観音水を30リットルほど頂く。
 元は水道水、観音様の前に置くと瞬時に変わるそうだ。
 水晶玉が熱くなっているらしい。
 ロウソクの火で照らされているからなのだろうか。
 わからない。
 以前はAさんに送ってもらった。
 夜遅くなのに、Kさん夫妻と話ができた。

胸水

 8月15日、胸水を1.5リットル抜く。
 背中から針を刺して抜いたらしい。
 まだだいぶあるらしい。
 腹と違って、どこに溜まっているのか判らない。
 脇の下がふっくらしているらしいが、それがのいたのだろうか。
 少し楽になったらしい。
 以前は、胸水を抜くとそのショックで逝ってしまうことがあるので、
 避けているとのことだった。
 とにかく、8月17日の同級会に全勢力を傾けているとの医者の言葉。
 この日が過ぎると何があるかわからない。
 目標を失い、体力は限界にづいている。
 とにかく治療の焦点を17日にあてている。

表札

 表札を今日(8月16日)
 元のとおりに並べて打ち付けた。
 帰ってきたとき、気分を害したらいけないから。
 つい先日、場所を入れ替えたばかりだが。
復活

 8月18日、先週の金曜日に
 普段なら1週間ごとに腹水を抜いていたのに、
 今週は抜かなくても良さそうだ。回復の兆しか。

臓器移植

 婆さん、「Kは、肝臓を人にあげてきたんかいな。」と宣う。
 「よう帰ってきたな。」の一言があればよかったのに。

同級会

 無事、
 8月17日に市内の料亭で小学校の同級会が
 盛大に行われた。
 参加者は30名とのこと。
 発起人の一人として挨拶をした模様。
 万一を考えて妹夫婦が隣の部屋で待機。
 病院はいつでも受け入れ体制が整っているので
 安心するように、とのことだった。
 皆の顔を見て安心したのだろうか。
 最近にはなかった元気さであった。

特別室

 8月29日、別の人の具合が悪く、今の部屋は殺菌できないらしく、
 K氏の部屋なら殺菌できるとのことで、特別室に移った。
 部屋代は1日あたり6、000円、つまり1カ月で18万円也。
 シャワー、トイレ、バス、テレビ、冷蔵庫付き。
 介護者が少しでも楽になるかもしれない。
 もう、大部屋へは移れない。

畳替え

 同日、畳替えの発注をした。
 特別室にはいると、短い人で半日、長生きできないらしく、
 いよいよその日のための準備か、あきらめか。

写真

 同級会の記念写真を参加した人に送るのに封筒に入れている。
 中央に座っている人は、
 どこか視線が定まらず、
 心ここにあらず。足が細い。



 婆さんに夕食を持っていくのが少し遅れると、
 「食べささんつもりか。自分で食べに行こうと思とった。」
 魚介類はすべて駄目。
 10年前から好き嫌いが激しく、
 芋ばっかり食べていた。
 蒸かし芋ならかまわない。

89歳

 来年(平成10年)の4月に90歳。
 体中が痒い。
 憎たらしいので、思いっ切り引っ掻いたら、
 「気持ちええ、もっとしてくれ。」

算盤勘定

 嫌々、世話をして差し上げているのだ。「家に居ったらほっとけんかろ。」
 ○○荘行きの経費捻出をどうすべきか。迫り来る人生行事は。

506号室

 今、入っている部屋には電話がある。
 ついこの間まで市長が利用していたそうだ。
 介護者用にベッドになる長椅子もある。
 応接用の椅子が別に2つある。電話帳まである。
 おまけに寝台自動車(死体を運ぶ車)を
 持っている業者一覧と電話番号まである。
 もう、一方通行。生きて帰れなくなった、と間接的に言われたもの。
 もう間近ですよ。
 覚悟はできていますか。
 とにかく身辺整理をしなさいよ。
 電話番号の群れはそう呟いている。

模様替え

 ダイニング、キッチンの改造をすることになる。
 とにかく急いで。
 月曜日(平成9年9月1日)には大工さんが来るので、
 どうしたいか考えておくように。
 万一の時に間に合わせるために。
 2、3年前にも改造の意見を出したらしいが、
 犬が飼えんが、の一言。
 人間より犬の方が大切。
 江戸時代の御犬様ではないか。
 今はできるだけ外に繋いでいる。
 できたら一日中外に出したいのに。
 蚊に喰われたら可哀想だ。
 人間はそのために冬寒い思いをしている。
 犬は外で飼うことを前提に設計していくこと。

棚の置物

 掃除をしていたら、棚の上にスーパーの袋に入ったものがある。
 注射器だそうだ。
 子供の手の届かないところに置いておく。
 もう、これを家族のものがうつことはないだろうか。
 丸山ワクチンなんて、
 いったい何だったんだろうか。
 お金が掛かっただけか。
 どこばりに(何処へでもかしこでも)
 捨てられない厄介なゴミである。
 家族が注射したあと、
 自分の手足や体に針が刺さらないように
 十二分に注意を払って刺して下さいね。

とけつ

 平成9年9月3日、
 ついに吐血、血を吐く。
 お医者さんの話では、吐き出したら長くない。
 早いと三日。

トンチンカンチン

 台所の改造が自分のものでないような。
 工事請負人の家のようになりそう。
 明日までに間取りを考えてくれ。
 この2〜3日使うものでないのに。
 もっとゆっくり考えたいのに。誰の家か。



 もう、夜外で過ごすことに慣れたようだ。
 まだ暖かいから良いようなものの、
 寒いと無理だろうなあ。

運動会

 今度の土曜日は、運動会やけん、じいちゃん見に来てね。
 昼までやろ。
 わしが行きよったら終わってしまう。

引き留め

 9月12日、また吐血。
 胸水が溜まっているので抜いたらしい。
 呼吸がしんどいので、酸素吸入器をつけていたそうだ。
 帰ろうとする娘に医者が目で合図。
 娘さん、会わせたい人がいれば早く会わせてあげて下さい。

大工

 12日、ついに大工仕事が終了。
 連日のトンチンカンチンがなくなる。
 あとは内装のみ。
 犬は大工さんに慣れていた。
 水をもらったりしていたそうだ。

運動会

 おじいさんおばあさんとの競技中、
 子供席でじっとしている。
 ぼんやりと競技を見ているような、
 無理して見ないようにしているような。
 時々下を向いて顔を見られないような仕草。
 そんな子供が10人近くいた。
 入院して、介護についているため母方は参加できない。
 父方は遠方なのでとても来られない。
 できれば会場に来ているお年寄りとの競技に変えてもらいたい。
 去年までなんにも思わなかった運動会が全然違う。
 お父さんとの競技、お母さんとの競技もあるのだ。
 みんなが来てくれているのではない。
 あのね、
 おじいちゃん、おばあちゃんとの競技は
 やりたくてたまらんかったんよ。

挨拶

 近所の人との会話。
 おじいさんはどうで。もうすぐみたい。
 電話を待ちよるよ。
 この一週間は何とかもったが、
 いつになるやら、今日か明日か。

覚悟

 吐血。痛み止めをさらに強くする。
 夕べ(平成9年9月20日)は激痛で眠れなかったらしい。
 動けないので、20日から紙おむつ使用。



 今週が山です。
 毎日を大切にして下さい。
 自分で起きられない。
 子供や孫のことが判らない。

明日 (平成9年9月28日のこと)

 明日は運動会やけんね。
 帰ってこうわい。
 耳元で話すが動かない。
 視線が定まらない。
 涙が出そうなのを必死にこらえていた。

励ましのお言葉に

 9月28日、小学校運動会当日。
大勢の人に「どんなん」、と聞かれる。
なんと答えたらいいのだろうか。
「一進一退です。難儀しています。」
という答えを期待しているのだろうか。
「もうちょっとです。お待たせ致しております。」
とでも言うべきか。
「ありがとうございます。
ご心配をお掛け致しておりますが、心配入りません。」
「ええ、もうだめかもしれません。」
「激痛で顔を歪めています。」
「もう意識はありません。運動会どころではありません。」

三本の矢

 運動会終了後、○○荘に婆ちゃんのお見舞いに行く。その後、病院へ直行。
 今日から酸素吸入器を使用開始。胸と鼻とおしっこと。
 毛利元就の三本の矢ならぬ
 三本のチューブが体内に差し込まれている。
 体温37.9゚C。
 丁度病室にいたとき、看護婦さんが
 得体の知れない液体を
 注射器に入れて点滴の溶液に混ぜていた。

☆之内

 就職直後は、☆之内というと、心をときめかせていた。
 今日もあの子に会えるかな。
 同じコートでできるかな。
 打ち合いできるかな。
 青春時代の頃。
 平成のテニスコート。
 今はなんにもない。
 心の中が空っぽの状態で左折する。
 かつて立ったテニスコートは遥か彼方。
 ただ通り過ぎるだけ。

経費

 台所の工事やら家のあちこちの修理を
 全部わしがしてやったんよ。鉄骨社長の弁。
 300万円。

ホットライン

 本人のPHSを最近緊急連絡用に借りているが、
 ホットラインは著者宛だった。

電話 (9月29日)

 一応連絡。
 容態がおかしいので電話を入れておきます。
 この2〜3日らしい。
 早引けさせること。
 友達の誕生会は折角なので
 3時頃まで居させることにする。
 いよいよ待機命令か。

庭木の剪定

 例年なら真夏にするところを放ったらかし。松の木も。

山 (9月29日)

 今夜ということはありません。2〜3日です。

 心臓は丈夫なのでまだ大丈夫です。(30日)

着替え (30日)

 帰りの着物(最後の着替え用)を選ぶために付き添い者が一時帰宅。

10月1日

午前3時30分、電話。朝頃だろう。
午前4時30分。みんな来ているので病院へ。
本人も涙を流しているように見受けられた。
5時20分頃、看護婦さんを呼ぶ。
先生に連絡。10分ぐらいかかります。
午前5時26分、だんだん息が弱まり、停止。
午前5時41分、お医者さんが瞳孔確認、喉の確認。
お辞儀。
死因は胃癌。
葬儀は3日。

看護婦さん

 ボタンで呼んでからお医者さんが来られるまで、
 判っているのに、心臓の応急処置。
 何度も何度も。
 「先生が来られるまで10分ぐらいかかります。」
 詰め所での計器が心臓停止を表示した模様。
 結局15分かかり、死亡確認のみ。
 その間20分も2人で心臓マッサージ。

今日から

 じいちゃんね、今日から死んだんよ。じいちゃんね、今日から死んだんよ。
つい、叱ってしまった。たった4歳の子供を。ごめん。

見栄

 新聞に出して良いか、との質問に
 出さないで下さい、と言ったのに。新聞に
 友引でもないのに葬儀が1日延びたのも。
 (仕事の都合)
 

10月2日

遠足は雨で流れる。(遠足の付き添いで年休を取っていた。)
通夜、大勢の人に来ていただく。人数は数えなかった。

10月3日

つい先ほど、蛍の光の放送(地区内で葬儀があると公民館より案内がある)。
11:00より告別式。11:20頃より焼香とのこと。知らなかった。

お別れ

 9:00より入棺。
 その前にアルコールで濡らした脱脂綿で肌の露出部分を綺麗に拭く
 着飾って棺桶に。生前愛用していたものを入れる。
 かわいがっていた愛犬の写真を何とか見つけた。
 釘を2回軽く打つ。
 入魂の念仏。
 火葬場へ。
 台車に乗せて合掌。
 戸の向こうに運ばれ戸が閉まる。
 着火のスイッチを入れる。
 意外に軽い回転だった。
 すぐに火がついた模様。
 2時間ほど待って、その間に昼食。

 焼却終了。よく燃えていて骨はきれいだった。
 頭蓋骨もボロボロだった。行きと違う道を帰る。

権限

 喪主の権限は着火のスイッチを入れること。
 これだけは他の誰もできない。
 初めて喪主になる。なりたくない。

念仏

 組の習慣とかで、
 組内の人たちが念仏を唱えてくれる。
 南無阿弥陀仏を延々と。

といあげ

 お坊さん(保育園の園長先生)に
 お経を30分ほどあげてもらう。
 多角経営で、経営の安定化を図っている良い事例。

打ち上げ

 とにかくなにか口実をつけて飲む。
 全員が帰宅したのは午後の8時を既に回っていた。
 もうくたくた。
 いったい何をしているんだろうか。
 私は故人の○○です。
 かくかくしかじか。お寂しゅうございましょう。
 はい、外でも家でも大声で言うので。



 組内の人たちがお墓を掃除してくれたとき、
 納骨室の8割程度が水没していたそうだ。
 柄杓で50杯汲み出したらしい。
 お腹に水が溜まりだしたのは、
 ご先祖様がお墓のことを知らせてくれたのだろうか、ということば。
 排水用にパイプを通していたが、
 前回の葬儀の時に壷を包んだままだったらしく、
 それが腐ってだんだんパイプに詰まりだした模様。
 いずれにしても、墓場の排水を。暗渠施工が必要?

商売

 次から次へと見知らぬ業者が郵送でカタログ販売。
 直接来ては
 「このたびはどうもありがとうございます。
 ○○で聞きました。どうぞ、お安くしておきます。
 2割引きです。是非ご用命を。
 よそ様もあると思いますが、いかがですか。」

地獄の沙汰も

 戒名をつける経費は
 いらないと生前言っていたが、
 結局25万円なーり。
 先代までは禅の字があるのに善だ。
 おかしいのではないか。
 ゆうてみんけん。
 夕べまでに聞いとったらまにあったかもしれんのに。
 そんなことどうでもいい。

迷惑

 4日は近くの神社の落成式。
 部落の人がおおぜい出席するので、
 葬式どころではない。
 前日で良かった。
 迷惑をかけんで済んだ。

委員会

 「9日に委員会がある。それまでに誰の名義にするか決めといて、電話をくれんかな。」
 ☆さんで良いです。一応伝えますが、たぶんそれでかまいません。

賑やか

 1日から会う人会う人にお辞儀。寂しくなるでしょう。
 ありがとうございます。

20年

 とにかく賑やかだったので
 62歳と9カ月あまりであっちへ行ってしもたが、
 平均寿命の80歳まで普通の人がしゃべる分の
 20年は余分に十分しゃべってきたから同じよ。

ボヤ

 二七日(ふたなのか)、
 10月13日の19時より法事。
 少しお茶を飲んで親戚が
 帰る直前の午後9時20分頃、ボヤ騒ぎ。
 仏壇から火が出る。
 線香か蝋燭の火が香典の紙と
 仏壇の下に敷いた布に燃え移り、赤々と。
 大騒ぎで消す。
 お菓子箱で金属製のものを敷物にする。

合格

 介護福祉士3級に合格

11月3日

 短めにして下さい。
 といったらほんとに短くなった。
 長いのでなんとか言って欲しいとの意見を尊重した結果。

就職

 11月4日より採用される。1カ月に15日まで。
 1日あたり○円の日々雇用なり。

火事

 11月5日、夕方、親戚の2階が火事。
 家族の住居が丸焼け。
 誰も居なかったのでけが人は無し。
 おいさんは青冷め、嫁さんの顔色はなかったらしい。
 誰も怪我がないのでよしとせないかんが、
 わざわざこんな時に火事にならなくても良いのに。
 火といえば、一昨年か、ハーベスターが燃えたのは。
 エンジンをかけたまま燃料を補給し、引火したのだった。



 49日を飾るために、白菊を100本、T市のOに依頼。
 14日の夕方持ち帰り。 

新しい仏壇

 11月30日、午前、新しい仏壇が据え付けられた。

花見

 平成10年4月5日、
「せっかくやけん、気分転換に山小屋に行って桜を見よや。綺麗に咲いとるはずよ。」
「いやよ、私は絶対行かん。」

携帯電話

 平成10年5月6日、夜10時。ついに携帯電話を導入。
その後、毎日携行している。
 安心感。病室のPHSの気持ちがやっと判った。つながっているのだ。
 導入が1年遅かったのだろうか。どうすることもできない。

じっと

婆ちゃんは仏壇に線香をあげ、じっと位牌を見ている。
 声を掛けられない。どうすることもできない。

後書き
 8年ぶりに読む文章 

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