やまのはな     更新:2011年7月17日(2002年11月10日頃開始)  このページの最後へ

鬼原物語No.13

 鬼原の歴史

 おにばら 鬼原〈玉川町〉
  高縄半島の中央部、蒼社川上流の右岸に位置し、
  高森山の山体(戦国期の鷹ケ森城跡)からなる。
  天正13年の同城落城の際当地方で越智通能の一族が討たれたとする鬼原五人衆の伝説がある。

〔近世〕鬼原村
  江戸期〜明治22年の村名。越智郡のうち。今治藩領。
  貞享元年に蒼社川対岸の長谷村から分村して成立。
  村高は「元禄村浦記」「天保郷帳」には記載が見えず、長谷村に含まれるか。
  「旧高旧領」93国余。元禄6年には田80石・10町余、畑13石余・3町余。
  貞享元年の「今治藩領改帳」では家数32軒・人口98。
  天保10年に長谷村との間に紛争の記録があるが内容は不明。
  山林は宝暦3年の「山林改帳」で15町余。
  明治14年の「地価一筆限帳」では44町余、うち薪炭山31町余、草山12町余など。
  神社は御鉾社。明治4年の「畝高人員戸数取調帳」では戸数41・人口197。
  同6年愛媛県に所属。
  同10年頃求益学校開設、同20年同校は鈍川村の鈍川尋常小学校に統合。
  同22年鈍川村の大字となる。

〔近代〕鬼原
  明治22年〜現在の大字名。
  はじめ鈍川村、昭和29年玉川村、同37年からは玉川町の現行大字。
  大正4年の戸数44・人口241(越智郡々勢誌)。昭和35年の世帯37・人口178。



  角川日本地名大辞典38愛媛県P184より
  自宅より車で10分のところにある図書館にて探索したところ、以上のような記述が出てきた。



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平成23年7月17日 日曜日


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